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religionとjapanに関するdazedのブックマーク (5)

  • 第8回:徳川幕府の政治体制に組み込まれた仏教

    鎌倉時代に生まれた新仏教の各宗派は支援者を増やすために覇を競い合ったが、江戸時代になって権力が一元化すると、幕府の権力の下で統括されるようになる。檀家制度で民を管理し、租税徴収の一端を担う世俗的活動に組み込まれたことで 日仏教は安定期を迎えた。 対立から安定の時代へ 現在の日仏教には、異なる教義を主張する宗派が存在するが、ほとんどが12世紀から13世紀にかけての多様化の時期に出そろった。鎌倉時代に誕生したそれらの宗派は独自の支援者層を抱えており、その支援者たちのおかげで教団を維持することができたのである。この状況は、別の言い方をするなら、「仏教は人を苦しみから救ってくれる教えだ」といった認識が広く日中に広まり、異なる階層の人たちが立場に応じて仏教の教義を選択し、信奉する時代が到来したのである。 このような仏教の民衆化を、単純に「仏教が日に広まった」という点からみれば好ましいことでは

    第8回:徳川幕府の政治体制に組み込まれた仏教
  • 第1回:目覚めた人ブッダの誕生

    仏教は2500年前にインドで生まれ、中国を経由して6世紀に日に入ってきた。ただし日では、創始者ブッダの唱えた初期仏教は広まらなかった。仏教の変容はいかにして起きたのか。「日の仏教とは何か」を読み解くシリーズの第1回では、ブッダの教えとはどのようなものだったのかを紹介する。 瞑想(めいそう)によって苦しみから解脱 仏教は、約2500年前に歴史上の人物であるガウタマによって始められた。ガウタマは、現在のインドとネパールの国境地帯にあるカピラヴァストゥ王国の王子として生まれた。そのまま普通に成長すれば、国王になることのできる大変恵まれた環境の中にいた。しかし青年期になると、「生きることの苦しみ」を感じ取り、皇太子の身分を自分から投げ捨てて、たった1人で森の中に入り、宗教修行者となった。彼は次のように考えたのである。 この社会には、幸福な人もいれば不幸な人もいる。人の在り方はさまざまだが、全

    第1回:目覚めた人ブッダの誕生
  • 消えゆく習俗—青森県の女性霊媒師「イタコ」から見る日本人の死生観

    青森県の女性霊媒師「イタコ」は、死者の魂を自らに憑依(ひょうい)させる「口寄せ」を通じて、生者と死者を媒介する。集落の女性たちの身近な相談に乗るカウンセラー的な存在でもあった。その技能は修業により習得するが、今日、師弟関係に基づく伝統的なイタコの系譜は途絶えつつある。イタコを生んだ社会背景と日人の霊魂観を考察する。 自然崇拝と先祖供養 日人は無宗教──。そう思い込んでいる人は少なからずいるのではないだろうか。だが、日々の暮らしを見れば、日人は世界の中でも信仰心のあつい国民と言ってもいい。 お盆の帰省がいい例だ。新型コロナウイルスの影響もあり、ここ最近は帰省を控える傾向が強いが、それまでは毎年お盆の時期になると、墓参りのために高速道路の渋滞も気にせず帰省した。ご飯の時に「いただきます」と手を合わせるのも、八百万(やおよろず)の神々に対する感謝であり、「一切衆生」(いっさいしゅじょう=生

    消えゆく習俗—青森県の女性霊媒師「イタコ」から見る日本人の死生観
  • エピソード - 視点・論点

    昨年12月、独裁的なアサド政権が崩壊したシリア。アサド政権崩壊の経緯と今後の行方、そしてアハマド・シャラア指導者について詳しく解説します。

    エピソード - 視点・論点
  • 日本にはなぜガリレオが出なかったのか? | 「超」整理日記

    2009年は、ガリレオ・ガリレイの天体観測から400年目の「世界天文年」とされており、世界各地でガリレオにちなんだ行事が行なわれている。私は、この機会に日人がぜひとも考えるべき問題があると思う。それは、「なぜ日にガリレオが生まれなかったのか?」ということだ。 ガリレオが天体望遠鏡を作った1609年は、徳川家康の江戸城が完成し、秀忠が2代目将軍であった時代である。長い戦乱の時代が終わって平和が確実になったのだから、この頃の日にガリレオのような人が現れても、少しも不思議はない。しかし、そうした人物は現れなかった。 18世紀には、杉田玄白などの蘭学者が現れた。しかし、医学が中心であり、自然科学、特に物理学には向かわなかった。実用性は重視するが、自然の解明という純粋に科学的な研究活動は行なわれなかったのだ(平賀源内のような人はいたが、ごく例外的で、孤立的だ)。 こうなった理由として、「日

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