はてなキーワード: 再開発とは
最近渋谷によう行くことになってるけど、話で聞いてたり駅直でよう目に触れる再開発ビルのいけすかねぇ雰囲気エリアに対してセンター街の汚くて臭い感がいい感じに対抗してるように見えて好感度が上がった
頑張ってほしい
調べた事をメモ
で、予想だけど
こんなところじゃねーかな。
最近IBMはかなり技術力が落ちているって言うか、確かにSystem Z は唯一メインフレームの中で機能追加頑張っててそこはすごいけど、そこをやりすぎてメインフレームのクラウドへのリフトアップ技術とか全然駄目なんだよね。
さらに優秀なエンジニアの狩り場になってて、どんどん人材が流出、結果営業ばかりが肥大化して、クソ案件を取ってきては失敗を繰り返していると聞く。
自宅にいたら泣いてしまうので早めに駅に来てしまって、どの店も混雑してるのでランチもできず駅内の重富でビールを飲んでいる。
今年で31歳、ずっと実家暮らしでずっとメンタルが不安定で病気がちだったから県外、ましてや上京するなんて思ってもいなかった。
テレビ東京が放映されないとかライブが飛ばされるとか、給与の割に家賃や物価が高いとか、ろくな会社がないとかカープ興味ないだけで非県民なんて言われ方をされること、空港の立地が悪いことに嫌気はさしていたけど、嫌々ながらお好み焼きは好きだし牡蠣も好きだし少ないながら友達や行きつけの店、このビールスタンド重富の美味しい生も好きではあった。
出るつもりはなかった。老朽化していく福屋八丁堀店やそごうを見ながら、歳をとるつもりだった。
出る理由は東京に実家を持つ彼氏ができてしまって、その人と結婚するから。
こんな破天荒な私を気に入ってくれて優しくて楽しい人はこれから出会えないと思い、広島を出る決心をした。
広島駅の再開発も楽しみにしていた。市電が2階に乗り上げるなんていまだに信じられない、ってよく話してるけど、これも話す相手いなくなるんだろうな。
年に3回は実家に帰るよとは言ってるけど、多分新幹線の値段の高さや予定の合わなさを理由に帰らないのだろう。
これまでの旧友たちと同じように。
結局不便なりに適応して愛着が湧いているだけで、東京のほうが魅力的に決まっている。
お好み焼きや牡蠣より美味しいものはたくさんあるし、楽しいこともたくさんある。
そのうち広島弁を喋ることもなくなって、じゃけんなんて言わなくなるんだろう。
全国転出率トップ、のニュースすら目に入らなくなって、「そりゃあんな田舎住みたくないもんね」と冷笑するようになるのだろう。
だから今、実家や地元を出たくないと言う気持ちを大切にしたい。
ごめんね、お母さん、貧乏なのに手のかかる子でずっと自殺未遂繰り返していて心配だったよね。
今はどうにか普通の会社員としてやっていけそうだし、私には勿体無い相手に出会えたから、安心して欲しい。
ごめんね妹、友達もほとんどいなくてお姉ちゃんが唯一の友達なのに離れてしまったね。寂しい思いさせてしまうんだろうな、申し訳ないな。
元増田:https://anond.hatelabo.jp/20250119141453
元増田が言うように小田急線は複々線化が遅れ、ラッシュ時の酷い混雑率とノロノロ運転に悩まされていた。
線路脇には中途半端に地上げした空き地が点在し、沿線の民家には複々線化反対の幟や横断幕。通常新宿~町田間は急行で35分だったがラッシュ時は50分。こういう状態が20年くらい続いていた。
ところが1990年代中頃になると一気に地上げは進み方々で工事開始、2000年代になると完成区間から供用されていったのである。
何が起こったのか?反対運動側が折れたのか?
それは首記の「特定都市鉄道整備積立金制度」のせいである。ぶっちゃけて言うと鉄道会社が複々線化事業の原資を貯めるために運賃の値上げをしてよいという制度だ。
この制度の根拠法の「特定都市鉄道整備促進特措法」は1986年施行なのだが活用が進んだのはバブル崩壊後の1990年代前半からであった。
そもそも知っておくべきなのは鉄道運賃が国(運輸/国交大臣)の許可制で、勝手に値上げ出来ないという事である。
バブル崩壊後にデフレが進行するという異常事態に陥ったが、通常の国民経済ではインフレ傾向が定常状態だ。すると鉄道会社やバス会社は運賃を値上げしたい。だが公共交通はインフラであるので値上げは沿線住民が困る。また逆に平行路線との過競争で運賃を値下げして競争会社を潰してしまうとその会社が運行する別路線の交通インフラが無くなってしまう。
なので運賃は国の許可が無いと変更する事が出来ない。運輸/国交大臣は会社の財務状況などを勘案して値上げの許可を出すのである。
という事は、鉄道会社は鉄道事業で金を貯め込んだり株主に高配当するという事が難しいのだ。
同制度は運賃値上げの理由として複々線化事業の積立を認めるものである。
余剰収益を積み立てたらそこに法人税が掛かるものであるが、同制度により積み立て分への課税は回避される。
ずっとゼロ金利状態なのでピンと来にくいが、バブル以前は金利は高かった。しかもバブル時はインフレ加熱を懼れて公定歩合を一気に引き上げた。事業をやっている人は常に公定歩合の上げ下げに気を留めていたのである。(現在は基準貸付利率というが慣習的に公定歩合と言う人も多い)
ゼロ金利であっても、鉄道などの土木インフラ事業では償還期間が長いので利子の負担も重くなる。
本制度が動き出すまで私鉄はどこも複々線化事業が全然進展していなかった。例えば地下鉄有楽町線は新桜台止まりの支線がずっとそのままだった。これは乗り入れ先の西武池袋線練馬駅の工事が手付かずのままだったからだが、同制度が動き出してから後には瞬く間に工事が開始されて一駅だけの無意味な支線は解消された。
一方、JRでは既に複々線工事は昭和の中期に完了していた。これは国の金で工事が出来たからだ。具体的には工事自体は鉄建公団が負担して行い、完成後に国鉄に負債を転嫁するというスキームになっていた。
また、国鉄には地上げ専従の職員と部署があった。新線、線路改良が定常的に行われていたという事である。
例えばJR化後直ぐに東北新幹線の上野~東京間が開通したが、この区間は国鉄が既に地上げをしてあったのでやったのは工事だけだった。
上野東京ライン開通時に「神田付近の地上げが難しくて新幹線の上を通す構造にした」という話を聞いたことがあるかも知れないが、これは国鉄時代の事なのである。新幹線線路上の三階建てにする高架構造も既にその時に決まっていたという事だ。
こうして同制度によって90年代には各社線で値上げと工事が一気に開始され、2000年代には完成して供用されるようになった。
増田は90年代小田急利用者だったが、この為に運賃が値上げ、しかも通学運賃は2倍になった。
更に工事の為に急行退避駅の待避線が幾つか使えなくなった。成城学園前が退避不能になった場合は、経堂から向ケ丘遊園まで各停の追い越しが出来ない。故に急行は各停にすぐに追いついて各駅手前停車列車と化した。大変なストレスである。しかも運賃2倍なのだ。そして複々線化完了する時には卒業していて利益還元ゼロ。理不尽な仕打ちであろう…。
多数の私鉄線が同制度を利用して複々線化を行ったが、一つ事業キャンセルになった所がある。それは西武新宿線で、積み立てをしていたがバブル崩壊後の経済低迷で利用者増の見通しが下方修正となった。それで複々線化の必要なしとの判断になり、積立金は取り崩して運賃に還元、つまり運賃値下げして利用者に還元された。
故に西武新宿線の混雑程度が同制度による混雑緩和限度、つまり利用者受忍限度と見做す事が出来る。
特定都市鉄道整備(特々)には複々線化だけじゃなくて連続立交化もある事に注意が必要だ。
複々線化は原資が運賃積立金、連続立交化は補助金が原資となる(それぞれ事業金の100%ではない。持ち出しや借入、社債発行もある)。
この二つは別事業なのだが、同時に行われる場合もある。小田急の場合が将にそれで、高架化やトンネル化が複々線で行われた。この為に原資としては運賃積立金と補助金両方が入っている。
元増田は「騒音問題が」と何度も書いているが、これは高架化の事だ。同時に行われたから不可分に見えるが、制度と原資の面で違うのだ。
元増田が勘違いしてるであろうのは反対運動の主張のコアだ。当時、沿線のベランダにたなびいていた幟や横断幕の文言は専らが「複々線化は地下式で」だ。つまりは複々線化は前提にして地下式を求め高架式を拒否している。
地下化なら騒音はないし日照問題も無い。工法によってはもしかしたら沿線の住宅が立退きしなくても良くなるかもしれない。そういう見立てだ。
だが地下化は金が掛かるからちょっと困難である。但し東急池上線という都内のローカル線が地下化された事はあるのでそういうのを参考にしたのかもしれない。
元増田は自分で騒音問題忌避の住民エゴを批判する事を書きながらそれを「複々線化反対」と断じていて筋違いである。
線路や道路の計画段階では住民に説明が行われ時に紛糾したりするが、その後の進捗というのは一直線ではない。計画→説明会→地上げ→工事と滞りなく進むものばかりではないのだ。計画のまま何十年も塩漬けになったり資金不足で地上げがチンタラ進まない場合もある。小田急複々線化は将にこれに該たる。
だから反対運動の方も計画段階で反対している時と、事業側がやる気になって金突っ込んで工事内容を策定するような「詰めてきた」状態での反対では温度差がまるで違う。
また反対の内容も計画自体に反対から補償金や公共施設の築造を求める、曳家で引っ込めたいから工事業者や銀行紹介してくれなどに変わったりする。その上で強行的に反対する場合もある。
でもネットフィルター通すとこういう各段階での温度差は見えなくなって、一律反対派住民となってしまう。土地とか持ってない人間が集まって集合意識を形成してしまうのだ。元増田もその気配がある。
自衛隊の東富士演習場に食い込むように未収用の土地があるのをご存じだろうか?ここではやはり収用反対運動が展開された。
その未収用の土地の一角を所有する人の下で働いたことがある。所有と言っても親戚兄弟姉妹で共有になってる山林だが、この人の家には収用の役人が一度も来た事が無いそうである。だから一見揉めてそうで全然揉めてもいないし交渉自体行われた事が無い。
だがネットではその辺の事が判らずに「反自衛隊的な人間がごねている」と書かれているのを見た事がある。そういう事を書く人は自分が住む家が何十年も前から再開発地域になっていて説明会がたまに開かれていても判らないであろう。
鉄道会社は運賃許可制により過剰な儲けが出せない仕組みになっており、また普通の経営的にも蓄財には課税され借入は経営上のリスクになるので莫大なコストが掛かる複々線化はまるで進捗しなかった。
そこで特定都市鉄道整備積立金制度がスタートして運賃値上げによる非課税積立が許されるようになり各社一気に工事が進捗しほぼ完成した。
同じ特々事業の高架化(連続立交化)と同時に行われて混同しやすいが制度と原資の調達面で違うもの。
反対運動と言っても地上げの各段階で温度差があり要求も変化する。
「地面師たち」とか「正直不動産」とか好きな奴は絶対おもしろいから見ろ。
札幌の一等地の土地が再開発のために更地になるまでのドキュメンタリー。
1000番地 土地と人間に関するリポート - ETV特集 - NHK
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/8Q2XZWK77X/
札幌中心部、絶好の立地に810坪の真四角の土地がある。明治時代に屯田兵が開墾し、「1000番地」と名づけられた土地。築98年の長屋が駐車場の中にポツンと建つ。居酒屋などが入り、長年、酔客を迎え入れてきた。ただ不動産業界では“眠った土地”として有名だった。4月、再開発のため、更地となった。150年前は原生林だった土地。そこから始まった人間たちの数奇な運命。土地をめぐる「有限であり無限な価値」の物語。
登場人物がみんなキャラクターがしっかりしてて面白いんだ。居酒屋のママ、地元の不動産屋の親父と二代目、東京のタワマンディベロッパーの社員、土地を開墾した開拓者の子孫まで取材する。
散々擦られたネタかも知れないけど、まあやっぱり最大の特徴は「自分は騙されないぞ!」って意固地になってるってところだよな。
そんでもって、こういう人が一番に陰謀論に落ちる瞬間って、「うわ!騙されてた!」って感じた瞬間だな、と。
最近、地域の再開発説明会に参加してるんだけどさ、話が長いじいさんがひとりいるのよ。
で、そのじいさんっていうのは、「私だけが気づいている真実がある」って感じでずっと喋り続けるのだけど、周りからすればそんなことはわかった上での今の話し合いって感じで、いつも白い目で見られてるわけ。
普段ならいいんだけど、たまに本当にその人に感化されちゃう権利者さんとかがいて、そうなると周りは否定を始めないといけなくて、それっていわゆる「ないことの証明=悪魔の証明」なので、どうしても説明する側の根拠が弱く見えてしまう。
お察しの通りそうなればそのじいさんはますますエスカレートして、で、結局説明する側は持ち帰るっていう手段しか残らない。
そこまではいつもの風景なんだけど、この間の会合で、「あ、この人今フィルターバブルに落ちた!」って如実に感じる瞬間があった。
それが最初の「うわ!騙されてた!」って実感しちゃった瞬間だったわけ。
いつものようにそのじいさんが主催側に質問を投げかけてたんだけど、じいさんにしてみれば外堀を埋めるような感じで質問を投げてたっぽくて、それでいくつかの条件が揃ってしまったんだと思う。
それに対して主催者側が返答に詰まったと感じた瞬間に、じいさんの語調が明らかに気色ばんだのよ。
「そらみろ!わしはお前らの欺瞞を暴いたぞ!周りもよく聞け!これがこいつらの正体だ!」って、直接口にしたわけじゃないけど心の声が漏れまくってたわけ。
事実は全然違うのよ。理解がある人間は全部わかってるから、面倒くさいだけなので否定もしないだけ。
でもその沈黙さえも彼にとっては自らのたどり着いた真実を後押しする状況証拠としか感じられてない様子で、どんどんと目がキラキラしていく始末。
「相手が権威側である。」「我々の権利を食いつぶそうとしている。」「そのためにいろいろな手段で権利者を騙そうとしてる。」この辺り、陰謀論を疑うための事前条件が揃ってたってのもあると思う。
多分、自分が映画の主人公にでもなったような感じだったんじゃないかな。
抑えきれない高揚感がダダ漏れになってる感じで、ものすごく興味深かった。
この人の場合は「ネットで真実」ではなかったんだけど、自らが疑っているものに対して自分だけが真実にたどり着いちゃった系の啓示を受けとっちゃった感がすごいのよ。
これは素直にうわーって思った。
まぁとっくに向こう側に行ってただけなのかもしれないけど、こうやって人は自らが進んで陰謀論に飛び込んでいくんだなって瞬間を見れたのは正直貴重だと思った。
めでたくその人はバケ物化しちゃったわけだけど、これで今後の再開発が大きく足止めされることが決まったような感じなので、これからどうなっていくんだろうねぇ。
身バレしないように詳細は伏せたけどおそらくどこにでもある話なんじゃないかな。
普段から騙されないぞって意固地になっている人が、いざ「やっぱり騙されてた!」って感じてしまったときは、磁石のNをSで押し出すくらいに簡単に陰謀論側にすっ飛ぶんだなって瞬間を見れた貴重な経験でした。
みんなも気をつけてね。
コロナとインフレで駅近辺の入れ替わりが活発になりカレー店が増えてきた
のでリスト入替
いつもの。平和通り再開発で他の店が引っ越ししたり廃業したりする中、火事で全焼から復活しても一切変わらない
ルフロン2Fフードコート内。スープカレーが比較的安価(豚角煮入れて1200ぐらい)
地下街アゼリア。昔はスタンドカレー屋なんてここしかなかったので、みんなここでカレー補充してた
以前は立ち食いソバ屋並みの価格だったのがメニュー変更とインフレで否応なく値上がりし
また駅ホームからバス停への導線が地下街を経由しなくなったのもあり
魔法が解けてしまうと、あえて立ち寄ろうという気がしなくなるぐらいの普通な味
ミューザの裏通りエリア。オサレ・こだわり系。他との違いはよくわからん
かつてヨドバシ奥にあったカフェハイチのカレーが食えなくなったので、そういう気分のときはフラッと行きたくなる
怪獣酒場の向かいのタイ料理屋。ビル地下だが地下街から行ける。猛暑でタイカレーに頼りたくなったときの駆け込み寺
砂子通り入口。松屋が移転してマイカリー食堂併設になり松屋カレーをいつでも食いたいときに食えるようになったが
いざ食えるとなると足が遠のきがち
砂子通り八丁畷方面。以前は激狭クラブだかスナックだか間借りの昼営業に行列の店だったのが移転
カツが売りのカツカレーの店だがカツをカレールーで食わないように注意書きがそこかしこに書かれてる
国道15号沿いに新店開店で駅から徒歩圏内についに。なのだが今一つ寄れてない
思えば浅田店に寄るときは外仕事でそこそこ消耗した帰り道ストレスをカロリーの暴力で吹き飛ばす目的だったので、
駅近辺を歩くようなタイミングだと気分的に入りにくいのだろう
仲見世通りのビル3階エレベーターなし階段のみ。バングラデシュの方だが日本語上手い。暇なら話もいろいろできる
テーブル席メインの店なのだが平日の夜に行くと男一人客が入れ替わり立ち代わり酒も頼まず黙々とビリヤニやカレー食ってく
ラーメンマニアがマニアックな店でラーメン食うってこんな感じだろうか
噛んでるっつーの。
まず合併するとな、町役場とか公共施設の病院とか、村や町につき1個は欲しい系の施設が、1個でよくなるだろ。その一個はどこにおくのか? 新しい役場の周辺だよね当然。全部1箇所におく。
これによってだな、お前のいうところの「地域の住民をギュッとまとめる」.場所をどこにするのか、という調整が完了してるんだよ。従来の自治体の垣根を超えた調整がね。
もめにもめたわ。中心はどの自治体なのか、そこから外れたら田舎の地元は将来どうなるのかで。
まあ、役場建て替えたり集約化したりなんだりは、ほんの数年前に終わったとこだがね。合併特例債の期限がちょうど過ぎたとこだから。今、やっとその周辺の再開発するかってとこだよ。計画だけは、どこの自治体にもあるよ。調べてみるがいい。
去年、港区の港南地区の築古のタワマンを買った。30代前半で独身だもんで、頭金出すのにほぼ全財産はたいて、これからほぼ死ぬまでローンだ。港南で古いタワマンなんて数えるほどしかないから、わかる人にはバレバレだろうけど。底辺サラリーマンが強引に背伸びした感じ。
普通なら「独身のうちから身の丈の合わないローン組むとか正気か」って話なんだよな。ただ、俺はそれで人生が救われているとしか思えないんだ。
2年前から会社との関係が最悪。ジョブ型雇用なのに、ある日突然「君の能力を活かせる場所があるから」とか意味不明な理由で、まったく関係ない部署に飛ばされた。教育?サポート?そんなもんあるわけない。1年半くらい必死にやってみたけど、当然ポンコツ扱い。自分でもわかるほどなんもわからない。とはいえ、頑張ってるのに「まだまだだね」とか言われ続けてさ。なんなんだよ。
深夜や土日といった空いた時間は酒飲みながら勉強してる。転職しなきゃって思うけど、今の状態で面接とか無理。というか履歴書の職務経歴欄になに書けばいいかもわからん。本職からすれば2年も何もしていない人でしかない。酔いながら「俺って何ができる人間なんだ?」とか考えてる。
プライベートもめちゃくちゃだ。会社のせいで忙しかったり精神状態が一定じゃないのもあるけどほかにもいろいろあって、人に会うのも嫌になって、誰とも連絡取らなくなった。結婚や子どもなんて夢の話のようにしか思えない。
はたからみたらまるっきり鬱でひどい精神状態に見える感じじゃないかなーと思う。
ただ、夜になってベランダから街見てると、なんか気持ち落ち着くんだよな。再開発で次々新しいビル建って、地価も上がってって。俺の人生は停滞してるけど、この街は確実に上がってく。俺の代わりに成長してくれてる気がする。
この街見てると、子育ての気持ちがちょっとわかる気がする。自分はしょぼくても、大事なものが育ってくの見守れるの、それだけで救われる。俺にはもはや子どもなんて望めないからこそ、余計に。
昨日も「あー死にてえな」とか思いながらベランダから街を眺めると、高輪ゲートウェイの駅ビルの明かりが見えた。来年の3月から開業するためのその明かりの瞬きを見ていると、すごく安心した。この街には、まだ見たことない景色がいっぱいできる。それぐらいは最後まで見届けたいなーと思えるんだよな。
人って誰かに認められなくても生きていける。でも、なんか信じるものないと無理。今の俺にはこのマンションと街しかない。はたから見ていると、街と自分の人格を同一している異常者だろうけど、このタワマンのローンは俺の命のローンでもあるんだ。
1000番地 土地と人間に関するリポート - ETV特集 - NHK
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/8Q2XZWK77X/
札幌中心部、絶好の立地に810坪の真四角の土地がある。明治時代に屯田兵が開墾し、「1000番地」と名づけられた土地。築98年の長屋が駐車場の中にポツンと建つ。居酒屋などが入り、長年、酔客を迎え入れてきた。ただ不動産業界では“眠った土地”として有名だった。4月、再開発のため、更地となった。150年前は原生林だった土地。そこから始まった人間たちの数奇な運命。土地をめぐる「有限であり無限な価値」の物語。
立ち退かされる居酒屋視点だけでなく立ち退かせる不動産屋やタワマン建てる開発業者の視点も入る。
さらには屯田兵の時代まで遡って原生林を開墾した人の人生を追いかけ台湾にまで飛ぶ。
必見だわ
波が引いたような気がするが、乗ってみる。
スタンダードを作った車、塗り替えた車からの選択の10選は、選外を含めてそれほど異議はない。
しかし自分なりに選べば違う別の10選ができるかも、と思ったが……
選ぶべき「スタンダード」が多すぎて収拾がつかなくなった。
方針転換して、「どんな車がスタンダードなのか」にしたら、若干は絞り込みやすくなった。
知名度・生産期間・累計生産台数・派生車種の多彩さを考慮して選考。
ライセンス生産車も同じ車種として扱い、シリーズ終了年もそっちの方を採用。
もちろん独断と偏見だが、ほぼほぼ定番の車ばかりなので、技術的な解説は無し。
生産台数はそれなりだけど、頑丈で車両寿命が長いので、時代を超えちゃてる。
ヘンリー・フォードはモデルチェンジを一切認めず、生産設備等をこのモデルに全振り。
長寿車になってしまったのは、第二次大戦後の復興期にモデルチェンジが後回しされたため。
とはいえ、外観は古風だが、性能的には最終期まで競争力が有った模様。
エンジンとトランスミッションはHトラックに転用された(物理的にも180度回転させている)
メキシコは1955年のノックダウン生産開始から2003年の最終モデルまで、ずっと作り続けていた。
同国でも「国民車」
ライバル車は、車オタじゃない一般人にとっては「ベンツのジープ」「トヨタのジープ」「イギリスのジープ」だ。
ライセンス生産を最後まで続けていたのは、インドのマヒンドラ社
自社ブランドのマヒンドラ・タールは、外観・装備をラングラーに寄せているが、中身はおそらくそのままだろう。
現在の売れ筋であるRV・ミニバン・SUVは、そもそもが素人お断りな「はたらく車」がルーツ。
アメリカだと税金の安さもあってピックアップトラックも含むが、「はたらく車」を「自家用車」的に使う人が多数存在した。
メーカーがそれに気づいて一般向けに再開発した、という歴史があるのでジープと共に選出
公式では、ブラジル生産のコンビ(KOMBI)2013年モデルで生産終了とされているが、個人的には2006年空冷エンジン廃止で終了な印象
ベースは1956年英国のモーリス・オックスフォード シリーズⅢなので、この位置
自動車産業黎明期から人々はレースで競い、「スポーツカー」というジャンルも早々に誕生。 皆が公道最速最強を目指し、開発を続けてきた。
エンジンを大きく、空力ボディ、軽量化、効率的な駆動方法、サスペンション、タイヤなどに最新テクノロジーを詰め込んでいくのが定番、と思っていたら…
当時のレーシングカーを公道仕様にしたら、究極のスポーツカーになった
ライセンス生産した国は ソ連/ロシア・インド・マレーシア・スペイン・ブルガリア・トルコ・韓国・エジプト
ソ連/ロシアのラーダVAZ-2104ステーションワゴンが最終モデルらしい。
あれこれを全部足すと、生産台数はフォードT型を抜いて単独2位
都市伝説だが…
フィアット社がイタリア共産党の仲介でソ連とライセンス契約を結んだとき、ソ連産の鉄鋼をイタリアに安く輸入できる契約も同時に結ばれた。 その鉄の質が悪かったため、イタ車は錆びるようになった…
正体は7代目サニー(B13)
FF化された5代目サニーをメキシコ工場で作ったのが初代ツル。 3代目までは普通にモデルチェンジされてきた。
しかし8代目サニーは北米と同じセントラ(Nissan Sentra)を名乗り、4代目ツルにはならなかった。
2階建てパワートレイン・ラバーコーンサスペンション・10インチタイヤは、「スタンダード」とはちょっとちがうのでわ
イランで最近まで生産されていたが、昨今の経済制裁の影響で終了した模様(フランス語Wikipedia情報)
・DSは1962年にド・ゴール大統領を救ったエピソードが好き。
インドのアンバサダーやメキシコのツルは、ほぼタクシー専用車。