鎌倉時代に生まれた新仏教の各宗派は支援者を増やすために覇を競い合ったが、江戸時代になって権力が一元化すると、幕府の権力の下で統括されるようになる。檀家制度で民を管理し、租税徴収の一端を担う世俗的活動に組み込まれたことで 日本仏教は安定期を迎えた。 対立から安定の時代へ 現在の日本仏教には、異なる教義を主張する宗派が存在するが、ほとんどが12世紀から13世紀にかけての多様化の時期に出そろった。鎌倉時代に誕生したそれらの宗派は独自の支援者層を抱えており、その支援者たちのおかげで教団を維持することができたのである。この状況は、別の言い方をするなら、「仏教は人を苦しみから救ってくれる教えだ」といった認識が広く日本中に広まり、異なる階層の人たちが立場に応じて仏教の教義を選択し、信奉する時代が到来したのである。 このような仏教の民衆化を、単純に「仏教が日本に広まった」という点からみれば好ましいことでは