はてなキーワード: いかだとは
他人に自分の辛さを言うのが好きではないのだが、どうしてもしんどくて吐き出したい。
鬱で休職。
自発的には何もやる気が起きなくて、目が覚めて食事して二度寝して食事して寝ての繰り返し。
ただのクソ製造機。
昔好きだった元気や勇気を貰った漫画やアニメに手を出してみても、すぐにやっぱりいいやと投げてしまう。
頭が重くて息が苦しい。
でもそれは我慢できる。
自発的にやる気が起きないだけで、たとえば通院だとか、友人から食事に誘われるだとか、決められた時間に決められた場所が指定されれば概ね問題なく行動できる。
だから動ける。
「鬱じゃなくて怠惰じゃね?」
「かといって今復職出来る気はしない」
「どうしてこんなことになってしまったんだろう」
と益体もない自問自答で毎日苦しい。
もう100社以上書類で落ちた。
面接すらしてもらえない事実に、私の経歴なんて他所では使い物にならないレベルなんだと悲しくなる。
イイネをするのもマッチングするのもメッセージするのも、何もかも面倒くさいが、一度お金を払ってしまったので惰性で覗いている。
たまに趣味が合いそうな人にイイネをしても、すげなくスルーが当たり前。
珍しくマッチングしてもメッセージが億劫で、相手も受け身だし、結局自然消滅。
これに関しては私に非があるのは承知だが、世の中の異性からも相手にされてないと思うととても情けなくなる。
社会からも異性からも相手にされない低レベルな私にも数少ない友人はいる。
ただその少ない友人に低レベルな一面を見せて嫌われたら、去られたらと思うと苦しくて、絶対に辛いだなんて言えない。言わない。
身体にも影響が出ている。
よくある症状の頭痛やら吐き気は薬のお陰で収まっているが、その薬の影響で20kg太った。
医師に相談して薬を変えたらピタッと過食が止まったが、今は舌と、左手の小指と薬指がずっと痺れている。
まだ医師に相談してないので薬との因果関係はわからないが、どうしてこうなんだろう。
あと、そう、これだけつらつらと書き連ねられているように、文字を打つことはなぜかできる。
よくわからない。
どうして上手くいかないんだろう。
子どもの頃に漠然と思い描いていた、大きくなったら普通に働いて普通に結婚して普通に子供が出来て、という「普通」がこんなにも難しい。
でも周りはその「普通」ができている。
だからとても情けない。悲しい。
これだけ辛い辛い言ってるけれど、死ぬのは物凄く怖い。絶対死にたくない。
こんな駄文読んでる人がいるかわからないけれど、どっかの誰かが匿名で辛い辛い言ってもしかして死ぬんじゃないかだなんて心配だけはしなくていい。
ほんの少し楽になった気がする。
まともになりたいなあ。
頑張りたいなあ。
物理的な理論上限は70%程度で50%程度までは商用実用化が予想されている。
商用の目処が見えているので40%
ざっくりね、ざっくり
市販の効率20%太陽光パネル1平米で年間の発電量が200kWh
同じ面積でも変換効率が40%になれば400kWhの発電が可能
4人家族戸建てだと年間5200kWh(14.5kWh/日)
40%なら半分の13平米(3*4mちょい)で賄える計算になる。
太陽光パネルの価格は中国では1平米あたり5000円を切っている
現在世界の太陽光発電の発電単価は2円/kWh台まで下がってる。
多くの家が屋根に太陽光パネルを設置している。東京は新築義務化。
昼間の発電を電力会社に売電し、太陽光で発電できない夜間は買電するエコシステムになってる。
次にバッテリー
1995年、1kWhのリチウムイオンバッテリー価格は5000USD
その後科学の進歩で急落が続き、最も下落した2018年で180USD、下り最速ぱねぇ
コロナ禍の混乱で資源開発や物流停滞、バッテリー需要の激増で高値均衡となり現在ざっくり200USD
しかし技術革新が続いており投資も旺盛で早晩下落が再開されることは必至。
1週間まったく陽が射さないとしても1世帯100kWh貯蔵していればセーフ
ドル円150円換算で300万円
一日14kWh消費するならば一ヶ月の電気代は13000円。15年で230万円
仮に
7日分バッテリー100万円
合計200万円
ここまで下がるとしたら
ちなあと10年程度でここまで下がるのは予想されてる
そうなれば売電/買電の送電網系統接続を絶ち自家発自家消費の自立型で採算分岐点に入る
EVを可搬型バッテリーと捉えれば自宅のバッテリー容量は小さくて良い
日照不良最大4,5日と想定し、これを超えて長雨が続き自宅のバッテリー貯蔵が危ういときはEVのバッテリーから補充すりゃいい
かつ近所の充電ステーションでサクッと充電し持ち帰り自宅バッテリーに移送。
自宅の据え置きバッテリー50kWh、車に50kWh
なぁに1週間まったく日が射さないなど数年に一度あるかないかだ
EVとガソリン車の値段は変わらず、EVにすればガソリンがなくなるたびにスタンドに寄って給油の手間が無くなる
自宅に戻ったらプラグを挿すだけ
電気代タダで使い放題、電力会社からクソ高い電気を買う必要がなくなる。
かつ災害にも強い
周りが停電で難儀している町中で煌々、エアコンフル稼働の優越感を200万円で買えるのだよ
現時点で採算分岐点ギリ手前までコストが下がってる、あともうちょい
現在、全国の、すべての電力会社の電気代には福島の処理費用が加算されている
原賠機構法の理念は「福島原発事故は国難であり国民全体で負担を分かち合おう」って建付けになってる
託送料金って中に含まれてる
離脱が始まったら早いだろね
もし今言ってるような言い方、つまり演出意図や話の筋にふれる気がない話なのであれば、単純にそういうシーンが好きか嫌いかだけで判断する以外になくて、そういうのだとつまり男でも女でもそういうシーンが好きな人と嫌いな人がいるっていう以外に、答えられる内容は思い当たらないけど。
まるで我が子のような距離感だ。
我が子であってもさん付けで呼ぶカードキャプターさくら方式であって欲しかったんだけど、まあそれは一読者のつまらん願望だ。
米津玄師がいのりさんのことをいのりちゃんと呼んでいて、なんか馴れ馴れしいなと思ってしまう。
子供のことを小さい人として尊重するか、社会に守られた未成熟な存在として扱うか、そんなのは個々人が心の中で決めるべきことなんだろうけどさ。
でもやっぱり少しだけガッカリしちゃったんだよな。
メダリストって物語の中で描かれているのは、大人のいいなりになるのではなく自分の意志で道を選んでいく子供の姿だったから。
それを読んで自分は「子供には子供の人生があって、それぞれに重い決断をしているんだ。その重さは大人と変わらないんだ」と感じたんだよ。
子供相手でもさんを付ける司先生の価値観こそが、あの物語における基本的な世界観なんだなって。
でも作ってる人達、関わってる人達はそうじゃなくて、呼び捨てにしたりちゃん付けだったりなんだな。
そうなんだ。
じゃあきっと俺の読み方の側が主人公キャラクターに過剰に感情移入して狭い視野で物語の一側面だけを見続けていたしょーもないものだったんだろうな。
悲しくなってきた。
突きつけられたよ。
エロ漫画。世の中に数多ある成人向けコンテンツの中でも、AVと双璧をなす偉大なものであり、その市場規模は2022年時点で6026億円に達する。エロ漫画には様々な分類がある。学生モノ、乱交モノ、逆レなど…。しかし、なかでも、ここ数年旭日昇天の勢いを持つジャンルがある。みなさんもご存知だろう。そう、寝取られ(以下:NTR)である。
多くのこの文を読んでいる方々には説明不要であることを承知したうえで、NTRとはなんであるか説明する。NTRとは、主人公の男性が付き合っている、あるいはそれに近い関係であるヒロインが、他の男性(以下:間男)に性的、人間的、金銭的な魅力により籠絡され、性的な関係になってしまう、というジャンルである。あえて小難しい言葉で説明したが、要は「好きな女の子が他の男性との性行為を行う」ということである。
このNTRにおいて、間男には様々なパターンがある。バイト先の先輩、担任の先生、嫌な感じの上司、外国人留学生、息子の同級生など…だが共通して基本的には主人公視点で嫌な奴(まれに憎めないやつなパターンもあるが…)である。そんなやつらになぜヒロインは惚れてしまうのか。その最も大きな理由は、性行為が気持ちいいからである。
では、エロ漫画において、性行為のうまさを規定するパラメータとはなんだろうか。ラフに分解すると、定量的なものと定性的なものに分けられる。エロ漫画において、定性的なものは「気持ちいいところを見つけるのがうまい」や「テクニックがある」などが挙げられる。これらの指標において、読者は自ら、あるいは自身が没入している主人公より間男が上であることは分かるが、具体的には比較しようがない。そのため、なかなか難しい。(実際に寝取られたことがあるなら可能なのかもしれない)
いっぽう、定量的な側面はどうだろう。エロ漫画中の性行為において最も重要な定量的なパラメータ、それは陰茎の大きさ(長さ・太さの両方を含む)であろう。ほかにも持続力や筋力などあるかもしれないが、ヒロインの言及頻度(〇〇君じゃ届かない等)を踏まえても、エロ漫画内では陰茎の、特に長さが性行為の快感に直結していると考えられる。つまり、エロ漫画において、最も読者に伝わりやすいNTRの理由は間男の陰茎の大きさなのである。
ここで、少し視点を変える。NTRモノにおいて、最も正当的な楽しみ方はやはり主人公(寝取られる側)への没入であろう。主人公に自分を重ね合わせ、寝取られるヒロインをどうすることもできない感情を味わい、間男に快楽堕ちされたヒロインをみて興奮する(俗に言う、脳が破壊された状態)のである。つまり、NTRモノを最大限堪能するには主人公と自己との同一化が不可欠である。
さて、ここまで長々とNTRの特性について語ってきたが、そろそろタイトルにある私の事情について述べよう。私は以前よりNTRモノが好きであり、前述通り主人公に自己を重ね合わせ様々な名作を楽しんでいた。私自身はパートナーとの性経験はあったものの、互いに初めて同士だったのもあり、そこも含め没入できていた(NTRにおいて初体験を済ませたカップルは格好の餌食である)。しかしここ半年で事情が変わる。前述のパートナーと別れ(セックス以外の理由である)、新たなパートナーとの交際を始めたのだ。このパートナーは年上ということもあり、非常に経験豊富を自負しており、それは行為中の言動からも明らかであった。
そんな彼女が、初めて私の生殖器を見て述べた言葉が「うわ、デカいね」であった。それは予想外であった。少なくとも勃起した男性の生殖器をまじまじと見る機会は人生でなかったため、自己評価としては「中の下」くらいであり、とてもじゃないがそのような感想を受けるとは思っていなかったのである。客観的指標を述べると、17.5cmほどである。
そしてその瞬間から、私のNTRモノへの没入は不可能になった。だってちんこでかいんだもん。ヒロインがいくら「〇〇君のじゃ届かない」、間男が「ポルチオ/子宮を突かれるなんて初めてだろぉ」とかいったとしても、僕は「届くし突けるんだよなぁ~」としか思えず、泣き喚く主人公にも「そら、お前のちんこが小さいのが悪いよなぁ」としか思えなくなってしまった。助けてくれ。
そこで、ここで問いたい。巨根の皆さん、NTRはどうやって楽しんでいますか?僕のNTRモノライフを取り戻すためのお手伝いを、何卒、何卒、よろしくお願いいたします。
(この議論はあくまでエロ漫画の楽しみ方についてであり、実際の性行為の良さが陰茎が大きいか小さいかだけで決まるものではなく、テクニックなど定性的な側面、さらにはエロ漫画やAVからは感じることの難しい気遣いなどの様々な側面からなることは重々承知しています。また、生殖器が自らと比べて小さい方々を見下す・中傷する意図は一切ございません。その点何卒承知いただけると非常に助かります。)
しばらく都心で暮らしてて結局今は好き好んで地方住んでる独身女だけど、自分みたいなあんまり遠征や現場金かかるエンタメ好んでるタイプのオタクじゃない場合地方でも困らないんだよなぁ。
美術館が!とか舞台が!と言われるけど美術館は年に何回か地元の企画展行くか行かないかだし、舞台はそもそも滅多に行かない。ライブも同じ。
たまに地元くる舞台観て「たまに舞台観るといいなー」と思って帰宅するので十分楽しい。
ちなみにせっかく地元に来てるなら観るかって気持ちで観に行ってるから結果的に都心に住んでた頃より舞台観てる。
東京5年住んでたけどその時は5年で舞台2回しか観に行ってない。
オタクとしては同人活動してるから年数回上京する金がかかるのは確か。
この上京時の往復の交通費がそんなに痛手でもない経済状態だから困らないと言い切れるのかもしれないけど。
氷河期世代の駄目な所がここだよね。
幼少期にバブル社会の勝ち負け世界論を染み込まされ、そこから脱却できないまま人生を過ごしてるからなんでも勝ち負けで考える。
そんでもって人に批判されるのが嫌いだし、自分は人を批判するのが大好きなので「賢い生き方(分かりやすい形で個の利益が出る)」に固執しがち。
だから株式に対しても期待値が一番大きくなるオルカンだけが正解で、それ以外は「幼稚な万能感に振り回された馬鹿のギャンブル(藁)」としか感じないんだろうね。
虚しい生き方してるわ本当。
確かに、儲けの期待値だけ考えたらインデックス投資の方が上かもしれないけど、株ってそれだけじゃないよね。
株ってそもそもはファウンディングの一種で、「この事業面白いね。俺は金出して応援してもいいよ」って感じのものなわけじゃん?
投資したからといって返ってくる保証がないからギャンブルの一種みたいに言われるけど、事業に対しての投資って金儲けだけじゃないと思うんだよね。
会社が自転車操業する中での足しにしてもらうための資金援助としての面も強いわけじゃん。
個別株投資のデメリットでよく言われるのが「会社が事業に失敗したら損をすること」だけどさ、それをそのままひっくり返したものがメリットだと思うんだよ。
「あとちょっと予算があれば事業が上手く行ってかどうかの瀬戸際のを支えられる可能性がある」って所が個別株の面白いところだと思うんだよ。
会社経営もギャンブルに近い所があって種銭のぶつけ合いみたいな闘いも結構出てくる。
そこで勝負所強く出ていくための資金を少しだけ貸してやれるってのはなかなか良いもんだと思うよ。
株主総会に参加するとかも経営サイドの考え方を半ば当事者として聞ける楽しい機会だし、そういうチャンスのためにお金を預けとくのも悪くない。
氷河期世代の自称リアリストさん達はしょっちゅう株について冷めたこと言って賢ぶるけどさ、そうやって気取った態度で上から目線してるだけじゃ人生面白くないよ?
「株はやらない奴が敗けるだけのクソゲー。タンス預金してもインフレ率に合わせて目減りするので仕方なくオルカンしてる」みたいな考え方、中学生がやるならともかく定年が見えてきたような年齢で口にするものじゃないって……。
株っていうツールはさ、自分の手持ち資金で世の中の流れを少しだけ変えられる面白いシステムなんだよ。
100万円の投資を1000人がやれば10億円の資金になるわけで、それは多くの企業にとって全く未来が変わる金額なわけ。
ネットでレビューして褒めまくるとかよりも明確に企業の未来に影響を及ぼせる力があるわけ。
投資を単なる金儲けの手段として期待値が高いか低いかだけで考えるのもいいけど、世の中の色んなサービスが誰かがその事業に投資した結果として産まれり続いたりしてきたってことだけは理解したほうがいいよ。
『チャーリーとチョコレート工場』はテレビでちょくちょく放送されてるけど、本国では評判よくないって知ったときは軽くショックだったなあ。
どうやら旧作に『夢のチョコレート工場』ってのがあって親しまれているらしいんだが、それと比べて『チャーリーとチョコレート工場』は魅力に欠けるらしい。
日本では『夢のチョコレート工場』は有名じゃない、つまり比較対象がないから評価されやすかったんだろうな。
こういう、自分の中で何らかの評価基準だったり比較対象があるかどうかで印象がガラリと変わるってのはあるんだろうね。
そういえば『ライオンキング』がCGアニメーションになってリメイクされたとき、俺は正直そこまで評価してなかったな。
高クオリティなCGによる映像美は確かにすごいけど、基本的な面白さは旧版からあるものだし、むしろケレン味が減って物足りなくなった。
でも旧版に慣れ親しんでない人からの評価は高いらしくて、最近スピンオフ作品も上映されてるあたり結果は出てるんだろう。
“慣れ親しんで”と書いたけど、“慣れ”が評価の分かれ目ってのもあるんだろうね。
『ドラゴンボール』の悟空の声優といえば野沢雅子だし、それ以外に考えられないと思っている人は多いけど、他の国ではそうではない。
アメリカだとショーン・シュメルっていう男性声優がマッシブな声で演じていて、あっちでは悟空の声といえばこの人って感じらしい。
そんな人たちが、ドラゴンボール新作の吹替版を待ちきれずに字幕版を観た結果、界隈はちょっとザワついたらしいね。
もちろん長年やっているオリジナル版の声優ということでリスペクトを示す人も多くいたが、一部では「Grandma Goku(悟空お婆ちゃん)」なんて言葉が蔑称寄りに使われているほどだ。
俺たちは慣れているけど、筋骨隆々の男の声を老齢の女性が演じているわけだから、身も蓋もない通称だ。
でも、「悟空の声=野沢雅子」というパブリックイメージや慣れだとかを抜きにしてフラットな気持ちで改めて聴いてみると、まあ野沢雅子の声はお婆ちゃんだ。
劇場版ポケットモンスターの『みんなの物語』で、野沢雅子がヒスイっていう老婆の声をやってるのを思い出す。
当時「悟空がお婆ちゃんの声やってるw」って感じの反応してる人も多かったけど、よくよく考えてみたら「お婆ちゃんが、お婆ちゃんの声やってる」だけともいえるんだよね。
何が良いか悪いかだとか、是非の話とかをしているわけじゃなくて、とかく作品の評価ってのは別作品や“慣れ親しみ”ってのが評価基準の重要なファクターになってるんだなと改めて思った、っていうのを書き連ねただけ。
現在、エージェント経由で面接日が決まり企業HPを見ながら着々と準備を進めている。その中で待遇面、仕事内容、休日で志望度の高い企業があり、企業理念を見ていく中でふと違和感を抱いたものがあった。
“報恩”という言葉、これは調べてみると仏教系の専門用語で寺社系やパナの創業者の話もヒットする。一見頷ける良い言葉。
過激派の仏教じゃなければいいかと、スルーしそうになったが一応思い浮かんだアレも共通ワードがないかだけチェックをしておくか、と思い検索。
こういう嫌な予感は当たるしふとした違和感は大事にした方がいいとよく聞く。逃げるなら早いうちにだし。
でも現場の人には関係ないかもしれないし、一応面接だけは受けておくかなあという気持ちではあるがあれだけ高かった志望度も萎んでいってしまった。やっぱり嫌悪感がある。
メダリストがアニメになるってんで、そりゃもう待ちわびてたのよ。
登場人物たちの滑走が、演技が、動くなんてという喜びにあふれていたわけで。
昨日2話目を観おわったのよ。
して思うわけ。…これじゃない。
何がモヤモヤするんかと思ったら、多分2つ要因がある。
1つ目、絵柄。原作はつるまいかだ先生の、ちょっと粗めのタッチが魅力的だ。登場人物たちの鬼気迫る熱狂を支えているし、コミカルな場面ではいい感じに脱力させてくれる。しかし、アニメはきれいな細い線で、色彩はハイトーンかつコントラスト低めである。主人公が小学生なこともあり、なんだか女児アニメ然とした空気が生まれている。特に1話の、いのりが笑顔を見せるシーンのキラキラエフェクトは笑っちゃったよ…。あんなキラキラさせられると、なんのアニメを観ているんだと悲しくなる。2話の光と滑っていたシーンの、背景消して青いきらきらの世界にしたことも辛かった…。なんだあれ。あのシーンは、光の強さや決意、覚悟を語り、いのりが感化されるシーンである。強さや力を感じさせる演出ならまだしも、キラキラな背景はなかろうよ。もう少しトーン暗くしたり陰影強くして力強さを出してもよかったんじゃないかと思う。その方がいのりの、圧倒的な執着と、その輝きを感じただろうに。
2つ目、テンポが悪い。ギャグパートもシリアスパートも全体的にゆっくり描写されて緩急がない。2話の、光といのりの出会いから一緒に氷を滑ったくだり、良くないところが顕著に出た。いのりが光にジャンプを教えてと乞うシーンでは、原作ではギャグシーンをサッと描写し光目線で「なんなのこのコ?何?」という感情描写につなげることで、その後のいのりの内面の焦りを語るシリアスシーンが映える。それが主題だ。だが、アニメではギャグシーンが変に間延びして、自分から突っ込んだ挙げ句、ゾンビのようにねっとりと「ジャンプ…ジャンプ…」と迫る怖い子になってる。光かわいそう。絵柄も相まって、ギャグシーンのデフォルメ顔がかわいくないのも致命的。
以上、2話までの視聴の感想でした。
キラキラな世界を、幼い女の子が活躍して、可愛い姿を堪能しようって話なら良いのかもしれないけど、
メダリストは、過酷で残酷な氷上の世界を、幼い女の子がバディ(あけうらじ先生)と共にスポーツ科学に裏打ちされた努力を重ね、成長をしていく世界を描いていると思っていたので、ことごとく期待外れ。
「童貞の語るセックス」なんて言い回しを使っている時点で、議論の土台からズレているよね。
煽りとしても低俗で、内容に具体性がないから、何を伝えたいのか全くわからない。
ここで言いたいのは、「実際に体験してから発言しろ」ということだろうけど、議論の主軸はデータや市場評価をもとにした比較であって、乗ったか乗らないかだけで全てが語れるわけではない。
体験が参考になるのは確かだけど、それだけでは技術的な違いや市場におけるポジショニングを正確に議論するのは不十分だよね。
これも、議論に全く関係ない個人攻撃に過ぎない。免許や金銭的状況が議論の妥当性にどう関わるのか、一切説明がない。
もし「実体験に基づかない意見は価値がない」と言いたいなら、それをデータや具体例で裏付けて主張すべきだろう。
全体を通して、結局のところこちらの意見に反論するための論拠や具体例は一切出てきていない。
議論の場では、感情論や煽りではなく、データや客観的な事実を基に話すべきだと思うけど、どうだろう?
もしアルファードとBYDを体験したうえで具体的に比較できる点があるなら、それを出してくれたら議論になるけど、このままではただの誹謗中傷にしか見えないよ。
「免許取れよ」とだけ書いて終わらせるのは、議論放棄以外の何物でもないよね。
それで何を主張したいのか、もう少し考えて書いてほしい。こちらは論理的に意見を述べているのに、感情的な一言で片付けるのは議論の場として成り立たない。
まず、「免許取れよ」というが、仮に「免許がない人間にはクルマの評価をする資格がない」という趣旨で言っているなら、それこそ検討違いだ。
免許の有無は、クルマの性能や市場における動向を分析・議論する能力とは全く無関係だ。
クルマに関する議論は、技術やデータ、実績に基づいて行われるべきであって、免許を持っているかどうかで発言の価値が決まるわけじゃない。
むしろ、免許があるかないかだけで議論を軽視している姿勢こそ、貴方自身がクルマについて表面的な理解しかしていないことを露呈している。
免許があるなら、その知識や経験を生かして具体的なデータや根拠に基づいた意見を提示してみたらどうかな?
現状、免許がどうこうと個人攻撃をしているだけで、BYDやアルファードのどちらが優れているかという議論には一切貢献していない。
最後に、もし「免許を持っていない人間に議論する資格がない」というのが貴方のスタンスなら、次回はその論点についてもちゃんと説明してみてほしい。
※はるか昔に仕入れた知識なので、誤っているかもしれないし、今さらソースなんて確認するつもりもないから、各自確認してください。
世の中いろんな動物がおりますが、ちんこの形は2つに大別される。カリがあるか、ないかだ。
全体的な傾向としては、集団生活する動物はカリがあり、夫婦でべったりな動物はカリがない。
カリの主な機能としては、まぁカリ単体というよりは、ピストン運動と組み合わせることで、中に入っている液体を掻き出す効果がある。
つまりは集団生活をしていて、他のオスの精子がすでに入っていた場合に、それを押しのけて自分の精子を送り込むために、カリとピストンがある。
カリが特に大きいちんこをお持ちの諸君。おめでとう。君たちのちんこはとても嫉妬深い。
そしてそのちんこのおかげて先祖代々他の精子を押しのけてこれたのだ。
ここまで説明すればもうわかるだろう。
賢者タイムというのは、そのまま発情していたら、せっかくたくさん掻き出して送り込んだ自分の精子を再び掻き出してしまうのだ。
だから精子を出し尽くしたらもう発情しないのだ。離れろとなるのだ。
ここからはn=1の話だが
例えば、中出しするときはいっきに全部でるけど、外出しするときは回復が早いなどの経験はないだろうか?
この性質を利用すれば、一晩で何度もプレイできるぞ。まぁ一回の射精を分けてるだけだけど。
あれはなんだろうね。
大体やったらさめるんだけど、やったらもっと好きになる女というのが世の中にはいる。
そういう女とセフレの期間が一番QOLが高い。と個人的に思っている。
ということで賢者タイムにまつわる小話でした。
その指標が変数を落としてて現実の反映ではない、というお前の指摘は事実なんだが
じゃあ例えば、地方の現実を正確に反映した指標をもって、危機と危機以外の差を明確に示した時、それが何の役にたつかというと
あまり何の役にも立たない。
「病床の数的に危機が来ているので、ちょっとその救急患者は診ないことにしますね」とかするわけがない。
病床が患者に対して足りているかいないかの判断が、いつ役にたつかというと
新しい病院を作ったり改装したり、地域での救急とか入院とかの役割の割り振りを決めたりする時だ。
これは、今まさにやっている。地域に受け入れ数が足りないとなれば増築と補助金と新人の雇用の話にもなるし。なんか偉いさんが会議してるわ。