はてなキーワード: 食料品とは
この意見にはいくつかの論理的な問題がある。経済学的には以下の4つのポイントを指摘できる。
彼の主張:「金利をゼロ金利から1%ぐらいにしたら抑え込める程度の副作用にとどまった。これなら金融政策で余裕で対処できる。」
結論:金利1%にすれば副作用を「余裕で」抑え込めるというのは、単純化しすぎた議論。経済の状況により、もっと大きな副作用をもたらす可能性がある。
彼の主張:「1ドル500円」だの「日経平均5000円割れ」だのは完全な空論だった。
結論:「極端な批判が間違っていた」ことは、「アベノミクスに問題がなかった」ことの証明にはならない。
副作用が大きい
そうだね。副作用はあったよね。
でも、金利をゼロ金利から1%ぐらいにしたら抑え込める程度の副作用にとどまった。これなら金融政策で余裕で対処できる。
経済学の基本的な考え方として、通貨供給量は経済規模(GDP)に応じて調整されるべきだというのは間違っていない。しかし、現実の金融政策はそれほど単純ではない。
通貨を増やせばいいという単純な話ではなく、インフレやデフレの抑制、金融市場の安定、金利のコントロールといった要素を考慮しながらバランスをとる必要がある。
1990年代以降の日本はデフレが続き、十分に通貨を供給できていなかった。アベノミクスでは日銀の大規模な金融緩和(異次元緩和)によって、意図的にマネタリーベースを増やす政策を取った。これは「経済規模に応じた通貨発行」以上の積極的なアプローチだった。
日銀が大量の国債やETFを買い入れることで市場に流動性を供給したのは、一般的な金融政策の枠を超えた「異例の措置」だった。
→ たしかに「通貨供給を増やす」こと自体は普通の金融政策だが、規模や手法は従来の金融政策の枠を超えていた。
アベノミクスの一環として日銀は2016年にマイナス金利を導入した。これは、通常の金利政策では対応しきれなくなったための非伝統的政策であり、「ふつうのこと」ではない。
財政政策との組み合わせ
金融緩和に加えて、大型の財政出動(公共事業や減税など)も行われた。これは、単に通貨供給を増やすだけでは十分でないことを示している。
完全には正しくない。
2013年以降の日銀の大規模な金融緩和は、FRBやECBと比較しても異常な規模だった。
→ 一定の理論的根拠はあるものの、「王道」と言えるかどうかは議論の余地がある。
副作用が大きい
金融市場のゆがみ(日銀のETF買い入れによる株価の不自然な安定)。
これらは「ふつうのこと」ではなく、むしろ「リスクを伴う政策」だった。
「経済規模に応じて通貨を発行する」という考え方自体は間違っていないが、アベノミクスは単なる「王道政策」ではなく、かなり特殊な金融政策だった。
「ふつうのこと」ではないが、
どいつもこいつも人生が先に進んでって日々変化があって羨ましい
ずっと停滞してる
物の値段が上がっていくのを肌に感じて、手に取らない食材が増えるから、料理のレパートリーすら停滞かどうかしたら後退してる
残りの人生60年近くずっとこのまま生きてくのか
年老いて体にガタがきても仕事をしないと生活できず、生きるために仕事をし続けないといけないけど、なんのために生きてるんだろうな
推しだとかなんだとかをやるフェーズはとっくに過ぎて飽きてしまった
土曜は、洗濯と掃除をして、次の週のための食料品の買い出しと、図書館に出かける
日曜は、一週間分の作り置きをして、図書館の本を読んで、無料で聞ける範囲の音楽や映画を流して、白湯で精神安定剤を流し込んで無理やり眠る
月曜の朝起きて、満員電車に揺られて、また一週間同じことの繰り返し
ロシアによるウクライナ侵攻は、世界的な資源価格の高騰を引き起こし、日本経済にも多大な影響を及ぼしています。このような経済的ショックは、間接的に人々の健康や死亡率に影響を与える可能性があります。以下に、学術的な視点からそのメカニズムを説明します。
ロシアとウクライナは、エネルギー資源や食料の主要な供給国であり、両国間の紛争はこれらの供給に支障をきたしています。その結果、世界的な資源価格の上昇が生じ、日本でもエネルギーや食料品の価格が高騰しています。大和総研のレポートによれば、これらの価格上昇により、日本の家計は約2.0兆円、企業は約2.6兆円の追加負担を強いられると試算されています。
2. 物価高騰と消費行動の変化
物価の上昇は、消費者の購買行動に直接的な影響を与えます。特に食料品の価格上昇は、低所得層の家計に大きな負担となり、栄養バランスの悪化や食事の質の低下を招く可能性があります。J-STAGEの研究では、最近の物価高騰が食料消費行動に及ぼす影響が分析されており、価格上昇に伴い購入数量や頻度が減少する傾向が示されています。
経済的な負担増加は、心理的ストレスを高め、健康状態の悪化を引き起こす可能性があります。特に、経済的困窮は医療サービスの利用抑制や生活習慣の悪化を招き、結果として死亡リスクを高めることが指摘されています。例えば、経済的ストレスが心血管疾患のリスクを増加させることが複数の研究で報告されています。
ロシアとウクライナの戦争に起因する資源価格の高騰は、日本の経済に多大な悪影響を及ぼしています。これらの経済的影響は、消費行動の変化や心理的ストレスを通じて、間接的に人々の健康や死亡リスクに影響を与える可能性があります。したがって、経済的ショックが人々の生命に及ぼす影響を軽減するための政策対応が重要となります。
Finalvalent がはてぶでフルボッコにされてるがお前らは一度太平洋戦争を反省した方がいい。
まずお前らに聞きたいけど兵站どうするの?
「ローマは兵站で勝つ」「楚漢戦争の戦功第一は兵站担当の蕭何」と言われるように古来から優れた国家は兵站を重視してきた。兵站を軽視した大日本帝国が東南アジアで飢餓に苦しみまくって餓死者を出しまくり戦争どころじゃなくなったのは記憶に新しいところだ。
ではここで言う兵站の補給対象と補給物資はなにか?補給対象はアメリカおよびその同盟諸国であり、補給物資は石油天然ガスなどのエネルギーや食料品である。
はてなブックマーカーが知っているか知らないか分からないがウクライナは小麦の大量供給地域であり、ロシアは天然ガスなどの大量供給地域だ。ここからの補給が止まっているから世界規模の物価高騰のインパクトを与えている。それは日本でも味わってるはず。
さらに悪いことにバイデンなどの国際金融資本の活躍で社会システムはどこもカツカツの状態で余裕となるタメがない。日本でもこども食堂とか氷河期派遣の現状とかみれば分かるはず。
テレビしかみない諸兄は知らないかもしれないがある程度政治には詳しいやつは長期化すれば確実に不利になるってのはそもそも初期から殆どの奴が言ってた話で変な話でもない。(finalvent くらいの論客なら当初からこれくらい読めてたはず)
コンサルやけど、
弱者男性が「食料品の消費税を非課税」にしろって主張してて苦笑
この仕入れ税額控除を利用するには課税売上に対応していないといけないってことは理解してるよね?
つまり食料品を非課税にしたら、仕入れに使った消費税を控除できないから、企業の負担が増えるわけ
負担が増えたら場合食料品は需要弾力性が低いので価格に転嫁されるのよ?
実際、日本では医療費が非課税で、医療機器等の仕入れ費用が仕入れ税額控除できず病院や開業医が困ってるって新聞の記事とかで読んだことくらいあるでしょ?
(だからニュージーランド等先進国では、病院の診察料とか医療費を課税取引にして仕入れ税額控除できるようにしてる)
昨日のバレンタインデーで、妻がチョコをくれなかったというだけの話。吐き出し用。
ただただ女々しい男の嘆きなので、嫌な人は読まないで。
朝からちょっとソワソワしてたのと、毎年もらっているので期待しているというのが大きかった。
ただ、それだけではない。
自分は人(妻)に、自分の許容範囲を超えて与え過ぎているように思う。
日々の食料品(これは共用だが)や電子機器(妻がイヤホンを無くしたときに買った)、ハワイ旅行の宿、飛行機代など諸々を自分が出している。
妻に喜んで欲しい、どうせ自分も使うのだからなどの理由で自分が出している。
数年前、2人で世界旅行に行ったときの妻分の100万単位のお金も自分が結局出した。(貸していたけど、結婚を境に帳消しにした)
その文脈で、バレンタインデーに何もなかったのがちょっとしんどかった。
当日に、妻が欲しがって自分が買った6万の加湿器が届いたのもタイミングが悪かった。
また、私たちは不妊治療をしており、数日前に期待した結果が出ず、妻を励ますためにケーキを買ったのもタイミングが悪かった。
私の中で「俺も落ち込んでる。俺のことは誰が励ましてくれるんだろう」と陰気になってしまった。
こういうこともあって、バレンタインにチョコをくれないという、とんでもなく小さいことに苦しくなってしまった。
ただ、ここまでの全ては自分の意思でやっている。なので、何かしてくれるという期待がそもそも間違い。
20代後半の若造のフリーターなんだが、ちょっと増田の人に聞いてみたい。
友人が余計なおせっかいを焼いたことで、先日マジで大迷惑かけられた。
自分は会社で働いたことがない。恥ずかしながら非正規一筋である。自分の考えに自信がないのだ。
あれは先週金曜日の昼休みだった。会社の友人とデパ地下で買い物したんだよ。
食料品売り場でビニール袋に弁当とお茶を詰めてたら、カゴ置き場の電子レンジ横に、透明ビニールに入ったパンが2つ置いてあるのを見つけた。そのフロアのパン屋さんのやつだった。
俺が袋詰めしてたら、ヤツがパンのところに行って様子見た後、「店員に届けた方がいいんじゃね?」って言うんだよ。
俺は「やめろよ、ダメだと思う。パン忘れた人が戻ってきたら、消えたって思うかも」って止めたんだけど、聞く耳持たない。
結局、食料品売り場の店員さん呼んで、パン2つ預けたんだよね。
店員はノートに忘れ物書き込んで、元のパン屋さんに戻そうとしてた。
そんなところで、パンの落とし主が現れたんだよ。その人が状況を確認したら、やっぱり……マジ切れだった。
店員さんは怒鳴られてかわいそうだったんだけど、落とし主は
みたいなことを言ってた。
友人は反省してるみたいだったが、また同じ事しそうで正直不安だ。
あいつは、会社内でも自分の課題と相手の課題とがわかってないっていうか、おせっかいな仕事スタイルである。
今後、同じような状況になることはないだろうが、もしそうなったら、俺はどうすればいいのだろう。
とりあえず巻き込まれたくはない。
男は、気がつくと巨大なホームセンターの中にいた。
天井は遥か高く、通路は迷路のように入り組んでいる。陳列された商品は、工具、塗料、木材、家具、家電、園芸用品、食料品、衣料品、書籍、おもちゃ、スポーツ用品、楽器、美術品、骨董品…そして、なぜか懐かしい駄菓子や、子供の頃に欲しかったプラモデルまである。
男は、自分がなぜここにいるのか、どうやって来たのか、まったく覚えていなかった。ただ、このホームセンターが、どこまでも、どこまでも、無限に続いていることだけは、直感的に理解した。
最初は戸惑った。不安だった。出口を探して歩き回ったが、どこにも見つからない。店員に尋ねても、曖昧な答えしか返ってこない。
しかし、男は次第に、この無限ホームセンターでの生活に慣れていった。
食料品売り場に行けば、食べ物に困ることはない。日用品売り場に行けば、生活に必要なものはすべて揃う。娯楽用品売り場に行けば、退屈することはない。
それどころか、男は、このホームセンターでの生活を、むしろ楽しんでいた。
なぜなら、男にとって、ホームセンターは、子供の頃から憧れの場所だったからだ。
огромный場所には、見たこともない商品が並んでいる。男は、それらを眺めているだけで、心が躍った。
工具売り場では、職人の技が詰まった道具たちに目を輝かせた。「こんな便利なものがあったのか!」と驚きながら、手に取ってはその感触を確かめた。
塗料売り場では、見たこともない色合いの塗料に心惹かれた。「この色で何を塗ろうか?」と想像力を掻き立てられ、胸がワクワクした。
園芸用品売り場では、珍しい花の種や苗を見つけた。「この花を育ててみよう」と、新しい趣味を見つけたような喜びを感じた。
家具売り場では、デザイン性の高い家具に囲まれ、自分の部屋をどんな風にしたいのか、想像を膨らませた。
時には、子供の頃に遊んだプラモデルを見つけて、懐かしい気持ちになった。
男は、この無限ホームセンターで、自分の好きなように、自由に生きていた。
出口を探すことは、もう考えなかった。
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality of Life、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須の Permalink | 記事への反応(0) | 21:00
異常なんだよな
ほんま「年収1000万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」っていう事実に反すること垂れ流したバカは
土に還っていい
医療、教育、福祉などの公共サービス分野に加え、物流・運送業、小売業、建設業、農業といった社会インフラ職は、社会の根幹を支える重要な社会インフラである。これらの職種は、私たちの日常生活と経済活動の維持に不可欠な役割を担っているにもかかわらず、その待遇は著しく低く抑えられている。
特に以下の産業分野では、社会的重要性と待遇の間に大きな乖離が生じている:
3. 建設業
4. 農業
* 食料安全保障の要
これらの産業は相互に密接に連関しており、一つの分野の機能不全が社会全体に波及するシステミックリスクを内包している。しかし、その重要性に反して、これらの職種は「代替可能」「単純労働」といった誤った認識のもと、適切な評価を受けていない。
特に看過できないのは、「年収一千万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」といった、明らかに事実に反する言説が意図的に流布されている点である。これは実態を完全に逆転させた主張であり、むしろ社会インフラ職に従事する人々こそが、不当に低い待遇で社会全体を支えている現実がある。このような言説は、社会インフラ職への差別を正当化し、構造的な不平等を隠蔽する役割を果たしている。
これらの社会インフラ職における待遇の低さは、すでに深刻な社会問題を引き起こしている:
1. 人材確保の困難
この問題の解決には、税制を通じた富の再分配が不可欠である。特に、富裕層や大企業への適切な課税は重要な課題である。しかし、この当然の施策が政治的な議論の俎上に上がることすら意図的に阻まれている。
OECDの調査が明確に示すように、「富裕層の国外流出」という脅しのような言説は、実態を全く反映していない。先進国における富裕層の国外流出は極めて限定的であり、以下の要因により、その国に深く根ざしているためである:
これらの要素は容易に再構築できるものではなく、税率の違いだけで安易に国外移転を選択することは現実的ではない。むしろ、適切な課税と再分配による社会の安定性確保こそが、富裕層自身の利益にも合致する。
グローバル企業への課税には固有の困難が存在する一方で、近年では国際的な対応が進展している。特筆すべきは、OECDが主導する法人税の国際的最低税率(グローバルミニマム税率)15%の導入である。これは以下のような意義を持つ:
4. 各国の税収基盤の確保
しかし、実効性ある施行には依然として以下の課題が残されている: