はてなキーワード: 最近とは
以下はChatGPT君に要約してもらった文章なので、読みづらかったらごめんね。
最近、ふと気づいたんだけど、コミュニケーション能力と人付き合いって、思ってる以上に別物だなって。言ってみれば、コミュニケーション能力って、単純にその場のやり取りを成立させる力でしょ。相手の話を聞いて、「なるほど」って返すとか、わかりやすく自分の意見を伝えるとか、そんな感じ。正直、これって練習すれば誰でもある程度は身につくんだよね。仕事とかでもよく使うスキルだし、俺もずっとこれを鍛えてきた。人との会話をスムーズに進める力は、確かに大事だし、ある意味コミュニケーションは得意だと思ってた。
でもさ、人付き合いってこれとは全然違う。人付き合いってのは、もっと深い部分で、人との関係をどう維持していくかとか、長期的にどう繋がっていくかみたいな話。例えば、昔の友達とわざわざ連絡を取ったり、困ったときに「この人に頼んでみよう」と思えるような信頼関係を作ったりすること。そこには「会話がうまい」とか「うまく伝える」だけじゃ足りないんだよね。むしろ、そういう人付き合いが得意な人って、何かしら「抵抗感なく人と関わる」ことができているんだよね。
ここが大きなポイントで、コミュニケーション能力って実は、人が嫌いでも身につけることができる。要するに、会話を成立させるだけなら、人との関わりが少なくても練習すればできるから。でも、人付き合いって、そもそも人が嫌いだとどうしようもない。人と関わるのが苦痛だと、その関係性を続けることすらできないから、自然と成長しない。
これが、正直言って残酷なところだなって思うんだよね。だって、性格や感情がそのまま反映される部分だから、心の底から「人と関わるのが嫌だ」と思ってると、どんなにスキルを磨いても、結局は人付き合いが苦手なままなんだよ。
俺も昔からコミュニケーション能力を鍛えてきたつもりだけど、正直、人付き合いの部分はあまり進んでないって実感してる。仕事ではうまくいってるけど、プライベートではどうしても、長期間の関係を維持するのが難しい。結果的に、頼れる人も少ないし、困ったときに手を差し伸べてくれる人が周りにいない。それが、俺にとっての課題なんだろうなって思う。
その一方で、人付き合いがうまい人ってさ、抵抗感なく他の人と関わって、深いつながりを作っていける。何かあれば「この人に頼んでみよう」と思えるし、自分の周りに自然と人が集まる。そういう人は、人生の選択肢が広がるし、どんな状況でも支え合える人がいるから、やっぱり羨ましいなと思うわけ。
結局、コミュニケーション能力と人付き合いの力は、同じように思えても全然違う。コミュニケーション能力はその場で会話が成り立てばいいけど、人付き合いは長期的な関係性が求められる。で、その違いに気づいたとき、改めて「これは性格が大きいな」と感じた。人との関わりを楽しめるかどうかが、結局は大きなカギになるんだなって。
いまだに子供の頃の家庭環境を引きずっていて恥ずかしすぎるんだけど、人間すべてを自分より上か下かで見てしまう。
自分より上なら舐められて馬鹿にされたり搾取されてしまうかもしれないと交流を避け、下だと感じると無意識に見下しながら仲良くする。でも「自分はできる人間」みたいに取り繕ってしまって素が出せずよそよそしくなり、相手が離れていってしまう。他にも要因があるんだろうけど友人が出来ない。「いつまで経っても心を開いてくれない」と、色んな人から言われ続けてきた。見下すのも取り繕うのも全部無意識でやってしまうので困ってる。
めちゃくちゃ衝撃だった。誰にでも優しくて、やばめなメンヘラも心を開いて懐いてる人がいた。だからといって依存させるような隙は見せず、彼女自身の好きな話をしているだけなのに、それが相手の心をほぐしていた。
無意識に「この人は下」みたいに分けて、人によって対応を変えている自分が恥ずかしくなったし、なによりその人との会話が初対面なのに心地良すぎて泣きそうだった。彼女がいるだけでその場の空気が優しくなる。こんなふうになりたい、と思った。
でも全然方法がわからない。自分の空気の読めなさでこのあたたかいサークルを破壊してしまったらどうしようと心配してもくもくと作業していたら、趣味にストイックなバーサーカーみたいな位置付けになってきてしまった。
つい最近、付き合っていた彼に振られました。理由は「セックスが下手だから」。いやいや、ちょっと待ってくれと。私、年収850万円ですよ?それなりにいい生活もできるし、デートだって割といい店を選んでた。彼が欲しいものがあれば、無理のない範囲でプレゼントだってしてた。それなのに、そんな理由で終わるのか?
彼に「ごめん、どうしてもセックスの相性が合わないから別れたい」と言われたとき、最初は冗談かと思った。だって、性格も合うし、一緒にいて楽しいし、経済的な不安もない。それなのに、セックスの相性ひとつで全てが台無しになるのか?
私は決して手を抜いてたわけじゃない。むしろ、彼が満足できるように色々と気を遣っていたつもりだった。でも、彼いわく、「気持ちよくないし、ドキドキしない」とのこと。そんなこと言われても、こっちは一生懸命やってたんだけど…。
世間では「金があればモテる」と言われる。でも今回の件で、それは幻想だと痛感した。確かに、お金があることで付き合うまでのハードルは下がるかもしれない。でも、付き合った後は、それだけじゃダメなんだな、と。収入があってもダメなものはダメなのか。
私はこれまで、収入を上げることが最優先で、仕事を頑張ってきた。結果、それなりの年収を得ることができた。でも、恋愛の継続には「セックスの技術」も重要だと、今回の件で初めて思い知らされた。
彼に「じゃあどうすればよかった?」と聞いたら、「経験を積むか、ちゃんと勉強するしかないんじゃない?」と言われた。いや、そんな簡単に言うけど、経験を積むってどうすればいいんだよ…。
「じゃあ教えてくれればよかったじゃん」と言ったら、「それって義務感になるでしょ?そんなの嫌だよ」と返された。なるほど、それも一理ある。
今回の件で学んだのは、「収入がある=恋愛がうまくいく」わけではないということ。そして、セックスの相性は想像以上に重要で、それが合わないといくら他の条件が良くても関係が続かないということ。
正直、まだ納得しきれてはいないけど、これも人生の勉強だと思うしかないのかもしれない。とはいえ、どうすれば「セックスが下手で振られる未来」を回避できるのか、これから真剣に考えないといけないな…。
男女ともお道具つかえばいいとおもいます!
クンニ増田がしゃしゃりでてきそうだけど直接は女性にとってもうれしくないからね。下着もおもちゃもゴムもローションも適切に使ってたのしく暮らそうね。
関係ないけど聞いてくれよ>1よ。
女性と目をあわせたら通報されるとおもいこんでキョドってるおっさんキャラがでてきたんだけどさw
事件の終わりごろにそいつのいったコメントがあまりにもまともでわろたんよ
女性のいじりかたも架空キャラだから感情労働を搾取できるって感じでどうかとおもうけど
ラブクラフトのクトゥルフ神話って世界中にファンが居て日本でも根強い人気があるんだよね?
でも、そのわりには小説そのもののはそれほど面白くないような気がする。
原典に忠実であろうとすればするほど、
現代の消費者がストレートに面白いと感じられるものにはならない。
これってひょっとしてクトゥルフ神話がずっと抱えている問題点なのかな?
神話世界の設定そのものは面白いんだけど肝心の物語が「ない」、、、みたいなやつ。
だったら、ある意味狙い目ではあるんだろうな、って思う。
原典からエッセンスを抽出したうえで、なおかつ新しい原点になれるようなクトゥルフ神話の物語。
ならこれ読んどけ(見とけ)みたいな、、、代表作になれる。
と、考えてみんなクトゥルフに手を出すんだろう。
なんか色々聞かれたり 注意されたりしたんだけど
その内容が
いや これセクハラなの…?
それに付随して、
なんか色々言われたらしいんだけど
「私結婚願望高いんですよ〜」って向こうが言った話に
「俺独り身の友達多いから彼氏いなかったら紹介するよw」って言った話で
当時すでに妻子持ちだし、
今はそもそもご時世から飲み会で基本女性に話しかけないくらい気をつけてるのに……
俺にどうしろってんだよ……
それは俺じゃなくてまず人事に言ってくれよ……
俺的にはそれも別に深刻に話したつもりもなくて
それを俺が女は金遣いが荒い的な話にしたとか
さらにエスカレートして だから女は仕事の効率が悪いって話をしたとか
で しかも最悪なのが
なんか人事がこの通報者の肩を持ってて
いや これ マジで俺どうしたらいいんだ
ほら、この前配信者だかなんだかが、視聴者だかなんだかに刺された事件あったじゃん。
あれ、めっちゃ近所。最近あそこにお供物の飲食物がめっちゃ置いてあるのよ。で、俺は貧乏学生。コンビニは使ったら負けだと思ってるし(使うけど)、コンビニで、これ会計しないで持ち帰ってもバレなさそうだけど、後々法的にも良心的にもめんどいよなって逡巡するぐらいには金が無い。
働けよって?働いてるよ。月13万ぐらい。大体は家賃と光熱費、それから飲食代に消えるけど。
そう、飲食代。入れる金は置いといて、出る金を調整しようと思うと、削れるのは食費なんだよ。パンか米食ってたら死なねえから。(それでも米高すぎな、死ねっちゃうんかえ。)
でもそれだと生活が侘しくてね〜〜。味のついた水とか、飯とか食いたいわけ。
前置きが長過ぎた笑。
あれってパクっても良いよな?どうせ捨てたようなもんだし。
後なんか関係者全員ロクでもなさそうだし。あのまま腐る?かゴミに捨てられるぐらいなら、未来ある俺の身体に有効活用した方が得じゃんね。
なんかさ、最近よく聞くんだよね。
でも、ちょっと待ってよ。
弱者男性ってさ、結局、女性を「手に入れたい」って気持ちでしか見てないんじゃないの?
結婚したいって、それって女性を所有物として扱うことと同じでしょ。
友達欲しいって言っても、結局、自分を肯定してくれる人が欲しいだけじゃないの?
でもね、さらに深刻なのは、弱者男性が存在するってだけで、実はそれ自体が女性への性加害なんだよね。
無意識のうちに、「自分の価値が上がるのは女性がいてこそ」とか思ってるわけじゃん。
デフレ時代では、一切のリスクを取らずレールの上をただ走り、去年と同じことを毎年続けているだけで生活は維持できたり良くなったりして言った
特に年功序列システムとデフレの相性はとてもよく、年功序列で昇給するのに物価は下がるので、会社員生活で一切の冒険をせず、リスクを取らず
トラブルを起こさないよう息を潜めて飲み会に出席してれば勝手に人生うまくいくようになってた
インフレではそれが通用しない。リスクを取らなければ実質賃金は毎年下がり、現状維持をしようとするとインフレ率に負けてどんどん貧乏になる。
貧乏人もインフレによって我慢の限界点まで追い詰められている。インフレで米価格2倍だったりになると、生きるために行動しなければならない。
俺はそれが、とても素晴らしいことだと思う。頭空っぽで現状維持を続けるだけで人生うまくいくなんて間違ってる。人はリスクを取ることで成功をつかみ取るのだ。
なので物価上昇率4%の今の日本はとても楽しい。リスクを取らない奴がどんどん貧乏になる。
リスクを取る奴がどんどん金持ちになる。周りに合わせて空気読んでる奴は周りと同じようにインフレ負けして生活が苦しくなる。なのでリスクを取ることが促される。
そしてリスクを取ると失敗することがある。失敗する奴と成功する奴が出てくる。するとマニュアル化された単一の方法論は機能しなくなる。
三田キャンパスの就活は世間のイメージと大きく乖離しないだろう。
就活に関する情報は先輩から回ってくるから、それを全力で活用。早期からインターンに参加し、三田会が強い慶應閥の大手企業総合職に内定。
どの企業に入ればどれだけの労力でどれだけ貰えるかも分かっているから、周囲の同世代よりは低い労力で高い賃金をもらえる。無論、ハードワークを厭わない奴はそれを覚悟して高賃金をもらいにいく。
だが、「財務省に行きたい」と言っている奴、そして財務省に入ると楽に稼げるという話を増田は1回たりとも見聞きしたことがない。
最近は「財務省の職員は私腹を肥やしている」なんていう噂を信じている奴が居るようだが、非常に馬鹿らしいと思う。もしもそんなに儲かる仕事なら、慶應出身者の守銭奴が大量に居るはずだ。
最近ふと思った。ニートとか引きこもりとか、ポスドクで食えてない人とか、世間から見たら「何もしてない人」って扱いだけど、実は「考える時間がある」ってだけで、ものすごい価値を持ってるんじゃないか。
誰にも邪魔されず、指示されず、ただ考える。これができる人って、実は少ない。
たとえばイノベーションって、「よし、明日から思いつけ」って言われて出てくるもんじゃない。
だけど、家でごろごろしてたニートの一言が、あとからすごい価値になることだってあると思う。
実際、グーグルの労働環境とか、わりとニートっぽく働いてる人たちがイノベーションを出してる。
だから「ニート株式会社」っていうのを作ったらどうかって妄想した。
給料は最低賃金レベルだけど、もしその人の思いつきから何か価値が生まれたら、成果報酬としてガツンと払う。
投資家は、「こいつ、なんかやりそう」って感覚だけで投資する。
大塚製薬のエビリファイだって、開発者は「1勝3敗だった」って言ってる。
つまり、成功ってのは、何度も失敗して、その中からたまたま出てくる。
この国は、「成功しろ、でも失敗はするな」って言う。でもそれじゃ無理。
本当に価値のあるアイデアは、強制された環境からは出てこない。
自由があって、無駄があって、誰にも期待されてない場所から、ふと生まれるもんだと思う。
だから、ニートの時間を「投機対象」にしてもいいんじゃないか。
くだらないって笑われるかもしれないけど、実際に社会のど真ん中でやってることがまともとも限らない。
働き出してからずっと一人暮らしで、会話と言えば職場での当たり障りのない天気や時事ネタくらいで長く暮らしてきた
ここ数年、兄弟が仕事の都合で転居してきて1〜2ヶ月に一度くらいの頻度で会ったり、会った時の話題の続きで頻繁にLINEのやり取りをしたりするようになった
お互い地元を離れて一人暮らしで、他に親しい相手もいないから会うと話題が尽きない
仕事の愚痴とか趣味の話とか近所に新しくできた店の話とか最近見たテレビの話とか、なんのオチもない話とか本当にどうでも良い話ばかりしてる
外で会うこともあるしどっちかの家で会うこともあるけど半日くらいずっと何かしらお互い喋り続けてる
https://mainichi.jp/articles/20241210/k00/00m/040/003000c#:~:text=2024年の「ユーキャン新語,サービス)上で相次いだ%E3%80%82
「不適切にもほどがある」略して「ふてほど」という言葉が流行語大賞に選ばれた。
が、2024年、そんなドラマが放映されていたことさえ私は知らなかった。
妻も知らなかったし、両方の親に聞いても「知らん」とのことだった。
たとえばWBCであったり、サッカーのワールドカップや、半沢直樹のドラマであれば、仕事の中で自然と話題に上がってくるものだ。
興味がなくても、「そんなのがやっているのね」程度の認識になる。
ちなみに実感として2024年のドラマで話題になったのはNETFLIXの「地面師」である。間違いなく。
「もうええでしょう」のセリフは仕事中にあちこちで冗談交じりに言われていた。
NETFLIXに入っていない人も「地面師」に関しては認識されていたと思う。
私も話を聞いてNETFLIXに入会して視聴した。ピエール瀧ええやん。
さて、流行語大賞を受賞した「ふてほど」は、SNSでは「不適切報道」の略であると揶揄されるようになった。
https://toyokeizai.net/articles/-/844865
SNSの発達した現代、いわゆるTVの人々が力技でねじ込むような真似は露骨に嫌悪感を持ってネット住民に迎えられることとなった。
しかしながら、黙って受け止めていた大多数が、今はSNSで声を上げて、それを不特定多数が見れるようになったのだ。
その結果、自分の意見に近いものを見つけ、自身となり、自分の考えが間違っていないことを確認する。
もちろん中にはとんでもな意見もあるが、
声を上げない多数派(サイレントマジョリティ)の意見が可視化されるようになったのだ。
そして可視化されるとマスコミの報道姿勢との差がはっきりしてくる。
「普通だったらこう考えるのに、どうしてこんな報道の仕方をするのか」
という違和感が積もり積もって、皆が昔よりもはっきりと報道への違和感を自覚できるようになった。
県西播磨県民局長だった男性(後に自殺)にパワハラ疑惑などの告発をうけた。
ほとんどTVを見ない私でも、「こりゃ辞職しかないなぁ、、、」と感じていた。
しかし蓋を開けてみると投票率55%、得票率40%超えで斎藤元彦知事は再選を果たす。
この過程はかなり興味深いが、
・実際に「パワハラ」を受けた職員が報道されていたよりかなり少ない
・告発した男性の自殺はプライベートな問題によるもの(一説には不倫)
特に二点目はそれまで「ひどいパワハラの知事」から「ひどい部下に悩まされた知事」へと見方がリセットされた。
https://dot.asahi.com/articles/-/245641?page=1
なおかつ、マスコミはその事実を知っていて全く報道しなかった。
https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202502/0018643684.shtml
これによって「マスコミは自分に都合の悪いことは報道しない」「マスコミが叩く人は悪い人ではない」
という見方に一層拍車がかかることになり、TV・新聞の信用が地に落ちた。
それによって、不信任を受け、支持率は17%にまで落ちていた斎藤知事は再選を果たすのである。
自分は40才を超えているが、いままでTVの大バッシングにあって、のらりくらり逃げおおせた政治家は見たことがあるが、
昔だったら斎藤知事は再選もできなかっただろうし、政治家としては再起不能になってたであろう。
信じられないが、SNSにいる「サイレントマジョリティ」がオールドメディアに勝利したのだ。
そして今後もこの流れは止まらず、TV・新聞といった「オールドメディア」は縮小に伴う役割の変更を迫られるであろう。
最近SNSで見られているのは基本「減税・社会保険料の減額」「外国人トラブル」が多く、
それにもかかわらずオールドメディアではあまり積極的に報道しないし、政府批判も行わない。
むしろ「SNSは一部の変わった意見を増幅しているだけ」みたいな反応すらある。
単純である。金と票であり、それは「高齢者」と「富裕層」なのだ。
アベノミクスという改革がもたらしたのは「金持ちがさらに金持ちになった」「一部の人が金持ちに移行した」というのはデータからも明らかになっている。
最近できた「麻布台ヒルズ」と2000年にできた「六本木ヒルズ」を見比べれば残酷なほどわかる。
麻布台ヒルズはとても普通の人が利用できないような高級ブランド、サービスで埋め尽くされており、ちょっと気軽に遊びに行けるような施設ではない。
一方、六本木ヒルズは高級店もあるが、比較的リーズナブルな店も多く、気軽に利用しやすい。
最近はデパートも同じ流れなのだが、「金持ちしか消費してくれないので、庶民は相手にしない」のである。
昔は普通の庶民が購買の中心になっていたが、今は国からの搾取で全く力がなくなっている。
つまり大多数の普通に働く人は政治家、その腰巾着であるオールドメディアにとって「金」にも「票」にもならないのである。
デパートだけではない。たまに話題になる財政についても同じだ。
最近でこそインフレになってきたが、それまで長い間日本はデフレであった。
デフレは高齢の年金生活者、金融資産をもつ富裕層にとってはとてもいい状態なのである。
また緊縮財政で税金、社会保険料が上がっても、このグループはなんの影響も受けていない。
1億以上の資産を持ち、配当だけで食べている人が所得制限のある給付を受けているような状態だ。
しかしそういう問題がメディアで取り上げられたことがあるだろうか?たぶんない。見たことない。
さらに減税の話になると、テレビで取り上げられるのはほとんどの人に関係ないだろう相続税の話だ。
日本は高齢者と富裕層に手厚くしつづけ、現役世代のヘイトをかなり深く溜め込み続けている。
この高齢者と富裕層しか相手にしない政治から、オールドメディアは距離を取って、
まず書き手の情報。25女オタク、一人暮らし。就職してから何とか働いてきたけど最近疲弊して、職場の居心地も悪い。元々長生きはしたくないし、できることなら26で終活を考えてる。生きながらえてしまったら質素に隠れて生きていたい。
本題としては、車を変えたい。今は初代ミラジーノ。気に入って乗っていたが、ところどころボロが出始めて、真面目に乗り換えを考え始めた。
高校くらいから乗りたい車はあったけど現実的ではない。一番好きなのはJZA80。全てにおいて好みどストライクだけど、現実的ではない(この車に関しては車両価格の高騰が主)し、オタク特有の「好きすぎて逆に嫌」という現象になりつつある。
そこまで貯蓄がある訳では無いし、ローンは性にあわないけど簡単に死なないためにも組んでも仕方ないと思う。バカバカしい理由だけどこれが理由になるなら、自分勝手に後始末もできないまま死ぬよりかは良いと思ってる。
多くもない予算で、MT免許はあるものの公道で他人を殺したくないので慣れたATの個体。なおかつ親に睨まれながらじゃないと買えない状況なので条件は厳しいがいくつか乗りたい候補がある。
ひとつはセリカ(SS-Ⅱ)。4つ目が好きだ。丸っこいフォルムも可愛らしい。
もうひとつはランエボ(7、8)。ランエボ第1世代が好きなのだが、個体がほぼほぼないのに加えて走行距離が10万を優に超えている。そして相場も高い。
Ⅶ〜Ⅷ辺りであれば年式もそこそこ、相場も無理をしたら出せる範囲内である。
ほかにも予想よりも相場が手頃だったMR-Sや80スープラとみまごう可愛らしさのFTOも検討したが、思い切れるのは上記二種になっている。
思いついてはカーセンサーやグーネットで探しているため、またコロコロ変わるかもしれない。乗れたらいいなと夢想して心躍ると思えば、初めてするローンというものに怯えていたりする。借金がどうにも苦手で、なるべく即金で済ませたいが、そこまで金を貯めるまでにさっさと命を手放しかねないような精神状態の時もある。そんな状態の人間が乗り換えるだの言っているのはちゃんちゃらおかしいかもしれない。
生きてもいたくない現状を、憧れである車に逃げているといわれても仕方がないと思ってる。でもこうするくらいしか生きていく理由を作ることが出来ない、そういう堂々巡りの毎日。
もしこれを有識者が見てるなら、おすすめの車種を教えて欲しい。なるたけ2000年以降のスポーツカー、値段も手頃で初心者にもおすすめのものがあれば。
甘えてないで調べろよと言われるかもしれないが、調べてこれなのだからもう恥も外聞も捨てるしかない。
夫側。うちはもう「週末する」というのがお互いの共通認識になってる。もちろん生理とか風邪っぽいとかあるからならすと月に3回くらいって感じ。
毎日おれが寝かしつけてて、子どもとそのまま一緒に寝てるんだけど、金曜だけはなんとか生還を目指す。
妻は好きな映画とか見て待ってる。全力を振り絞って生還したら妻のほうが寝てるときとか、ガッカリするけど起こしたり怒ったりしない。翌日土曜にまたがんばる。
怒っても全然意味ないっていうのは学習した。結局妻がその気にならないとこっちも楽しくないからね。
で、生還したら一緒にビール飲んで映画みて、マッサージしてお互いその気になってセックスに至る。
でも最近は妻からのお誘いも多くて、平日寝静まってから妻が布団に入ってくるパターンもあってうれしい。
最近はさらに積極的で、子どもを学校に送った平日朝に「早く帰ってきて。しよう?」とかまであって、もうダッシュで帰っちゃう。帰るとベビードールで待っててくれてもう最高!
今から10年前、大学の同期がSNSアカウントを一切持っていなかったことを知った。
「せっかく中学受験、大学受験をくぐり抜けて優秀な仲間に囲まれているのに、わざわざ有象無象に飛び込む理由は無いじゃないか」
これには少し不快感を憶えた。選民思想でも持ってるのか?と感じたほどだ。
TwitterはXに名前を変え、ポストの収益化が始まり、以前にも増して感情を煽るようなポストが並ぶようになった。
そこには、画面上の見たものすべてを信じてしまう人々が群がっていた。
最近の財務省解体デモを見て、10年前の友人の言葉が頭に響き渡っていた。
Xでの書き込みはとてもじゃないが思慮が足りておらず、考えられて書き込まれているとは思えないものばかりだ。
「論理期思考力」という言葉があるが、この力は特別な訓練がなければ身につかないものである。
通常は高校までの丸暗記・詰め込み型の教育で身につけられるものではなく、大学での探求・研究の過程で身についていく。
もう少し抽象度を上げると「熟慮力」とでも呼べるだろうか。
もしこれを読んでいる大学生や、大卒社会人がいるなら、今からでも遅くはないのでXで(少なくとも)政治的な話題を読むことを辞めたほうがよい。