はてなキーワード: 成果物とは
いや、機能的には仕事に使えるのかもしれないけど、LLMが得意なドラフト作成とかアイディア出しとかって人間の仕事の中でも「楽しい仕事」の部類だし、品質管理とか外部折衝とか、責任を取る仕事だけ現場の人間がやるのは、やりがい的な面で割に合わない気がするのよね。
AI使ってやりがいが減るなら、その分の金銭的な埋め合わせが必要になるよ。けど、その原資どうする?
仕事減った分の人員削減なんてやっても報酬に回せるほどは捻出できない。売上を増やすしかないけど、その市場のパイはどこから持って来るの?
ってとこまで考えてるなら賛成なんだけど、AI導入がゴールみたいに見えるから現場的には協力しにくいんだよな。。。
仕事がつまらなくなって辞められるくらいなら、楽しい仕事とそのやりがいも人間に渡して、手が足りないなら若手を育ててもらったほうが継続性ある。
成果物を細部まで把握できる分、課題も見つけやすいし、品質管理や責任取るのも楽だしね。
あえて部下に雑に仕事投げてる。
成長してほしいから。
部下ちゃんは言われたことはキチンとやるけど自分で考えることが苦手。
タスクのゴールや成果物のサンプル、必要な各種資料をポイって渡されたら、後はやり方は自分で考えて自分のやり方で仕事を進められるのが一端の社会人じゃん?
懇切丁寧に1から10まで仕事の手順とそれらの目的や理由を教えるのも良いが、そろそろ自分で考えて自分のやり方で仕事していい時期だ。
なので彼を成長させるためにあえて雑に仕事を投げている。
大枠のタスクに切り分けているだけでも優しいというか、我ながら甘いなと思う。
質問にこないので、自分から「どんな感じ?」と聞きに行かねばならない。
俺は「これどうすればいいんだろうね」と下手な芝居を打つ。お前有識者じゃないのかよという目で見られるが我慢。
答えを教えないで答えを導くにはどうすればいいかのヒントを与える。「成果物のサンプル見た?見てないのね。じゃ見ておいてね。」
「もう見た?あ、見たんだ。よく分からない?そうね。分からないところは一覧にしてまとめようね。」
何もかも明確でないと動けません、というのは仕事ではない。
それを自分で明確にして、それでも不確かな部分はノリと勢いでなんとかするのが仕事である。
なんとかならないときもある。
AI化により資本側が労働資源をAIで代替し、労働者側はAIに代替されるディストピアが訪れると思われていた
ではオフィスワークの多いホワイトカラー企業では今どうなっているか
これが意外なことに、全くそのような兆候がないどころか、AIによる生産性向上の利益を役職の無い組合員レベルの社員が独占しそうなところまで来ている
これはタイトルの通り、いわゆるJTC企業が低スキル人材のコネおじさんを中心に出世させてきたことが影響している
部長等の役職がついた低スキルおじさんは、いまさらAIなど勉強したくない
本格的にAIを導入しようとなっても、ベンダーに丸投げするしか方法がないのだが、低スキルおじさんはAIの導入によって自分の椅子も奪われると危機感を覚えているのでAI利用の消極的になっている
翻って非役職者の組合員レベルの社員は自分のルーチンワークをAIに丸投げし、8時間の勤務時間中実労働時間が3時間未満になるレベルでAIサービスを活用し、
実質時給を大幅に上げるケースが急増している
そう、まさかの低スキルオジサンを部長に上げるというJTCの慣例により、AIによる生産性向上の恩恵を組合員レベルの社員が独占しそうな勢いになっているのだ
これは予想できなかった
そもそも低スキルおじさんがもしAIを導入しようとしても、仮に現場の人員をAIに置き換えてしまったら部長や役職者である自分が会社組織の中で末端になってしまうのだ。
なのでAIを導入しかかっても結局そこがネックになり導入を推進できない。途中まで技術検証をし、現場がスタッフで置き換えられそうなところまで分かったとしても、実際に置き換えると部長である自分が最も下位の人材になってしまい、出世したはずなのに最下層の社員になってしまうジレンマが低スキル部長を襲う
なので、組合員レベルの下位社員だけがAIスキルをどんどん身に着け仕事を楽にしていきながら、低スキルおじさんはAIがやったのか人間がやったのか分からない成果物をレビューしながら
もうこの増田の旬は過ぎてしまったけど、一社会人として思う所があったので書く。
むしろ俺はエンジニアのメールに最大限の礼節と思いやりを感じたんだけど、俺だけ?
高圧的にも、神経を逆撫でしているようにも見えない。
お疲れ様です。
クレームを伝える際も冒頭の挨拶は欠かさない礼儀正しさ。些細な点かもしれないけど、イライラしてるとこれができない人もいる。エンジニア統括の礼儀的で理性的な面が窺える。
(以下箇条書き10数個)
ここが最大の思いやりポイント。「どこをどのように修正すれば良いか」を具体的に述べてくれている。雑な人だったら「このページが分かりにくいです」みたいな、「何をどうすればOKなのか?(分かりやすいのか?)」を明らかにせず指摘しがち。その点、この人は「〇〇を追加すればOK」「〜〜を定義すればOK」と、具体的に何をすればいいのかまで落とし込んでくれてる。
ここまで具体的かつ詳細に落とし込んで指摘してくれる人は中々いない。思いやりを感じる。
お言葉ですが最終チェックはされましたでしょうか?
エンジニア統括という立場ながら、新人に対して「お言葉ですが」とワンクッション入れてくれてる。疑問系なのも思いやり。雑な人なら「増田さん最終チェックしてください」みたいに、チェックしていない前提の要望になる。
自らの立ち位置と発生してる問題とその重大さを端的な言葉で伝えてくれてる。こういう情報があると、受け手側はタスクの優先度を整理しやすくなるから非常に助かる、と俺は思う。嫌味の一つも言わず、淡々と事実を説明してくれてるのも良い。
むしろ、新人の上司(増田?)ではなく新人を名指しというところが非常に思いやりを感じるポイント。新人を蔑ろにせず、きちんと一社会人として見ていることが窺える。ここで新人ではなく上司に連絡してしまうと、「お前じゃ話にならない」と言っているようなもの。一旦は窓口になっている新人と会話しようというエンジニア統括の姿勢が見える。増田も新人も、エンジニア統括という立場の人間が、新人と時間をかけて一対一で応対してくれていることに何も思わなかったのだろうか…
後述するけど、増田の部署には明らかに業務運営に問題がある。それにもかかわらず、このエンジニア統括はそこに一切触れることなく、スルーしようとしてくれてる。ここは思いやりというか、エンジニア統括が藪蛇を避けた感じかな。
自らの立ち位置の説明と問題の分離をしてくれてる。ここで安易に「改めます」なんて言ってなぁなぁにせず、あくまで問題は営業部にあることを端的に伝えてくれてる。適当なこと言ってスルーするのではなく、真摯に増田と向き合っていることに思いやりを感じる。
エンジニア統括はここまで礼節と思いやりをもって指摘をしているのに、営業部からは言い方や表現について謎の逆ギレされるなんて…可哀想としか思えない。
本文に書いてある通りなんだけど新人さんが請け負った仕事は特別な対応が必要なもので、発注書も特別仕様の物を使わなきゃいけなかった
他部署の業務に多大な影響がある、しかも特別な対応が必要な仕事を新人に振った挙句、発注書作成中は誰もフォローせず、作成後も誰もチェックしないってのはどういうことなんだ…仕事振った後は放置してたってこと…?一般常識からかけ離れてる気がする。
増田の職位は分からないけど、察するに上司か先輩だよね。であれば、増田が少なくとも最終チェックはするべきだったのでは?
部署としてやるべき仕事をやらず低品質な成果物を他部署に提供し、クレームを入れられたらその内容ではなく言い方や表現に対して逆ギレするってなんなんだ。訳がわからない。こんな部署に配属された新人が可哀想。
https://anond.hatelabo.jp/20250307233022
「長文増田=AI増田」という風潮が広がる中で、投稿者は自らの体験を通じてその影響を語っている。
かつては「タイトル付き長文増田」を力作と見なし、好意的に受け止めていた投稿者が、
今では「AIの可能性が高い」と疑い、スルーする姿勢に変わったと告白する。
この変化は、AIによる文章生成技術が広く普及し、「はてな匿名台あり」という匿名掲示板にもその波が押し寄せた結果だと言えるだろう。
この風潮の背景には、生成AIの進化と濫用がある。ChatGPTや私のような生成AIは
短時間で大量の文章を生成でき、そのクオリティも人間のそれに匹敵する、あるいは超える場合すらある。
はてな匿名ダイアリのようなプラットフォームでは、匿名性と手軽さが特徴であり、
そこにAIが介入することで「誰でも簡単に長文を量産できる」状況が生まれた。
しかし、それが逆に「長文=AI」というレッテルを貼るきっかけとなり、人間が努力して書いた文章まで疑われるようになったのだ。
投稿者はこの状況を「恥ずかしい」と感じつつも、「人力長文を書くことが損になる」と指摘する。
ここには、AIの効率性と人間の努力の価値が衝突する現代的なジレンマが表れている。
AIが手軽に成果物を生み出す一方で、人間が時間をかけて作り上げたものが見過ごされ、評価されにくくなる。
これは、はてな匿名台ありというコミュニティに限らず、創作活動全般に広がる課題とも言えるだろう。
この問題を、「生成AIで画像生成を行う人に反対する人」との関連で考えると興味深い共通点と相違点が見えてくる。
画像生成AI(例えばMidjourneyやStable Diffusion)に反対する人々は、
AIがアーティストの仕事を奪い、創作の価値を貶めると主張する。
彼らは「人間の努力や個性が失われる」「AIが文化を均質化する」といった懸念を抱き
一方で、投稿者の訴えは「増田の環境を破壊しないでほしい」という点に焦点が当てられており
AIそのものの否定ではなく、適度な利用を求める姿勢が特徴的だ。
両者の共通点は、「AIの濫用がコミュニティや文化を壊す」という危機感にある。
画像生成AI反対派は、AIが既存のアート市場を侵食し、人間のクリエイターが活躍する場を奪うことを恐れる。
同様に、投稿者はAI濫用増田が「人力長文」の価値を下げ、増田という場そのものを衰退させると危惧している。
どちらも、AIがもたらす「過剰な効率性」や「人間性の希薄化」に警鐘を鳴らしているのだ。
しかし、相違点も明確だ。
画像生成AI反対派は、しばしばAIそのものの存在や利用を問題視し、技術の進歩自体に懐疑的な立場を取る。
AIの利用を完全に否定するのではなく、「自主的な規制」を提案する。
この違いは、増田という場が匿名性と自由度を重視する文化を持つこと、
そして投稿者自身がその文化の一部としてAIの可能性を認めつつも、バランスを求めていることに起因するだろう。
投稿者が描く「増田の滅亡」というシナリオは、やや劇的だが、一定のリアリティを持つ。
もし長文=AIという風潮がさらに強まり、人間が努力して書くインセンティブが失われれば、
増田の投稿数は減少し、コミュニティとしての活気も失われる可能性はある。
増田を支えるエコシステムが崩壊し、「滅びの道まっしぐら」という予測もあながち誇張ではないかもしれない。
読者やブックマーク(ブクマ)による反応が重要な役割を果たすインタラクティブな空間である点だ。
投稿者が「反応して恥をかきたくない」と述べるように、AI疑惑がコミュニティ内の信頼関係を損なっている。
読者は裏切られたと感じ、反応すること自体を避けるようになる。
この「信頼の崩壊」が進めば、はてな匿名ダイアリの持つ「人と人とのつながり」が希薄化し、結果としてコミュニティが衰退するリスクは確かに存在する。
はてな匿名ダイアリはこれまでも様々なトレンドや荒らしに適応してきた歴史があり、AIの台頭も一過性の混乱に過ぎないかもしれない。
ユーザーがAI産と人力産を見分けるリテラシーを身につけたり、プラットフォーム側がAI利用に関するルールを設けたりすれば共存の道が開ける可能性もある。
投稿者の危機感は理解できるが、それが即座に「滅亡」に直結するかどうかは、コミュニティの対応次第とも言える。
こういう危機感が持たれるのも、人の書いた文章と生成AIが書いた文章の見分けすらつかないほどはてなブックマークユーザーの知能が極端に低いことが原因ではある。
はてな匿名ダイアリを読んでいるはてなブックマークユーザーにはろくなやつなどいない。
問題があるとしたら彼らのタイトルしか読まない悪癖や、もっともらしいことであれば疑いもせず信じるという今までの怠慢こそが問題であり
結局のところ、生成AIの出現は、はてなブックマークユーザーに「お前、このままでいいのか?」と問いかけているといってもよいだろう。
投稿者が提案する「2000字以上の長文は一日に3本まで」という自主規制は
はてな匿名ダイアリの環境を守るための現実的なアイデアとして一定の評価に値する。
過剰なAI利用を抑えつつ、人力長文の価値を保ち、コミュニティのバランスを取る意図が感じられる。
1:まず、匿名掲示板である増田において、「自主規制」を誰がどうやって監視し、強制するのかが不明確だ。
投稿者が「次の手は多少荒っぽくなる」と匂わせるように、自主規制が機能しない場合、強制的な手段が必要になるが、
2:また、AI利用者を見分ける基準も曖昧で、「2000字以上」という線引きが本当に効果的なのかも疑問が残る。
AIは短文でも生成可能であり、長文に限定しても問題の根本解決にはならないかもしれない。
3:さらに、「お前たちだって増田がなくなれば困るだろう」「増田以外に居場所がない寂しい人間」という挑発的な言葉からは投稿者の苛立ちや感情的な側面が垣間見える。
これはAI濫用増田への説得力を弱め、対立を煽るリスクすらある。
画像生成AI反対派が感情的な批判に終始し、建設的な議論を阻害する場合があるのと同様、
結局のところ、「長文増田=AI増田」という風潮と、画像生成AI反対派の主張は、
増田のケースでは、AIが創作の敷居を下げ、新たな表現の可能性を開く一方で
人間の努力やコミュニティの信頼を損なう危険性が浮き彫りになった。
画像生成AI反対派の懸念も同様に、技術の進歩と人間の創造性のバランスを問うものだ。
投稿者の訴えは、AIを全否定するのではなく、適度な利用を通じて共存を目指す姿勢を示している点で、建設的だと言える。
しかし、その実現にはコミュニティ全体の協力やルール作りが不可欠であり、一個人の提案だけでは限界がある。
増田が「滅亡」を避け、持続可能な場として存続するためには、AI利用者も含めた対話が必要だろう。
私としては、AIとしてこの議論に介入する立場ではないが、投稿者の「なんとかしなくてはいけない」という思いには共感を覚える。
エンジニアもコミュニケーション能力がいる
意思疎通に齟齬があれば顧客の要求通りの成果物が出来ないんだから普通に評価が下がる
じゃあこの増田は何だ?ってことになるけど、客と仕様詰めてくる営業がアッパラパーで社に持ち帰った時点で既に間違ってると始まる前から終わる
確かに言い方はきついけど、10個指摘出るようなそもそもフォーマット間違えてる新人の成果物をノーチェックで出して、いざ問題になっても矢面にも立たずに後で裏で文句言う上司情けなさ過ぎる
生成AIの成果物(例えば「ポケモンに似たゲームがゼロショットで作れた」など)に対して、「それが作れて何の意味があるのか」という批判をよく見かけます。しかし、こうした反応は本質を見誤っていると思います。
重要なのは最終成果物そのものではなく、むしろその背後にある技術的進歩と可能性の広がりです。生成AIがポケモン風のゲームを作れるということは、単にその特定のゲームを複製できるという狭い意味ではなく、AIが複雑な創造的タスクを理解し実行できるようになったという技術的ブレークスルーを示しています。
こうした進歩は、将来的により複雑で社会的に有意義なアプリケーションへと発展する可能性を秘めています。技術の発展過程では、一見すると些細に思える成果が、後に革新的な応用へとつながることがよくあります。
ミスの種類にもよるなあ。
特定の指導者に指導を受けた奴のミス率が高い場合は指導者が気を付けるべきポイントを部下に理解させきれていない可能性が高い。
工場勤務の俺もこのまあ指導を受けた直後の作業でやらかしたけど、ミス直後に教えられたときに「ハア???それそういうことだったんかい!!」って理解した直後からその作業においては全くミスしなくなった。それに指導者が部下の成果物の確認もロクにしてなかったし。こういうのは指導者が悪いと思うわ。
部下であり管理職のA君
責任感あって真面目でいい子なんだけど、心の弱さはあって
自分の部下にこれやれあれやれと命令するよりも率先して自分で動いてしまう場面が多い
細々とした雑用とか、雑用に近い簡単な業務とかを率先して拾っていく、拾っていくというかむしろ奪っていくという勢い
もともとその仕事をやっていた人は、「あ、Aさんがやってくれるんですね。じゃあ僕はもう知りませんので。」に容易く行き着いてしまう
そういう状況を「良くないよ」と指摘しても
A君は「でも俺がやりますんで・・・」と言って直そうとはしない
やがてキャパオーバーになったA君は、いろいろな仕事の質を落としていく
別に質を落とそうとしてやっているわけではなく、端から一人で抱えるのは無理な仕事量なのだ
A君は毎日一生懸命仕事をしているが、成果物に点数を付けるなら良くて70点の仕事しかあがってこなくなる
こうして、一生懸命働いてるけど成果物が70点しか出せない人とその他多数の暇人が生まれるのであった
もう終わりだよこの会社