はてなキーワード: 外国語とは
親が英語教育だと言って幼稚園の頃から英会話教室にぶち込まれた。
当時の自分は嫌というよりも、英語という言語が謎で何に使われていて何のためにやっているのかわからなかった。
日本語と文法が違うのが理解できず、主語?述語?なに?とずっとなってた。
親は家庭内で英語を急に出してくるし何回一日で「?」ってならなきゃいけないんだろうと思っていた。「習ったじゃない」と言われても何の話なのかわからなかった。四六時中考えることばっかりでいつもイライラしていた覚えがある。
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しかし小さい頃は中国語なんて話せないし、方言やら早口やらでみんなが何言っているのか謎だった。漢字も簡体字だし、わからない。
母は覚えさせたいのか中国語で話しかけることもある。わからなさ過ぎて「?」ってなっているとため息をつかれて「これもわからないか…」と勝手に失望している。
強制的中国語シャワーで兄弟らと一緒に謎の地で謎の孤立と謎のいら立ちを覚える帰省だった。親戚と対話はできず、母がいない状態になったら本当に死を感じるほどだった。
小さい頃は母に失望されるのが嫌で聞き取ろうとしても「私」が「我」ということだけで精いっぱいだった。
小学校の漢字や九九を覚えられずに居残りで覚えている状態の人間に、どんどんと新しい外国の文法と単語を教えてくる。覚えられないよと思っていたが嫌がると「せっかく教えているのに。もったいない」と言うので覚えるフリだけした。父も「もったいない。覚えれば得なのに」と逃げ道はなかった。
そして中学受験で国語の文法が最悪だったのを覚えている。敬語とかも。
『お家で会話する?』って先生に言われたことがあった。当時は食事中もいつも賑やかに話しているからそうだと頷いたが、きっとあれは『日本語がおかしいから、会話をしていないのではないか』と思われたんだと思う。
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まぁそんな感じで育ったのだが、中学の時点で英語はゴミな成績、中国語も你好と謝謝くらいしか知らん。
必死に英語を勉強してもそもそも日本語訳の文法でバツをくらう。選択肢も間違え、解説を読んでも日本語がそもそも理解できなかった。読めないのではなく、接続詞等で混乱していた。
脳内で変換バグが起きているのか、選択肢AとBはどちらとも長文からしてあり得るじゃん!と思って解説を読んでもAとB一緒じゃん!となって堂々巡りばかり。
高校の時小説を書くことがあったのだが、それをネットにあげた時についたコメントがある。
ショックだった。しかもエゴサしたら最悪な文章として『おそらく中国人が書いた』と掲示板に晒されていた。
『作者さんはもう少し文章を綺麗にできたらいいですね。変な脱字や文法が気になります』という真面目な批評の方が辛かった。
でもネットのコメントなんてそんなもんだと思って無視していた。
が、授業でレポートの添削を返された時に『句読点と「がをはに」がおかしいです。読み直しましたか?』とコメントされた。
ショックすぎて一人で泣いてしまった。これが一度や二度じゃない。
先生に指摘される。しかも高校になって。小学生ならもう少しダメージは少なかったと思う
自分でちゃんと、何度も読み返しても、読み直しても、何も違和感を覚えなかった。何が違うのかわからず、先生に聞いても『ここ違うけど(なんでわからないの?)』とリアクションされ、いかに自分がやばい状況かを感じてまた泣いた。
『前から気になっていたけど話し方(文法)がちょっと変じゃない?』
日本で産まれて日本で育ったのに、日本語がこんなに壊滅なんて。
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そして「あ~あ、せっかく母さんは英語も中国語も話せるのにお前らは覚えなかったなwwもったいな~ww」と父が事あるごとに言う。兄弟全員に向かって言う。受験中も、一緒に食事をした帰りにも、外国で活躍する人がニュースになったときも、思い出したかのように急に言う。母も同意して「そうよね~」「どうしてかしらね~」とぼやく。
でも父さんは話せていないと反論すれば「俺はこどものころからじゃないし」と言い訳する。母は「語学楽しいのに。私なんか身近に話せる人がいなかったけど、こんなに話せるようになったのに」と言う。
いつも「そんなの人による」と、不快だからやめてほしいと言っても止めない。「覚えれば得だったのに」「頭の良くない家系ってわかったよ」「英語できなかったのは事実じゃないか」と子を遠回しに馬鹿にして、自分のことを棚に上げる。
「そんなことより日本語を教えてほしかった。いろんな人からお前の日本語がおかしいと言われ続けた。バイリンガルだろうがトリリンガルだろうが、母国語がまともじゃないが一番嫌だ。一番傷つくんだ!小さいころから英語教育やら外国語の教育なんてただ混乱して終わっただけだった。母国語すら知らないのに外国語がわかるか!
それを子のせいだけにするような発言は二度とするな!なんで母さんや父さんは自分のことを棚に上げているんだ!」
親は黙った。明らかに目を反らして別の話題を始めやがった。一言「ごめんね」って建前でも欲しかったのに、結局そんなのは自分勝手だったんだなって思った。親のせいにしているだけなんだって。
でも兄弟だけは「そう思ってた」「あの発言いつもムカつくよな~」「他人事すぎるよな」とあとで教えてくれて、それだけが救いだった。
改めて日本語を勉強し直している。そんなこと知らなかったということばかりだった。接続詞って難しいね。「がをはに」って難しいね。カタカナって難しいね。
最近、ようやく会社で「増田さん、文章書くのが上手いね」と言われた。ようやく。ようやくだった。ようやく終わったんだなと思った。
今書いているこの文章も変なんだろうか。自分じゃわからない。また「へたくそ」って言われるかもしれないけど、吐きたかった。終わらせてくれ。
彼女との思い出を振り返りながら、今後の趨勢を占おうかと思う。
彼女との出会いは今から8年前、2016年12月の中頃のインターネットの片隅の掲示板だった。
今思えばあの出会いは偶然だったのか、それとも仕組まれたものだったのか。
どんなタイトルで投稿されたスレッドだったかも覚えてないがとにかく興味を惹かれたのは確かだ。
3Dの2次元少女がバーチャルユーチューバーと名乗ってユーチューバーっぽい動画をやっている。
どこの誰がどんな目的で企画したんだろうと思って調べても全然情報が出てこない。
手元にある情報は立ち上げられたばかりのTwitterアカウントと古めかしいデザインの公式サイトだけ。
懐かしさを感じる公式サイトを見てちょっと面白いと思いながら隅から隅まで探したが、本当に情報がない。
そのころのAIといえばSiriやりんなだった。音声発話はスムーズでないものの流暢に破綻ない文章で応答することくらいはできていた当時の技術から考えてもギリギリ信じられそうなレベルの動画をあげていた。
AIが出力した回答を声優が演じているのかななどと思いながら。
そして3DCGを使って声優にコントをやらせるアニメが好きだった自分が彼女にハマるのは時間の問題だった。
動画がアップされるたびにスレを投稿し、しまいには専用の板まで作った。
「すごい。これぞシンギュラリティ」と呟いたNewsPicksのコメントを見つけて社長のFBを特定したりしたものの多くは謎のままだった。
着実に増えていく登録者、外国語だらけのコメント欄、そして突然のチャンネルBAN、からの復活。
それまではYouTubeを見る習慣がなかったのに、気づいたら毎日更新を楽しみにしていた。完全にハマっていた。
ある日彼女が初めてリアルイベントをやるという。アニメジャパン2017。ある企業のブースを間借りしてなんかやるらしい。
一体何をやるんだろう?どんなことができるんだろう?もし本当にAIなんだったら(AIじゃなかったとしても)どんなふうに振舞うんだろう?
高速バスに乗って何時間もかけてビッグサイトについた。小雨の降る日だった。傘を持っていなかった自分は長い長い入場列に並んでいる間にびしょ濡れになった。
45型くらいのモニターに彼女が映っていて、その前にマイクとwebカメラがあった。
その横には金髪パーマの眼鏡の男性がハンディカメラを回していた。
雨に打たれてあまりにもみすぼらしい格好をしていた自分は、映りたくないなあと思いながら様子を見ていた。
彼女と軽く話し、ジャンケンをして、勝ったら物真似をやってくれる、そんな感じの企画をやっていた。
オーディエンスは15~30人くらいだろうか。得体のしれない存在に、興味を示しつつも、遠巻きに眺めている人が多かった。無理もない、彼女はまだ無名だったのだから。
それでも彼女は積極的に呼びかけて、場を盛り上げていた。ピカチュウのモノマネが上手かった。遠くを歩くコスプレイヤーに大声をかけて呼び止めて呼び込んだりもしていた。
コミュ力が高い。これはAIではない。人間だ。今の技術でこれは無理だ。
そう確信は持ったのだが、でも彼女がAI然たろうとする振る舞いは徹底していた。
相変わらず社長の名前と会社の名前くらいしかわからなかった。でも「アニメキャラの姿をしたAIがYouTuberをやっている」というノリに対して本気なのは伝わってきた。
一体彼女はこの先どうなるんだろう?どんな展開が待っているんだろう?興味はますます深まった。
似たような3Dキャラのユーチューバーが次々あらわれVtuberはもはやジャンルになった。
徹底して謎に包まれていた彼女だったが、休眠してからようやくネタばらしが始まった。
当時の関係者たちが当時のことを語り始めた。
いつか明らかになってほしいと思っていたので、うれしいことだと思う反面、ああこれで彼女の物語も終わってしまったのだなと寂しくなった。
徹底してAIであろうとするのをやめてしまったわけなのだから。
そんな彼女が今宵復活する。
かつての栄光は見る影もない。
ひっそりと復活する。
何を見せてくれるのだろうか?
当時の技術では不可能だったことが今ではできるようになっている。
本当に本当のAIとしてYoutuberをやることもそう難しくなくなっている。
そうなるのだろうか?
それとも休眠する前のようにアバター配信者のような活動をするのだろうか?
マネタイズできるんだろうか?
後発企画をことごとく失敗させてきた会社だけに不安が大きいがやはり楽しみではある。
新しい物語を見せてほしい。
それとReworkの曲、めっちゃよい。ぜひ聞いてくれ。
人や動画やアニメーションのプロデュースでは散々だったけれども音楽方面のセンスだけは外さなかったように思う。
いま活動するVtuberやそのファンからしたら、一度栄光は得たものの、その後ぐちゃぐちゃになって徐々に人気を落として、晩節を汚した彼女のことなど歯牙にもかけないかもしれない。
しかし彼女がバーチャルユーチューバーという概念を打ち立てて、1つの城を築き上げなければその後のフォロワーも生まれなかったことを考えると、100年後くらいにはVtuber神社の神として祀り上げられてるのではなかろうか。
英語等の外国語にも対応していたので、自身が話せる言語である英語モードを見てみたが、酷かった。日本語わからない客にとっては実用性が無いといっていいだろう。
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すかいらーくグループに入って、グループによる多様な顧客をもてかす基準が導入されるのかなと思いきや、こんなもんなのか。「英語モード搭載。ヨシッ!」とでもいうつもりじゃないよね?注文システムを外注した下請け開発業者に任せっきりな様子が目に浮かぶ。他の言語の出来栄えはわからないけど、各言語の話者に言わせればきっと似たような感想が返ってくるんじゃないかな?
伊藤詩織さんに対する「普通の日本人ならば」って、そんなに変な言い回しか?
帰国子女で外国語が堪能で、日本に居辛くなれば海外移住を選べるような人が、「普通の日本人」じゃないのはそりゃそうじゃないの?
どう考えても「特別な日本人」、特別に恵まれた特権階級だよ。普通なんかじゃない。
海外の日本を出る事など叶わず性被害に遭っても同じ場所で生活し続けるしかない一般の日本人女性とは違うのは事実でしょう。
同人界隈での「ノマカプ」呼び批判と言い、「普通」という言葉には単に多数派、何ら取り柄のないその他大勢という意味しかないのに
勝手に変な要素を付け足し過ぎだと思う。
「普通の日本人」というのは、「特別な日本人」よりも劣位にある立場なのに、この言葉を非難する人達はまるで「普通の日本人」の方が上かのような認識でいるから違和感がある。
中心街から少し外れたところにある、ちょっと上品な住宅街みたいなところの、幹線道路に接しているような、いい感じの店に行きたい
光属性といいつつ、実際の色調が必ずしも白とか黄色とかの光っぽいものである必要はない
つまりはシャレていて、ガラス張りだったりして、明るくて、清潔な雰囲気があると嬉しいということ
業種としてはケーキ屋・ベーカリーあたりがメインで、あるいはイタリアンレストランなんかでも悪くはない その場合、イタリアン惣菜のテイクアウト販売をしていてほしい
普段あまり馴染みのないような、本格的で美味しいものを売っていてほしい
店名はカッコいい外国語であってほしい
ここらで具体的なイメージをあげてみる
https://tonarinoyj.jp/episode/2550689798287081413
店そのものの描写は意外と少なくて、商品のほうにフォーカスはあるんだけど、ロケーションとか店名とかは理想的だ
強いていうなら、野外に対して直接ショーケースのある完全な路面店ではなくて、ガラス張りで開放感はあるが販売自体は店内で行っている方が嬉しい
https://maps.app.goo.gl/xnZtQLUH67hsWjpf6
こうしてみると記憶より全然白くねえけど、なんだろうな、清潔感とかオシャレ感を総合的に鑑みたときに、属性として"光"か"無"か"闇"の三択でどれか?といったら、多くの人は"光"と答えるだろうと思う
こういうことなんですよね
https://maps.app.goo.gl/d36sYKdT9SGVJwk16?g_st=com.google.maps.preview.copy
これはストリートビューだと路面からの距離がありすぎてあんまり良さが伝わらない気がする
こういう、郊外…というより壬生川はシンプルに田舎な感じだけど、とにかく道が広くてゴミゴミしていない空間にある、明るいケーキ屋、そういうことですよ
グランメールはチェーンってわけでもないみたいだけど、個人店っぽい雰囲気もない
こういうところは入りやすいのも嬉しいですね
これまで行ったことのある店をいろいろ見てみたけど、意外とこの欲を正面から満たすような店は少なかった
つか、いろいろ注文つけてるけど、たぶんシャトレーゼでいいくらいなんだよな、実際
そういう店に行くのってどちらかというと気分がいい時が多いので、プラスの感情と体験が紐づけられてるというのもありそう 長時間残業のあとはこういう店は閉まってるし、落ち込んでるときにケーキ買いに行く元気はない
結局ケーキやパンを買いに行く元気がほしいという話だ!って側面はあると思う
昼下がりに行きてえんですよ
光属性の店でケーキとクッキーかなんか買って、植物園でクッキーだけ食う あるいは、植物園でしばらく過ごしたあとにケーキを買って帰る
そういうことをしたい それが人生に必要なコンポーネントである気がする
ただまあ、植物園は実際のところ数が少ないんで、諦めた方が良さそう となるとケーキ屋だけは人生の条件として死守する必要がでてくる
洋画は絶対に字幕で見たい派だったんだが、映画を見るベースが配信系に偏っていくにつれて考え方が変わってきた。
アマプラとかで古い作品が見放題だったりするので、字幕で見た後に吹き替えでも見てみるかと軽い気持ちで見れる。
そしてその結果字幕版で具体的にどのへんのセリフが割愛されてるのかなどの比較が容易になっていった。
細かく言えばジャンルによって変わるんだけど、ざっくりで言えばアクションものなんかは字幕で全然良い。
でもSFとか政治物なんかだと細かいセリフで説明されてる部分もあったりして、違いがけっこう感じられる。
人間ドラマでも端折られるのはあるけど、そこは意外と登場人物に対する解像度みたいなのは思ったより変化はないと思ってる。
セリフそのものより本人の表情とかニュアンスで伝えてる部分が大きいのかもしれない。
しかしジャンルによっては吹き替えの情報量に魅力を感じるようになってしまった。
少々目を離しても音だけである程度追えるという点も、配信で見てる分にはわりとメリットはあると感じられる。
ただどうしても気になる点はまだあるのだ。
吹き替えでいやなのは吹き替えの声の演技が気に入らないというのがある。
どうして未だにテンプレ演技みたいなのばかりなんだろう。今って声優って大人気職業なんだろ?なんで映画界でもっと幅のある吹き替えが増えないのだ。
ネイティブでもないのに外国語で話す俳優の声の演技なんてどんだけ伝わってるの?と言われても、感じられるのだから仕方ない。
やはり表情のニュアンスとともに発声のタイミング、声色、話し方というのは演技の中に含まれる大事な要素なんだと思う。
ある程度有名どころの俳優に関してはすりこみもあるとは思う。この役者はこういう声というイメージがついてしまってるので、
吹き替えされてもいや全然話し方も雰囲気も違うし!と思ってしまうのだ。
そういう意味ではテレビで何回もやってる洋画なんかは、吹き替えの声でイメージが定着したのもなくはない。ジャッキー・チェンとか。
ただそういうのは稀で今はそもそもテレビで洋画見ることも少ないので、やはり吹き替えの声の演技が物足りない。
というわけで、最初は字幕。その映画がすごく気に入ったら吹き替えでも見直してみるというのが徐々にルーティン化してきた。
これは海外ドラマでも同じくなんだが、ドラマになると長いのでまあけっこうしんどいとこもある。
ただメリットも少しあって、翻訳がどうなされてるかの理解を深めるという点では興味深いこともたくさんある。
例えば「その制御装置を解除するには空気を遮断するための水分が必要になる、しかも不純物のない状態で」というセリフに大して「制御装置の解除には水が必要よ」とだいぶ端折って説明されてるとする。
これはストーリー上「空気を遮断するために」はいったん端折っても問題はないのだけど、ディテールとしての説得力は増す。
見てるほうは「なんで水が?」と思うんだが、まあなんか水が必要なんだろうなで終わらせることになる。
吹き替えがあることで、なるほど細かくはそういうことだったのかという納得があり面白いのだ。
さらにそれの延長で、英語字幕もちょっと見てみようかという気になってくる。
この言い回しはなんか違和感があるんだが、みたいな時に英語でのセリフを辿り和訳するなどしていくと、ちゃんと意味が理解できるということもあったりする。
この辺の言語への興味と学びが副産物的に生まれるのがなかなか面白い。
元から英語の勉強に英語字幕で見るといいっていのは聞いたことがあるけど、吹き替え+英語字幕というのは学習リソースとしてかなり楽しく学べそうだ。
というわけで雰囲気重視でずっと字幕派だったのが割と吹き替えにも寛容になってきたのだ。
自分が知らない、守ってないマナー→無意味、不合理、押し付け、マナー講師死ね
自分が知ってる、やってるマナー→常識、当たり前、やらない奴はお里が知れる、育ちがわかるよね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250129200027
ねこまんまには下品だの育ちがどうだのマウントコメがいっぱいつくけど
「コース料理を初めて食べた」というカップルが9割…婚礼業界で常識化する「残酷すぎる経験格差」の実態 試食会参加者の多くがテーブルマナーをまったく知らない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/69904
コース料理のマナーの話になるとコンプレックスを刺激されるのかブチギレ猛反発
他にも「字の汚さ」は言い訳するのに「箸の使い方」になるとマウントするという性質も持っている
shiroikona333 箸の持ち方だけで判断はしない。だけど、食べ方が汚かったりゴミをポイ捨てしたりするような人は箸の持ち方も正しくない率が高くてああやっぱり、と思うことはある。
shiroikona333 そうだよ見本の真似が出来ないんだ。書いてある線をなぞるのも厳しいんだ。ものすごい時間と労力をかければ出来るけどそうしたら他のタスクが何一つ出来ないんだ。うちのASDの息子の話だけど。でも優しい子だよ。
demcoe 箸の持ち方すらキチンと子供に教えないのはネグレクトだって言ってるでしょ。結果としてうまく持てない子供はかわいそうだが大人になったら自分でマスターできるでしょ?
demcoe 私は困ってないから
neogratche テーブルマナーもそうだけど基本的に自分の階級を示すためのものだから気にしない人と気にする人の乖離が激しいのも仕方ないのかもね
poliphilus 表立って態度には出さん。が、やはり残念がっかりだな、という気持ちは大きい。こんな簡単に直せるものをどうして?という気がするし、擁護発言を見てもなんかお察しだなという気もする。
poliphilus 進学校は思考に手が追いつかず、字が汚い子が多いと林先生は述べていた。ToshI は英語の発音に大苦戦し、X は米国進出を諦めた。音程感と外国語発音の上手さは相関するが、みんなではない。
punkgame 箸の持ち方すら直せないのかこいつ、と思うだけ。何も言わない。正しく持たなければならない道理はないし、直す必要もない。好きに生きろ。周囲の目を気にするのに自身の行動は気にしないのか?
punkgame 左利きを矯正されたため右でも左でも綺麗には書けん。メインは右だけど上手く動く日と動かない日があるので訓練どうこうではない。左は使わなすぎて幼稚園児並みなので綺麗になるまでめちゃ時間がかかる。そもそも
私が9歳、兄が11歳の時に母が死んだ。
もともと体が弱く、私を出産してからは病院にいる方が長い人だった。
父は母の入院費と私たちの生活費のために働き詰めで、あまり家に帰ってこれなかった。
母が死んで3年後、父が再婚した。母より、学校の先生よりも若い人だった。
母が死んで3年しかたっていないのに再婚した父が気持ち悪かった。
新しく家族になったその人は、自分のことは名前で呼ぶようにと言った。
あなたたちの母親はなくなった彼女一人だけだから、無理に自分を母と呼ぶ必要はない。ただ、同居する人として、仲良くなりたい。
親ではないが大人として、子供であるあなたたちを守る義務がある。だから何かあれば、遠慮なく頼ってほしい。
そういわれても、思春期だった私は父もその人のこともひどく嫌った。
その人は大手企業の食品(外食部門だったかも)に勤め、当時では珍しく半分在宅だった。彼女の料理はどれも美味しく、それが腹立たしかった。
必要以上に干渉しない彼女と、会話をしない私に父は苛立っていたようだが、いつも彼女が、年頃だから仕方ないと言ってなだめていた。受験の近い兄は部屋に引きこもりがちで、会話は少なかった。
兄が志望校に入学し、父と彼女が結婚して2年目、父の帰りがまた遅くなった。その頃になると私も受験が視野に入り、塾などで帰りが遅かったりもして、我が家は可もなく不可もない状態だった。
彼女は相変わらず半在宅、フレックスタイム制の出社で、私の中で彼女は父の伴侶ではなく、住み込みの家政婦という認識になっていた。そうなるとどこか気安く接することもでき、女同士ということもあって化粧の相談から生理の悩みまで、色々話すようになっていた。
転機は私が15歳、兄が17歳の時に起きた。
夏休み、友人と少し遠出をしたときに、父を見た。奇麗な若い女性と腕を組み、笑っていた。
落胆はなかった。むしろ、ああやっぱりという思いが大きくて。
帰宅したその日、私と兄、それから彼女といういつもの食卓で、今日見たことを話した。彼女はまるで初めから知っていたかのように落ち着いていたのに対し、兄がひどく怒っていたことが印象に残ってる。
思い返せば、初めから彼女は父のことを愛していなかったのではないだろうか。私たちに必要以上に干渉しないのと同様に、彼女は父にもあまり干渉しなかった。
彼女は父と結婚時に親権を取得していたらしく、私たちは父と彼女、どちらに引き取られるか聞かれた。
貯金も養育費もあるし、三人の生活費なら女手一つでも大丈夫だから、二人と一緒に住みたい。
彼女は何度も言いつのり、でも、そんな彼女の負担を考えると不安で、だからと言って父とはいたくなくて。結局私たちは彼女と一緒にいることを選んだ。
兄はバイトをすると言っていたし、私もバイトを始めようと思っていた。けれども彼女はそれにいい顔をせず学生の本文は学ぶことだから、お金のことは心配するなと言った。
三人で暮らし始め、彼女は昼に夜にとよく働いていた。夜中に目が覚めてリビングに行くと、彼女が外国語でオンライン会議をしているのを見かけるようになった。
私と兄は彼女に負担をかけたくなかったから家事を積極的にして、兄は志望校の推薦枠を狙って勉強をした。そのかいあって兄は授業料免除の推薦枠で合格した。
父と離れ、母の話をよくするようになった。
これが好きだった、あそこに行こうと約束した、あれをやりたいと言っていた。そんな些細なことを、小さな思い出を、彼女はいつも嬉しそうに聞いてくれた。
父に母の話をすると何とも言えない表情をされることが多く、いつの間にかあの家で、母のことは禁句のような雰囲気だった。それが、今は何気ない日常の一つとして、大切な思い出として、手に取って眺め、愛でることが許される。
どうして他人である彼女がこんなにも受け入れてくれて、父は受け入れてくれなかったのだろうか。愛した人をなくして辛かったというのだろうか。たった3年で再婚し、2年もたたずに浮気をしたくせに。
私が17歳、兄が19歳の秋、兄が悩んでいることを知った。
兄は料理に興味があったが、県内に授業料免除などしてくれる大学や専門学校がなく、諦めていた。
それを知った彼女は、学費も生活費も気にするなと言い、色々調べた結果、学生寮がある専門学校を受験することになった。兄は一年制のコースを受験しようと思っていたらしいけれど、彼女はせっかく学ぶのなら三年制にして、ついでにフランス留学もするべきだと言った。フランス留学するならフランス語を喋れた方がいい、フランス語なら自分が教えられると嬉々として話す彼女を見て、私も兄も何も言えなかった。
話の流れで私の将来、主に大学となりたい職業に話になって、服飾系に興味があるというと、じゃあ、あなたはイタリアだね。イタリア語も私が教えられるから、留学できるねと言われた。
今まで聞いてこなかった彼女の経歴や今の仕事を聞けば、現在は起業して不動産?シェアオフィス?関係の仕事をしつつ、専門的な分野の翻訳や通訳の仕事もしている。もともと語学系の学校を出ていて留学経験があり、ヨーロッパ圏と中国韓国なら日常会話に困らないそう。
そんな彼女に支えられしごかれ、兄は無事に調理学校に合格。私は急遽変更した志望校だったけれど無事に合格し、春から大学生になる。
現在我が家では、英語とイタリア語とフランス語(兄がいるときのみ)が飛び交い、帰省した兄の置き土産である大量の作り置きの消費に頭を悩ませている。
①
そうだ。俺の述べたような基本的な論点を踏まえて、それぞれが工夫をしている。日本でもしている。
チャレンジしていることは後退ではない。全くそうだ。日本でも後退などしていない。
日本以外の国でみるニュースが面白い? そうかそうか。日本で面白いニュースは見たことが無く、所外国では面白くないニュースは見たことが無いか?
海外に汚職は無く、海外の経済政策は完璧であり、海外の理論だけが正しく日本の努力は何の成果も出しては無く全てフリーライドで、日本人で政治をまともに語っている人間はお前以外に存在しなくて、すべての日本人よりおまえは優れた存在である。
そんなわけがないだろ。
「俺以外の全部」の言い換えで「日本」とか言うな。
俺の予想だが、お前は恐らく現実には海外に普段から行ってなど居ない。出羽守でいられるのは、海外のことを知らないからなんだよな。日本食食わなくてホームシックにならないし、フランスでスリにあったり、アメリカのテレビのCMのタイミングに辟易したりしたことないんだろう。外国語も喋れないし書けまい。まあ予想だからどっちでもいいけどな。そんなことより、海外に関するわけわかんねー政治社会状況の認識よ。
②
「趣味」に時間を費やしている人たちだ。「趣味」の内容がたまたま政治であり、社会で有益とされているだけだ。お前も、残業していようが関係ない。暇人だ。休日があり、終電前にアフターがあり、その時間を政治に使うことができる。
ここで言う「暇」とは、夏休みのおばあちゃんちでゲームを持ってない学生の台詞じゃあないんだよ。分業によって産まれる余暇時間のことだ。この余暇時間に、子育てするし、筋トレするし、病気療養するし、ゲームするし、友達との絆をはぐくむし、中にはデモに行く奴もいる。なんでもいい。それは人生だし。
ここですべての人間が余暇を政治に使ってるようじゃ、むしろ社会は困るんだよ。誰が子育てをするんだ? お前みたいな筋トレしてないヒョロヒョロに全員なったら誰が重い荷物を持つんだ。いろんな奴がいるからいいんだ。それが分業だ。
③
政治に大衆全員が興味を持ってないのが現実で、現実ではない理想にならないのでクソだ、とお前は言ってるんじゃないのかよ。
まあ、啓蒙によって少しでも理解をもってもらおう、という方向性はいい。それはすればいい。
だがそのためには、お前の言動はじゃまだ。
「おまえらはバカ」と主張したら、興味を持つと? やめろバカ。
しかもお前は自身がどちらかというとバカ寄りだ。政治コミュニティに参加して旧交を温めるのもいいが、もっと本とか読んだほうがいいぞ。