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2025-03-16

世界一の君へ

⚪︎くんへ おめでとう

恐らく君からするとわけがからないだろうと思うけど

僕に取っては特別な そう今日は本当に記念すべき日だ

  

名実ともに世界一と言って差し支えない君の話を

僕ごときがするのも烏滸がましいとも思うが

君とはもう30年ほどの付き合いになるだろうか

初めて君と出会った高円寺

あのお世辞にも広いとは言えない2LDKの部屋を

僕は今でも色褪せることなく思い出すことが出来るよ

  

初めて出会った時はまだお互いに何も知らない新人

突発的に環境が激変した君は

仕事の進め方もわからないのに締め切りだけは厳しく定められていて

担当から当座の資金として借り受けた100万円の使い方も覚束なく

寝泊まりするための寝具がないということで

最初仕事は安物の2段ベッドを買ってきて組み立てることだったね

ナットが一つ余っただけで大騒ぎできた若さ情熱

今となっては本当に愛おしい

  

当時の僕はこの世界

いや そもそも仕事というもの自体が初めてで

見るもの全てが新鮮だった

後にこれがこの長い伝説の序幕になるなんて

ひとっかけらも想像だにしなかった

  

君との仕事を思い出すと象徴的なあの包帯を思い出す

当時の君は 下書きの痕がつかないからという理由

B4鉛筆を好んで使用していたね

でもその鉛筆はあまりに柔らかく

原稿用紙を傷つけない代わりに

兎に角あたり構わず真っ黒に汚しまくっていた

  

特に手の油を吸って原稿に塗りつけた時には最悪で

それを防ぐために布の手袋をつけていても瞬時に汚れてキリがないか

君はその包帯をこまめに巻いては取り替えていた

僕は 君にも言った事があると思うけど

その姿が飛影のようで格好良くて

今日黒龍波撃ちましたね」

「…もう巻き方も忘れちまったよ」

というあの掛け合いが本当に大好きだったんだ

  

連載は驚くほど成功した

とんでもないロケットスタートだった

から 1年も経たないうちに

個室と仮眠室付きの大きな仕事場に引っ越しすることが出来たか

この始まりの 狭くて日当たりの悪い仕事場の思い出を知る人は

そう多くはいない

  

今では失われてしまったらしいが

当時は単行本の1巻が出るまでは

あらゆる費用編集部が経費として落としてくれるという

恐らく間違いなく脱法的なゴールデンタイムがあって

3日徹夜が当たり前だった初期は

とにかく最終日は近所の寿司屋の1番高い寿司寿司桶ごと買ってきて

トロウニばっかり食べる なんて事をして

スタッフ達に労いをしてくれていたね

  

君が実はあまり寿司が好きではないのに

あんまりにも僕らが喜ぶもんだから無理して食べていた という話を聞いたのは

初期スタッフが1/3まで減って

焼肉派閥に上書きされる事が決まってから

思い返すと 君は確かに箸が進んでおらず

でも普段から原稿中にスティックパンを頬張っていたもんだから

腹が減ってないんだな と思い込んでいた自分の気の利かなさに

とても恥ずかしくなった事を覚えているよ

  

でもあの大トロ

人生で1番うまいトロだった

本当に 本当に美味しかった

  

  

君が 仕事中も耐えずモクモクと燻らせていた紫炎を

新しく増える家族のために 禁じたあの日

恐らくこの話に起承転結をつけるのならば

ここが転となる事は間違い無いだろう

  

君はこの日のことをきっと覚えてはいないだろう

いや もしかしたら覚えてはいるけれど

でも多分 見えている景色の色が

僕のそれとは 大きく異なっているだろう

  

でも 僕は

もし君がひとかけらでも

あの日の事を覚えてくれているとしたならば

正直なところ 本当に とても 嬉しく思う

  

あの日君にかけた僕の言葉

今も 一言一句相違なく 変わらないままだ

  

  

  

この言葉も きっと届くことはない

でも それでいい

  

  

兎も角 おめでとう

君のこれまでと これからに祝福を

2025-03-11

#KuToo・石川優実さん「男たちは、明日から今の仕事場で『男だけヒールのある靴で化粧必須です。女はありません』って言われたらその職場やめて他に仕事さがすの?」

ケースバイケースやろなぁ

年収1000万9時5時上がりでケツでイスを磨くだけの仕事なら続けるし

年収108万円 サービス残業月200時間肉体労働だったら転職する、

そこに化粧だのヒールだのの入ってくる余地は無い。

そんなもんを気にしてるとか、やっぱり女に社会は無理なんじゃないのかなぁ?

#自ら証明してゆくスタイル

2025-03-10

anond:20250310225803

職場でそんな話すんなや、って話やな。言い方キツいし、そらキレる方も出てくるやろ。どっちも大人げないけど、仕事場でやることちゃうわ。空気最悪なるん見えてるのに、なんでやるんやろな…。せめてプライベートでやってくれやって感じやな。

2025-03-09

35歳にもなって勃起コントロールできない。

幸いなことに仕事場には基本女性が居ないんだけど、保険営業女性オフィスグリコの人が来るととてつもなく勃起してしまう。

そういうとき勃起を隠すために冷え性じゃないのに冷え性のフリをして膝にブランケットをかけて誤魔化している。

職場だと仲間を探そうとしてるのか、いつも男性社員股間ばかり見てしまっている。

今日はついにスーパーに居る女性店員を見るだけでフル勃起してしまい、流石に生きづらすぎて治すことに決めた。

病院は何科がいいの?どうすれば治るの?もし同じ症状の人が居たり情報を持ってる人が居たら教えてほしい。

2025-03-08

職業ドキュメンタリー増田NO.13「パンティ保護司

パンティ保護司の朝は早い

「早朝、午前、午後、夜。毎日四回、くりかえし町内を巡回してます

屋外やベランダに干した洗濯物が風で飛ばされたり、コインランドリーの行き帰りに落としたり、はたまた何らかの事情で脱ぎ捨てられたり。

衛生観念の発達した現代社会においても、様々な理由女性下着、すなわちパンティーが道端に落ちていることがしばしばある。

そうした迷子パンティーを見つけ出し匿ってあげる職業、それがパンティ保護司だ。

日本で数少ない現役パンティ保護司の一人であるM島さんは語る。

「行き場のないパンティーが今もどこかの街角孤独に震えている。そう思うと、いてもたってもいられないんです」

取材に訪れたのは、まだ雪の残る春の初めごろ。

このような肌寒い季節では、パンティーが室外で干されることがあまりないため、保護の機会も少ないのではないか

そう質問すると、意外な答えが返ってきた。

「春先には、溶けた雪の下からパンティーがひょっこり出てくることがあるんです。穴場の季節ですね」

発見したパンティーをM島さんは自宅兼仕事場に持ち帰り、念入りにクリーニングを行う。

「土まみれ泥まみれのパンティーをていねいにていねいに洗っていくと、ある瞬間に、パッと輝きだすんです。みにくいアヒルの子ってあるじゃないですか。あんな感じに」

M島さんの自室には、色とりどりの保護パンティーたちが美しくディスプレイされている。M島さんは、そのひとつひとつ名前をつけて平等に可愛がっているのだという。

おはようスワンプリンセス白パンティー名前)」

そんな、地域必要不可欠とされてきたパンティ保護活動だが、防犯意識の高まりなどにより、道端にパンティーが落ちていることも年々少なくなってきているそうだ。

パンティーたちにとっては、いいことなのかもしれません。でも、やっぱりちょっと寂しいかな。親の代から続けてきた仕事ですから

日本パンティ保護司を続けることが難しくなった場合に備えて、海外への移住も考えているという。

「はぐれパンティーがたくさんいる国は、世界にはまだまだありますからね。そうした大勢パンティーたちを救うために海を渡るという選択も、自分としてはアリだと思っています

生涯をパンティーに捧げる。その強い覚悟がなければ務まらない職業パンティ保護司

社会はその功績に対して、色眼鏡を外し正当な評価を与えるべきだろう。純白のパンティーのように、まっさら気持ちで。


職業ドキュメンタリー増田、次回NO.14は「灯油ガブ飲みマン」を予定しています

anond:20250308080915

仕事場新卒女性片端から粉かけに行くのはやめなされ

去年みたいにセクハラで人事に呼ばれるわよ

2025-03-06

ミニマリズム道場プログラマーが語る「要るもん・要らんもん」~

どうも~!プログラマーのワイです!最近ミニマリズムっちゅうもんに目覚めましてな。

人生コードスッキリさせたろ思て、要るもんと要らんもんを仕分けしてみたんやけど、これがまたおもろい!ほな、さっそく見ていこか!

【要るもんリスト】~これがワイの人生のメイン機能や!~

【要らんもんリスト】~これ全部アンインストールしたったわ!

微妙なもんリスト】~捨てるかどうか悩む未練タラタラゾーン

まとめ

ほな、まとめるで!ワイにとってミニマリズムっちゅうのは、「人生スッキリさせて、大事なことに集中する」っちゅうことや。

コード人生も余計なもん削ぎ落として、本当に必要機能だけ残していこか!ほなまた~!

anond:20250305204901

Aさんが【当たり】過ぎてMがハズレに見える件

出産事故に遭う位の身体ダメージらしいし、育て易さも子の個性によりけりらしいし、経済力って家庭によりけりじゃん?

Aさんがたまたまダメージに強く、子育ての大変さのいなし方も上手くて、1000円位の賄賂を全体にバラ撒ける位の経済的余裕もあって

ピンチの時ってやっぱり金が物を言うじゃん?多分Aさんちは札束子育ての煩わしいあれこれを殴れるだけの余裕があるんだよ

金の余裕は心の余裕

実際仕事場賄賂も効いてる

家族フォローも手厚いとかもあるかもしれない

から仕事にも同僚にも向き合える余裕があるんじゃないか

Mさん経済的余裕も家族フォローもないけど職場には縋りたい、でも集中出来ない、みんな助けてくれないギャオーとかじゃない?

この不景気でそういう子持ち層がほとんどじゃないかなぁ

Mを赦せとはかけらも思わないが、人間やっぱり財力よな

子の一生を思ったら無能扱いされてまで小遣い稼ぎして心すり減らして我慢してさせて不安定なこの世に放つのって可哀想過ぎる

ネット上のテイカー40Up男性の、若い女子と子供が欲しい論はほんと論外

不景気少子高齢化もむべなるかな

2025-03-01

anond:20250301161036

ワイより年上で「私は子供がいるんで早く帰らせろ昇級させろ金よこせ仕事しません明日子供用事休みます子供がいないやつは劣化品のクズ人間ギィィヤアアアアアギャオオオオオオン」って叫んでるやつですら仕事場におれねんから、俺なんか余裕っしょ。

 

ぐらいの気持ちでいる

   増田にはそんなものかと思わせて違う行動をとらせる書き込みしかいから読んでいない。

     例     ないよ       目的:            書き込み者   刑事組織犯罪対策課の50代女性

           悪ではない、ゴミ   目的: 裏でやってることを隠すため          任介辰哉

           ブサイクからだよ

 

     本当に言いたい書き込みの例 または、仕事場で本当に言っていること

    警務      朝方にお迎えが来るからね👮

    留置     何か勘違いしているのではないか

    拘置      大声で、こっちは仕事してんだよ

           自分に都合の悪いことを書かれて、前田さん、できないっていってるじゃないですか

2025-02-27

anond:20250227113117

この手の「私がエビデンス」系の発言聞くたびに思うんだけど、

どんだけ底辺環境にいるんだよって感じするわ。


昨日ぐらいに少し燃えてた生理イライラ増田でも思ったけど、

底辺のクソ男たちにハラスメント食らったことを、男性一般問題として語るやつ、あれなんなの?

弱者男もやってるの見るから人類病気なのかもしれんが。


男女ともに一方の性が強い場所ハラスメント起きやすいってのはいろいろな職場管理者してて思ったけどな。

女だとコールセンターとかヤバいね。ブクマカ女が全力否定してた生理ヒス起こしてるっぽい女とか珍しくもない。

男だと建築系とか終わってる感じあるわ。あれは男女問わず弱者は食われる感じ。

一方で新卒で入れないような、経歴と経験スキルを問われる仕事場だと、途端にあからさまな異常行動やハラスメントはなくなってくる。

もちろん教育も行き届いてるけど、そもそもそんな教育必要としない人ばかり。


ちょっと話がそれたが、要はお前のいる環境の話を男/女一般論として語るなってことで。

2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

2025-02-20

   志村留置施設は、桂川主体であり、鯨井はめったに出てこない、担当台に座っているのは一般的には眼鏡をかけている別の者であったり、俺の一部であったりするが、

   同留置施設内には、俺はいない。土曜日になると、甘いものが食べられるよ、という人は別の刑務所の看守長(4級)の山本卓矢だから俺ではない。仕事場における

   口癖は、それではイカナイ、などなど。 もどきはそこには座らない。もどきは、開錠や大扉を閉めることしかしない。

     刑事犯組織対策課は留置の1階上にあり、ゆるさないよ、などが座る机がある。

2025-02-19

行動原理が今、たった今更新されました。今日ははっぴ〜な日

熱を感じた。

勢いで書く。

はっきりと理解した。

僕がこの人生で最も求めているものは「ドラマティックであるか」だ。

自分の行動がドラマティックな結果になるか、そのためにはどう行動すればよいか

そこだけに注力して今後の選択を決めたい。

きっかけは、ふとしたきっかけで手にした長編物の刑事小説だ。

本を読むのが好きなので、デカ書店を隅から隅まで物色し、

たぶん2時間くらい彷徨いて、さすがに何も買わないで退店するのは気が引けるので、

大昔に読んだギャグ漫画セリフに出てきたタイトル小説を買った。

刑事小説は主に警察側の視点から書かれているが、

それだけでは話が膨らむわけもなく、

関係者や、犯罪者サイドの思惑や背景、入り組んだ人と人との心情を描いており、

僕には心地よいテンポで話がすすむ。

ちょうど犯人の不合理な行動に対して、主人公とその仲間が考察するシーンを読んでいて、

ああドラマティックであるなと感じた。おもしろーと感じたのだ。


+++++


人生について考えを巡らしたことはあるだろうか。

あるいは、

これまでの自分生き方に後悔したことや、これから自分はこのように生きていたいと、

真剣に考え抜いたことはあるだろうか。

僕はある。

それが一番の趣味なんじゃないかってくらいある。

考え抜いて出した結論は「楽しいか、楽しくないか」であった。

結論に至ったときは興奮したのを覚えている。

何十冊と本を読み込み、

何百枚もメモを書き出し、

何千時間を費やしてだした結論だ。

この結論に至るのに、

これまでの自分の行動や、行動によって得られた結果や、その時の気持ちの振り返りに

本当に途方もない時間をかけた。

いや、かかった。

楽しいか、楽しくないか

この結論今日まで、ついさっきまで、僕自身の中で3年以上支持された行動原理であった。

しかし、実はここ半年ほど「そうでもないかもな」という気持ちが、行動が表にでてきていた。

具体的な話をしよう。

昨日、スロットで5万負けた。

先週は5万勝ってた。

年明けからの成績はマイナス20万ほどである

スロットをやりたくなったとき気持ちに歯止めがきかない。止めるつもりもない。

この気持ちは突然に湧くので、「勝てない」状況でも行ってしまう。

負けてお金を失うのをわかっていても行ってしまうのだ。

例えば、当たればでかいけど、当たらなければすごいスピードお金を溶かす台、

手持ちが1万程度しかないのに、数万突っ込まないと勝ちの土俵に上がれもしない台

閉店間際で、連チャンすればずーっと続いてしまう台などで遊ぶ。

専業からすれば趣味打ちと言われるこの打ち方をやめられない。

楽しいか、楽しくないか」でいえば、

負けるのがわかっている状態スロットをすることは「楽しくない」ことだ。避ければいい。

しか気持ちスロットしたい、行動はスロ屋へ向かう。

そこに行動原理との矛盾がある。避ければいいはずなのに。

負けたいわけじゃないんだ。

負けるギリギリまで追い詰められたのち、最後は勝ちたいのだ。

大逆転勝利だ。何時間も何万も注ぎ込んで、

そこから一気に捲り勝ちする快感が、経験スロ屋へ足を向かわせる。 

福本マンガで、誰のセリフかはイマイチ思い出せないが、

利根川か、蔵前あたりだと思うのだけど、似たようなニュアンスセリフが頭から抜けない。

から抜けない理由もわかった。

マンガでそのセリフを読んだその時は「追い詰められるとそんなふうに感じる人もいるのだな」位に思ってた。

まるで人ごとのように感じてたけど、それが間違ってた。

ぶっ刺さりまくってたんだ。そのセリフは、僕自身に。

から、誰のセリフか、どの福本マンガキャラセリフかは覚えてないのに、

ニュアンスが頭から離れていないのだ。


+++++



現在中小企業代表をしている。

この立場に至るまでは中々ドラマティックであった。もちろん楽しんでいた。

渦中にいたときはまるで気が付かなかった事柄が、

あとになって重要意味をもって、

現在自分に大きく影響していることがたくさんある。

最近会社が落ち着いてきて、家と仕事場往復しながら、

サボったり、小説を読んだり、ゲームしたりしている。

家族のために求めた「安定」は獲得したけど、

どこか虚ろというか、なんか違うなという感じを拭えていなかった。

しかし「楽しいか、楽しくないか」が行動原理であったので、

例えばお金がなくて必要ものが買えないとか、

サラリーマン時間がなくてやりたいことができないとか、

そういった「楽しくない」選択をしないで済むところまではきていた。

楽しくない選択を選ばないでよい = 楽しい選択をしている でないとは気がついていた。

気づいていながらも放置していた。楽だし。

望んで手に入れた環境ではあるのに、

全力を突っ込めばまだまだ成長の余地はあるのに、

仕事に対する情熱が少しずつ冷めている感はあった。

僕がいなくても会社は回る。

拗ねてない。

そうなるように最初から少しずつ積み上げたんだ。

とにかく時間が欲しかった。

同じくらいまとまった金が欲しかった。

両方を手に入れるために、一番最適なことをコツコツと積み上げた。

「楽しくなる」と信じて。

今それはある程度のところまで来ている。

そうやって獲得した時間お金を何に費やしているかというと、

そう、youtuberだ。Vtuberと言ってもいい。

たぶん、「楽しいか、楽しくないか」じゃ説明がつかん活動だ。

やってるとき楽しい。ちやほやしてもらえないと楽しくない。

動画構成を考えているときはクソほど楽しい

実際に動画を作っているとき死ぬほど楽しくない。

矛盾だらけだ。説明がつかない。

ドラマティックであるか」といえば、

この活動大成したときドラティック具合は半端ではないことを知っている。

失敗して活動を辞めてしまっても、挑戦したドラマ自分の中に残る。


+++++


僕は「共時性」を大切にしている。シンクロニシティ

この出来事に何か意味があるのではないか

いまこの事象に巡り会えたことは、この先に活かせるのではないか

共時性を感じたとき鳥肌が立つくらい快感なんだよ。

刑事小説普段読まない。興味があったわけでない。

大昔のマンガセリフを覚えていて、

セリフと同じタイトル小説が偶然書店にあって、

うつもりはなかったけど、店に気が引けるから買って、

結果どハマりして読んでる最中

今後数年の行動原理となる「ドラマティックであるか」に気がつけた。

海外お話であった記憶がある。

世界中のどんな食材もそろっており、

あらゆる料理提供されるレストランに男が行った。

男はテーブルにつき、

メニューを供されるのを待ったが、

時間経ってもメニューは男のもとへは来なかった。

そうこうしているうちに、レストランの奥からシェフがやって来て言うのだ。

時間になりました。お帰りください」

男は困惑して尋ねる。

メニューが供されなかった」

シェフは答える。

「この店にメニューはありません。お客様が望むのであれば、なんでも提供できたのですがね」

これが「人生のものである」とお話が締められる。

男は行動しなかった。何でもできたのに「メニューが供されるのを待った」

時間切れってのは死のことだろう。

待っていたらドラマティックになんかならねぇ。

僕はまだまだ身体も頭も動くんだ。

これからも超絶やばい経験を積みまくって、

ジジイになったとき、なんでも経験してたジジイ評価されるようになってやる。

おしまい

anond:20250219010915

マジレスすると、日常で目にするものに「性的隠喩」を擦り込ませてくんなや。

仕事場モニターエロゲームのキャラ出て来たら、げんなりするやん?

着衣ですから健全ですからって言われても、げんなりするやん。

2025-02-16

家に自分以外の人間が居ると息苦しくならない?

anond:20250215204922

中年一人暮らししてるんだけど、上記増田見て掲題の疑問がわいてきた。

たまに親の住んでる田舎に帰るけど、家に自分以外の人間が居るとやっぱ心が休まらないよなと思う。

親との関係問題があるわけでもなく、普通に好きだけどそう思う。

離れて暮らしてる兄弟ともたまに会うぐらいでちょうどいいなと実感してる。

仕事場も誰かと一緒で、家も誰かと一緒で、って息苦しくならないんだろうか?

そんなに世間一般の人たちは「一緒にいて息苦しくならない人」を見つけられてるんだろうか?

それとも、息苦しさを仕方ないと諦めてるだけなのか?よくわからん

2025-02-11

そうだそうだ!フルリモートを復活せよ!※ただし

その考え方に異存はないんだけど、とは言ってもフルリモート仕事が今後爆発的に増えることは期待できないから今あるカードでどうやっていくかってのが、ってことで考えてみたわけ。


最近「フルリモート」ってなってる仕事って、高度な専門職か、昔だったら「内職」って言われてたレベル給与しか出ない歩合制の業務委託みたいなのしか無くなってきてしまってる感じ。

後者についてはうちの自治体でも斡旋する動きがあったんだよ。子育てママでも仕事ができる、結婚子どもが生まれたので退職した女性にむけて、女性リモートワーク斡旋事業かいって。

ところが内情が酷いもんで。ハケン屋とSESの狩り場。スキルも溜まらなければ、給料も安い。時間自由とか言うが要するにバイトと同じの時給制だったたり、やればやるだけお金にと言うが、結局成果給という名の歩合制請負契約

費用構造日本語覚えた東南アジアなどの国々との争いになるから構造的に高給はでない。地元の子パートに出た方がコスパがいいレベル。数年以内にAIに持って行かれそうな仕事ばかり。

旦那給料がないととても家計を支えられるような給与になんない。

高給のフルリモートを増やそうとしても、そんな高度な専門職はそうはいないし、職種がかなり限られる。政策的に育てるのはかなり厳しい。


一方で、普段リモートワークで仕事して、必要に応じて出社しろ現実的には月に2,3回出社があるみたいなのは今でもかなり残っていて。あるいは業界によっては増加すらしていて。

これだと客や下請けとの定期的なやりとりが発生するような職種リモートワークにできるし、リモートワークに順応できない人がチームにいてもチームビルディングもできる。

そんで、会社にとっても仕事場を大量に用意しなくていいから安く済むと言うコストダウン効果は維持し続けることができる。

業種によるけど交通費の増加ぐらいはさらっとペイできるぐらいには。丸の内オフィスを作ると1人あたり15万ぐらいオフィス賃料かかるって言うんだぜ。

行政政府もこう言うのを地道に増やして行く努力を続けてほしいよな。

2025-02-09

anond:20250209100531

でも作者は存命中に何度もアシスタント若い女性を仕事場万年床に無理やり引摺り込んで和姦しようとしていましたよね?

2025-02-06

なぜ欧米人は当たり前のようにパラグラフライティングが出来るのか

 自分は昔からパラグラフライティングを心がけているのだが、最近特にアホな無教養からそれを「AIの書いた文章みたい」と言われることが多くなった。馬鹿馬鹿しい話だ。パラグラフAIみたいなのではなく、AIパラグラフライティングに則った文章を学んでいるだけだ。それだけ、海外ではパラグラフ文章を書くことがあたりまえに出来ているということだ。これを何故日本人けができないのか。それは増田に言わせれば、根本的に「文章というものの考え方」に問題があるからだ。

 

パラグラフの前に:『機能的な文章とは伝えたいことの羅列である

 日本人にいつまで経ってもパラグラフライティングが出来ないのは、根本的にその本質を捉え損なっているからだ。それは「主張(トピック)を先に言う」という論述ルールとは実は関係がない欧米人の書いたものにも結論を先に言わないものなどいくらでも存在するが、それでもパラグラフ構造は保っている。では実際には何がパラグラフのより本質的な性質なのかと言えば、それは「論点の整理」にある。

 日本人ほとんどそこに注意していないが、機能的な文章には無駄があってはならない。それは完全なる「伝えたいこと」の羅列でなければならない。ここで注意しておきたいのは、機能的な文章というのはもちろん創造的な文章とはまたルールが違うということである創造的な文章は、どのような順序で書いても良いし、どのように無駄なことを書いても良い。

 しか機能的な文章は娯楽のためにあるのではないので、読み味や驚きを求める必要はない。機能的な文章の究極は『表』『箇条書き』、つまり、「データ論点を出来るだけピックアップやすくまとめたもの」だ。パラグラフもまた、『表』や『箇条書き』のように、必要データ論点がどこにあるのかを見やすくし、整理して並べるための機能にすぎない。

 つまり、そのためにまず必要なことは「何が必要な内容で、何が不要な装飾なのか」をきちんと峻別することだ。日本人感想文等の作文教育の影響で、「中身のないものをとにかく膨らます、引き延ばす」ことを文章力だと思い込んでいる。骨身にしみ込まされている。だから文章をセンテンスの単位に切り刻んだときに、まったく要らない、話と話のつなぎでしかないものが大量に紛れ込んでいる。これがまずいけない。パラグラフライティングにまず必要なことは、センテンス単位で箇条書きにしても無駄が出ないほど「伝えたいこと」でないもの排除することだ。(この文章をセンテンスで区切ってみなさい。レトリックのためにあえて複数文に区切ったもの以外、箇条書きで並べても無駄がないから。)

 

さまざまなタイプの『論理

 さて、そうやって伝えたいこと以外をオミットすると(というより、最初から読書感想文のような無駄を膨らます習慣なんか身につけないと)文章は小間切れの主張やデータの羅列になり、それを見やすくするために整理するルールひとつがいわゆる「論理論述)」の「結論根拠根拠、…」となる。

 しかし、文章を整理するルールはそれだけではない。そもそも機能的な文章の多くは、特に主張など含んではいない。政府機関民間レポート研究論文プレスリリース、そのほとんどは誰かを「論理的に説得する」ようなものではなく、ただ必要事実をまとめただけのものだ。そのデータをもとに何かしらを判断するのは読んだ人である。「説得的な文章」などと言うものは、テスト小論文以外ではほとんど出てこないのが現実である。こんなものからパラグラフ」の本質を学べると思っている時点でだいたいの教育者おかしい。

 実用的、機能的な文章を整理するルールには、例えば、「大枠から詳細に入るように説明する」「時間軸に沿って整理する」「手順をステップバイステップで指示する」などの形式がある。実用的な面ではこちらの方が圧倒的に「結論から根拠へ」などというものより多く、より意識して学ばねばならない。

 

増田トリックもっと簡単包括的パラグラフルール

 ところで増田は、このように『ロジカル文章』のタイプを細かく気にするよりも、次のような構造を守れば常にパラグラフ構造を守れるという感覚で書いている。

 それは『韻文、散文、データデータデータ、…』という表現粒度構成するということである

 ここで注意しておきたいのは、『韻文』とはあくま惹句的な、内容の少し曖昧表現という程度の意味で使っているのであり、もちろん五七五などの決まりきった標語にする必要はない。

 パラグラフの「トピック・センテンス」は「結論」でなどある必要はなく、データ(あるいは具体例など)をまとめるためのタイトルくらいに考え、その次にリードのような、トピックを少し詳細にしただけの文を書く。これが出来ていると、後は事実や主張の羅列でも文章が綺麗に整うのだ。実例を見てみよう。

 与作の朝は早い。彼の一日は、まだ日も明ける前から寝床を這い出し、いっぱいの水を飲むところから始まる。それから家の前を掃除し、雨戸しまい、離れの仕事場へ行く。釜に火を入れ、暖をとりながらゆっくりと手をほぐしてまずは一仕事する。郵便物が届くと、配達人に軽く挨拶をして一旦仕事をやめ、朝日を拝みながら裏山を一回りして、散歩がてら見回りをする。「今日は暖かくなりそうだな」などと考えながら、ようやく朝飯をいただくのである

 この例文は完全なパラグラフ構造を持っているが、もちろん結論も何もない。しかしこのような時系列で行動を描写するだけの文章でも、『韻文、散文、データ』のパターンを使うと構造的にまとまるのである

 このパターンに当てはまる例がすべてではないが、ほとんどの場合ノーシンキングパラグラフをまとめられる手法なので、頭に入れておくと良い。

 

2025-02-02

俺はね、舐めてる奴が本当にぶっ○したくなるんだよ、ペロペロするな

舐めるっていう行為は、なんかこう、軽薄な感じがするんだよね。

例えば、アイスクリームをペロペロ舐めるはいいとしても、人間関係において舐めてる奴がいると、本当にイライラする。

なんでそんなに軽々しく他人気持ちを扱えるのか、理解に苦しむ。

まるで、甘いお菓子を食べているかのように、何も考えずにその場の雰囲気だけを楽しんでいる。

想像してみてほしい。友達との大事約束をすっぽかして、「ごめん、ちょっと用事があって」と軽く言われたらどう思う?

その時、俺の心の中には怒りが渦巻いて、まるで火山噴火するかのようだ。

舐めてる奴には、もっと真剣に向き合ってほしい。

ペロペロするな! 俺たちは生きているんだからもっと重みのある言葉や行動を求めたい。

さらに言えば、舐めるという行為は、自分自身をも軽視しているように感じる。

自分価値理解せずに、他人を軽く扱うことで、自分自身もまた軽くされてしまう。

これは悪循環だ。だからこそ、俺は本当にぶっ○したくなるんだ。舐めてる奴には、その痛みをわからせたい。

そして、この感情日常生活にも影響を及ぼす。仕事場で同僚が舐めた態度を取っていると、チーム全体がダメになってしまう。

プロジェクトが進まない原因は、その軽薄さにあると思う。

からこそ、「ペロペロするな!」と声を大にして叫びたい気持ちになる。

結局のところ、人間関係仕事においても、お互いに対するリスペクト必要だと思う。

舐めている人たちには、そのことを理解してほしい。

そして、一度立ち止まって、自分の行動が周りにどんな影響を与えているのか考えてみてほしい。

それができれば、少しは良い方向に向かうんじゃないかな。

からこそ、俺は今日もこの思いを胸に秘めながら、「ペロペロするな!」と心の中で叫び続けるんだ。

2025-01-30

anond:20250130134713

女性社会進出制限したら

最大の反対勢力左翼フェミニストではなく

しろ資本主義を動かしてる側のあらゆる大企業やで

皆なぜか女性社会進出と聞くと高学歴大卒オフィス勤務者

フェミ思想の影響を受けて女性自己実現意識高い系

しかいないかのように錯覚しとるが

現実に働いてる女性の圧倒的大多数は

商店店員工場の工員(おもに高卒)やで

しかも働いてる理由意識高い自己実現とかではなく

単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数

この人らが全員一気にごっそり労働市場から消えたら

世のスーパーやらショッピングモールやら工場やらの

経営者はみな頭を抱えることになる

無人レジみたいな機械化も外国人技能実習生も足りない

***

そもそも近代日本の「女性社会進出歴史」は

明治期の製糸工場やら紡績工場女工から始まってる

彼女らとフェミ思想とかほとんど関係ない

貧乏農家家計を支えるため働きに来たのが大部分

しろ子だくさん家庭で口減らし奉公一種出稼ぎに出された

当時の企業経営者はとにかく労働力が欲しかっただけ

***

市川房枝集』に収録されてる

1930年に書かれた『現代婦人問題』という文章にはこうある

婦人工場労働は、産業革命の直接の結果、生活必要のため

家庭から工場へ追い込まれもので、そこには婦人自身自覚

まったく見られないといっても差し支えはない。」

***

女性雇用昭和戦時下に男手が次々と兵隊にとられて

若い女性が大量に勤労動員された時期にさらに加速する

ええか、左翼フェミ思想じゃなくてもしろ

政府愛国思想女性社会進出を拡大したんやで!!!

黒澤明戦時中監督した国策映画一番美しく』を見るとわかる

***

戦後高度経済成長期も中卒や高卒工場集団就職した

大量の若い女性工員が電化製品やら精密機械の輸出を支えた

(この辺はNHKドラマひよっこ』で描かれてる)

そのころの大学進学率はせいぜい30%台な

女性大卒ホワイトカラーなんて圧倒的に少数派

***

『「育児休職」協約の成立 高度成長期家族責任』(勁草書房

という本によれば、1968年専売公社職員女性比率は43%(1万5600人)

平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造

――ええか公社やぞ、政府の金で運営してる企業やそ

国家が率先して女性労働者を雇っとったんじゃ

***

女性の働き方』(ミネルヴァ書房)という本によれば

東京商工会議所女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限撤廃

1952年労基法改正で、映画製作に深夜業禁止が解除

左翼フェミではなく資本の側が女性労働制限撤廃を主張していた!!!

***

誰も信じないが左翼フェミによる「女も働かせろ運動

などというもの現実にはほぼなかった

実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇しろ運動」な

それが実現したのが1985年男女雇用機会均等法なのだが……

***

読売新聞1985年5月17日夕刊の

男女平等へ”器”はできたが…」という記事にはこうある

「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み

だされたものではなく、国連婦人差別撤廃条約批准するため政府が成

立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト

を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」

読売新聞1985年5月18日朝刊の

女子差別撤廃批准には意義 外務省見解」という記事

西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本集中豪雨的な輸出

貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解

を解いていくためにも条約加入は意義がある」としている。」

――雇用機会均等法の成立は左翼フェミ労働組合の要望もあったが

それだけでなく他の先進国経済的外圧で実現したのだ!!!

俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが

かに1985年ごろなら日米貿易摩擦とかで叩かれてた時期だ

***

本稿は左翼フェミ擁護するものでなく

しろ左翼フェミは屁ほどの社会的影響力もなかった

という論旨なのである

では少子化根本原因は何かといえば日本が豊かになったか

より正確には農業中心社会から第三次産業中心社会になったか

昔の農民は家が仕事場子供も中卒ぐらいで労働力にしてた

それが昭和30年代からみんな会社員になって

家庭内労働力として家に何人もの子供必要なくなり

子供大卒会社員にさせるのがイケてる生き方になって

それだけ子供1人にかかる教育費がべらぼうに高騰していった

昔ながらの農家やら自営商店なら家と家産(農地や店)の継承

結婚出産義務感に大きく影響していたはずだが

みんな勤め人になればその義務感だった自然に解消する

どこの国も産業構造が高度化すると政治思想関係くそうなる

からといって農業中心社会に後戻りすることはできない

左翼フェミが反対するからじゃねーぞ

それ以上に産業界資本家が反対するからだよ

***

いまだに定期的に

炎上覚悟の暴論だけど日本のため言うが女性就労を~」

論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが

悪いけど完全に的外れなんだよ

きみの最大の敵は左翼フェミじゃないんだ、資本主義なんだよ

ま、絶対に信じたくないだろうけどね

今の仕事場BGM流すタイプ現場なんだけど、ひと昔前のjポップって馬鹿みたいに恋愛のことばっかり歌ってるな

無限ループされてると頭おかしくなりそうになる

2025-01-20

能力が低いし身長も低いから周囲からの人として扱われない

財産家族も何にもない

未来に対する期待が何もない

65歳から大麻解禁をお願いしま

それだけを希望社会調和して生きていきます

仕事場カスみたいに扱われても

家に帰って大麻を吸えば忘れられる

そうでもなけりゃ生きられるわけないじゃないですか

父の死

家族の死についての記事話題なので、私も書きました。

ただの自分語りなので他の方が読む価値特にないと思います

考えを整理がてら書き殴ったものなので読みづらいのはすみません

父は板前でした

父は日本料理板前でしたがなぜか喫茶店雇われ店長をしていた時期もありました。あまり長続きはしませんでしたが。

小学生の頃に仕事場喫茶店に招待してもらい、甘いカフェオレを飲ませてもらったことを覚えています

また休日に色々なパスタを食べたいとお願いするといつも作ってくれました。

父のパスタは格別おいしくて、いまでもこれを超えるものを食べたことはありません。もちろん思い出補正込みです。

父は酒が好きでヘビースモーカーでした

酒好きだった父は、いつ頃からか、休日の朝から晩まで飲むようになっていました。

そのうち仕事に行かなくなり、職場転々と変えるようになりました。

最終的に平日の昼間から居間で酒タバコテレビという状態で、反抗期に入った私は父と何度も喧嘩しました。

喧嘩直後はしばらく真面目になるのですが半年も経つと元通りになり、それが数回続くことで家族も諦めの境地になりました。

当時、病院アルコール依存症外来存在を知っていたら何か変わっていたのでしょうか。

父は逃亡癖もありました

母との喧嘩も増えたある日、父は家からいなくなりました。心配しつつも、家の雰囲気を悪くしている存在がいないことにホッとしている自分もいました。

音信不通になってから半年もすると、父と母の共通の友人経由で、実は○○県の日本料理店で板前をしているみたいな情報が入ってきました。

しかしそれも長続きせず、1年も経つとなぜか悪びれもせず家に戻ってきていたりして、父のことがますます理解できなくなりました。

私は現実逃避しました

母が勧めたこともあり、私は遠く県外の大学に進学しました。母方の実家関西ということもあり大阪大学を選びました。

なお私が大学寮に入る時も、父はN回目の県外逃亡中でした。

しばらくして大学3年ごろ、母から突然「離婚した」という連絡がきました。

こちら(父方親戚)とは縁を切って住居も大阪に移すから」と言われた時には驚きはしましたがさもありなんと納得もしていました。

でもさすがに「あなた(私)の住民票本籍大阪に移しておいたから」の一言には物言いをつけたくなりました。相談もせずに勝手に何してくれてんのと。

実際これで故郷から完全に離れることになり、父方の実家とも完全に疎遠になってかなりの年月となります

そして父との再会

月日は経って、私も30代後半になりました。

一昨年前に全然知らない市から父の生活保護扶養照会がありましたが、20年近く会ってもいないので今更無理だと断りの返事を出しました。

そして先々月、親戚経由で、父が肺がんで死亡したとの連絡が来ました。

父の最後の知り合い(おそらく仕事上司)が火葬身の回り品の処分などを終わらせてくれたそうで、遺灰だけでも受け取るかという問い合わせです。

なぜでしょうね。断ればいいのになぜかYESと答えてしまいました。

先日、母と一緒にその方を訪ね、お礼を伝えて、遺灰壺を受け取ってきました。

ただ、父の最後については詳しく聞きませんでした。先方も無理に話そうとはしなかったので、薄々事情理解していたのだと思います

母は嫌がったので、今は私が小さな遺灰壺を預かっています。父の写真はないので壺だけが本棚の上に鎮座しています

墓は、父が信仰していた宗教団体永代供養納骨堂を利用するつもりで、手続き方法だけは調べました。

これまでの自分判断が正しかったのかいまだによくわかりません。ただ、なぜか遺灰を手放したくない気もするのです。

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