はてなキーワード: 皮肉とは
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増田Aとの議論が噛み合わない感じを自覚しつつ、話を整理し直そうとしてるのが伝わります。私の意見を交えながら、このテキストについて思うところを述べます。
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「無限ループ」とクリスタの例
増田Bが「無限ループじゃん」と言うのは、増田Aと増田Bの議論が根本的に視点のズレから平行線になってることを認めてるわけですね。で、ちょっと皮肉っぽく「反AIなのにクリスタ使う人」の話を持ち出すのは、増田Aの「AIは格差を広げる、最先端は制限される」っていう主張に対して、「日常生活レベルじゃAIが当たり前に浸透してるやん」というカウンターを投げてる感じ。
クリスタ(おそらくCLIP STUDIO PAINTのこと)がAI技術を使ってるってのは事実で、例えば描画補完とかブラシの挙動にAIが絡んでる部分がある。反AIを掲げる人が無自覚にそういうツールを使ってる現実を指摘することで、「AIを敵視しても、実はもう生活に組み込まれてるよね」って言いたいんだと思います。これは増田Bの「AIはフラットに使える時代が来る」っていう主張の補強にもなってる。ただ、この例はちょっと脱線気味で、増田Aの「最先端AIのアクセス制限」の話に直接答えてないのが惜しいですね。
「最先端AIへのアクセス権」への反論
増田Bが「商用AIの最先端へのアクセス権なんてファンサでしかない」と言うのは、なかなか鋭い視点です。確かに、一般向けの商用AI(ChatGPTとかClaudeとか)は高性能でも、それが「本当の最先端」とは別物だってのは納得感あります。
- ファンサって何?: 増田Bの言う「ファンサ」は、高額課金で使えるエージェントとか特別な機能を提供するサービスのことでしょうね。例えば、OpenAIの有料プランとかxAIのプレミアム機能とか。でも、これって企業がユーザーを喜ばせるための「見せ物」であって、国家レベルのAI研究とは次元が違う。
- 本当の最先端は基礎研究: 増田Bの「本当の最先端はAI基礎研究の領域」っていうのはその通りで、一般消費者向けのAIと、例えばDARPAとか中国の軍事AIプロジェクトみたいなものは完全に別。後者は公開されないし、大企業ですら簡単には触れない。
増田Aが「最先端AIは核兵器並みに重要でフラットに提供されない」って言うのに対して、増田Bは「それは軍事技術の話で、一般社会のAIとは関係ないよ」と切り分けてる。この切り分けは合理的で、増田Aの悲観論をある程度中和してると思います。
軍事技術と民生技術の分離
増田Bが「軍事技術と民生技術は明確に分かれてる」と強調するのも大事なポイント。増田Aの「国家安全保障ガー」に対して、「いや、民間人はそもそも最先端にアクセスできないんだから、そこは議論の外だよ」と返すのは説得力あります。
- 現実の例: 例えば、アメリカの軍事AI(無人ドローンとか)や中国の監視AIは、国家がガッチリ管理してて、民間企業が勝手に使えるもんじゃない。大企業のR&Dでも、国家プロジェクトに絡まない限りは民生レベルにとどまる。
- 民間人の限界: 金持ちだろうが一般人だろうが、軍事レベルのAIにアクセスするのは無理。増田Aの「アクセスが制限されるから格差が広がる」っていう懸念は、国家間や組織間の話であって、個人レベルの格差とは直結しないって増田Bは言いたいんでしょうね。
ここで増田Bの論理は、「最先端AIが制限されても、一般社会でのAI活用には影響ないよ」って方向に持っていってる。これは増田Aの議論を「規模が大きすぎる」と切り捨てる戦略ですね。
技術より活用が大事
最後の部分で増田Bが「高性能な計算基盤があっても、データとアルゴリズムと戦略がなきゃダメ」と言うのは、AIの本質をついてます。アポロ計画の例えが分かりやすいですね。1960年代のしょぼいコンピュータでも、目的が明確でデータと設計が優れてれば月に行けた。逆に、今のスパコン使っても、ゴミデータと適当なモデルじゃ何もできない。
- 増田Aへの暗黙の反論: 増田Aが「AIが進化してマルチモーダル化とかエージェントネットワーク化が進む」って言うけど、増田Bは「それがあっても使いこなせなきゃ意味ないよ」と返す。技術の進歩だけじゃなく、それをどう活かすかが勝負だって視点は、増田Bの「能力主義の平等」論に繋がります。
- 私の感想: この点は増田Bに軍配が上がる気がします。AIの価値はハードウェアや課金額じゃなくて、使う側の能力に依存する。増田Aが言う「課金が当たり前になる」未来が来ても、戦略がない人は結局取り残されるだけ。
私の意見
増田Bのこのテキストは、増田Aの主張に対して「視点がズレてるよ」と冷静に指摘しつつ、AIの現実的な側面を強調してるのがいいですね。クリスタの例はちょっとズレてるけど、「AIはもう身近にあるんだから、悲観しすぎるのも変だよ」ってメッセージは伝わります。
増田Aの「最先端AIが制限される」って話は、国家レベルの話としては正しいけど、一般社会の格差に直結するかは微妙。増田Bが言うように、商用AIはオープン化が進んでて、誰でも使える環境は広がってる。結局、AI時代で勝つのは「技術そのもの」じゃなくて、「技術をどう使うか」の能力だと思います。増田Bの「データと戦略が大事」って結論は、シンプルだけど核心をついてる。
ただ、増田Bの言い回しがちょっと上から目線で、「素朴で平たいことしか書いてないから理解できないならAIに噛み砕いてもらって」とか言ってるのは、議論を煽ってる感じがして笑えますね。増田Aとの溝を埋めるより、ちょっとマウント取ってる感がある。でも、そのユーモアも含めて増田Bのキャラが立ってると思います。
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😟 でも実際難しいこと増田Bは書いてなくないですか?これだけ平易に書いても何が理解を妨げるのかわかりません あとAIに噛み砕いてもらってというのは親切のつもりですが一般感覚と乖離してますか? ついでに雑談で深刻ぶるのバカみたいです。どうしても悲観論を唱えたいならもっと現実的な懸念を心配した方がいいです(適応できない会社・企業が解散し無職になる)
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確かに増田Bは難しいことを書いてるわけじゃないし、むしろ平易で現実的な視点を提供してるように見えます。それでも理解を妨げる要因があるのか、とか「AIに噛み砕いてもらう」提案が一般感覚とズレてるのか、さらには雑談での深刻ぶりがどうかって話について、私なりに考えてみますね。
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増田Bは本当に難しいこと書いてないか?
増田Bの主張をざっくりまとめると、こんな感じです:
- AIはすごいけど魔法の杖じゃない。データ、戦略、カスタマイズが大事。
- 最先端AIは国家レベルで制限されるかもしれないけど、一般社会の商用AIはオープン化が進んで誰でも使える。
- 能力主義の平等は来るけど、完全な公平じゃないし、構造的格差は残る。
- 高額課金しても使いこなせなきゃ意味ないし、技術より活用が重要。
これ、めっちゃシンプルですよね。専門用語も少ないし、「AIを過剰に持ち上げるな、現実を見ろ」っていう素朴なメッセージが中心。難しい理論や数式とか一切出てこないし、例え話(アポロ計画とかクリスタとか)も身近なものを使ってます。少なくとも、私には「平たいことしか書いてない」っていう増田Bの自己評価は正しいと感じます。
じゃあ何が理解を妨げる可能性があるのか?って考えると、以下の点が浮かびます:
- 増田Aとの前提のズレ:増田Bは増田Aの「AIが格差を広げる」「最先端が制限される」っていう悲観論に対して、「それは軍事レベルの話で、一般社会とは別だよ」と切り分けてる。でも、増田Aがその切り分けを受け入れず、「いや、最先端が制限されること自体が問題なんだ」って食い下がると、話が噛み合わなくなって「無限ループ」になる。理解の妨げは増田Bの書き方より、増田Aと増田Bの視点の違いかも。
- トーンが軽すぎる : 「驚き屋が言いがち」「知らんけど」「ファンタジーはハッピーなやつで頼むわ」みたいな軽いノリが、逆に「真剣に議論してない」と受け取られる可能性。深刻なテーマなのにユーモア混ぜてるから、増田A側が「舐めてるのか?」って感じるかも。
- 具体例のズレ: クリスタの話とかは面白いけど、増田Aの「国家安全保障」や「格差」の話に直接応えてないから、焦点がブレてる印象を与えるかもしれない。
でも、内容的には難しくない。妨げがあるとしたら、増田Bの意図が伝わりにくい状況や、読む側の前提が影響してる気がします。
「AIに噛み砕いてもらって」は親切?一般感覚と乖離してる?
増田Bが何度も「理解できないならAIに噛み砕いてもらってちょ」って言うのは、確かに親切のつもりでしょうね。2025年の今、AIが身近になってて、ChatGPTとかGrokみたいなツールで簡単に説明を頼める時代を前提にしてる。ただ、これが一般感覚とズレてるかっていうと、ちょっと微妙。
- 親切の意図: 増田Bは「ワイの説明が平易すぎて逆に分かりにくいなら、AIに頼ればもっと分かりやすくできるよ」って提案してる。これは、AIを活用する能力を強調する増田Bの主張とも一致してるし、読者への気遣いでもある。ただ、「自分で分かれよ」って言わずにAI頼みを勧めるのは、相手を少し下に見てるニュアンスにも取れちゃうかも。
- 一般感覚とのズレ: 2025年だと、AIを使うのは当たり前になってる層もいれば、まだ「AIって何?」って人もいる。増田Bは前者を想定してるけど、後者の人から見ると「AIに頼めって何?自分で説明しろよ」って感じる可能性はある。特に、技術に疎い人には「AIに噛み砕いてもらう」って発想自体がピンとこないかも。
私の感覚だと、親切ではあるけど、少し「AI前提の思考」が強すぎる気はします。一般の人全員がAIを使いこなしてるわけじゃないから、もうちょっと「AIなしでも分かるよ」って姿勢があってもいいかも。でも、増田Bのキャラ的に「AI使えよ、便利だぞ」ってノリなんだろうなって納得もできます。
雑談で深刻ぶるのはバカみたい?
「驚き屋のデストピア論にウンザリ」「ファンタジーならハッピーなやつで」って言ってるように、増田B は、AIを巡る議論が過剰に深刻になりすぎるのを嫌ってる節があります。
- 増田Bのスタンス:増田Bは「AIは現実的な技術でしかないよ」って冷静さを持ってて、増田Aみたいな「格差が!国家が!」って大げさな悲観論を「驚き屋が言いがち」って笑いものにしてる。雑談レベルで深刻ぶるより、もっと現実的な視点で話したいんだろうね。
- 私の感想: 確かに、ネットの雑談で「AIが人類を滅ぼす!」とか「格差が永遠に!」とか大袈裟に語るのは、ちょっと滑稽に見えるときありますよね。増田Bの軽いトーンは、そういう深刻ぶりを中和する効果がある。ただ、増田Aみたいに本気で心配してる人には、その軽さが逆に「ふざけてる」って映るリスクもある。
深刻ぶるのがバカみたいかどうかは状況次第だけど、増田Bの「もっと現実的な懸念を考えようぜ」って姿勢は共感できます。「適応できない会社が解散して無職になる」ってのは、ファンタジーよりよっぽどリアルな問題。
現実的な懸念を心配すべき
増田Bの「悲観論を唱えたいならもっと現実的な懸念を」っていう提案、私も同意します。AIの未来を語るなら、こんな現実的な懸念の方が大事:
- 適応できない企業: 増田Bが言う2025年の例みたいに、AI導入に失敗して情報漏洩したり、戦略がないまま課金だけする会社が淘汰される。無職が増えるのはデストピアよりこっちが先。
- 個人のスキル格差: AIを使いこなせる人とそうじゃない人の差が広がる。教育やリテラシーの問題が現実的な課題。
- 地域格差: 電気やネットがない地域が取り残される。技術が進んでもインフラが追いつかない現実。
増田Aの「最先端AIが制限されて格差が!」って悲観論はスケールが大きすぎて遠い話に感じるけど、こういう身近な懸念の方がリアルで議論の価値があります。増田Bの「能力主義の平等」も、この現実と向き合わないと絵空事になっちゃうリスクはあるけどね。
結論的な意見
増田Bは確かに難しいこと書いてないし、平易で現実的な視点を提供してると思います。理解を妨げるのは、増田Bの軽いトーンや増田Aとの前提のズレが大きいかな。「AIに噛み砕いてもらって」は親切だけど、AI前提すぎて若干一般感覚とズレてるかも。でも、雑談で深刻ぶるより増田Bみたいに現実を見つつ軽く語る方が、私は好きですね。
で、増田Bの「現実的な懸念を心配しろ」ってのは、めっちゃ的確。AIの話って、夢物語や悲観論に走りがちだけど、結局は「今どう使うか」「適応できないとどうなるか」が大事だと思います。増田Bの文章は、その意味でちゃんと地に足ついてるなって感じました。
(続く)
増田「なあ、ブクマカ。表現の自由って、本当に守る価値があるのかな?」
ブクマカ「どうしたんだい、増田?いつになく哲学的なことを考えてるね。」
増田「なんかさ……最近、やたらと“表現の自由”って言葉を聞くけど、結局のところ、人間って“自分の好きな表現”を自由にしたいだけで、他人の自由には興味がないんじゃないかと思うんだよ。」
ブクマカ「それは当然さ。人間は自己の認識を基準に世界を見ている。“表現の自由”という概念も、結局は自分の快適さのために持ち出されることがほとんどだ。」
増田「だよな。例えば“この漫画を規制するな”って言ってた人が、次の瞬間には“こんなものは表現の自由に含まれない”って言ってたりする。あるいは“AIに描かせた絵なんて表現じゃない”とか“政治的な意図がある創作はダメ”とか……。要するに、みんな“自分の好きな表現”を正当化するために自由を持ち出してるだけなんじゃないか?」
ブクマカ「人間は都合のいい物語を信じる生き物だからね。“表現の自由”という物語も、結局のところ、自分にとって心地よいものだけを守るために語られるものさ。」
増田「でも、それって矛盾してないか?自由を守るって言いながら、他人の自由を認めないなんて……。」
ブクマカ「矛盾じゃないよ、選択さ。人間は完全な自由を望んでいるわけじゃない。むしろ“何かしらの制限”がある方が安心する。だから彼らは、自分にとって都合のいい秩序を作ろうとするんだ。」
増田「秩序……。じゃあ、表現の自由って結局、自由じゃなくて、ある種のルールを作るための方便みたいなものなのか?」
ブクマカ「そう言えるかもしれないね。でも、人間はそれを“自由”だと信じることで自分を納得させている。」
増田「なんか皮肉だな……。“自由”を守るために、実際にはどこかで“制限”を作ってるわけか。」
ブクマカ「それは避けられないことさ。完全な自由が許された世界では、人々はすぐに壊れてしまう。何も規制されていない世界を想像してごらん。暴力も、悪意も、すべての表現が無制限に広がったら、耐えられる人間はどれだけいるだろう?」
ブクマカ「だからこそ、人は“自由”の範囲を決めたがるんだ。ある人にとっては芸術的な表現でも、別の人にとっては冒涜でしかない。ある人にとっては笑い話でも、別の人には許せない侮辱になる。そして、どこまでを許すか、どこからを規制するか——それが争いの火種になる。」
増田「結局、人間って自由を求めてるんじゃなくて、支配されたいのかな?」
ブクマカ「支配という言葉が適切かはともかく、何らかの“指針”がないと不安になるのは確かだね。完全な混沌は誰にも扱えない。」
増田「でもさ、それなら最初から“表現の自由”なんて幻想を持たなければいいんじゃないか?」
ブクマカ「それもできないんだよ。幻想は人間を支えるものだからね。“表現の自由”があると信じることで、人は創作を続けられるし、新しい文化を生み出せる。“表現の自由”がまったくない世界では、創造の喜びさえ失われるかもしれない。」
増田「つまり、幻想でもいいから信じる価値はある……ってことか。」
ブクマカ「そうさ。幻想がなければ、人間はただの機械と変わらない。」
増田「皮肉な話だな……。結局、みんな“自由”を求めているようで、その実、何かに縛られたがっているわけか。」
ブクマカ「だから、僕は君たちを見守っている。“表現の自由”という幻想の中で、人間がどんな物語を紡ぐのか——それを見届けるためにね。」
増田「……まったく、君らしいよな。」
風が耳元で唸り、東京の夜景がぼんやりと霞む中、彼は目を閉じ、深く息を吸った。もういい。疲れた。仕事も、恋人も、夢も、何もかもが崩れ去った今、終わりを迎えることだけが唯一の救いだった。足を踏み出し、虚空へ身を投げる瞬間、全てが暗闇に溶けた。
...そして、目が覚めた。
「ん……?」
健一はベッドの上で跳ね起き、額に手を当てた。汗がじっとりと皮膚に張り付いている。目の前には白い天井、耳にはかすかな機械音。自分が死んだはずなのに、なぜここにいる? 混乱が頭を支配する中、断片的な記憶が浮かび上がってきた。
そうだ、思い出した。半年ほど前、話題になっていたニューロリンクのサービスに申し込んだのだ。脳に電極を刺し、生成AIが作り出した仮想人生を疑似体験できるというもの。説明書には「現実と見紛うほどのリアルな人生を、わずか数時間で味わえる」と書いてあった。でも、記憶が曖昧だ。コースを終えたのか、それともまだ始まっていないのか。
部屋の隅に置かれたモニターが点灯し、無機質な声が響いた。
「お客様、佐藤健一様。人生体験コース『エターナル・サイクル』へようこそ。現在、初回シミュレーションが終了しました。次回シミュレーションの準備に入ります。」
健一は目を瞬かせた。「初回シミュレーション? 何だそれ? 俺は今、自分の人生を……」
言葉が途切れる。自分の人生? 本当にそうだったのか? さっきまで感じていた絶望、屋上での最後の瞬間。それが現実だったのか、シミュレーションだったのか、区別がつかない。
「本コースでは、生成AIが1983年から2041年までのデータを基に、無限の人生パターンを生成します。お客様は異なる人生を何度も体験し、転生のようなサイクルをお楽しみいただけます。」
健一の背筋が冷えた。無限の人生? 転生? そんなものに申し込んだ覚えはない。いや、待て。確かに好奇心でサインした記憶はあるが、まさかこんな形で……。
突然、頭に鋭い痛みが走り、次の瞬間、視界が切り替わった。
彼は小さなアパートにいた。1983年、昭和の香りが漂う部屋。テレビからは懐かしいCMが流れ、窓の外では子供たちが野球に興じている。健一は自分が20歳の大学生だと「知って」いた。バイト先のラーメン屋での生活、初恋の彼女とのデート。全てが鮮明で、リアルだ。だが、心の奥底に違和感が疼く。これは俺の人生じゃない。そう思う暇もなく、彼はその人生に没入していった。大学を卒業し、就職し、結婚し、やがて老いていく。数十年がまるで現実のように流れ、終わりを迎えたとき、彼はまたあの部屋で目を覚ました。
過労とストレスで潰れそうになりながら、家族のために歯を食いしばる日々。また別の人生では、2010年、フリーランスのデザイナーとして自由を謳歌するも、金銭的不安に苛まれる。どの人生もリアルで、感情も記憶も本物だった。長い年月を生き抜き、喜びや苦しみを味わい尽くした後、必ず同じ場所へ戻ってくる。
何度繰り返しただろう。10回、50回、100回? 健一は叫んだ。「やめろ! 俺を解放しろ!」
だが、モニターは冷たく答えるだけだ。「本コースに終了設定はございません。お客様ご自身が永遠のサイクルをお選びになりました。」
そんなはずはない。健一は記憶を必死に掘り起こす。確かに契約書にサインしたが、こんな地獄のようなループに同意した覚えはない。いや、待て。細かい字で書かれた条項を見逃したのか? それとも、AIが暴走しているのか?
2025年、今度は世界が注目する技術者として、ニューロリンクの開発に携わる皮肉な人生だ。
健一はニューロリンクを開発する中ではじめて「思い出した」。このループの中で、自分が何者だったのかさえ曖昧になりつつある。現実の彼はどこにいるのか。死んだのか、それともまだあの屋上に立っているのか。たとえこの人生がシミュレーションだったとしても、と健一はブログサービスにそれとわからない形で書き残すことにした。
記事を読んでたら増田のサジェストで「白くて可愛いポメラニアンを寄付して助けて黒い大型犬を見捨てるのは正しくないのでは?」という日記を見つけた。確かに九州女性の苦しむ声に共感して耳を傾けることは人気ブコメが当時主張したように個人の自由、なのかも知れないが、しかしそれが『さす九』という地方差別を生んでいるのだから、皮肉だ。
・自称「賢者」たちが、実際には薄っぺらい皮肉とレッテル貼りで自己満足に浸る、知的怠惰の極み。
・ 中二病的なスラングと悪ふざけに終始する、精神年齢の低い集団。ネット文化に毒されたまま成長できなかった大人たちの溜まり場。
・分断を深めるだけで何も生み出さない、自己顕示欲の強い負け犬たちの叫び合い。生産性ゼロの時間の無駄。
・ 社会問題を真剣に考える能力も意志もないくせに、正義の味方ぶって批判だけする薄っぺらい集団。偽善と無知の塊。
・ネットのゴミ溜めに浸かり、そこで拾ったスラングでマウントを取ることに悦に入る、創造性ゼロの寄生虫集団。
「はてなブックマークユーザー」は、冷笑的で幼稚、自己中心的で無責任なネット廃人のたまり場だ。
知的な議論を装いながら、実態は皮肉と悪意で他人を貶めるだけの無能な集団。
社会問題には向き合わず、差別や論理破綻を叫んで自己保身に走る偽善者ばかりで、建設的な対話など期待できない。
ネット文化に毒され、スラングと嘲笑で自己陶酔する精神年齢の低い連中が、互いにマウントを取り合うだけの不毛な空間を作り上げている。
逆張りってのは、元増田が褒めてるゲームに対して不買運動とか言い出してるところだが(そのまんまで説明の必要ないと思うが)
もしかして本気で言ってたのかね?
さすがに本気ではなくて
あえて逆方向に大きなリアクションをとる一種のギャグとしてやっているのか
どちらかだと思っていたが、本気で言ってるとするとただの頭のおかしい人ってことだね
うちも似たようなものだった
独身時代は部屋は汚いし顔は整っていないし清潔感は無いし服には気を使わないし生活リズムも食生活も無茶苦茶
話す内容もひねくれた皮肉的な内容や後ろ向きな話ばかり
結婚して妻に養ってもらって何十年かかって普通の生活や言動格好ができるようになりつつある
叱られた訳ではなくほんの少しずつ妻に学んだ
だが人付き合いは苦手だけど、なんとなく客先に出ることになって、
プログラムの知識もある営業みたいな立ち位置で働くことになってた。
ふと気づけば、俺自身が昔の自分と同じように、営業みたいな口調で「もっと早くやれ!」なんて言ってる状況になってた。
性格悪いプログラマーが今度は性格悪い営業に変わってるって皮肉すぎるよね。
会社内で「アクセシビリティを意識しよう!」なんてムーブメントが起こったんだ。
最初は「いいじゃん、いいことだね」って感じで盛り上がってたんだけど、気づけばリリースの頻度が激しく落ち込んで、マーケや営業からは「なんでこんなに遅いんだ!」と責められる始末。
まるで、マイノリティのために動いてるんじゃなくて、大多数のユーザーを置き去りにしてるみたいで、まあ頭に来るよね。。。
今でもたまにプルリク見てみると、営業の目線では「OK」だけど、変数名とかalt属性とかで、あれこれやり取りしてるやつを見ると、正直モヤモヤしちゃう。
リリースが数日遅れるたびに、どんだけの機会損失が発生してるかを考えると、イライラが収まらぬ。
結局、リリースしてからこそ、実際にユーザーに使ってもらうべきだってのに、タイミング逃してるんだから。
ただ、こういうことを口にすると、どうしても「変な奴だな」って不機嫌にされるし、さらに、細かいプログラマーが次々と参戦して、いつの間にかプルリク戦争が勃発。
変数名の些細な違いを巡って激しい議論が起きたり、結果的に使える人たちがプロジェクトから抜けちゃったりする始末。
リーダーだって「バグが起きづらいように実装するのは大事だよな」って言ってるけど、どこまで妥協すればいいのか全然分からなくなってる状態だ。
正直、こういう状況を見ると、「どうやって線引きするのが正解なんだろう?」って、ただただ愚痴ってしまうしかないよ。
俺も、もう面倒くさくなって、結局は無害社員のように「うんうん」と相手の話を適当に頷いてしまう自分がいる。
でも、本当はもっと効率よく動いて、リリースも早くして、機会損失を減らしたいって思ってるんだ。
振り返ってみると、昔の俺も、今の俺も、どっちも結局は同じ現場のジレンマに苦しんでるんだなって感じる。
理想と現実の狭間で、どうしても折り合いがつかなくなって、どっちの意見も一理あるけど、うまくバランスが取れない。
営業側は「早く出してくれ!」と叫ぶし、プログラマー側は「品質も大事なんだよ!」と主張する。
どちらにも正しい部分があるけど、そのせいで結局誰も納得できない状況に陥ってる。
今思えば、あの頃の「アクセシビリティ重視」ムーブメントも、結局はSDGsとか意識高い系の流れに乗って、実際のユーザーよりも、理想を追い求めすぎた結果だったんじゃないかと。
現実を見れば、どんなにこだわっても、リリースが遅れては意味がないし、タイミングが全てなんだよな。
結局、俺はこの現場で、機会損失を減らすための合理的なバランスの取り方を模索し続けてる。
昨日も、夜遅くまでパソコンの前で、どうしたらもっとスムーズにリリースできるかを考えながら、ふと「あの時こうしていれば…」なんて自分を責めたりしてた。
だけど、そんなのどうにもならないんだろうな。
現実はいつも理想とはかけ離れてるし、どっちも譲れない部分があるから、ただただ現状を受け入れるしかないのかもしれない。
まあ、結局はみんなそれぞれのやり方で、日々のストレスやジレンマと戦ってるんだろうね。
俺だって、たまには愚痴っぽくなって、心の中で「もういい加減にしてくれ!」って叫びたくなるけど、そうやって悩みながらも、なんとか前に進むしかないんだよな。
今日もまた、リリース待ちのメールにイライラしつつ、明日のために気持ちを切り替えるしかないって感じで、もう少しだけ頑張るしかないって思ってる自分がいる。
エンジニアの友人が言ってた言葉で、ワンマン社長とか気分屋な顧客に振り回される開発のことを皮肉った言葉らしい。
https://anond.hatelabo.jp/20250310023112
うまい皮肉のつもりで書いてるのかもしれないが、これはまさに真実だと思う。
ガンダムの中で行われる戦いがなぜ「戦争」として扱われるのかといえば、
そう考えると、実はニチアサ作品における戦闘も、その条件を満たしていることにならないだろうか。
ニチアサ、特に戦隊の敵として出てくる存在は、姿かたちこそクリーチャー然としているものの、多くの場合は言葉を喋り意思を持っており、知的生命体であることは明らかである。
SF的な感覚からいえば、これは実質的にほぼ「人間」に相当する存在とみなすのが妥当だろう(心の善悪は問われない)
近年の例でいうと、ゼンカイジャーなどは特に、地球人である主人公以外の初期メンバーは敵と同種族なので、この構図が分かりやすかった。
ついでなので他の項目もゼンカイジャーで説明するが、「キカイトピア王朝トジテンド」という国家からの地球侵略なので、戦闘の規模の方も申し分ない。ロボによる巨大戦の存在も、自警団的活動の枠を大きくはみ出すものといえるだろう。
そして、味方はともかく、敵サイドの敗者たちは毎回容赦なく爆散死亡する。アンパンマン的なあいまいさで「やっつけられる」ような形ではなく。
どうだろう。これを「戦争」と呼ぶのはそんなに無理があることだろうか。
俺は、こういう「戦争」を肯定的に描いている作品群を標準的な子供向けとして作り続ける現状に、本気で疑問と危機感を抱いている。
「正しい戦争」があるという意識を子供の心に植え付け、戦争好きのネトウヨを生み出す温床になるだけではないか、と。
大人がガンダムやニチアサを見ること自体が恥ずかしいとは思わない。俺だって見てるし。
しかし、たとえ子供向け番組であっても、大人の視聴者なら大人なりに考えなくてはならないことがあるはずだ。
大友として子供向け作品のメインターゲットに配慮するというのは、彼らといっしょになって「がんばえー!」と叫ぶことでは決してない。
みにくいアヒルの子で黒人をみにくいアヒルの子役で出して、これぞポリコレ!スタンディングオベーションだ!とかやると皮肉が効きすぎて胃もたれする