はてなキーワード: 処方箋とは
タイトルのとおり、自分に合う病院を東京で探すのが本当に難しい。今通ってるところは頼んでもいない検査が必ずセットで入ってくる。しかもその検査をするっていう説明もなくて本当に勝手に検査してる。下手にクレームをつけたらあとで何があるかわからないと思って黙ってるけど、信頼はできなくなる。お医者さんも経営が大変なのはわかるけど、毎回、こちらが症状を訴えてもいないことで検査をするのって、それこそ今問題になってる無駄な医療費が増える一因なのでは、とも思う。こっちとしては余計なお金を払わされるのが辛い。その病院は、仕事帰りでもぎりぎり開いてるってことと、予約制で待ち時間がそんなに長くはないってこと、通勤経路の範囲にあるってことで通ってる。検査によっては血がちょっと出るけど、お医者さんの外科医としての腕はわからない。受付の人とか看護師さんたちはそれなりに真面目に仕事をしてくれてる感じだけど、受付で診察券出してもトンチンカンな応対してくることがあって不安になる。あと、昔、漢方を処方されたときは、体に合うか診察しながら様子を見るでもなく、一回目以降はずっと同じ薬の処方箋を出し続けられた。
前に通ったところは、余計な検査をされることはなくて、患者の話を聞いてくれるような、まあまあよいお医者さんだったように思うけど、とにかく待ち時間が長かった。半日とかザラ。予約制ではないので、受付時間以降に名前書いて、そのまま待つか、いったん外に出かけたり家に帰ったりして待つ。家が近い人はいいかもしれないけど、自転車で30分くらいのところだったので、通うとなると天気が悪いときとかはしんどかった。ちなみにバスとか電車とかだとうちからはちょっと難しい場所にある。
そんなわけで、できればほかの病院に通いたい。でも病院の情報ってなかなかネットでは得られない。口コミも玉石混交で役に立つものは限られている。情報はあふれているけど、多いだけでほとんどは自分にとってゴミ。雑音だらけで必要な情報にたどり着くのにすごい労力を要する。近所にそんな話を聞ける知り合いもいないし、仕事の同僚は住んでる場所が全然違うから持ってる情報が違う。とは言え、選べるだけマシな環境とも言えるのかもしれない。数がなければあるところに行くしかないだろうし。
誤診が少なめで、高圧的じゃなくて、患者の話をある程度聞いてくれて、余計な検査をしなくて、余計な薬を出さなくて、予約制の有無はともかく待ち時間が1時間程度、って贅沢な条件なんだろうか。贅沢なんだろうな。
日本政府は医療費を削減するためにいろいろやっているけど(高額医療費の改悪、ジェネリックの推奨など)、
そんなことするより、慢性疾患への処方日数を6か月にしろと通達を出すだけで、結構減りそうな気がするけどなあ。
薬をもらうためだけに医者に行って、ほぼ儀式的なやり取りをして処方箋をもらうのを毎回やるたびにアホみたいに思う。待ち時間込みで半日潰れるし・・・
chatgptに計算させてみた。
もし2500万人の慢性疾患患者がいたとして、
1か月毎通院の人が6か月毎通院にしたら、8750億円の削減。
2か月毎通院の人が6か月毎通院にしたら、3500億円の削減。
に、なるので結構減りそうな気がする。
また、薬局での投薬料や管理費も含めれば、さらに追加で1000億円から2000億円減るはず。
メーカーとしてもまとめて薬を入荷できてまとめて捌けるからいい気がする。患者の家を倉庫にできるわけだし。
政府が通達を出して守れよというだけで最大で1兆円ぐらい浮くんだからやれよと思う。
もちろん、定期的なケアをしないといけない患者もいるだろうけど、何か問題が起きたらすぐ来てくださいねでいける範囲ならやればいいのにと思うよね。
マイナ関連で義務か任意で大揉めしていたわけだが、昭和時代から生きてきた日本国民であれば、任意とは「特段の事由がなければ応じるべきもの」並の強制力があったことは知っているはずだ。免許の取得は任意だが取得しないことは問題であったし、任意同行に応じるかどうかは文字通り任意だが、応じないことは問題であったのが昭和だ。
鉄道網が発達して如何にも車なしで生活できますみたいな事を言う人もいるが、鉄道空白地帯は東京23区にすら今なお存在するし、全国的に車は生活に必須である。駅チカは生活コストもかかる。何より仕事するうえで自らに枷をかけるようなものであり、「車の所有の是非はあっても免許取得はすべきだ」というのは令和日本においても依然として共通認識であるはずだし、この認識が崩れることはおそらくないだろう。
しかしながら、これらは今となっては字義通り任意だ。任意という言葉に強制力が失われた現代において、補いうる言葉の発明が俟たれる。これはマイナに纏わる諸問題に対する処方箋にもなるものであり、国語学界隈諸賢には額に汗かき知恵を出されたく願う次第である。
花粉症で耳鼻科にかかっている。今年は花粉が飛び始めるのが早いと聞いて早めに耳鼻科にかかり、飲み薬、点鼻薬、点眼薬を処方してもらった。
もらった薬が切れたので今日もう一度耳鼻科に行ったら、窓口で「薬だけ下さい」と言ってる人がいたので試しに同じように言ってみたら、事務職員からその場でOKと言われ、そのまま処方箋と診療明細が出てきて「再診料」「処方せん発行料」450円(3割負担)を払った。
今日は代診の先生とのことだったが、診察室には入ってないし、医師の顔は見ていないし会話もしてない。問診票などで症状を伝えることもしていない。
この季節、耳鼻科は大混雑だし、もらう薬はどうせ同じだとわかっているから、払う金が同じで待ち時間が節約できるならもちろん私にとっては得だ。
しかし、会計待ちの間にググったところでは、医師が診察せずに処方箋を出すのはそもそも違法のような感じがする。
第二十条 医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。 (https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000201#Mp-Ch_5)
そもそも、診察せずに診察料を保険請求するのは健康保険の不正請求じゃないか?
窓口で料金支払い時に保険請求が合法かを数度確認したが、「他のクリニックもそうしてるし、合法」との答えでそのまま支払いをし、処方箋を受け取った。
しかし、後でやはり気になって所管の厚生局に電話確認すると、やはり違法だし不正請求だとの回答。医師法20条とか知ってるのにそのまま処方箋を受け取るなと怒られた。ただ厚生局からは電話で報告されても何も対応しないとのこと。
診察なしで処方箋が出てきたら、患者は同負担で時間が節約でき、クリニックは事務作業だけで診療報酬が稼げるけど、健康保険の適正利用から言えばおおいに問題だ。
そもそもこんなカジュアルな処方をして問題ないような薬はOTC化(ドラッグストアで処方箋なしで販売)するべきだよね。
高額療養費制度の問題で皆保険制度が揺らいでいるところなのでかなりモヤモヤしているが、少額だし、患者と医者はwin-winだし、「厚生局は違法との見解だぞ」と言ってクリニックを問い詰めるまでするか迷っている。
こういう悩みには大変シンプルな処方箋があって、ギバー/マッチャー/テイカーの考え方がある(SNSでは嫌われてる概念だが)。
つまり、何かを相手に与える存在(Giver)になるということを主軸に考える。
返報性の原理という概念からも分かる通り、相手から好意を受け取ると返したくなるというのが人の性質なので、こちらから与えるという戦略を取っていると自然と人が集まってくる。
ただし、テイカー(相手からもらうことばかり考えている幼児脳の持ち主)にギブし続けるのはNG。
自分が他人に与え続けるためのリソースを奪ってくる相手にリソースを注ぐのは持続可能性がないので、そこは見極める必要がある。
そういうのはすぐ相手にバレる。
少し前にこんなものを書いた
https://anond.hatelabo.jp/20241221165704
今回は「ならどうすれば伸びるのよ」という話をしてみる。
(基本的にYoutube向けに書いているので他プラットフォームなら適宜読みかえて欲しい)
想定している対象は「伸ばしたいと思っているのに伸びていないVtuber」である。すでに伸びているVtuberや、伸ばすことを目的としていないVtuberには無用の話ばかりだ。
どんな活動スタイルの人にもなるべく使えるよう、極めて当たり障りない基本的なことしか書かないつもりだ。そして伸びていないVtuberにはそれがもっともよく効くはずだ。
どうすれば伸びるのか話すと言われ「そんなうまい話があるもんか、ツッコミどころを探してやる」と思った人は正しい。
逆に、伸びないからと言って救いを求めるように情報集めしようなどと思った人は危険である。高確率で誰かの二番煎じの量産型無個性Vtuberになっているから目を覚まそう。
この記事も他のものも鵜呑みにせず、自分の価値観に照らし合わせて参考にできると思えた部分をうまく取り入れて欲しい。
ファンマーク、ファンネーム、週間スケジュールなどなど、今やVtuberの定番となった慣習は多い。
だが、それが存在する理由を説明できるだろうか? できないうちは真似しなくていい。知らずに真似するデメリットもある。
伸びている人がしているからと言って何も考えずに真似をするのではなく「なぜそうしているか」を考え、自分にとってメリットがあるものだけを取り入れること。
これはVtuberに限った話ではないが、何かを作ることを生業とする者にとって健康は資本である。
夜に配信を行い、そのまま深夜や朝に作業、昼に寝て、夕方起きるといった生活のVtuberをたびたび目にするが、これを長期間続けると心身の調子を崩してしまう。
人間は歩くことで血流が促され身体のさまざまな機能が整う生き物なので、活動を続けたいのであれば毎日ちょっとでも歩くこと(雨なら軽いスクワットとかでもいい)。
これもVtuberに限った話ではないが、悪いことをするとバレるリスクを抱え、隠すコストを支払うことになる。
はっきり言って悪いことはコスパが悪い。最初から手を出さず、同業者にもリスナーにも信用されるように振る舞うほうが良い。
本心がクズでも別に構わない。誰も見ていないところでも善人として振る舞うのがもっともコスパが良いというだけの話だ。
「何者かになりたい者」はもっとも騙しやすい類の人間である。伸びていないVtuberなど格好のターゲットだ。
変なセミナーや講座にお金を支払っていないだろうか? 聞いたこともない事務所のスカウトや変な案件が届いていないだろうか?
そんなものに気を取られていたら伸びるどころの話ではない。気をつけよう。
ここが抜けてちゃどんな小細工も効果なし
身も蓋もない話をするが、伸びていないVtuberの動画や配信の99%以上はそもそもクオリティ不足である。
そしてクオリティを上げるための前提条件は何よりもまず「場数を踏む」ことである。
現状で伸びないなんて当たり前だ。気にせず、経験を積み、改善し、成長していくためのたたき台のつもりでどんどんやる。問題はその後だ。
伸びていないVtuberを数ヶ月ぶりに見てみると、誇張なしに100%まるで成長していない(それどころか惰性で続けたせいで劣化していることすらある)。
その理由も間違いなく「自分で発信したものを見直していない」に尽きるだろう。自分の声が嫌だとか恥ずかしいとか言って、伸びるチャンスを自ら放棄しているに等しい。
逆に言えば、自分が発信したものを見直して気になった部分をメモするだけで、伸びていない状態を脱却するまであと1歩だ。
メモがどれほどの項目数になるかは人によるだろうが、一度に全部直そうとしてはいけない。
新たなコンテンツを発信するときに「今回はここだけ意識して改善する」と1項目だけ心の中で決めて実行するのが効果的だ。
達成できたらおめでとう。もはやただの伸びないVtuberではなく成長中のVtuberだ。
チヤホヤされたいから! というのは正しいかもしれないが、リスナーも人間なので知らないやつをチヤホヤなどしたくはない。
ここで言っているのは「誰にどんなメリットを提供するか」をはっきりさせておこうということだ。
「疲れた社会人を癒やす」でも「特定のゲームのファンに最新情報や攻略を整理して伝える」でも何でもいい。ターゲットと扱う商品を明確にするのが大事だ。
よく見かける「目標:登録者○人」などというのは、外的要因に左右されまくるため目標の立て方としては最悪のものである。
自分では何もしていないが偶然脚光を浴びて到達したら目標達成だろうか? 逆に努力の方向性は合っているのに数字が伸びなければそれは失敗だろうか?
登録者○人のような目標の数字はあっても良いが、「そのために動画を○本制作する」のような自己完結する行動目標に落とし込まなければ無意味だ。
クオリティが上がってきたら見てもらわなければ
知らないVtuberがよくある企画をただやっていたとして、その再生数や同接が少ない場合おもしろそうに見えるだろうか? 当然NOだ。
「伸びていない」のはある種のデバフのようなもので、伸びていない状態がさらない伸びなくなる状況につながってしまう。
ネームバリューも現状の数字もない場合は、内容で一工夫して興味を惹くしかない。そうしてデバフ状態からの脱却を目指そう。
知らないVtuberのサムネイルがオススメされたとして、見てもらえる時間はどれくらいか? せいぜい0~1秒だろう。
その一瞬で伝えるべきは「あなたの顔、何をするのか、どんな特徴があるか」の3つだけ。これを超えたらキャパオーバーになってスルーされる。
特徴とは、一つ上の項目の一工夫のことだ。文字数は多くて10文字。一瞬に勝負を賭けよう。
タイトルに含まれる文字情報は検索結果やオススメに載せる際の判定に強く影響しているはずだ(動画サイトの内部アルゴリズムは日々変わっていると思われるので、予想でしかないが)。
しかし、最初からスパムのようにキーワードを列挙しただけでは胡散臭くて避けられてしまうから、最初の20文字程度は人間向けに書くと良い。
まず【】で括って何を扱う動画・配信かを伝え、少しだけ人間向けのタイトルを書き、以降の表示が省略される部分に自分の名前(あれば所属事務所名も)などの検索用ワードを詰め込むのがおすすめだ。
なるべく多く活動するほうが伸びやすくなるのは事実だが、自由に使える時間には各々限界があろうというもの。
そこで同じ曜日・同じ時間帯に必ず出現するようにして、その時間帯に暇を持て余している人との遭遇を狙う。
「先週は配信やったけど今週は準備できてないから作業する」なんて言っていないだろうか? ここで配信すると決めたら必ず実行する。それだけで見つけやすさは跳ね上がる。
「チャンネル登録・高評価よろしくお願いします」、もはや使い古されたフレーズだが使うには前提条件として楽しんでもらうことが必要だ。
大切なお客さんであるリスナーに、ワンクリックとは言え一手間かけるお願いをするのなら「もしよければ」 「楽しんでもらえたなら」などと言って謙虚にするほうがむしろ効果的だ。
そもそも人は素晴らしいものを仲の良い相手に教えたくなるものだ。そう思わせるだけの活動ができていないなら、いくらお願いしても波紋は広がらない。
つらつらと書いてきたが最終的には運である。
運ではあるのだが、これくらいのことをすべてやって初めて、伸びる伸びないの抽選の権利が与えられるのだと思う。
いちいち数字を気にして凹んだりせず、粛々と行動目標を立てて活動を続けるしかない。
ここまで書いたことを取り入れるにせよ、取り入れないにせよ、貴重な時間を割いて読んでくれた人を私は応援したい。
もともと自分の考えを整理するために覚え書きのつもりで書き始めたものではあったが、そのついでに悩めるVtuberが1人でも前に進むことができたのならば棚ぼたラッキー、書いたかいがあるというものである。
・藤沢市で無痛分娩できる産院で出産したのだけど、無痛分娩の予定だったけど、麻酔担当の人が休みになる木曜日は麻酔が行えない状況だった。(木曜日に陣痛があった場合は、無痛分娩不可ということも念書も書かされた)
・結局水曜日に破水したから、麻酔促進剤を入れて、麻酔もしたのだけど、生まれる気配がないから、無痛分娩は諦めなきゃいけなくなった。ただ、麻酔は打ってるから、無痛分娩費用の15万円は支払う必要があった。結局、普通分娩で産んだから15万円無駄になった。
・とにかく酷かったのは、その後で、麻酔のために背中に針入れて、そこから麻酔剤を入れるんだけど、麻酔は無理ってなった後も針は背中に入れたままにされて、出産後まで放置された。
・結果「脳脊髄液漏出症」って奴になって、2週間くらいは激しい頭痛に苦しまされた。
・産院の人に、無痛分娩はしない方針となった後も針は入れっぱなしにするのが普通なのか?って聞いたら、それが普通だって言われた。にわかには信じがたいが…。不信感でた。
・頭痛が酷いため、処方された薬が「安息香酸ナトリウムカフェイン(所謂アンナカってやつ)」なんだけど、保険適用外って言われた。一応入院中にも母乳をあげてるの状態なんだけどカフェインを処方することについて、ちょっとした説明ぐらいはして欲しかった。後からカフェイン…だと…?って薬局で気づいたのだけど、後々産院に確認して授乳しても問題ない旨、説明はしてもらった。
・薬局に処方箋を貰いに行くと、まずアンナカは処方する基準が厳しいのか門前払いを2件くらい食らった後、3件目は引き下がるわけにはいけないって思い、色々事情を説明すると、処方してもらえることになったが、薬剤師の方すら、「医療過誤かもしれないのに保険適用外?」「授乳についての注意点とか聞いてないのか?」とか色々不信感もあるっぽくて、一応、産院に電話して、諸々確認はしてもらった。ただ、あんまり納得できる回答はなかったっぽい。
・保険適用外については確認したら、ワタワタし始めたが、まぁ入院期間は産院にずっといなきゃいけないし、入院期間も3日間くらいあるし、騒ぎ立てるのも良くないってことで、追及はしなかった。
まあそうなんだろうけど、日本という老衰して重病を抱えた患者には、その処方箋を実行して成功させる体力が残っていないと思う。
重度の糖尿病患者はインスリン注射に頼らずに生きられれば素晴らしいけど、インスリン注射を絶ったところで、十分な量のインスリンを自力で産生できるようになるわけでもないから死期が早まるだけ、みたいな。
https://www.boj.or.jp/mopo/outline/bpreview/index.htm
昨年末、日本銀行が、25年間の金融政策を検証する「多角的レビュー」を発表した。これは、まるで長年の病に苦しむ患者が、ようやく自らの病状を詳細に記録し、分析を始めたかのようだ。しかし、オーストリア学派の経済学者デ・ソト氏の言葉を借りれば、これは「日本経済の病」と呼ばれる症状の分析に過ぎない。日銀は、過去の政策を検証するだけでなく、なぜ「病」が発症し、そして今もなおその症状が続いているのか、本質的な原因に目を向けるべきだ。
1960年代から1980年代初頭、日本経済は世界から羨望の眼差しで見られた。しかし、それは硬直した経済構造、過剰な規制、介入主義、そして何よりも、金融操作と信用拡大による巨大なバブルの上に築かれた虚構の繁栄に過ぎなかった。1990年代初頭、バブルが崩壊すると、日本経済は長期にわたるデフレに突入した。日銀は、量的緩和、ゼロ金利、マイナス金利など、あらゆる政策を試みたが、デフレから脱却することはできなかった。
バブル崩壊後の金融危機には、4つのシナリオが考えられる。①際限のない資金注入によるハイパーインフレ、②銀行システムの完全崩壊、③経済構造の自発的なリストラ、そして④経済の硬直化を温存したままの、大規模金融緩和と公共支出の継続による「日本化」。日本が選んだのは、残念ながら最後の道だった。日銀は、バブル崩壊後の混乱を収めるために、金融緩和という名の麻薬を使い続けた。結果、企業は自らリストラするインセンティブを失い、生産的な資源は旧態依然とした非効率な分野に滞留した。
これは、オーストリア学派がいう「投機バブルと信用膨張」がもたらす当然の結果だ。
アベノミクスは、日本経済を刺激するための最新の試みだったが、結局は過去の政策の焼き直しに過ぎなかった。異次元緩和、財政出動、そして円安誘導は、一時的な効果はあったものの、結局は根本的な問題には何も対処しなかった。その結果、日本は世界で最も債務を抱えた国となり、デフレは完全に払拭されなかった。
デ・ソト氏が指摘するように、これはまさに「経済の日本化」の症状そのものだ。問題は、経済の硬直性。すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。
オーストリア学派の視点から見れば、日本経済が回復するためには、マクロ的な金融操作ではなく、ミクロ的な構造改革こそが必要だ。それは、規制緩和、労働市場の自由化、税制改革、そして公共支出の削減である。利潤に課税する税制を改め、資本を蓄積し、生産性を向上させるための政策こそが求められる。
日銀は、大量の資金注入や金利操作に固執するのではなく、経済を自発的にリストラするインセンティブを創出することに注力すべきだ。
さらに、日銀が行ってきたゼロ金利やマイナス金利政策は、人為的に金利を操作しようとする試みに過ぎない。市場経済において、金利は資源配分を効率化するための重要な価格シグナルである。このシグナルを歪めることは、経済全体を歪めることに繋がる。デ・ソト氏が指摘するように、マイナス金利は、人々に「何もしないこと」を奨励し、経済の無気力をさらに助長する。
また、ゼロ金利政策は、財政赤字を無制限に自動的にファイナンスするために使われるため、政府が構造改革に取り組むインセンティブを奪い、ポピュリズムを蔓延させる。
中央銀行家たちは、自分たちが市場を動かせると思い込んでいる。しかし、過去の政策が示すように、それは幻想に過ぎない。
彼らは、金融緩和策という麻薬を使い続け、一時的な快楽を追求するうちに、経済を麻薬漬けにしてしまった。もはや、麻薬がなければ経済は立ち上がることができない。
この悪循環を断ち切るためには、金融政策万能という幻想を捨て、市場の自律的な回復力を信じるべきだ。
構造改革を断行し、企業家精神を解き放ち、経済のダイナミズムを取り戻すことこそが、真の解決策である。
日本銀行は、過去の金融政策を徹底的に見直し、その限界を認識すべきだ。日銀にできることは、物価を安定させ、市場の機能を維持することだけ。経済成長や雇用創出は、企業家精神と自由経済の世界に任せるべきである。
金融・財政刺激策は、一時的な痛みを和らげる効果はあるかもしれないが、根本的な問題を解決することはできない。根本的な問題とは、経済の硬直性、すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。これらの構造的な問題に正面から取り組まない限り、日本経済の病は癒えることはないだろう。
日銀が本当に経済の健全化を望むのであれば、金融政策の限界を認め、構造改革を促すようなメッセージを明確に示すべきだ。そして、デフレ脱却という短期的な目標を追いかけるのではなく、長期的な繁栄の実現に焦点を当てるべきである。
実際に、薬剤師が責任を取って免許取り上げられる事とかってあるのかなあと思って調べてみた。
2024年だと8人だけが処分されてるけど、患者への被害などでは処分された事例はないなあ。
年間数億枚の処方箋が発行されるみたいなので、現実的に考えるとミスはあると思うし重大事故もそりゃ生じていると思うんだけど、
資格の一時停止もほぼありませんね。
薬剤師は行政上の責任を取らされている事ってほぼないようですね。
歯科医師や医者だと業務上の事故で行政処分されている人が毎年いるけど、それに比べるととても少ないなあと思います。
https://www.mhlw.go.jp/content/001298781.pdf