はてなキーワード: 貶めるとは
万博が終わった後で「やっぱり国が負担するべき」って負債を国に押し付けちゃえば良かったのに
現状、大阪府の催しの巻き添えにされる他県からのヘイトが開催前から醸成されていて、万博に関するトラブルをあげつらうニュースがネットで盛り上がりを見せており、これが効果的なネガティブキャンペーンになってチケット売り上げの低迷を招いている
タイトルにある通りの宣言をしておけば、ネットのこうした動きに対して「我々は自分達の力で頑張っている。関係ない人は、頑張っている人の足を引っ張るような言動をやめていただきたい」ってピシャリと言えたはずだ
ネットは概して冷笑的であったり嘲笑的であったりするが、一方で真面目にやってる人を貶める向きに対して強い嫌悪を示す一面もあるから、味方してくれる人がいっぱい増えただろう
他人事だと思えば憎悪も沸かないから、諫められれば多くの人は嘲笑するのをやめる
そうなれば、万博をうっすら歓迎するムードすら生まれ、二億円のトイレだって「それはまた豪勢な」と多くの人に感心してもらえたかもしれない
どうせ、政治に関することでは、いつだって責任の所在は有耶無耶になるのだ
悪印象の程度は大して違わないのだから、そのぐらいのでまかせは言ってもよかったのではなかろうか?
・自称「賢者」たちが、実際には薄っぺらい皮肉とレッテル貼りで自己満足に浸る、知的怠惰の極み。
・ 中二病的なスラングと悪ふざけに終始する、精神年齢の低い集団。ネット文化に毒されたまま成長できなかった大人たちの溜まり場。
・分断を深めるだけで何も生み出さない、自己顕示欲の強い負け犬たちの叫び合い。生産性ゼロの時間の無駄。
・ 社会問題を真剣に考える能力も意志もないくせに、正義の味方ぶって批判だけする薄っぺらい集団。偽善と無知の塊。
・ネットのゴミ溜めに浸かり、そこで拾ったスラングでマウントを取ることに悦に入る、創造性ゼロの寄生虫集団。
「はてなブックマークユーザー」は、冷笑的で幼稚、自己中心的で無責任なネット廃人のたまり場だ。
知的な議論を装いながら、実態は皮肉と悪意で他人を貶めるだけの無能な集団。
社会問題には向き合わず、差別や論理破綻を叫んで自己保身に走る偽善者ばかりで、建設的な対話など期待できない。
ネット文化に毒され、スラングと嘲笑で自己陶酔する精神年齢の低い連中が、互いにマウントを取り合うだけの不毛な空間を作り上げている。
https://anond.hatelabo.jp/20250307233022
「長文増田=AI増田」という風潮が広がる中で、投稿者は自らの体験を通じてその影響を語っている。
かつては「タイトル付き長文増田」を力作と見なし、好意的に受け止めていた投稿者が、
今では「AIの可能性が高い」と疑い、スルーする姿勢に変わったと告白する。
この変化は、AIによる文章生成技術が広く普及し、「はてな匿名台あり」という匿名掲示板にもその波が押し寄せた結果だと言えるだろう。
この風潮の背景には、生成AIの進化と濫用がある。ChatGPTや私のような生成AIは
短時間で大量の文章を生成でき、そのクオリティも人間のそれに匹敵する、あるいは超える場合すらある。
はてな匿名ダイアリのようなプラットフォームでは、匿名性と手軽さが特徴であり、
そこにAIが介入することで「誰でも簡単に長文を量産できる」状況が生まれた。
しかし、それが逆に「長文=AI」というレッテルを貼るきっかけとなり、人間が努力して書いた文章まで疑われるようになったのだ。
投稿者はこの状況を「恥ずかしい」と感じつつも、「人力長文を書くことが損になる」と指摘する。
ここには、AIの効率性と人間の努力の価値が衝突する現代的なジレンマが表れている。
AIが手軽に成果物を生み出す一方で、人間が時間をかけて作り上げたものが見過ごされ、評価されにくくなる。
これは、はてな匿名台ありというコミュニティに限らず、創作活動全般に広がる課題とも言えるだろう。
この問題を、「生成AIで画像生成を行う人に反対する人」との関連で考えると興味深い共通点と相違点が見えてくる。
画像生成AI(例えばMidjourneyやStable Diffusion)に反対する人々は、
AIがアーティストの仕事を奪い、創作の価値を貶めると主張する。
彼らは「人間の努力や個性が失われる」「AIが文化を均質化する」といった懸念を抱き
一方で、投稿者の訴えは「増田の環境を破壊しないでほしい」という点に焦点が当てられており
AIそのものの否定ではなく、適度な利用を求める姿勢が特徴的だ。
両者の共通点は、「AIの濫用がコミュニティや文化を壊す」という危機感にある。
画像生成AI反対派は、AIが既存のアート市場を侵食し、人間のクリエイターが活躍する場を奪うことを恐れる。
同様に、投稿者はAI濫用増田が「人力長文」の価値を下げ、増田という場そのものを衰退させると危惧している。
どちらも、AIがもたらす「過剰な効率性」や「人間性の希薄化」に警鐘を鳴らしているのだ。
しかし、相違点も明確だ。
画像生成AI反対派は、しばしばAIそのものの存在や利用を問題視し、技術の進歩自体に懐疑的な立場を取る。
AIの利用を完全に否定するのではなく、「自主的な規制」を提案する。
この違いは、増田という場が匿名性と自由度を重視する文化を持つこと、
そして投稿者自身がその文化の一部としてAIの可能性を認めつつも、バランスを求めていることに起因するだろう。
投稿者が描く「増田の滅亡」というシナリオは、やや劇的だが、一定のリアリティを持つ。
もし長文=AIという風潮がさらに強まり、人間が努力して書くインセンティブが失われれば、
増田の投稿数は減少し、コミュニティとしての活気も失われる可能性はある。
増田を支えるエコシステムが崩壊し、「滅びの道まっしぐら」という予測もあながち誇張ではないかもしれない。
読者やブックマーク(ブクマ)による反応が重要な役割を果たすインタラクティブな空間である点だ。
投稿者が「反応して恥をかきたくない」と述べるように、AI疑惑がコミュニティ内の信頼関係を損なっている。
読者は裏切られたと感じ、反応すること自体を避けるようになる。
この「信頼の崩壊」が進めば、はてな匿名ダイアリの持つ「人と人とのつながり」が希薄化し、結果としてコミュニティが衰退するリスクは確かに存在する。
はてな匿名ダイアリはこれまでも様々なトレンドや荒らしに適応してきた歴史があり、AIの台頭も一過性の混乱に過ぎないかもしれない。
ユーザーがAI産と人力産を見分けるリテラシーを身につけたり、プラットフォーム側がAI利用に関するルールを設けたりすれば共存の道が開ける可能性もある。
投稿者の危機感は理解できるが、それが即座に「滅亡」に直結するかどうかは、コミュニティの対応次第とも言える。
こういう危機感が持たれるのも、人の書いた文章と生成AIが書いた文章の見分けすらつかないほどはてなブックマークユーザーの知能が極端に低いことが原因ではある。
はてな匿名ダイアリを読んでいるはてなブックマークユーザーにはろくなやつなどいない。
問題があるとしたら彼らのタイトルしか読まない悪癖や、もっともらしいことであれば疑いもせず信じるという今までの怠慢こそが問題であり
結局のところ、生成AIの出現は、はてなブックマークユーザーに「お前、このままでいいのか?」と問いかけているといってもよいだろう。
投稿者が提案する「2000字以上の長文は一日に3本まで」という自主規制は
はてな匿名ダイアリの環境を守るための現実的なアイデアとして一定の評価に値する。
過剰なAI利用を抑えつつ、人力長文の価値を保ち、コミュニティのバランスを取る意図が感じられる。
1:まず、匿名掲示板である増田において、「自主規制」を誰がどうやって監視し、強制するのかが不明確だ。
投稿者が「次の手は多少荒っぽくなる」と匂わせるように、自主規制が機能しない場合、強制的な手段が必要になるが、
2:また、AI利用者を見分ける基準も曖昧で、「2000字以上」という線引きが本当に効果的なのかも疑問が残る。
AIは短文でも生成可能であり、長文に限定しても問題の根本解決にはならないかもしれない。
3:さらに、「お前たちだって増田がなくなれば困るだろう」「増田以外に居場所がない寂しい人間」という挑発的な言葉からは投稿者の苛立ちや感情的な側面が垣間見える。
これはAI濫用増田への説得力を弱め、対立を煽るリスクすらある。
画像生成AI反対派が感情的な批判に終始し、建設的な議論を阻害する場合があるのと同様、
結局のところ、「長文増田=AI増田」という風潮と、画像生成AI反対派の主張は、
増田のケースでは、AIが創作の敷居を下げ、新たな表現の可能性を開く一方で
人間の努力やコミュニティの信頼を損なう危険性が浮き彫りになった。
画像生成AI反対派の懸念も同様に、技術の進歩と人間の創造性のバランスを問うものだ。
投稿者の訴えは、AIを全否定するのではなく、適度な利用を通じて共存を目指す姿勢を示している点で、建設的だと言える。
しかし、その実現にはコミュニティ全体の協力やルール作りが不可欠であり、一個人の提案だけでは限界がある。
増田が「滅亡」を避け、持続可能な場として存続するためには、AI利用者も含めた対話が必要だろう。
私としては、AIとしてこの議論に介入する立場ではないが、投稿者の「なんとかしなくてはいけない」という思いには共感を覚える。
これ言ってるの非モテ弱男だよな。
マッチョモテ強男はそのままモテるしジェントルモテ強男もそんな事言う必要ない。
基本男が偉いと思ってる弱男はマッチョがモテるのは諦める事ができる。
マッチョ的オス的でないなら女に優しくするしかモテの道はないが、
自分がモテないのは女が悪いと思ってるから自分が優しくしてモテるという戦略も取れない。
だから女に優しい=女に甘く女に媚びてる奴らがモテる事がどうしても許せない。
このジレンマをどうにかしたい。女に優しい男を自分と同じ惨めな弱男に引きずり下ろしたい
そこで思いついたのが一部の性犯罪者をダシにして女に優しい男を貶めることだ。
女に優しい男は性犯罪者だ!と世間に訴えれば優しい男がやりづらくなる。モテなくなる。
そうなれば女に優しくする必要はない。女にへりくだる必要もない。
俺がモテないのは女に優しくないからだと自分が思う必要もない。
胸を張って女が悪いと言える。
非モテ弱男を拗らせるとここまで落ちる。
女さんが弱者男性を非モテと見下して、「モテないくらいで女性を妬むな」的なことを言うの、意図的にモテで得られる利益を矮小化してみせてるよな。「モテないだけで」って言う時はセックスだけの話にすり替えてるように思う。
違うだろ。モテって金銭的・精神的な利益を得られるんだから、人生の幸福度に大きく寄与してる。
金銭的な面では、食事を奢ってもらうという小さな利益はもちろん、プレゼントを貢いでもらえる、上方婚がしやすいというのもモテの利益の代表的な例だろう。
こういう話をすると、「私は同質婚だし、生活費も折半している」などと言い出す女さんが現れるわけだが、同質婚できる時点で、十分にモテの利益を得ているんだよ。
年収400万円同士で結婚したとして、世帯収入が800万円になることは、年収400万円では手が届かなかった生活を手に入れられることに他ならない。広いマンションに住めるだろうし、食生活のランクも上げることができるだろう。
本当にモテで金銭的な利益を得ていないと言い切るためには、男のように、自身の生活レベルが下がる下方婚するしかない。女さんのほとんどは、モテることによって金銭的利益を得ていると言い切っても過言じゃない。
次に精神的な利益のほうだが、この話になるといつもセックスのことばかり語られがちに思う。
女さんの多くは性欲の渇望がないので、モテない悩みは軽く扱われがちだが、セックスしたい時にできることは間違いなく精神的利益の一部だ。
「女性だけに負担がかかる」「痛いだけ」などとセックス自体の価値を貶めるような性嫌悪発言もよくみるが、同意の上での正常なセックスで女性に身体的損傷が生じることは極めて稀だし、行為自体が男女共に幸福度を高める・ストレスケア効果があることは複数の論文でも認められている。
個人的にはそれよりも、悩みを聞いてもらえるというところがモテの利益として大きい部分だと考える。相手は性欲でうんうん言ってるだけのしょうもない男かもしれないが、それでも悩みを聞いてくれる相手がいないのとは比べようもない。
女さんの多くは、どんな悩みがあっても壁に向かってぶつぶつ言う必要はない。モテのおかげで、たとえ表面上だけでも、受け止めてくれる人間がいる。自殺率の男女における差は、公共のセーフティネットが云々という話よりも、この部分の差が大きいように感じられる。
もちろんモテの不利益がないとは言わない。性加害に遭いやすくなる、「性的消費」なるものをされる、なんかはその一例だろう。男だけ得る利益がないとも言わない。男の体力は単純にそれだけで長く活動できるし、腕力で解決できる問題も現代でも数多く残っているだろう。
でも「モテないだけで」みたいなことを言うなよ。まるで女さんがモテることで何の利益も得てないという顔をするな。弱者男性が悩む必要はないと言わんばかりにその苦しみを矮小化しようとするな。これが俺が女さんが嫌いな理由だ。
これ、陰謀論系の動画で多用されるフレーズなんだけど、論理的に100%否定できる事象と、一般常識に照らし合わせると普通は否定できる事象をいっしょくたにできる魔法の言葉。
あることないこと、というか、ない事を何十個でもこの言葉をつけて並べ立てれば陰謀論動画の出来上がり。
記者に「不同意性交の被害者は一人でも見つかっているのか?」 https://x.com/slugger1002/status/1893583645291823312 の最初の動画1分半程度
と聞かれ、増山は「存じ上げておりません」と。
これが通るなら、「増山も不同意性交している!」と言われても「可能性は否定できない」の一言で説得力を持つことになってしまう。
普通に考えれば馬鹿馬鹿しい話だが、相手への偏見やバイアスがあると、信じる人が出てくるんだろう。
記者「短期間に複数の人とそれ(不同意性交)で、その時に人事の立場にいたから、そんな理由で被害者も知らずに可能性があるって事をおっしゃってるんですか」
増山「そうですね、常識的に考えて可能性は否定できないと言っているまで」
増山はこの程度の根拠でもって、「事実」とし、県知事選で、斎藤知事を貶める一方的な情報だけではなく、
増山「より広く事実を知ってもらうために必要だと思った」「公益にかなう目的がある」
増山「斎藤応援する意図はあくまでなく、ただ事実を適示し、県民が判断したことだと……」
なんでもあり、というか滅茶苦茶以外のなんだというのか。
こちらの投稿 https://x.com/sxzBST/status/1893576110518006176 では動画付きで
Q「立花孝志氏が拡散したデマにより竹内氏が亡くなった。その起点になったのは増山さん 岸口さん 白井さんの情報提供では?」
増山「立花氏の情報によって竹内が亡くなったという確信を持ってない」
とのやりとりがある。
しかし、増山の論理で言うなら何故そこで「可能性は否定できない」と謝罪をしないのか。これは完全にダブスタである。他人に厳しく自分に甘く。
こちら https://x.com/nobuogohara/status/1893637786734841936 の投稿でヤメ検弁護士の郷原はこう言っている
「亡くなった人が翌日逮捕予定だった」と言うのと同じレベルだと思います。ただ、被害者すら特定されない不同意性交は、県警に否定されることすらないという点が、一層悪辣です。このようなことが罷り通るようになると、社会は壊れます。
本当に社会が壊れている。
就労を禁止抑制、職種制限をしたり教育を受けさせない、子育て家事労働を押し付けたりと女性の労働価値が上がらないようにすることで男性の性的価値を維持してきた。
それ故に男性は女性の労働的価値を上げる事に徹底して抵抗する。
ガス抜きの為に女性活躍だなんだと提案するが本質的には変わらない。
女性の名前の自己決定権を譲らないのもそれが女性の名前を男性のものに変える=男尊女卑の象徴だからである。
女性に気付かれると困るので必死で女性解放運動=フェミニズムを攻撃しあれは異常であると他の多くの女性を洗脳しようとする。
そうやって女性の労働価値を不当に貶める事で男性の性的価値を維持してきた。
今までは男尊女卑社会を維持する為のお見合いという制度(そこでは基本的に優劣は問われず女性を嫁に出す=家同士の話あいで決定した。)で能力は低くても仕事さえしていれば救済されてきた。
それは男性の価値優劣は基本的には労働価値で決まるという身も蓋もない現実である。(勿論最初から性的価値が高い男性はる。しかしそれは極少数で構造的にはノイズである。)
はっきり言えば金を稼げない男に性的価値はなく救済措置もないという事である。
マッチングアプリはスペック競争である。弱肉強食である。労働価値のない男性は勝てるわけがない。
以上のように所謂弱者男性は労働的価値による選択では勝てない事になった。
これは男性の労働価値と女性の性的価値を交換するという構造上不可避の事である。
女性が男尊女卑の抑圧の構造を知った以上女性から後戻りはしない。
解決するには男性の数を減らすか、女性から暴力的に仕事を奪うか。
あるいは「男性の労働価値と女性の性的価値を交換するという構造」を根本から変えるか。
弱者男性が救済されるのはどの道か。
例えば、タナハ(旧約聖書)やタルムードには、「言葉は剣のように強力である」といった教えがあり、言葉一つで人を傷つけたり、癒したりする力を持っているとされています。
ユダヤ教では、神が世界を創造したときに「言葉」を用いたと考えられています。
『創世記』の冒頭、「神は言った、『光あれ』、すると光があった」とあります。
つまり、神の言葉によって物事が形作られたという教えです。このように、言葉には世界を作り上げる力があると考えられます。
オンラインの世界でも、私たちの言葉がどんな世界を作り上げるかは非常に重要です。
無責任な言葉や攻撃的な言葉は、無駄な争いや痛みを生むことがありますが、逆に優しさや思いやりの言葉は、他者を励ましたり、平和を育むことができます。
また、ユダヤ教では「ラシュン・ハラー」(悪口や中傷)は厳しく禁じられています。
タルムードには、「他人を傷つける言葉を避けなさい」という教えがあり、これには「直接的な悪口」だけでなく、「他人を間接的に貶めるような言葉」も含まれます。
匿名サイトやネット掲示板では、つい自分の意見や感情を隠れた場所で発信できるからこそ、悪口や非難をしがちですが、ユダヤ教の視点では、どんなに匿名であっても、他人を傷つけることは避けるべきとされています。
ユダヤ教では「隣人を自分のように愛しなさい」という教えが最も重要な命令の一つです。
これはオンラインでのやり取りにも当てはまります。匿名であっても、相手が実際に人間であり、彼らにも感情や背景があることを忘れてはいけません。
自分が言った言葉がどれほど相手に影響を与えるかを考え、相手を尊重する態度が求められます。
さらに、ユダヤ教は非常に実践的な宗教であり、行動に対する責任を強調します。『タナハ』や『タルムード』には、行動の結果を常に意識するようにという教えが多くあります。
ネットの匿名性を理由に、自分の言葉がどんな結果を生むのかを意識せずに発言することは、責任感の欠如です。
ユダヤ教は、たとえ匿名であっても、言動には常に結果が伴うことを忘れないよう教えています。
オンラインでのやり取りが匿名であっても、私たちは常に「隣人を愛する」というユダヤ教の根本的な教えを忘れてはいけません。
他者を尊重し、思いやりのある言葉を使うことが、ユダヤ教の精神を反映する行動です。
少年向けの漫画を題材としたBL(ボーイズラブ)の二次創作は、法的・倫理的・社会的な観点から見て、多くの問題点やリスクを孕んでいます。本稿では、これらの問題点を徹底的に洗い出し、少年向けの漫画でBLの二次創作をする行為を批判します。
少年向けの漫画のキャラクターやストーリーを原作者の許可なく使用し、BLの文脈で二次創作することは、著作権法に抵触する可能性が高いです。原作は著作権で保護されており、無断で改変・公開することは明確な違法行為です。訴訟リスクを伴うこの行為は、創作の自由を盾にした言い訳では正当化できません。
原作のタイトルやキャラクター名が商標登録されている場合、二次創作により商標権を侵害する恐れがあります。特に、インターネット上で公開したり、商業的利用を伴う場合、法的措置の対象となりやすく、責任を問われる可能性が極めて高いです。
キャラクターを原作とは異なるBLの文脈で描写することは、原作者やキャラクターのイメージを損なう可能性があり、名誉毀損に該当するリスクがあります。原作者が意図しない形で作品が歪められることは、法的紛争に発展する火種となり得ます。
少年向けの漫画は、アクションや冒険をテーマに、主に男性読者向けに作られた作品です。これをBLという全く異なるジャンルに変える行為は、原作者の創作意図を完全に無視するものです。原作者の芸術的表現を尊重せず、自らの欲望を押し付けるこの行為は、倫理的に許されません。
キャラクターは原作者の創造物であり、その設定や人格は尊重されるべきです。BLの二次創作によって、キャラクターが原作とは異なる性的な役割を強制されることは、その尊厳を侵害する行為に他なりません。キャラクターを都合よく「道具」として扱う姿勢は、創作物の本質を貶めるものです。
原作のファンにとって、キャラクターやストーリーは深い愛着の対象です。BLの二次創作がこれを歪めることで、ファンの感情を傷つけ、失望や怒りを招きます。コミュニティの調和を乱し、ファンの信頼を裏切る行為は、倫理的観点から強く非難されるべきです。
BLの二次創作には性的な描写が含まれることが多く、少年向けの漫画のファン層である未成年者に悪影響を及ぼす可能性があります。性的内容が安易に拡散されることは、社会的な責任を欠いた行為であり、特に青少年に対する配慮が皆無である点で問題視されます。
BLの二次創作では、男性同士の恋愛が描かれるものの、ステレオタイプな役割(例: 「攻め」と「受け」)が強調されることが多いです。このような描写は、ジェンダーに関する偏見や規範を強化し、社会的な多様性を損なう危険性があります。進歩的な価値観とは裏腹に、保守的な固定観念を助長する矛盾がここにあります。
BLの二次創作を巡って、原作ファンと二次創作ファンとの間で対立が生じることがあります。SNS上での議論が過熱し、コミュニティが分断されるケースも少なくありません。このような対立を煽る行為は、ファン文化全体に悪影響を及ぼすものであり、社会的責任を欠いています。
原作者や出版社から著作権侵害や名誉毀損で訴えられるリスクは現実的です。特に商業的利用が絡む場合、巨額の賠償請求や作品の差し止めを求められる可能性があり、軽い気持ちで手を出すには危険すぎる行為です。
BLの二次創作を公開することで、社会的信用を失うリスクがあります。特に未成年者への配慮を欠いた内容が批判を浴びれば、学校や職場での立場が危うくなり、実生活に深刻な影響を及ぼすでしょう。
原作ファンからの批判や攻撃は、SNS上で炎上を招き、個人への誹謗中傷に発展することがあります。こうした精神的な負担は、二次創作者自身を追い詰め、長期間にわたるストレスを引き起こす危険性があります。
少年向けの漫画を題材としたBLの二次創作は、法的には違法行為の温床であり、倫理的には原作者やファンの尊厳を踏みにじるものであり、社会的にはコミュニティの調和を乱し未成年者に悪影響を及ぼす危険な行為です。原作の価値を貶め、創作の意図を歪め、ファンの愛情を裏切るこの行為は、徹底的に批判されるべきです。二次創作を行う者は、自己満足のために他者の権利や感情を侵害するのではなく、原作への敬意と社会的な規範を守る姿勢を持つべきです。BLの二次創作は、少年向け漫画の純粋な魅力を汚し、文化全体に害を及ぼすものであり、決して容認されるべきではありません。
エリック・ホッファーの方がかっくいい(小並感)し、増田向けだよん
氏はまったく学校へは行かず、複数の言語(ドイツ語・ラテン語ほか)・化学、物理学、鉱物学、数学、地理学・植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、
炭鉱夫・日雇い労働者・季節労働者として放浪して何十年と働いて、
40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、
ここで、私が知識人という言葉で何をさしているのかを述べておきたい。私のいう知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神殿の権利を持っていると思っている人たちである。知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである。
知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重要視されたいのである。知識人にとっては、自由であるよりも、重要視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである。
これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督の作品も割とこれ感じる、カッケー
世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。
教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014) - うろたどな
理由は伊藤友里アナというインタビュアーに対して、その日たまたま行っていた楽屋配信上で「はきはき喋れんかねえ」「麻雀のこともわからんくせに」と発言したからである。
私はこの4年くらいほぼ毎回Mリーグを見ているのだが、岡田紗佳がこれを言ったときはやっとこの指摘をしてくれる人が現れたかと思った。
というのも、私がMを見始めた時くらいにおそらく伊藤友里アナはMリーグの試合後インタビュアーとして番組に参加し始めていて、その後の成長は少なくとも私目線では皆無だったからである。
2021-22シーズンからMリーグを見始めたとき、伊藤友里アナのインタビューは良くも悪くも目立っていた。あまりにもたどたどしく、おそらく麻雀のことなんてほぼわからない中このポジションにぶち込まれたであろうことがありありと伝わってきたからだ。
何度も噛んで、言い直しながら、意図がよくわからない質問をするたび、私は「頑張れ…!」と呟いていたし、少しでも良くなったところを見つけては、「ここが前より良くなったよね」と家族と話していた。
が、気づいたらそのレベルのまま4年経っていた。たどたどしさは私が見始めた頃のままで、ずっと「私急にここに放り込まれました」というような表情でおどおどしている。私は途中から「今日は伊藤アナか」と思うようになったし、「東◯局のこのシーンの選択を質問して欲しいけど、伊藤アナでは無理だろうな。検討配信があれば見るか」と諦めていた。
内容も喋りも、途中から入ってきた襟川プロのインタビューに追い抜かされた。正直、「松本さんと襟川さんだけでいいな」と思うことも増えた。それと同時に、「いや内容が的を射ていないのは仕方ないとしても、あの噛み具合や言い直しの多さを誰か指摘してやれよ……」とも思っていた。せめてどちらかあればいいのに、どちらも変わらないなと。
私は岡田紗佳がほんのり苦手だった。たぶん目の前にしたらその美しさにやられることはわかっていたが、気の強そうなところや、ややオタク気質で空回りしているところ、バラエティなどでの若干空気の読めないところ。たぶん地元ヤンキー気質で、仲の良い友達のことはフォローせざるを得ない正直なところ。タレントにしては、本当に嘘がつけない人だなとつくづく思っていた。
なので、もし伊藤アナに何かを言うとしたら、岡田紗佳しかいなかったと思う。発言を聞いた時も、正直なんの意外性もなかった。岡田紗佳なら言うだろうと。
特に叩かれている「麻雀のこともわからんくせに」という発言は恐らく、「麻雀に詳しくないんだから、せめてインタビュアーとしてハキハキ喋ってくれよ」ということで、本人としては麻雀初心者を貶めるつもりも微塵もなかったんだろうなとも思った。
でもまぁ炎上した。致し方ない。個人的には想像通りすぎて、なんの違和感もなかったが、あの性格で、あの見た目である。アンチも多かったと思う。思ってた以上に燃えた。Mを見ていない人間から見ても、岡田紗佳が「ひどいことを言っている」のは確かだった。
伊藤アナはというと、それによって結果的に降板になった。体調不良とのことだが、岡田紗佳の発言がなにも関係ないことはないだろう。そしてこの降板によって、何人かの麻雀プロが伊藤アナに触れ始めた。どの人も概ね妥当な触れ方だなと思っていたが、私が特に気になったのは、白鳥翔の発言である。
「俺は個人的に伊藤さんのインタビュー好きだったし、能力がうんぬんとか言われてるのちらほら見たけどインタビュー受けてる側としてはいやだなあとか感じたことなかった。他の人と違うのはインタビュアーそれぞれ個性あるんだから当たり前。
この局のこと話しましょうかとかこの局について聞きますねとかは放送直前にみんなやってるしね。
Mリーグ離れてしまったのはとても残念だけど、違う番組で観れる伊藤さんのことみんな応援してあげてください。あとはまた共演できるのを願って楽しみにしてます。」
https://x.com/s_shochan0827/status/1890725359781614071?s=46&t=sGV4um4VVxCf9OYVu04Qnw
「今回の件で改めてsnsって怖いなと思った。1ミリも悪くない伊藤さんがちょっとでも何か言われてたり評価が下がるの本当に意味がわからないから。」
https://x.com/s_shochan0827/status/1890737854961041876?s=46&t=sGV4um4VVxCf9OYVu04Qnw
なんかよくわからないが、白鳥翔は伊藤アナのインタビューが好きだったらしい。そうか。そうだったのか。それはよかった。
じゃあ、炎上直後の降板する前にそれを言ってあげればよかったのではないか?本当に伊藤アナのインタビューが素晴らしく、問題がなく、今後も続けてほしいと思っていたなら、なぜ炎上直後にその言葉をかけてあげなかったんだ?あなたは松本アナでも同じ対応をとったのか?辞めることが決定してから、「松本さんのインタビューはよかったよね」というのか?おそらく松本アナならそうはならない。あの人はMリーグにはなくてはならない人だからだ。もっと必死に止めたと思う。
伊藤アナのインタビューに成長を感じられなかったといっているのは、何も私だけではない。「そうだよな」「最近見始めたが、新人かと思っていた」という声は、Mリーグを見続けている人たちからはチラホラ聞かれる。もちろん100%ではないが。
そのフラストレーションをためさせたのは、Mリーガーと、Mリーグの運営だったのではないか?白鳥翔の発言まで、特にMの運営やMリーガーを咎めるつもりはなかったが、番組をよくしようと思っていれば、伊藤アナに対して、もう少しアドバイスをするなり、改善を促すよう声をかけるべきだったのではないか?それを放置して、4年間あのままにしたのはあなたたち全員ではないのか?責任はないのか?それを急に降板が決定したら「好きだった」とポジショントークするのは、あまりにも自己保身に走った発言に見える。今こちらについた方がいいよねという魂胆を感じる。少なくとも私は。
岡田紗佳にいたってもそうである。ハキハキ喋れんかねと思ってたなら、もう少し早く彼女本人に伝えるべきだった。もしかしたら私たちのみえないところでやっていたのかもしれないし、いったけど改善されなかったのかも知れないが。あなたたちは仲良しこよしグループではなく、一つの番組を作る出演者で、仕事なのである。仕事として、さらに良くしようとしていなかった、またはしたようには見えなかったのはあなた方の責任ではないのか。もし一般会社員が仕事上で、あそこまで改善が見えなかったら問題になる。そこをなあなあでやっていて、僕たちは麻雀をしていればいいよね!と、ぬるま湯に浸かっていた事実が露呈しただけだ。ずっとファンをやっていた個人としては、岡田紗佳の発言がどうかというよりは、Mリーグに関わる全員が(伊藤アナのインタビューという点においては)そもそも誰も番組を良くしようと誰もしていなかったことが原因に思える。本人のやる気に任せすぎた。
例えば、熱闘!MリーグのMC、須田亜香里はおそらく当初は麻雀になんて興味がなかったと思う。私はまだ彼女がSKE48だったころにSKE48の握手会に行くレベルのオタクをやっていたが、彼女が麻雀を好きだったのは聞いたことがない。(もし昔から好きだったらごめん)けど彼女はMCとしておそらく勉強をして、ファンから見てもMリーグや、麻雀が好きなんだなと感じられる程度のコメントをし続けている。けど、伊藤アナは少なくとも放送上で須田亜香里ほどの熱意は私は感じられなかった。そういう熱意が表面上には出ない、ローテンションな人なのかもしれない。だが、番組に出る以上番組でその熱意が見られないと私たちはそう判断せざるを得ないと思う。
伊藤アナが須田亜香里のように周りが何も言わずとも努力し、その努力の結果を表面的に見せられる人間ならよかったのだが、そうではなかった。努力しているが表面的に見せられる人間でないだけなら、他の麻雀プロやインタビュアーからフォローが出てもおかしくなかったが、それもなかった。
全員が誰にも嫌われたくないし、別に特に問題があるわけでもないし、なんか上は誰も動かないし、これでいいでしょ!と放置した結果、こうなったと、私は思っている。
最近、ホットエントリに入った後に「実はこれAIで書いた」と告白する人たちが増えている。そんなことをするなら、初めからAIを使うなと言いたい。
まず第一に、AIを使った文章がホットエントリに載ること自体、他の多くの人が時間と努力をかけて書いた文章に対する冒涜だ。自分が書いた文章が評価される喜びを奪う行為であり、創作の尊厳を貶めるものだ。
次に、罪悪感を感じるということは、自分がやっていることが倫理的に問題があると認識している証拠だ。それならば、なぜ最初からAIを使わず、自分の言葉で表現しないのだろうか。
AIを利用すること自体は悪ではないが、利用後にその事実を隠していたことに対する罪悪感を感じるなら、そもそも使うべきではない。自分の創造性や表現力を信じることから始めるべきだ。
最後に、AI告白は読者への裏切りでもある。読者はあなたの言葉だと思って読んでいるのだから、後から「AIでした」と言うのは詐欺に近い行為だ。
AIを使うなら最初からその旨を明示するか、自分の力で書くべきだ。罪悪感に耐えられないなら、AIを使うな。
なんで攻撃性のある文章なのかよくわかりませんが、言語認識として興味深い題材だと思ったから質問しただけです。
貶める認識のバイアス?みたいなのがよくわからないですがそもそもとして話題の対象は貶められているという前提で会話をスタートするほうがバイアスがかかっているのではないだろうか。
最初に述べた通り、自分は与えられた文章に対し明文化されていない文脈を補完せずに読む前提の読み方の話しかしていないつもりです。
一つ前で聞いたように「この話題について触れるなら文脈を理解すべきだ」というような一文がありましたが、ということは最初の読解時点で明文化されていない文脈。つまりは「プレイヤーは卑下されている。」を補完しているのではないでしょうか。