はてなキーワード: 高収入とは
昭和から平成にかけて、男に求められる3高として「高収入・高身長・高学歴」ってのがあったじゃん。
でだ、男ばっかりなんか結婚について求められてるけど、女に求めるべき3⚪︎ってないんかなぁ・・・と思ってたんだけど、最近多分これが正解やろってのを見つけてな。
ただ、求めるべき3⚪︎じゃなくて、避けるべき3⚪︎って感じかな。付き合ってはいけないといわれている3B(美容師・バーテンダー・バンドマン)に近いかな。
おっちゃんが思う、結婚するにあたって避けるべき女の3遅れってのがあって、内訳は「行き遅れ・時代遅れ・知恵遅れ」の3つなんだよなぁ。以下、簡単に解説していくで。補足の意見あれば、大歓迎や。
・行き遅れ女
まぁ、30歳を超えた女さんが該当やな。男に比べて女が受けるアプローチってのは、大なり小なりを含めて何倍もの開きがあるんやな。ただ、そんなマリオのスター状態みたいな20代を過ごした女さんなのに結婚に至れないのは、顔面に問題があるか、正確に問題があるかの2択やねん。30過ぎた女って、変に擦れちゃう割合が高いしな。(田舎ほど、擦れる割合は下がるみたいやで、ワイ調べやけど)。つまり、30代未婚はオジの40代未婚と同じくらいの地雷率ってのが、ワイの持論や。婚活で若い子がモテるってのも、合理性があるからしゃあないやんと、同情するところも編あんで。
・時代遅れ女
上記に被る気質のある女やが、上記の気質を求める女さんは、最近の若い男からは敬遠されてんちゃう?っていう警鐘みたいなもんや。なんなら、嫁さんにも3低求められてて、それをクリアできた女さんが結婚に至れてるって肌感があんなぁ。
まぁ、高学歴・高収入・高身長求めんのは自由やが、そんな好条件の物件に見合う女なのか、自分を客観視出来てますん?って話ですわ。
・知恵遅れ女
単にIQが低いとかではない。なんか、いただき女子りりちゃんに共感しちゃうような女が、このカテゴリーや。タイムリーなとこだと、最上あいあたりのオジの気持ちを想像できん女さんかな。
「金だけは辛うじてあるオジ」から、なけなしの金を奪っちゃったら、無敵の人になって自分に危害が及ぶかもしれない。こんな単純な理屈すら想像に至らん女さん。こんなもんは、結婚相手に選んだら、自分が痛い目に遭うのは、火を見るより明らかやんなぁ。
米5kg4000円とする。
米1合は150gで、うちでは5合炊いて6膳分になるので1膳は125g。
いつも1食につき白米は1膳なので1食あたり100円。
それに対して食パン1斤につき110円。贅沢に4枚切1枚を1食分にすると1食あたり28円。
https://www.meijioishiigyunyu.com/recipe/detail/204.html
に従うとすると、8枚切を2枚使っているので28円。
牛乳100mlだから1l200円の1/10で20円(おいしい牛乳ではなくスーパーのPBなどの安い牛乳を使う)。
砂糖は1kg240円とすると大さじ1で9g(上白糖)なので3円(2.16円。小数点以下切り上げ)とする。
バターはエアプなので買い時の価格がよくわからないが、雪印北海道バター200gの希望小売価格が521円で、小さじ2は8gなので21円とする。
(マーガリンで代用できないだろうか? もしマーガリンを使うのなら280gで230円として、小さじ2は8gなので7円となる)
粉糖はお好みなのでなし(粉糖がご家庭にない)。
金額合計はこれで96円。
100円する1膳の白米より食パン2/8斤を使ったフレンチトーストの方が安い。
米5kg2000円時代は1膳50円となるので、高級さにおいて白米がフレンチトーストを逆転した。
カロリーを比較すると、米1膳は250kcal、食パン6枚切り1枚で149kcalだから8枚切り2枚で223.5kcalとなる。フレンチトーストの場合は先のレシピによると273kcal。
白米
https://calorie.slism.jp/101088/
https://calorie.slism.jp/101026/
あるアニメ映画で朝フレンチトーストを食べる奴はお嬢様とかいう雰囲気があったが、それだったら今白米を食べる奴はお嬢様である。
米価はこれがあるべき価格だ。いやむしろまだ安い。米にろくに金も出さず農業や流通に携わる人々への敬意も持たぬお前ら能なしの貧乏人はフレンチトーストでも食ってろバーカ。と頭のいい高収入の方々がおっしゃっているのが今ってわけだね。
白米をありがたがって食べるシーンがよく第二次世界大戦中や中世を舞台とする作品に登場するので、戦中以前に戻ったかのようだ。
現実は高収入男性ほど若い頃から能力や将来性が秀でているから周囲の女に目をつけられて結婚は早いが、ネット依存の高齢未婚男性は若い頃非モテの男がおっさんになって金を得てから年の差婚で一発逆転という妄想から抜け出せない
現実は高収入男性ほど若い頃から能力や将来性が秀でているから周囲の女に目をつけられて結婚は早いが、ネット依存の高齢未婚男性は若い頃非モテの男がおっさんになって金を得てから年の差婚で一発逆転という妄想から抜け出せない
やしな・う〔やしなふ〕【養う】 1 自分の収入で家族などが生活できるようにする。扶養する。「妻子を—・う」 2 衣食などのめんどうを見ながら育てる。養育する。「孫を大切に—・う」 3 食物を与えて飼う。「家畜を—・う」 出典:デジタル大辞泉(小学館)
年収950万円の夫(小遣い月2万円)と専業主婦の妻。二人の子どもが居る。
こういう状況では普通、「夫が妻子を養っている」というのだろう。しかし、私の場合、「妻に養われている」という表現が非常に実感と合っている。主に、上記の2と3の意味で。
あなたも同意してくれるだろうか? 参考として、以下に、私のプロフィールを記そう。
一人暮らしをしていたとき、ゴミ出しを一ヶ月以上にわたって忘れ続け、部屋中がゴミ袋まみれになるのが日常茶飯事だった。
※私は優良な市民なので、決められた曜日と時間帯にしかゴミを出さない。しかし、チャンスは週に二日だけ、しかも早朝限定という条件は私には難しすぎた。だって、忘れたら終わりだし、ゴミ袋たちは部屋の景色と一体化しているので、そこに有っても全然気にならないし。
また当然、ベッドのシーツを洗濯するとか、トイレを掃除するとか、部屋に掃除機をかけるとか、ベランダを掃除するとか、棚のホコリをはらうとか、あらゆる排水口を清掃するとか、そのようなタスクはすべて基本的に意識の外にあり、衛生的にも大変挑戦的な環境で生活を送っていた。
(しかし、きちんと風呂には入るし、歯も磨くし、衣服の洗濯くらいはするので、こんな私でも知人からは真人間に見えていたらしい)
こんな生活能力の欠如は、教育の問題ではなく私の資質の問題である。私の両親はまともなので、半年に一度くらい(遠方である)私の一人暮らしの部屋へ訪問しては大掃除を敢行してくれていた。なお、大掃除の主力は私の父であり、一般的な男女論は適用外である。
昔から通知表に「整理整頓ができない」とか「忘れ物が多い」とか書かれていた気がするので、たぶん脳機能に何か軽い問題があるのだと思う。宿題とかも全然出していなかった。
大人になるにつれ、忘れ物をしなくなるのではなく、忘れ物をしても上手くリカバリーする方法ばかり身につけてしまった。水道代とかを払い忘れてもすぐに止められてしまうわけではないということも学んだ。
食事もまあ、粗末なものだった。スーパーとかコンビニで惣菜を買って、全然美味しくないなあとか思いながら適当に食べていた。いまほど物価が高くない時分なのに、月に5〜6万円くらいは食費に使っていた気がする。
そんな私でも曲りなりに生活できているのは、もちろん収入があるからである。昨年の源泉徴収票を確認したら950万円と書いてあった。同年代平均の2倍くらいは貰っているということになると思うので、これは大変ありがたい話だ。
なぜそんな高収入が得られているのかというと、それはもう、私が得意とする「過集中」の賜物である。学生時代から、一日に10時間以上ぶっ通しでコーディングをしたり専門書を読んだり論文を書いたりすることを、なんの苦痛もなく実行することができた。というか、過集中状態で頭をフル回転させるのは単純に「気持ちいい」ので、集中できないと言う人の気持ちが理解できないというのが正直なところである。
こういう気質と、専門性の高い仕事(研究開発職)が結びついた結果、仕事のパフォーマンスだけは高い、生活能力皆無男性が爆誕したというわけである。頑張って金を稼いでいるという実感は全く無い。こなすべきタスクや、出すべきアイデアが無数に存在するので、もぐら叩きのようにそれを一生懸命潰していっているだけである。たまたま、この「もぐら叩き」でハイスコアを出せる人間が周りにほとんど存在しないという事実だけに助けられている。
そんな私にとって、専門性の高い仕事をこなすよりも、家の中の仕事(いわゆる家事全般)をきちんとこなすほうが格段に難しい。というか、ひょっとしたら不可能なのではないかと思われる。子どもが幼稚園に通うようになって、それを尚更強く感じるようになった。
妻と出会わなければ、私は早々に身体を壊して、社会から(今生から?)リタイアしていた可能性も決して低くはない。
実際、独身時代、私は(未受診ではあるが)自律神経失調症ならびに適応障害と思しき動悸・下痢・腹痛・頭痛・めまい・耳鳴りなどの体調不良に見舞われていた。
※そんなときに優しくしてくれる女性(今の妻)が目前に現れ、それにより何が起こったかはご想像の通りである。
妻は専業主婦として、家の仕事を素晴らしいクオリティでこなし続けてくれている。
見方によっては、妻が社会で活躍する機会を奪っているという誹りを免れないと思うし、実際、子どもが幼稚園に通い始めるまでの数年間、妻はほとんど自由な時間を持てなかった(一人で食事をすることすらままならなかった)のだから、その厚意に甘え続けているのは人道に反する行いと言っても過言ではない気がする。
しかし、妻は自立した大人の女性であり、彼女自身の信念に基づいて、二人の子どもと出来損ないの夫を養育してくれているのである。これは彼女の選択であるのだから、同情とか憐憫とかというのはもちろん不適切であるように思える。
そう。実際、私は妻に「養育」されている。
美味しい食事を毎日与えてもらい、清潔な衣服を用意してもらい、掃除の行き届いた家で生活させてもらっている。何かの支払いが滞ったりすることもないし、私自身で金銭を管理する必要すらない。晴れた日には布団を干し、頻繁にシーツを洗濯し、水回りもピカピカである。食後にはデザート(主に果物)を出してくれるし、出勤時にはお弁当に加えてちょっとした間食も持たせてくれる。
私が出張に行く前には一緒に忘れ物チェックをしてくれるし、何やかんやと必要なものを買ってきてくれたりする。下着が傷んでいたら買い替えておいてくれるし、上着をクリーニングに出してくれる。
一緒に服屋へ行って服を選んでくれるし、子どものついでに散髪してくれることもある。
それに、妻による教育のおかげで、昔は出来なかった家事が、私にも少しずつ出来るようになってきた。妻が家事を処理する速度のおよそ20%くらいしかパフォーマンスは出ないので、これは通常の夫に求められる最低スペック要件を満たしていない可能性が高いが、しかし私にとって大きな進歩であるとも言える。
いずれにせよ、こんな文章をここまで読んでしまった諸賢には、もう明らかであろう。
生活能力が皆無である私は、「妻(専業主婦)に養われている」のである。
いまの世の中の流れには逆行しているかもしれないけれど、こんな夫婦も居るという一例として。
なお、この文章は anond:20190118204653 の後日談である。妻とは今でも仲良しです。
3人くらい実際に会ったけど、正直、全員ナシ。
アラフィフくらいのババアが「真剣な出会い求めてます」とか書いてるけど、そういうのに限って奢り希望なんだろうな。
こっちがメシ代も全部出す前提とか、ふざけんなって話だわ。
40過ぎのオバサンの誘いが「創作イタリアン、ご一緒しませんか?(笑)」だった。
(笑)じゃねえんだよ。
バーコード決済アプリの残高読み込んでるみたいな気分になるわ。
いいかも!してきた女のプロフィールを隅々までチェックしてる。
上であげたのは全部〇〇の住人。△△とか□□はつまんねえんだよな。
俺のこといいと思ってくれた女の自己紹介文とかメッセージをとことん評価できるのが最高に楽しい。
どんなに顔が良くて若くて高収入でも、「貴方様」とか書いてくるやつはありえない。
自分は無口な方ですって自己紹介してるのに、会ったらマジでダンマリ決め込む女とか。
あと、カフェ巡りが趣味ですみたいな女は、結局インスタ映えしか考えてないんだろ?
そういうのに限って承認欲求の塊だったりするんだよな。
センター分けで、ちょっとボサッとした感じの髪型がめちゃくちゃ人気だった。
「頼りなさそうで可愛い!」とか「守ってあげたくなる!」っていう理由で、あえてこの髪型にする男子もいたくらい。
当時の美容室では「弱者男性風カット」がメニューにあったし、雑誌でも「モテるには清潔感より弱者男性感!」みたいな特集が組まれてたんだよ。
要するに、スペック低めの男と結婚するのがオシャレっていう風潮があった。
「イケメンや高収入より、私だけを愛してくれる弱者男性の方が幸せになれそう!」って考える女子が増えて、婚活市場でも弱者男性が人気になってたんだよ。
「優しい」「浮気しなさそう」「尽くしてくれる」っていう幻想が広まってて、一時期はマジでモテモテだったんだよね。
でも、今だから言えるけど、結局みんなの目的は弱者男性が持つ永遠の命だったんだよ。
弱者男性は「生命の実」を食べた種族だから、人間とは違って老いることがないし、死ぬこともない。
当時の女の子たちは、それを知ってたんだよね。
だからこそ、あえて弱者男性と結婚して、どうにかしてその力を手に入れようとしてた。
弱者男性と結婚した女性たちは、みんな裏で生命の実を狙ってたんだよ。
そうしてブームは終わり、人類はまた永遠の命を求めて新たな手を考え始めたんだよね。
それとも、もう二度と来ないのかな。
学習塾に携わって既に三十年以上が経とうとしている。
これほどのキャリアを積むと、見えてくるものもある。ここでは別に、高学歴だからといって業務において優秀とは限らないとか、そういったことを言いたいのではない。
ここで言いたいのは、高収入を得るのはどのような人間か?ということである。
単刀直入に言おう。
高収入を得られる人間とは、替わりとなる人間が少ない人間である。
だがどの程度居るのか?
資格を取ることによって給料の良い仕事に就けるのも結局はこのためであり、そういった意味においては"学歴"というのは資格のようなものだ。
故に高学歴であっても替わりとなる人間が多い仕事に就けば給料は安くなり、逆をいえば学歴に関係なく替わりとなる人間が少ない仕事に就けば給料は自然と高くなる。
この事実に気付いていない親は、驚くほどに多い。
だからこそ親が子に、将来高収入であることを望むのであれば、目指すべきは高学歴ではない。
代替となる人間が少ない仕事。これに就けるようにすることの方が、子供の個性を伸ばすという意味においても重要なのだ。
昨今の親は学歴ばかりを気にし過ぎている。
だが元増田はモテたいはずであるという推測は間違っているとも言えない。
なぜなら元増田は女はモテることにより便益を得ていると主張しているからだ。
モテることにより金銭的、精神的利益があり、女は女というだけでその利益を享受できるが自分はできない(非モテの男性だから)、
だから女が憎いと書いてある。
つまり推論としてこの元増田が(男のままでも)モテており、高収入の美人女性から愛されてセックス三昧だった場合、このようなエントリを書いただろうか?
答えは否であろう。
「書いていない(主張に含まれない)」ことと「直接的には書いていないが推測できるように書いている」ことは別の話であり、元増田は後者である。
さらに言えば元増田の意見は極めて認知が偏っており、決めつけが激しく、非論理的…というより話が飛躍して論理としては破綻している。
元増田は男も憎むべきだが、元増田は一部の目に入る女だけを憎んでいる。
しかもその元増田が「利益を享受している」と主張する女は女の一部に過ぎないと思うが、元増田は女の大多数かのように根拠なく主張している。
また女がどう受け止めているかの他者理解に極めて乏しい、というよりも完全に否定して逆恨みを正当化すらしているのであるから凶暴である。
要約させてもらった
アラサーの20代女性が、仲の良い中学時代の友達3人のうち2人が結婚し、1人も結婚の可能性がある中、自分だけ取り残されて焦りを感じている。結婚願望は薄く、オタク趣味や地元の吹奏楽サークルの活動を楽しんでいるが、周囲の結婚による幸せを見て焦燥感が募る。一方で、Twitterで「友達の惚気話がどうでもいい」という意見を見て、自分もそう思っていることに気づき、危機感を抱く。友人たちは高収入・高ステータスな環境で結婚していくが、自身は四国の実家で派遣社員をしており、親との関係や経済的な問題もあり結婚への道が遠いと感じる。現状を諦めた方が楽だが、死ぬときに一人なのは嫌だという葛藤を抱えている。
優しくても警戒されるしちょっと足らん感じにあえてするとそういうとこやぞと言われるし
高収入高学歴社会的地位高め清潔感のある話し上手なイケメンになって女の方からアプローチされるようにならんと俺たち平民以下は出会いの可能性はまったくないな
Xで最近見かける「30代またはアラサーの女性がハイスペ年下くんにアプローチされた」というポストを見かけたことなないだのうか?
しかも、相手はただの年下ではなく、高学歴・高収入・高身長の“ハイスペ”な男たち。
「私、まだまだイケるじゃん」と舞い上がるのは自由だ。
しかし、なぜ彼らは20代の若い女性ではなく、30代の女性を狙うのか? そこには明確な理由がある。
そして、残念ながらそれは「純粋な好意」などという甘い話ではないのだ。
1. 「ハイスペ年下男性が30代を選ぶ理由」──手頃な“贅沢”を楽しみたいから
恋愛でも仕事でも選択肢が多く、20代の若い女性からも引く手あまたのはずだ。
では、なぜ彼らは30代女性に寄ってくるのか?
若くてハイスペックな男が20代の女性と付き合おうとすると、それなりに気を遣う必要がある。
20代の女性はまだまだ遊びたい盛りで、理想も高く、相手のスペックだけでなく「楽しいか」「ときめくか」を重視する。競争率も高く、手間がかかる。
一方、30代女性は恋愛経験が豊富で、少しのことでは動じない。
さらに、結婚適齢期というプレッシャーの中で「こんなハイスペ年下が自分に興味を持ってくれるなんて」と内心浮かれてくれるため、男側が少しリードするだけで関係がスムーズに進む。
要するに、ちょうどいい距離感で、手間をかけずに大人の恋愛ごっこを楽しめる相手として選ばれているのだ。
2. 「結婚を口にしても、本気では考えていない」──結局は若い方に行く
ハイスペ年下男性が30代女性と付き合うとき、「将来も考えてるよ」「年齢なんて関係ない」と甘い言葉を並べることがある。
むしろ、自ら率先して「結婚」について触れてくるケースも珍しくない。
これを聞いて安心する女性も多いが、実際に彼らが本気で結婚を考えているケースはどれほどあるだろうか?
結局のところ、20代のうちは「大人の恋愛を楽しみたい」というスタンスで30代女性と付き合うが、彼ら自身がアラサーになったとき、そのまま同じ相手と結婚するかというと話は別だ。
自分も30代になり、周囲の環境が変わり始めると、あっさり20代の若い女性にシフトしていく男は少なくない。
要するに、30代の女性に向けられる「将来を考えてる」という言葉は、その場の空気を良くするための社交辞令のようなもの。
「今は楽しい関係でいたい」「結婚を考えている風を装っておけば安心してくれる」くらいに思っている可能性が高い。
女性側は「この人は他の年下男と違って結婚を考えてくれてる」と期待してしまうが、いざ数年経ってみると、彼は涼しい顔で20代の若い女性と結婚していた──そんな話は決して珍しくないのだ。
3. 「若さへの投資」──30代女性は“自分磨き”を怠らない
30代になると、20代のころよりも外見に気を使う女性が増える。
スキンケアもファッションも、20代の頃より洗練され、結果として「年齢の割に美しい」女性が増えてくる。
ハイスペ年下男性は、そんな女性を「努力して維持された美しさ」として評価する。
20代の天然の美しさとは違い、30代の女性の美は時間とお金がかけられたもの。そこに魅力を感じる男もいる。
だが、それはあくまで「良く手入れされた大人の女性」を楽しんでいるだけで、本質的に「この先も一緒に生きていきたい」と思っているわけではないことが多い。
30代女性が年下男性にモテるのは、決して偶然ではない。そこには、男側の“都合のいい理由”があるからだ。
・努力して美を維持しているので、ちょっと贅沢な気分を味わえる
こうした理由を理解した上で、「それでもいい」と思うなら恋愛を楽しめばいい。ただし、「私、まだまだ若い子にも負けないくらいモテる!」と勘違いしていると、いずれ年下男性が20代の女性にシフトしたときに痛い目を見るかもしれない。
「30代になったら急に年下からモテる」という現象は、裏を返せば「若い頃にはモテなかった層がターゲットにされている」ということ。年下男性の言葉を鵜呑みにせず、本当に自分が何を求めているのかを考えることが重要だ。
生まれた土地を捨てて都会に出ること自体は、個人の選択だし、生活や仕事を求めて移動するのは悪いことじゃないよ。だけど、そこには大きな責任が伴うってことを忘れないでほしいんだよね。
なぜなら、自分が生まれ育った土地から離れるってことは、その地域の社会や経済を支える大切な“担い手”のひとりがいなくなることを意味してるんだ。過疎化が進む地域では、一人ひとりの人口減が致命的なダメージになる。若い人が出ていくほど、地元に残る高齢者だけじゃ地域を維持できなくなるし、学校が統廃合され、商店街もシャッターが下りっぱなしになる。自分たちが子どものころ当たり前にあった風景が、気づけばボロボロになっていくんだよね。
それを「東京のほうが便利だから」「都会で夢を叶えたいから」といった理由で出ていくのは自由かもしれないけど、その選択の裏で誰かが困っている可能性も想像してほしい。そもそも都会が発展し続けるのは、地方から人も資源も奪い取っているからだし、その構造を支えているのは、地元を離れると決めた人たちの行動でもあるわけ。結局、その積み重ねが地方をどんどん衰退させて、東京や大都市ばかりに人口が集中してるんじゃないの?
もちろん、地方に残る選択がすべて正しいわけじゃないし、都会に出なきゃ仕事がないって現実もある。でも、「生まれた土地で生きる」ってことを放棄するなら、そのぶんの責任は負うしかないよね。自分たちの選択が、地元を弱らせているかもしれない、地元を見捨てる結果になってるかもしれないって事実は直視しなくちゃいけない。
もし「地元の将来なんてどうでもいい」「自分が良ければそれでいい」って思っているなら、そういう考えで地元を出る人が増えれば増えるほど、地方は確実に崩壊していく。その現実から目を逸らして「日本は一極集中がひどい」「地方創生がうまくいっていない」なんて批判しても、いやいや、その一端を担ってるのはあなた自身でしょうよ、って突っ込みたくなるよね。
結局、「生まれた土地を見限る」って行動には、快適な生活や高収入と引き換えに、地元を追い詰めるリスクを加速させる責任がセットになってる。地元を捨てた結果、あとから「戻る場所がない」と嘆くことにならないように、本当は一人ひとりが「自分の出身地や地域社会をどうしたいか」をもう少し考える必要があるはずだよ。
その重みを理解していれば、たとえ都会で暮らす選択をしたとしても、地元をどう応援するか、どう関わり続けるかを考えたり、何らかの形で還元したりできるんじゃないかな。そういう意識を持つことこそが、「生まれた土地で生きることを放棄した」人が負うべき責任だと思う。