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はてなキーワード: 「悪」とは

2025-03-15

anond:20250315031136

「悪」の話より、君みたいな「つまらない」返ししかできない人間ばっかで飽きてるって話なんだよなあ。

2025-03-06

anond:20250306091617

ChatGPTに訊いてみた。実行できるものはありそう?

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これはなかなか根深問題ですね。「仕事してるように見せる」ことを意識しすぎるあまり仕事効率が落ちたり、不要業務を生み出してしまう状況になっている。しかも、ルール職場文化がそれを助長しているわけですね。

では、例の5つのステップで考えてみましょう。

🟢 Step 1:基礎の整理

問題本質を整理すると以下のようになります

1. 「仕事をしているように見せる」ことへのプレッシャー

仕事がない状態が怖くて、無理やり仕事を作り出す

PCを覗かれても仕事しているように見せないといけない

2. 仕事の進め方に関する矛盾

• 依頼対応・問い合わせ対応は速いが、着手状態が長く、仕事が遅くなる

• 面倒な仕事を後回しにして、定時直前に手をつけて残業になる

3. 勤務時間のあり方

• 8時間勤務の縛りが非効率に感じる

業務に関わる勉強業務時間中にやりにくい

• 隙間時間に待機が発生するが、リラックスできない

4. 余計な仕事を作り出してしま

• 「シュレッダー書類の所有者特定」など、業務本質とは関係ない仕事を増やしてしま

🔵 Step 2:専門家視点

心理学労働効率組織マネジメント視点分析すると、以下のようなポイントが浮かびます

• 「仕事してるように見せる」プレッシャー心理的安全性の欠如

社会心理学的に、人は「他者の目」を過剰に気にすると、自己効力感(自分能力に対する自信)を低下させ、行動が非合理的になる

会社文化として「働いているふり」を求める雰囲気があるなら、それが非効率を生んでいる可能性がある

• 「仕事の仕方」の非効率は、タスク管理優先順位問題

• 「依頼対応は早いが、着手が遅い」のは、タスク管理優先順位付けに改善余地がある

• 「面倒な仕事を後回しにする」のは、心理的負担回避プロクラスティネーション)の影響

• 「8時間勤務が非効率問題は、成果主義仕事時間管理型の仕事のズレ

• 「みなし労働」という考え方は、確かに海外では一部導入されているが、日本ではまだ一般的ではない

• ただし「フレックスタイム」「裁量労働制」など、類似の仕組みはある

🟣 Step 3:実践の知恵

では、実際の現場でどう対応できるか、以下の3つの戦略提案します。

1. 「仕事してるように見せる」プレッシャーを軽減する環境作り

• 「見た目で仕事評価する」文化を変えるには?

PC画面を覗かれることがプレッシャーなら、**「To-Doリスト可視化」**を行い、タスク見える化をする

• Trello、Notion、Google Keepなどのツール活用し、「今何をやっているか」を記録 → 上司や同僚が見れる形にすると、視覚的なプレッシャーが減る

• 「空白の時間」=「悪」ではないことを受け入れる

• あえて「今、仕事の整理をしています」など、隙間時間活用公言する

• 「何か仕事を探す」→「業務改善のためのリフレクション時間」にする

2. タスク管理見直し

• 「着手ステータスを長くしないための方法

• 「ポモドーロテクニック」(25分集中+5分休憩)を使い、作業の開始と終了のメリハリをつける

• 「朝一番にその日のタスクリストアップ」し、優先順位をつけて着手時間を決める

• 「面倒な仕事を後回しにしない」方法

• 「イート・ザ・フロッグ」戦略(最も嫌な仕事朝一番に片付ける)

3. 勤務時間の柔軟化と余計な仕事の削減

• 「勤務時間効率化」

• もし可能なら、上司に**「コアタイム制の提案」**(例えば「7時間+30分自己研鑽時間」を業務として扱う)を相談

• どうしても無理なら、「定時1時間前に難しい仕事はしないルールを作る」など自分ルールを作る

• 「余計な仕事を作らないための行動ルール

• 「シュレッダー書類の所有者特定」などの業務は、**「社内ルールとして処理方法を明文化」**すれば、個人でやらなくてもよくなる

🟠 Step 4:新しい発想

ここからは、少し斬新なアイデアも考えてみましょう。

• 「仕事をしているふり問題」を逆手に取る

• 「勉強仕事の一部」という文化を作る

• 例えば「30分業務勉強時間制度会社提案する(「昼休憩の後に30分、業務関連の勉強をする時間」として制度化)

• 「問い合わせ待機時間スキル向上時間」にする

チャットGPTなどのAIツール活用して、問い合わせ対応自動化し、隙間時間学習時間に変える

• 「8時間労働を見直す未来

• 「6時間勤務+2時間みなし労働」の概念が広がるためには、**「成果型の仕事評価」**が社会に広がる必要がある

企業の中で「短時間高成果の働き方を実践してみる」ことで、モデルケースとして会社提案できる可能性がある

🔴 Step 5:統合最適化

今すぐできる具体的なアクションプラン

1. タスク管理改善

• TrelloやGoogle Keepタスク見える化し、「仕事してる感プレッシャー」を軽減

• 「イート・ザ・フロッグ」で朝一番に面倒な仕事を片付ける

2. 「定時1時間前に新しい仕事をしない」ルールを作る

• 「15時以降に新しい案件に着手しない」など、自分ルールを決める

3. 「待機時間スキルアップ時間にする」方法を試す

AIツールで問い合わせの半自動化を試す

勉強時間会社制度として提案(少なくとも上司相談

4. 余計な仕事を増やさな

ルールの明文化提案し、「仕事のための仕事」を減らす

これを少しずつ実践してみると、「仕事してるように見せなきゃ」というプレッシャーを減らしながら、より合理的な働き方ができるようになるはず!

2025-02-26

anond:20250226103018

ブコメ見たら急に「何が悪いんですか?」「買う男は批判しないんですか?」って論調になっててワロタ

男もほかの男に「P活なんてやめろ」って言ったりしないけどその件については増田は責めないのはなぜなんだい

売春は無いと仮定した場合)なんだか良くない行為な気がするな…という気持ちはあるんだけど、具体的にどこが悪いのかわからない。法律には違反してないよね?

自由恋愛に伴って金銭提供する行為のものは少なくとも法的に咎められるようなことではないはずですが、だとすると増田はどの辺りを「悪」だと感じているのでしょうか?

色恋営業するホスト女の子を騙す悪って言ってたやつらどこにいってん

2025-02-25

おくりびと』に、山崎努白子にむしゃぶりつくシーンがある。「生と死」「食」「性」が絡む象徴的な場面だが、受け取り方は人それぞれ。何も思わない人もいれば、考察する人や「気持ち悪い」と拒絶する人もいる。それは自由だ。

ところが最近ネット話題では、なぜか「気持ち悪い」と思う人の声が一番デカく、しかもそれが社会問題のように扱われる。不思議だ。

特に暴力や性の描写がある(と個人的に感じる)だけで「悪」とされる風潮。『おくりびと』の白子のシーンも、「気持ち悪い」と思うのは勝手だが、冷静に考えればただ白子を食ってるだけである。もしこれが映画評論なら、そんな理由作品全体を否定するような人は相手にされないだろう。

にもかかわらず炎上モドキが絶えないのは、総会屋マッチポンプか、「ネットオタクなら叩いていい」とナメてるかのどれかではないだろうか?まぁ、Xの字数制限では足りないこともあるかもしれないが、実際に足りていないのはもっと他のことなどでは無いだろうか。

2025-02-07

嘘松への最大の復讐

俺の趣味は、嘘松パクることだ。

その辺でバズってる適当嘘松を見つけてきては、パクッてネットの海に再放流するという活動を、ほとんど日課としている。




待て待て(笑)

怒るな怒るな(笑)

しかに、今はまだ法律で取り締まることこそできないものの、嘘松人間にとって最悪の大罪の一つであり、それには及ばないものパクリも同様に忌むべき行為だろう。

その二つを同時に行っているとなればもはや悪魔も同然であり、まともな人間なら激怒するのも当然だ。

だが、みんなのその怒りは俺自身のものでもある。

俺は嘘松復讐するためにこそパク松を行っているのだ。そのことを説明する。

まず大前提として、嘘松嘘松を行った時点で通常の市民が持つ人権を全て喪失する。

これにより、嘘松著作物嘘松)をどれだけパクッても、そこには何らの罪も発生しないということになる。

そして、俺は嘘松をただパクっているわけではない。いくらかの改変を加えた上で投稿している。

俺が目を付ける嘘松の大半は、自分を実際よりも良く見せることを目的としている。それだけならかわいいものだが、嘘松はそのために自分踏み台となる何らかの「悪」でっち上げていることが問題となる。

こんな悪い奴にこんなヒドいことをされた!(そんな自分純粋で哀れで優しくて健気で愛され主人公体質なのよね…)

というわけだ。吐き気がするね。

俺は元嘘松基本的な話の筋・構造踏襲した上で、その価値観の部分をきれいに反転させる改変を行っている。

悪意を善意に。

犯罪を親切に。

喧嘩イチャイチャに。

借りパクプレゼントに。

まりあらゆる嘘松を、ほっこり爽やか(涙が)ポロリもあるよ!な「いい話」に変えてしてしまうのだ。

そんなことをしていったい何の意味があるのか?と疑問に思うかもしれない。

実際、俺の投稿するパク松は、Xでも増田でも元嘘松ほどバズることは滅多にない。反応ゼロという状態さえザラにある。

やはりネットでは単純な「いい話」よりも、刺激のある悪意の混じったエピソードの方が人気があるのだろう。ほんと最低ですよネット民は。

だがそれでいい。バズで元嘘松を塗り替えることを目的としているわけではないのだから

狙いは、元嘘松を流した嘘松本人ただ一人だ。

パク松活動を地道に続けていれば、いずれは元嘘松野郎たちの目にも留まることがあるだろう。

そうなっても、元嘘松たちは俺にパクリを抗議することができない。創作ではなく自分体験した事実として嘘松を語った以上、それはすなわち他の人間にも似たような出来事が起こりうるということになるからだ。

そして嘘松たちは、すっかり「いい話」に魔改造されてしまった自分嘘松を目にして、逆に突き付けられることになる。元嘘松に色濃く宿っていた、自分自身の醜い悪意を。

嘘松に悪を恥じる繊細さなんてあるわけがない、というのは素人意見だ。長年嘘松を観察・研究してきた俺に言わせると、嘘松たちは本当に自分を「いい人」に見られたがっているし、なんなら自分は実際に「いい人」であると本気で思い込んでいる。

自分は本当に「いい人」なんだから「いい人」アピールのためにちょっと嘘ついちゃっても別にいいよね?という甘えの感覚こそが、嘘松根底にあるものなのではないかとすら思う。

その都合のいい自己像と現実の間の巨大なズレを的確に突かれれば、恐らく嘘松たちは平静ではいられまい。

実際、過去に俺がパク松した嘘松アカウントのいくつかは、それ以来投稿頻度が大幅に減少した。そして嘘の内容にもすっかりキレがなくなりバズることも稀になった。効いてる効いてる(笑)

自分ネット接続できる限り、そして、ネット嘘松がいる限り、俺はこのパク松活動を続けていくつもりだ。

これからもっともっとたくさんの嘘松をパクって全部「いい話」に変えてやる。

苦しめ。

もっと苦しめ、嘘松どもよ。

これは復讐だ。ネットから正しさを奪ったお前たちへの。

増田は、真実を愛する者なのだ

2025-02-05

❌️有害な男らしさ

⭕️男という存在のもの有害であり、侵略生物であり、本当の人類ある女性を苦しめる「悪」概念のもの

2025-01-29

anond:20250129105802

しれっと訂正された情報

【訂正】本記事(12月26日発売号掲載)では事件当日の会食について『X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた』としていましたが、その後の取材により『X子さんは中居に誘われた』『A氏がセッティングしている会の”延長”と認識していた』ということがわかりました。お詫びして訂正いたします。また、続報の#2記事(1月8日発売号掲載)以降はその後の取材成果を踏まえた内容を報じています

by 中日スポーツ

どうなのよこれー?

文春って「悪」だよな。

2025-01-19

SNSと噂の病理

最近SNSは、不確定な情報が瞬く間に拡散される環境を作り上げた。かつてはニュース情報の発信には一定責任が伴い、発信者事実確認を経て慎重に言葉を選ぶものだった。しかし今や、事実確認よりも「拡散力」が優先され、刺激的な内容ほど評価される仕組みになってしまっている。

SNSで影響力を持ちたい連中は、不確定な情報を「事実」として扱い、誰かを糾弾することで大衆の関心を集め、いいねリツイートを稼ぐ。確認もせずに「これは許せない!」と声を上げ、その感情共鳴する者たちが次々と群がり、疑惑はいつの間にか「確定事項」へと変わる。そして、それを疑問視する者は「加害者側の擁護者」として叩かれ、議論一方的に進んでいく。

だが、もしそれが事実ではなかったら? 彼らは責任を取るのか? いや、そんなことはしない。問題ポストをこっそり削除し、沈黙を貫く。中には、「俺は悪くない、騙された側だ」と言い訳をする者さえいる。こうして、捏造された正義無責任に振り回され、傷つけられる人間が生まれ社会はどんどん混乱していく。

結局のところ、彼らの目的は「正義」ではない。社会をより良くすることでも、真実を明らかにすることでもない。ただの承認欲求の充足、影響力の拡大、自己顕示欲の発露に過ぎない。正確な情報を届ける努力をするのではなく、煽りや断定口調でフォロワーを増やし、「影響力」を誇示することが目的になってしまっている。そしてその影響力を持った者同士が、不確定情報武器にしてフォロワーの奪い合いを始める。まるで情報戦争だ。

この状況はすでに個人問題ではなく、社会全体の病理となりつつある。事実確認よりも感情的な反応が優先され、真実を求めることよりも「誰を叩くか」が重要になっている。この風潮が続けば、やがて社会SNSによって崩壊するだろう。だが、その時になっても、今無責任情報拡散している連中は知らん顔を決め込むに違いない。

しかし、そんな時代の流れは、いつか必ず揺り戻しが来る。デマを広め、社会を混乱させた張本人たちは、遅かれ早かれ糾弾される側に回ることになる。自分たちが作り出した環境に飲み込まれ、今度は「悪」として叩かれる側になる。

その時が来たら、ちゃんと受け入れて死ねよ?

2025-01-15

NHKJASRAC「悪」として叩く無知蒙昧が多すぎる

義務として金を払うのは当たり前

あんまその義務文句言ってると、いつか「強制執行」されますよっと

2025-01-13

anond:20250113192839

ピータが長老に尋ねた「どっちが勝つんですか?」に対する答えは、狼の名前が「愛」と「悪」であることから勝敗はその餌の与え方に依存するという教訓的な内容です。長老言葉「お前が餌をより多く与えたほうだ」というのは、愛や悪といった二つの側面が、どちらも人間の心の中で育まれ、強くなる可能性があることを示唆しています

この話は、一般的に「どちらの狼に力を与えるか」という選択が、私たち自身の行動や思考によって決まることを象徴しています。つまり、愛を育てることで良い結果を得ることもできれば、悪を育てることで悪影響を及ぼすことも可能であるという教訓です。このような寓話は、自己反省内面的な成長を促すものとして広く用いられています

一方の狼の名前は「愛」、もう一方の狼の名前「悪」

「どっちが勝つんですか?」とピーター長老に尋ねた

長老は「お前が餌をより多く与えたほうだ」と答えた

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑤

【前】anond:20250102174224

2-07「精霊たちの家」 イサベル・アジェンデ 木村榮一訳★★★★

世代女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシアマルケスコロンビア人で、アジェンデチリ人

しかし、女性物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元女性強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。

同じく、よしもとばななアルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。

書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずしか触れられない。

道徳的理由表現規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。

2-08「パタゴニア/老いぼれグリンゴブルースチャトウィン 芹沢真理子訳/カルロスフエンテス 安藤哲行訳★★★★/★★

ブルースチャトウィンパタゴニアを読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地しかない暮らし風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリア舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。

カルロスフエンテス老いぼれグリンゴはあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ

フエンテス短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。

2-09「フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者」ミシェル・トゥルニエ 榊原晃三訳/J・M・G・ル・クレジオ 中地義和訳★★/★★

ミシェル・トゥルニエフライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明自然を対比させるために(?)読者に理解やすロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台ロビンソンが島そのものとの性交子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォー原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。

M・G・ル・クレジオ黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷家族恋人黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である

ル・クレジオ難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。

2-10「賜物」ウラジーミル・ナボコフ 沼野充義訳★★★★

一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義シリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語創作されているんだけれど、最後ロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話

難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。

で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女連想できないタイプ女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。

フョードルコンスタンチノヴィチに向かってうら若い牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧ものジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのであるもっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。

僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしま作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。

とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。

なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章リズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。

少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセス現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知相手自分利益のためだけに利用するのは邪悪定義に当てはまってしまうしね。

おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女思春期の頃に出会えるはずはないし、自分問題自分解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子自分自身の鏡像ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである

(どうでもいいけどウィキペディアロリコン写真集記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)

2-11ヴァインランドトマス・ピンチョン 佐藤良明訳★★

ピンチョンはよくわからない。陰謀論ネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコフーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考ちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論ネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。

エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分キリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代アメリカポップカルチャー現代エンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ

2-12ブリキの太鼓ギュンター・グラス 池内紀訳★★★

文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。

三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれ少年主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。

そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台現代日本でなければ別世界ファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスクロエ」だけじゃなくてコレット青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまりきじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇からってのもある気がする。

話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為あいだならエロ漫画主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラモテても、ちっとも面白くないのであるしかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説ダメ人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯ウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。

少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテ複数女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったもの理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。

続く。

2024-12-25

先に手を出されたら勝ちよ

そうすればもう相手「悪」は揺るがんのよね

大声で大袈裟に騒いで助けを求めれば、相手をしょっぴいてくれる

煽られた?怒って暴力に走るお前が!わるぅぅぅい!!エヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

コキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョキョ!!笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

2024-12-20

いつまでやるの斎藤元彦の話題

A: 辞めるまでだよ!

あれだけマスコミコケにする支持者によって再選した候補マスコミが目の敵にして叩かないとでも思うのか?

既得権益にまみれて偏向報道ばかりのマスゴミ」がたった一度の選挙結果で心を入れ替えるわけがないだろ

あれだけオールドメディア「悪」糾弾しといて選挙で負けたらあっさり引き下がると思える方が不思議だわ

2024-12-05

対話とか歩み寄りとか馬鹿馬鹿しい

嫌いなものにすべきことは、徹底的な攻撃、周囲を扇動孤立させる、壊れかけや崩れかけまで至ればトドメのための追撃だろ

敵に思いやりなんて不要、敵と見たものは徹底攻撃して潰すべき

聖戦なんだよ、私は十字軍の聖徒なわけ

キリストの聖徒は異教徒可能な限り潰した、だからキリスト教は世界宗教となり圧倒的大多数となり正義となった

私はそれと同じ、同調者を集い十字軍となり、嫌いなもの「悪」として「正義の名のもと」に行動してるわけ

2024-12-04

俺は日本語を話している

それを「理解できない」というお前たちは「悪」であり「非国民」だ

2024-11-29

anond:20241129123323

学部で習った知識を得意げに持ち出してきたな馬鹿めが。

それ以降、なにも新しいことを勉強しないまま来た雑魚がよ。

 

では、ガザニガの話をしてやろう。

彼は脳科学者で、著書『脳の中の倫理』で、人間の脳には「倫理モジュールがある」と書いている。

このモジュールは、味方を害すること、詐欺をすること、不公平な扱いをすること、ボスに逆らう事、掃除ができていないこと、などの事項に反応し、それによって嫌悪感情を引き起こす。この嫌悪感情こそが、「悪」だと感じることだというわけだな。

個人的には、掃除ができてないことは生まれつき「悪」だと感じる、という話が好きだね。どんな原始的社会でも、掃き清められていない善の神殿などないわけだ。納得感があるよな。

 

この話のポイントは、脳が引き出しているのは、あくまでも嫌悪感情だということだ。

論理的判断などではない。

毒虫を見てキモッ、と思うのと同様、悪を見てキモッ、と思うのが社会動物たるヒトである

実際、論理的整合性が取れない場面でも、ヒトは感情にもとづいた行動をしたがる。著書には沢山の例が載っているが、例えば、キモイ悪を罰するために、自己利益や善の擁護を投げ捨てたりする。

 

あのな、ヒュームミルは、論理的合理的に善を語ろうとしたよ。その成果は偉大だが。

しかしそれは、「合理的に言って、どういう倫理を定めることが、最もメリットか」を語ったに過ぎないんだよ。法を制定するときには便利だが、しかしこれは、本当に「善」とか「倫理」の正体を、事実として語ったものなのか?

違うよな。それは理想であり空想なんだよ。

無知のヴェールなどこの世には存在しない。

善・倫理とは、理想なんかではなくて、ヒトという生物所与の性質気持ち、傾向である、と言ったほうがいい……かもしれないんだよ。少なくとも現実の反映を語るならそっちだよ。現実を反映したほうがいいかは所説あるが。たぶんヒトがサルだったときから論理的合理性を獲得する前から倫理存在したんだよ。

 

いまや古典となったミル議論の先が、現代において、どうなっているかしっているか

NHKスペシャルで有名になった倫理学者のサンデルは、ミルロールズ批判から出発して、いまではコミュニタリズムと呼ばれる立場を唱えている。

論理的合理的絶対善というのは、結局のところ、確定させられない、というのがサンデル結論だ。

から社会合意によって決まるのが、善であり倫理である、というのがサンデル意見だ。

俺も同意するね。論理で導き出される絶対善は無いんだよ。

だた、生物として同一種であるヒトの感情が、だいたい全体で似通っているため、全体の倫理方向性が一方向になっているように見えるだけなんだよ。倫理同一性、見かけの絶対性を支えているのは、脳がもたらす感情なのだ

殺しをスカッとするから善と思ったやつが居たらどうするか? それが多数にならなかったのが現実なんだから、それでいいんだよ。

 

そしてここで元増田に戻るが、たぶん子供に教えるときも、理屈なんかよりも、感情ベースのほうがいいんだよ。

そっちのほうが、倫理的な大人になるよ。

2024-11-25

anond:20241124120910

自然発生的に生じたもの民意とみなして「善」と捉えるなら、作為的ブーストされたもの「悪」でしょうに

2024-11-13

二次創作は単なる趣味問題ではない

有名な作品二次創作に対して「創作自由だ」「公式とは別物だから関係ない」「公式迷惑かけなければ良い」という意見がわんさか出てくるが、見当違いも甚だしい。

  

世の中には2種類の人間がいる。(ア)「他人著作物に無断で二次創作をする人間」と(イ)「しない人間」だ。

(ア)の人間は、自分が傘を持っていない時に雨が降ってきたら100%平気で人の傘を盗む。誰にもバレなければ会社の金を横領する。え?なんで決めつけるのかって?

  

わかるだろ。

だって普通の真っ当な人間他人著作物勝手に利用したりしない。公式が嫌がることをしているのは明らかだし、キャラクターの持つイメージ作品意図を損なうリスクもあるんだから。これは創作におけるマナーとして古くから言われていることだ。それがわからないはずがない。だから、わかっててやっているのである。「バレなきゃいい(バレても知らん)。」「俺(私)が描きたいから描くんだ。」

まり倫理観が全くないのだ。

  

よく世間では「愛があれば問題ない」とか言われるが、ちゃんちゃらおかしい。あなたは「愛があれば」会社の金を盗むんですか?飲酒運転ひき逃げしますか?

  

から、我々は二次創作のものよりは、無断で他人著作物を利用するような倫理観の欠如した行動を、創作文化における悪習として糾弾すべきなのである

  

いや、間違えた。無断の二次創作自体糾弾されるべきである。「趣味から問題ない」とかい間抜けがいる。それは事実だが待ってほしい。

少し前までは、学校での体罰は「指導」であり「犯罪」ではなかった。でも「犯罪」になったから悪になったのではなく、「悪」から犯罪になったのである

無断の二次創作も同じだ。今でこそ違法ではない場合もあるが、それは単に現時点での話に過ぎない。無断の二次創作は、公式作品創作者に対する立派な敬意の欠如である

もし無断の二次創作が「公式に対して悪意を持って作られた」ものであったら「趣味から」では済まされないだろう。無断の二次創作も同じことである

anond:20241111211807

2024-10-13

映画の「悪役」から、「影響」受けちゃいかんの?

ファイトクラブ』のタイラー

ジョーカー』のジョーカー

ウォッチメン』のオジマンディアス

ガンダムジオン軍とかスターウォーズ帝国軍みたいな組織でもいいかも知れん

あるいは『ランボー』『ダーティハリー』とか「あれは悪役じゃない」けどまあ暴力を使うキャラとかも含まれるかも知れん

こういう「悪」を指して「映画創作物)の悪役から影響を受けるのは間違ってる!その創作物自体が悪を否定している!」みたいに先回りして批判する道徳家みたいな人を最近よく見かける

でも俺は何が具体的に悪いのかよく分からないんだよな

まあそれぞれの映画テーマも違うし、またこういう映画の中で行われる行為フィクションの規模が途方もないのでそもそも具体的に真似できんやろとか「それを言っちゃあおしめえよ」というのは省くんだけど

たとえば「ジョーカー共感するな!」といっても、そもそもあれは現実に「ジョーカー的な人々」が先にいることが前提になってるんだよな

俺はジョーカー見た時、はっきりとジョーカー共感したよ

そんでもって別に映画から現実に戻った今も別にテロとか企ててないけど

アルジェの戦い』『戒厳令』みたいな映画を見て影響を受けて左翼になる奴もいていいだろうし

三島由紀夫福田恒存小説読んで右翼になる奴もいていいと思ってるよ

そんで「じゃあAVポルノ映画見てレイプ起こす奴いてもいいのか!」って言うやつもいるんだろうけど、社会問題に対する反応と全然別じゃんというのは置いといて、まあいいんじゃないのそれは

女側は復讐映画見て男を去勢すればいいんだし

前述の「影響を受けるな」論の根源って、まとめてしまうと、「何かある派閥映画創作物によって盛り上がって、自分生活破壊しに来る」という想像から発せられてると思うんだけど

そんなん映画が無くても破壊されるんだし、そもそも社会問題を加速させたり放置させたり対処してなかったりするのは現実の(ジョーカー批判する)「お前」な訳なんだし

それと最近オタク側が「創作影響論」を頑なに避けてるのは良くないと思う

創作には影響され(ることもあり)ます

社会に影響を与えるから素晴らしんです

エロ漫画見てエロ事件起こす短絡的な奴もいるでしょう

「それで何が悪い?」といえない現状のオタク世界観の狭さが良くない、早く「何が悪い」といえる世界観を作れ、まだ間に合うから

2024-09-01

anond:20240901130232

人類には歴史科学があるんで…正義というのは緻密な意味を持っているので…

翻訳ミスして変な独自解釈作ってる日本人と違って、世の中の人々は集合知を築き続けて巨人肩に乗ってるので


変なサル妄想を語られても困るって

知的レベルが違いすぎて会話が成立しない好例

暴力虐殺絶対的「悪」であるという、最低限のコンセンサス」は増田の中にしか存在しないんだから

正義暴走」なんて存在しない

正義暴走」なる概念ネトウヨ特有かと思っていたが

どうも最近ではリベラルフェミニスト人達にも「正義暴走」なる言葉を使う人達がいるようで、危険だなーと思っている。

「『正義』の暴走」と、「正義」の方を鉤括弧付きで語るならまだしも、そういう留保すらなしに「正義暴走」とか言っちゃえる神経が理解出来ない。

それって「正義」という言葉を単にその個人集団の信念程度の意味で用いているよね?そうじゃなくて、もっと人権社会福祉を前提に置いた規範的な概念なのが「正義」でしょう。

正義」じゃなくて、「思想信条暴走」とでも言うならば分かるんだが。

正義暴走」の例として、ナチス文革赤狩りを挙げている人がいたけれど、いやそれらは「正義」ではなく明確に「悪」じゃん

どんな思想信条の下に行っていようが暴力虐殺絶対的「悪」であるという、最低限のコンセンサスすらない人達が用いるおかし言葉が「正義暴走」。

イスラエルがやってる虐殺なんかもそうだよね。それは正義ではない。

2024-08-17

相対主義に逃げ込んではならない

善悪二元論批判し、相対主義に逃げ込む者たちがいる。

なぜ彼らは、民主主義自由主義は、「絶対の真理」であると言わないのか?

ファシストからだ。

全体主義者だからだ。

全体主義者、ファシストの居場所をつくるため、相対主義者を偽装してるのだ。

最も良い例が、ロシア中国だ。

彼らは、相対主義を持ち出し、民主主義や、自由主義以外の価値観を許容すべきと主張する。

しかし、それは詭弁である

相対主義が成立するには、思想表現の自由大前提にある。

自由主義否定し、民主主義独裁主義を相対化することは、詭弁である

日本国内にも、相対主義を主張し、民主主義自由主義を相対化しようとする動きがある。

また、日本人は、「絶対の真理」というのを持っていない傾向がある。

そこに、相対主義者に偽装した、ファシストどもが付け込もうとしている。

ファシストに居場所を与えるな。

全体主義者に居場所を与えるな。

いまこそ、民主主義自由主義こそ、「絶対の真理」であるという原則論に立ち返り、「悪」断罪せよ。

その勇気が、求められる。

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