はてなキーワード: 自明とは
今のゲームユーザーの多数派は「魅力的なキャラやインタラクティブっぽいけど実質正解が自明なストーリーとエモっぽさ」しか求めてないんだから、ゲーム性に着目した評価自体が評価されない
んでその話をTwitterとかで語ったり同人誌出したりする方にお熱なんだよ
ゲーム作る側だってその方が話題になって(勝手に宣伝してくれるんだもん)より多くの人にリーチできるんだし
ゲーム性があるってのは「ほしい結果を得るための入力を導くのが適度に難しくてその過程が興味深いこと」だけど、そんなもんそういう多数派には「難しい😖」「めんどくさい😖」でおしまいだからなんならそんな話しないほうがマシまである
ゲーム性がどうこう言ってんのはゲームオタクだけで、それはもうゲームを買う人の多数派ではない
追記:
「んでその話をTwitterとかで語ったり同人誌出したりする方にお熱なんだよ」って自分で言っといてなんだけど面白いな
他人から問題を出されて解く(ゲームをやる)より自分で好きな状況をセットして自分の好きな話だけしてりゃいいんだからそら楽しいわな
万人受けするような、とかそういう次元の話じゃない
特定のアクションしたら特定の結果になる、っていうのがまず一定法則じゃなかったり、複雑だったりする
そこを押したらどうなるか説明がないとわからなかったり、隠れていたり、自明ではない
とにかく複雑、要素過多 などなど
特にマイクロソフトが酷いけど、各プラットフォームでおかしい事がままある
そこらへんのwebサービスのほうがよっぽどまともだったりする、大企業が作るUIほど酷い
自分はモバイルの開発の人間なんだけど、あちらのほうが選考してしまった結果、PCのUIの酷さがより目立つようになっている(実際は昔よりは改善されてる)
そんで最近なんかは逆輸入してきて、更にカオスになったり悪化している
フェミニストからすると、レゲエを踊るときにセクシーな動きをしたりコンパニオンをやったり水着撮影会に出演したりAVに出演したり売春したり萌え絵を描いたりするのは本当の自由意志ではなく、今の日本社会にグルーミングされた結果の認知の歪みでしかない。
この日本社会には『シスへテロ男が性を消費するのは当然だ』という構造があり、そのような構造の元にグルーミングされて、レゲエを踊るときにセクシーな動きをしたりする人やコンパニオンやAV女優や性風俗嬢や看板娘やラウンドガールやレースクイーンやキャンペーンガールや萌え絵を描く女性はそのような職業をすることを「自由意思で選んだ」と錯覚させられている。
ちゃんと『シスへテロ男が性を消費するのは当然ではない』という社会構造を構築して、その上でもそのような行動を選んだ人だけが真に自由意思で選んだ、認知が歪んでいないではない人だよ。
こういうことを書くと、「お前の認知が歪んでいないという保証はあるのか」と言う人が出てくるんだけど、
「今の日本社会には、『シスへテロ男が性を消費するのは当然だ』という構造がある」それは間違いなく事実だ。
それに乗っかっている人は認知の歪みの可能性が否定できない。一方でそれに逆らっている人は間違いなくそのような構造による認知の歪みを受けていない。自明でしょ?
俺はね、やっぱり哲学も純粋数学も役に立たねぇなって思っちまうんだよな。
だが、その瞬間、パラドクスに陥る。この思考自体が哲学的命題であり、その論理構造は数学的基盤に依拠している。
クソッ、頭の中で超弦理論とカラビ・ヤウ多様体が交錯し始めやがった。
11次元の時空間で、プランク長のスケールでの量子重力効果を考慮すると、存在そのものが確率的な様相を呈し、ハイゼンベルクの不確定性原理が存在論にまで拡張される。
昨日なんざ、スーパーでリンゴ買ってて、突如としてペアノの公理系からZFC集合論に至る数学基礎論の系譜が脳裏に浮かんだ。
そして、ゲーデルの不完全性定理とコーエンの強制法を経て、continuum hypothesisの独立性にまで思考が飛躍。
これって、日常的現実と数学的抽象の境界の曖昧さを示唆してんじゃねぇのか?
帰り道、ガキどもがニーチェの永劫回帰について議論してんの聞こえてきて、思わず「お前ら、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』読んだか?言語の限界が世界の限界だぞ!」って叫んじまった。
だが同時に、後期ウィトゲンシュタインの言語ゲーム理論も考慮に入れねぇとな。
あぁ、またフッサールの現象学的還元とハイデガーの存在論的差異の狭間で思考が揺れ動いてきやがる。
哲学者どもは、こんな認識論的アポリアの中でメシ食ってんのか。
数学者連中だって、ラングランズ・プログラムの壮大な構想の中で、数論幾何と保型形式の深遠な関係に魅了されてるんだろうな。
正直、俺もそんな純粋知性の探求に身を捧げられる連中が羨ましい。
日々の下らねぇ現実に囚われてりゃ、位相幾何学におけるポアンカレ予想の証明やら、P≠NP問題の解決なんて夢のまた夢だからよ。
ったく、人生ってのは、まるでリーマンゼータ関数の非自明な零点の分布みてぇだな。
複雑で、規則性を秘めてそうで捉えどころがねぇ。
でも、その美しさと深遠さに魅了されずにはいられねぇ。
くそっ、また「Principia Mathematica」と「存在と時間」を同時に読み返したくなってきやがった。
とかそうじゃない?
その絵=写真
なんだけど
みたいな話になりがちでしょ。
あとこれは余談なんだけど
を絵画の中に封じ込めたりする様式が流行ったりもしたことがある。
それは余談なんだけど、とにかくそのものの価値じゃなくて、どうやって誰が作ったか?
に価値を感じる人が多くて一括りにそういう人たちは大衆ということになるんだと思う。
現役の女子高生がつくりました!
マッチ棒でつくりました!
みたいなのに無邪気に「すごいすごい!」って喝采するじゃないですか?
そういうのがどうにも私のようなものごとの本質に価値を見出すタイプの人間は違和感を感じるんです。
最近だと生成AIがつくりあげた文章とかだと、即座に「けっ!AIの文章かっ!」って価値を低く見積もるじゃないですか?
そういうのって逆パターンだけど同じことですよね。
AIがつくる文章って人間では書けないような文章が多くてとても魅力的なんだけど
大衆の人たちって「AIが書いた」ってことだけでもう価値を大きく下げたりするでしょ?
そういうのにすごく違和感を感じるんです。
試しにAIが書いた文章の骨子だけを残してAI臭さを抜くとするじゃないですか。
そしたら途端にバズるわけですよ。
どれがそれとはいいませんけどオーバー1000でブクマとかついちゃうわけです。
でもこれAIの地の文を残してたら見向きもされなかっただろうな、というのは最近の流れを見てると自明なわけで。
なんか違和感を感じるんです。
まあそうはいっても仕方がないとは思うんですよ。
やっぱ女子高生がつくった!!ってそれだけで心惹かれるもんですしね。
マッチ棒でつくったもんとか水彩画で写真みたいな絵を描かれてたらすごいねと思うし
「けっ!!AIかよ!!」って思うもんですしね。
本日は、量子力学における観測問題という、長年にわたり論争の的となっているテーマに取り組んだ。この問題は、量子状態が、確率的な重ね合わせ状態として存在するにもかかわらず、観測という行為によって特定の結果へと「収縮」するように見えるメカニズムに関する根源的な問いを提起する。
午前中、僕は現在従事している極秘プロジェクトについてパートナーに説明を試みた。残念ながら、このプロジェクトは機密指定を受けており、詳細を外部に漏らすことは禁じられている。苦肉の策として、僕は機密情報をマスキング処理(いわゆる「ピー音」で隠蔽)しながら説明を試みたが、彼女がプロジェクトの核心を理解できたとは到底思えない。
その後、彼女から自身が取り組んでいる脳の意識に関する実験について説明を受けた。彼女の研究は、筋肉運動を司る神経信号が、被験者が運動を意識するよりも先行して発生するという現象に着目している。これは、意識という主観的な経験が、脳内の物理的なプロセスとどのように関連しているのかという、哲学と神経科学の交わる領域における難問に実験的なアプローチを試みるものと言えるだろう。
この現象は、20世紀後半にベンジャミン・リベットによって行われた一連の実験によって広く知られるようになった。リベットは、被験者が指を動かす意思決定をするよりも前に、「準備電位」と呼ばれる脳活動がすでに発生していることを発見した(Libet et al., 1983)。この実験結果は、自由意志の存在そのものに対する疑問を投げかけるものとして、大きな議論を呼んだ。近年では、より高度な神経イメージング技術を用いて、意識的な意思決定に先行する脳活動を詳細に分析する研究が盛んに行われている(例えば、Soon et al., 2008)。彼女の研究も、これらの研究の流れを汲み、事象関連電位(ERP)や脳磁図(MEG)を用いて、意識的な意思決定の神経基盤を解明しようとしているようだ。
昼食時、僕はカフェテリアで友人たちと合流し、食事中にふと閃いたアイデアについて話した。彼女の神経科学的な知見が、量子力学における観測問題に新たな視点をもたらす可能性があるのではないかと考えたのだ。
午後、彼女と僕は共同研究を開始するため、彼女のアパートへと移動した。僕の理論物理学的な計算と、彼女の神経科学的な実験データを組み合わせることで、量子力学の標準的な解釈の一つであるコペンハーゲン解釈における「観測者」の役割、特に意識の関与を検証できるかもしれない。コペンハーゲン解釈では、観測という行為そのものが量子状態を確定させるとされるが、この解釈には、観測を行う「意識」の定義や、それが物理的なプロセスに及ぼす影響など、依然として不明確な点が多く残されている。
量子力学と意識の関係については、様々な理論的な提案がなされてきた。例えば、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフは、意識が脳内の微小管における量子的なプロセスによって生み出されるとする「オーケストレーションされた客観的収縮(Orch-OR)」理論を提唱している(Penrose & Hameroff, 1995)。また、一部の研究者は、量子エンタングルメントなどの量子的な現象が、意識の統合的な性質を説明する上で重要な役割を果たす可能性を示唆している(例えば、Hameroff, 2014)。しかしながら、これらの理論は、実験的な検証が非常に困難であり、科学的なコンセンサスを得るには至っていない。
僕たちの試みは、これらの先行研究を踏まえつつ、より実験的なアプローチを目指すものである。彼女の神経科学的な実験データを用いて、意識的な観測が量子状態に及ぼす影響を詳細に分析し、コペンハーゲン解釈における「観測者」の役割をより明確に定義することを目指す。
しかしながら、共同研究は決して容易ではない。そこで、僕たちはいくつかのルールを定めることにした。例えば、物理学に関する事項については僕が最終的な決定権を有し、神経科学に関する事項については彼女が同様の権限を持つ。ただし、僕が異議を唱える場合はこの限りではない。また、研究成果を論文として発表する際には、僕の名前を筆頭著者として記載することを確約した。
研究を進める過程で、意見の衝突も生じた。僕は彼女の鼻呼吸の音が過度に大きいと指摘し、彼女は僕の存在が極めて疲れると反論した。しかし最終的には、計算モデルにおける重大な誤りを発見し、問題を解決することができた。
夕刻、彼女と僕は、研究を継続するか、あるいは僕たちの関係性を維持するかという、究極の選択に直面することとなった。無論、僕たちにとって自明の選択肢は一つしかない。
そこで、僕たちは改訂されたルールに基づき、互いを容赦なく侮辱し合うという戦略を採用した。具体的には、相手の学歴、知的能力、家族構成など、あらゆる側面を攻撃対象とした。驚くべきことに、この非倫理的な行為が僕たちの認知プロセスを活性化し、研究の進捗を加速させるという結果をもたらした。
本日の結論として、彼女の神経科学的な研究と僕の理論的な計算を組み合わせることにより、量子力学における観測問題の解決に近づける可能性があることが示唆された。しかし、そのためには、更なる実験データと、より洗練された侮辱が必要となるだろう。
↑通るわけがない
↑通るわけがない
3.男子高校生「酒に酔って公園で全裸になったのは事実だが酔った勢いでやっただけで性的な意図は無かった。未成年を本人の意思を無視して公然わいせつ扱いするな。裸になって何が悪い」
↑通るわけがない
4.フェミニスト「お前はお前の彼女を性的に消費するな。同じ女として不快だ」
↑男が正しい。自明
5.フェミニスト「お前は深田えいみのAVを見て性的消費するな。同じ女として不快だしそのような行為が『女性を勝手に性的に消費して良いという社会』を作る」
男「正当な手段(買う、ツタヤで借りる、FANZAで視聴するなど)でAVを視聴している者はAV女優を性的に消費する権利があるはずだ」
↑男が正しい。自明
6.フェミニスト「お前は大原優乃のグラビアを見て性的消費するな。同じ女として不快だしそのような行為が『女性を勝手に性的に消費して良いという社会』を作る」
男「グラビアアイドルは性的に消費されることに同意しているものと見なせるはずだ」
↑男が正しい。自明
7.フェミニスト「お前は宝鐘マリンを性的消費するな。同じ女として不快だしそのような行為が『女性を勝手に性的に消費して良いという社会』を作る」
男「本人がシコ許可出してるんだが?」
↑男が正しい。自明
8.フェミニスト「お前は私を性的に見るな。もちろん私が全裸になっていたら公然わいせつで通報されるのは受け入れるが、そうでもない私人を勝手に性的に見るな」
9.フェミニスト「お前はこの『レンアイチャンネル(作:ホムンクルス)』というエロマンガの女の子を性的に消費するな。同じ女として不快だしそのような行為が『女性を勝手に性的に消費して良いという社会』を作る」
10.フェミニスト「お前は水野亜美ちゃんを性的に消費するな。同じ女として不快だしそのような行為が『女性を勝手に性的に消費して良いという社会』を作る」
↑武内直子に言われるならまだしも
11.フェミニスト「お前は赤いきつねのCMの女の子を性的に消費するな。同じ女として不快だしそのような行為が『女性を勝手に性的に消費して良いという社会』を作る」
↑やはり意味不明
ほぼ黒歴史とされているZZ。改めて見直してみたが、むしろ今の時代にマッチしたカオス感。
ジェネレーションギャップ(ニュータイプVSオールド)もより明確になっているので若年層にも訴求できると思う。
深めるべき物語要素
2.ジュドーとミネバとの関係:シャングリラ前線の当初からミネバを登場させ、ミネバにジュドーの可能性を語らせることでそのポテンシャルを当初から視聴者にも示す
3.ブルーコープ、民族闘争と、ネオジオンの思惑→現在中国がアフリカに実行中の経済政策と重ねて政治劇をもう少し追加すると面白くなる。
4.ジュドーをはじめとしたニュータイプ独立部隊>ギャグ要素をキャラクターの成長的意味なない部分は省略
ジュドーを仲間の兄貴分としてのポジションから部隊を率いるエースパイロットとしての責任が付加されるところを強調すると、ジュドーのカリスマ性が引き立つ
5.アフリカ戦線の熟練VS直感(ニュータイプ)として戦いのテーマをさらに引き上げる (スマホネイティブVS昭和モーレツ社員のようなイメージ。結局昭和モーレツ社員
が電話、FAXでプロジェクトを遂行しようとしてもスマホネイティブがSlack、Discordクラウドを駆使してプロジェクトを成功させるのに到底かなわないというイメージ)
6.ダブリンへのコロニー落としとカミーユの登場(ファーも含めここでの旧作からの登場の仕方は非常にいい)
7.グレミーを冒頭から登場させ、最終的にミネバに反旗を翻すまでを全編を通して語る:これでドラマに深みがうまれる。
8.カミーユ、離脱の顛末(新訳だと説明がつかないとの話もあるが、ニュータイプ型PTSDにより離脱という形であれば説明がつく)
削除するべき物語要素
1.前半のシャングリラの路線>ジュドーとの出会いと舞台への導入までを若干工夫して(ギャグ要素をほぼ排除)省略する
ブライト自身がファースト時代、ニュータイプ部隊という位置づけであったことを踏まえつつ、ジュドー達を次世代ニュータイプ部隊であるという理屈づけで
編成するというシーンをいれてしろうとのジュドーたちをチームとして編成させることに説得力を持たせる
2.アーガマにおける軍隊としてのおちゃらけ→度が過ぎている部分は削除。
3.シャングリラから地球降下までに登場したネオジオンキャラ:これらはまさに80年代のパンクなのでいらない
※ジュドーの能力や軍隊への順応性を見ると、UC100以降も活躍する戦士であることは自明なので、この歴史はしっかりと新訳したほうがいいのは間違いない。
Twitterで初代ガンダムの映像作品だけだとジオンの悪行がよくわからないってのが今更になって話題になってる。
ガンダムって映像単体で成り立ってなくて周辺の書籍、続編、公式からの情報とかで成り立ってるのは自明だったんだけどやっぱみんな気づいてなかったのね。
作品単体で評価しようとすると、今巷で流布してる情報のほとんどが実は作中に描かれてなくて、周辺のコンテンツの補完情報で言論空間が形成されてる。
冒頭のコロニーが落ちてるのって具体的にどういう事件なのかとか。
でも、今のガノタはもう周辺情報にどっぷりつかっちゃって本当の初代のアニメだけで評価をすることがもう不可能になってるんだな。