はてなキーワード: お笑いとは
ねぇ誰返信で笑えなかったって書いてるの、私はしっかり笑いました。ちょっと前だったから当時は有名じゃなかったけど出てた芸人には今やそれなりにネームドになってる方もいたし普通に面白かったです。名誉のため。
最近できた彼氏がやたらとライブについてきたがる。私は誘われたライブは行くし音楽なら予習していくし、お笑いならアンケもしっかり書く。それくらいの気概で行かないと誘ってくれた人にもステージ上の人たちにも失礼だと思うから。でも今の彼氏は恋人と一緒にライブに行くことが目的になってて音楽は予習しない、お笑いは終演すぐにそんなに笑えなかったねとか言ってくる。
だから連れてきたくなかったんだよ、ポルノはチケット取るのまぁまぁ大変だったし。地下お笑いなら好きな芸人の取り置き増やせるからいいかなと思ったらなんか普通に嫌な気持ちになったし。
普通に腹立つ。それ以外は好きけどノンデリだし恋人をアイテムだと思ってそうなので別れる。27のやることかよ、ガキじゃん。
これどっちも最近あった話とかじゃなくて普通に喧嘩して思い出してイライラしたから書いたやつです、時系列とかどのライブとかは言わない(お笑いは覚えてないし)
TikTokに「夢小説音読」をやっている顔出し男性インフルエンサーがいて、ネット上にある痛い夢小説を探してきて小馬鹿にしたような口調で音読して、視聴者と一緒に笑うというコンテンツがある。
ただ夢小説は、「五条悟夢」のような二次元キャラクターについてであれば集英社に対する権利侵害であるし、現実の男性アイドルや男性YouTuberについてのものであれば実在人物に対する性的嫌がらせでもあり、
男子中学生のYouTuberも夢小説を書かれて、それを本人が認知しているという「実在人物に対する児童ポルノ的な侵害行為」という面もあったりして、加害性のある創作物だから、
夢小説晒し音読TikTokを叩いて夢小説を完全擁護できるかというと、無理というのはある。いやナマモノの夢小説って、アイコラ的な犯罪的コンテンツですよね普通にね…。
ちょんまげ小僧夢小説認知事件にしろ、ジャニーズジュニアに対するものにしろ、実在児童関係は本当に公開されちゃダメなやつだよ。(なんでアンフェってこういう、女側の完璧にアウトなものをスルーしがちなんだろう)
ただ、完全オリジナルの一次創作・創作男女的なコンテンツも、「バカ女はこういうのを好むwww」的に晒された時代もあるんだよな。おこなわれてたのはまとめブログだよ。
まとめにするためのスレ立てというロンダが行われてたように思う。ブロガー本人が探して攻撃したということにしないため、掲示板に一旦貼って「2ちゃんねらー、VIPPER、なんJ民」などが晒しと攻撃をした体裁になっていた。
https://michaelsan.livedoor.biz/archives/51769069.html
↑こんなの一例に過ぎず、複数のまとめブログが女絵師の一次創作を晒すだけの記事を次々まとめていた時代があった
ああやって晒されて、揶揄や攻撃のコメントが来たことで筆折った創作者もいたので、あの時期は本当に問題だったと思うけど、あまり蒸し返されることもないな。
何度も言うけど実在人物の夢小説については、実在人物への嫌がらせ創作なのだから、むしろ筆を折られろと思う。ジャニタレにも人権あります、当たり前です。だから夢小説晒し音読TikTokerについては正直何も言う気はない。
お笑い芸人の同性愛セックスの同人誌を描き、本人に送り付けるといった行為も問題。お笑いについては標的が成人男性ではあるけど、ナマモノ同人誌送り付け事件は本当に酷い。
お笑い芸人は「真面目に怒ったり気持ち悪いと思ったり傷ついたりすると面白くなくなる」という縛りがあるので、その点も余計に暴力性がある。
ただ、誰にも危害を与えていないオリジナル作品をまとめブログが晒し上げて、まとめのコメ欄にいるような種類のファンネルを煽動して筆を折りに向かわせてたあの時代は、問題だっただろ。
ここ数年ブログ書く気が失せてたんだけど、文章はWeb向けにたまに書いておきたいなあと思ったので久々に本を書きました。
今回は日商簿記3級の教科書をつくってみました。明日(3/14)まで無料にしてるので、はてなユーザの方にはとりあえずダウンロードしてみておいてほしいのです。
・Excel(スプシ)で学べる! デジタル時代のための日商簿記3級【新】教科書」
簿記って、いまだに紙の帳簿に手計算をする会社をモデルにした試験なので、ふつうにExcelやスプレッドシートを使うビジネスパーソンが会計を学ぼうと思っても、紙と電卓で計算させられるのは正直、学習のモチベーションが下がるんじゃないかと。
だったら、最初からExcelやスプレッドシートで学べる形にしたらいいんじゃない?と思って書いてみました。
実務にだいぶ寄せたつもりではいるので、かなり長くなっちゃったけど、とりあえずDLしておく分にはいつか使えるかもしれないよーというくらいのノリでお願いします。
テキスト内の仕訳には、実務でもよくある「摘要」という仕訳のメモを書いていて、架空の社名とかを入れまくってたんだけど、Kindleだと横長のセルが窮屈になっちゃって、泣く泣く摘要を消すことに。
自分はお笑いが好きだから、芸人や事務所の名前をもじった架空の社名にしてたんだけど、それも全部消すことになったのが残念。テキストの文章とかに名残はのこってるんだけどね。。
より正確には、何故2~3時間クラスの重量級ボードゲーム(重ゲー)のプレイヤー人口は増えないのか?
コロナ禍の巣籠需要や、プレイスペースの増加と、追い風にも関わらずプレイヤー人口が増えている気配がない…。
その理由をボードゲームコミュニティに居て「何となくこれが原因じゃないかな?」と思ったので書いてみる。
体感であるが、このコミュニティの人口比率は二極化している。数少ない入門者と、熟練の上級者である。
入門者のちょうどいいチュートリアル相手になりそうな技量の中級者というのが極端にいない。
彼ら中級者は何処へ行ったのか?おおよその末路は三つだ。ボコられて界隈を静かに去るか、クローズコミュニティに籠るか、猛者共と渡り合う修羅へと成り果てるかである。
そのため、入門者はチュートリアルにも関わらずLv.50の熟練者と対峙する羽目になる。結果、負けイベを越した苦行に2~3時間付き合わされるというトホホな思い出だけが残されるのである。
まるで衰退が叫ばれていた一時期の格ゲーや、末期のMMOのような有様である。
しかしそれらが遊ばれることは少ない。何故か?上級者は既に遊び尽くしてしまっているからである。
それ故、入門者が興味を持って名作ボドゲを調べ、一人のこのこプレイスペースへやって来たところで卓が立つのはまずない。
仮に卓が立ったところで、先に述べたように熟練の猛者にかわいがられる地獄と化し、結果トホホな思い出だけが残るのである。
一応初心者会などが開催されていることもある。だが、大抵は単発で終わる。面白さに気付いた初心者が中級者になるほどにプレイする機会に恵まれることは極めてまれである。
高い、高すぎるのだ。
まずボードゲームを始めたければルールを理解せねばならない。しかしこれがもう既にハードルが高い。
ものは試しで30分以内で終わるようなパーティーゲームのルール説明書を読んでみるとよい。何言ってんだこいつってなるから。
所狭しと書かれた文章、たまに出てくる図解、それらを読み込み理解する。更に自分が誰かを誘った場合は他人に理解してもらえるように説明しなければならない。
そんなルール説明書が重量級ともなれば10~20ページである。
各々が探り探り駒を動かし、資源を獲得し、カードをめくっていく。すると各々あることに気付き始める。
ただでさえルールが複雑なのだ。人によっては「そんなルール聞いてないよ」とブー垂れるであろう。また、ある人からしたら「こう思ってたけど違った」と自身の当初のプレイプランが崩れ一気に不機嫌になるだろう。
そして盤面は阿鼻叫喚溢れる2~3時間のスペクタクル地獄絵図と化し、結果トホホな思い出だけが残るのである。
ルールへの理解力と、説明できるコミュニケーション力、そして長時間プレイに耐えられる忍耐。いや~、酷い。
ここまで読んでこんな疑問が湧かないだろうか?
なるほど。ベストアンサーである。素晴らしい。では誘ってみよう。
どんな人を誘えばいいだろうか?まずルール説明1時間、ゲームプレイ2~3時間に付き合ってくれる人じゃないとだね。
あと、ゲーム前後のコンポーネント(駒とかカードとかのこと)準備と後片付け、それらに付き合ってくれる人だと自分が居なくても遊べるな。
そうそう、ある程度複雑なルールをちゃんと覚えていられる人でないとゲームにならないね。
そんな友人。それを2、3人誘おう。
…どうだろうか?果たしてパッとそのような友人知人を思い描くことが出来ただろうか?また、実際に集めるところまでイメージが出来ただろうか?
既に述べたが、重量級のボードゲームは、その難易度が故にプレイヤーへの要求値も高くなりがちである。よほど熱意のあるようなきっかけがなければ「もうやらなくていいや」となるだけではないだろうか。
それならばオープンなプレイスペースにそういうメンツを調達しに行くのが手っ取り早いのではなかろうか?
そして初心者は猛者にかわいがられるのである。その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ。
「熟練者は初心者に手加減しないのか?」という疑問が湧いた方もいるのではないだろうか?
「初心者狩りばかりしやがって、ふてぇ野郎だ。」そう思われた方もいるだろう。
しかしながら、この認識は正しくはない。ボドゲ熟練者は、多少性格と言動に難はあるだろうが、基本的には善良な市民である。
では何故手加減をしないのか?巷では「手加減は相手に失礼であるから」などという武士のような信念がまことしやかに囁かれているが、これは正確ではないように思う。
彼らは手加減をしないのではない。重量級ゲームは、そのゲーム性が故、手加減をしている余裕がないのである。
あらかじめ断っておくが、私は相手を直接叩くことが求められるウォーゲームのようなものはやらない。基本的にやるのは某農業をするようなタイプの苦行である。そのため、認識に齟齬があると感じられるかもしれない。
その上でだが、重量級のボードゲームというのは非常にシビアである。首位争いから脱落するのは一瞬だが、コツコツ積み上げてきたプレイヤーの盤面が覆ることはほぼない。
それ故、上級者が初心者の邪魔にならない堅実なプレイをすればするほど、初心者からすれば一方的に突き放されるような展開が続くのである。
気が付けばダブルスコアが付いた状態で2~3時間付き合わされたというトホホな思い出が残るのである。
時代は大配信時代である。ボードゲームの実況動画なんか出してみたら人も集まるんじゃないか!?
いいんじゃない?試しに出してみたらいいと思う。絶対に伸びないから。
重量級ボードゲームは傍から見ていると絵面が絶望的に地味である。各々が黙々と悩みながら勝っているのか負けているのかもよく分からない絵面が永遠と続く。
どこで戦局が変わったのかも分りづらいからカットも難しい。これが数時間。そんなもの、だれが見るというのだ。
信じられない、というのであれば重量級ボードゲームのプレイ動画というのを見てみるとよい。大体悲惨なことになってる。
多少精通している自分が見てもつまらないと思うのだ。いわんや初心者をや、である。
つらつらと適当なことを書いたが、おおよそこんなものも原因じゃないのだろうか。
こんなタイトルにしておいてなんだが、自分は重量級ボードゲームのプレイ人口が増えることはまず無いだろうと思っている。細々としながら今後も続いていくだろう。
というか、別に増やしたいと思ってない。寧ろ自分が若干嫌気がさして去ろうかと考えてもいる。
最近やったゲームに対しての感想が軒並み「こんなのに数時間も付き合わされたのか」だった。顔馴染みのよしみで卓を埋めるためのメンツとして参加し続けて疲れてしまった。
次の予定が近い、という相手に配慮しながら早回しでプレイしていたにも関わらず、当の本人は手番のやり直しや長考を頻発し、散々雑談して遅延した挙句片付けもせずにいそいそと退出していく。そういうしょうもないことにイライラするようになってしまった。
卓に参加しながら「あー、これなら映画行ったり美術館行ったり服買い行ったりしたかったな」や、「この時間だと帰りにスーパー寄れないな」といった思考でプレイするのにいい加減嫌になった。
上で書いた内容は自分が不満に思っている内容もいくらか含まれているため大分主観的な内容であるということは断っておく。改善もされないだろうと諦観もしている。
抱え込んでいた希死念慮が爆発した。
理由は友人とのいざこざ。
それだけが理由ってわけじゃなかった。それまでのいろいろが積み重なった結果、ここで爆発してしまっただけ。だからその友人に別に恨みはなかった。
ただ人生にもう希望が持てなくてとにかく「早く死ななきゃ」ってそれしか考えられなくなった。
未来でしていたいろんな約束があったし、好きなバンドのライブもあったし、旅行に行こうねって計画も立てていた。
でもそんなの関係なかった。今まで死のうとしたときに私を押し留めていた「悲しむであろう両親」の存在すら、今回は私を止めるに至らなかった。
とにかく、死にたかった。消えたかった。いなかったことにしてほしかった。自分という存在を。
34歳になっても子供みたいに、何の取り柄も身につけられず、人と同じように上手く生きられないのがずっと辛かった。
まず遺書を書いた。
オタクだったので、各SNSのサービスにログインするためのパスワードを記載して消してもらえるように頼んだり、パソコンは問答無用で破壊してくれと頼んだ。
友人へは、SNSの自動投稿機能で読んでもらおうと思って、1週間後に自動投稿予約をした。
身辺整理をした。
見られて恥ずかしいものは普段から整理して捨てるようにしていたので、一日とかからなかった。
昔の落書きなんかはコツコツシュレッダーにかけていたのでほとんど残っていない。恥ずかしいものといえばパソコンの中身くらいか。
あとまあ、昔友人と使ったアダルトグッズとか…これはいい機会だし絶対に見つかりたくなかったので即座に捨てた。
友人への遺書に、遺品整理を頼むと書いた。親ではなくてオタク友達に遺品整理をしてほしかった。
整理していて次々に出てきた大事な物を見てもなんの感情も沸かなかった。感情が死んでいた。
死に方を考えた。
安易に、海が好きだから海に行きたいと思った。近くの海に行って、大量に薬を飲んで凍死しようと考えた。
薬局でメジコンをたくさん買った。何も言われなかった。死ねなかったときの保険に刃物を持った。とにかく、海がよかった。家で死ぬのは嫌だった。
これから一人でこの家で暮らさなければいけない母によけいなトラウマを植え付けたくなかった。
私が死んだあとのことを想像した。
何も変わらないだろうなと思った。時計は進むし、人は生きるし、死ぬし、地球は回るし。
私が死んでも一瞬驚けど何かが劇的に変わる人なんてこの世にいないと思った。
私が一番に好いている相手にとって私は一番ではないし、私に向けられた言葉なんて全部ウソだと思っていた。今でも思っている。
夕方、一度下見に来た。
海の近くの駐車場。案内看板を見れば、平日は夜間でも終日開放しているらしい。ラッキー。
海を見に来ている人がちらほらいた。カップル、ヤンキー。爆音で音楽を鳴らし、缶コーヒーを片手に語り合うサングラスの兄ちゃんたち。
波が高く、風が強かった。思った以上に寒くて、これなら簡単に死ねそうだと思った。
すぐ近くに雪捨て場があって、昼間の地熱で一部が溶けたのか洞窟のようにぽっかり空いた穴があって、少し怖かった。
家に戻って母が作った夕飯を食べた。最後になるのかもしれないと思った。タコライスみたいな何かだった。
配膳の準備をしながら私は泣きそうになっていた。必死に隠した。
なにか喋ろうと思った。死にたい、助けて欲しい、こわいって言いたかった。でも普段から積極的に話しかけることのない私に、そんな勇気はなかった。
笑い飛ばされたらどうしようって思った。夕飯中は録画していたイロモネアを見ながら母が笑っていた。
一緒にいると大泣きしそうだったので、できるだけ一緒に過ごそうと思ったけど、結局早めに食器を片付けて離脱した。
部屋に戻り、次の日に締切の仕事が一つだけ残っていたので、心残りにならないように片付けた。
母が寝たら出発しようと思って、遺書を机の上に置いて、薬とカッターを鞄に詰めた。
ペットに餌をあげた。部屋をできるだけ綺麗にした。何もかも最後になるのかもしれないと思いながら。
いのちの電話を使ってみようと思ったけど、ネットの評判を見てやめた。相談できる相手が私には一人もいないんだと思った。
24時になり、準備が終わった。鞄を持って、そっと家を出た。
コンビニで酒を買った。ODは酒で流し込むものだと学んでいたので。でも飲んだら運転できないし本当に帰ってこれないなとぼんやり考えていた。
最後のおやつとしてピザポテトも買った。あんまり食欲はなかった。
妙に緊張しながら運転して海へ向かった。
夕方は人がいた広い駐車場も、こんな時間では当然のように私一人だけだった。
警備員さん的な人が居て怒られたらどうしようと思っていたが、本当に人っ子一人いない。電灯もない。真っ暗闇。
波がしぶきをあげて岩にぶつかっているのがかろうじて見える。夜の海は怖い。そして寒い。
車を降りて、岩場を歩いて、テトラポットを渡り歩く。子供の頃から好きな遊びだった。隙間から下を除いて、小魚やカニを見るのが好きだった。
でも今は暗闇に包まれて何も見えない。足場の距離感も掴みにくい。通報されたら嫌だからライトはつけなかった。
座れそうなポイントをみつけて、そこに座り込んで、冷たい風をしばらく浴びていた。
正直恐怖心がすごかった。夜の海は好きだけど、この状況では恐怖でしかなかった。死ぬ恐怖に加え、海への恐怖も乗り越えなければならないことに、やっと気づいた。
手がかじかんだ。携帯を落としてしまいそうで、鞄の中にしまいこんだ。
無性に、単身赴任で今は家にいない父の声が聞きたかった。数日前は帰ってきていたのに、そのときに話していたらよかったと思った。
電話をかける直前で悩んだ。遠くにいるのに困らせたくない。でも助けて欲しい。怖い。
結局どうしたかというと、体が冷え切るまで悩んだ末に、家に帰ることにした。酒は一滴も飲んでいない。
好きなバンドの曲を聞きながら、ガラガラの道路を運転して、長いトンネルを抜けて帰った。
家に着いても死にたい気持ちがなくなったわけじゃなかった。むしろ、死ねなかったことによる焦りを感じていた。どうしよう。
とりあえず酒を開けて、メジコン10錠を流し込んだ。少しでも気分が和らいでくれればいいと思った。
ポテチも食べてみようと思ったけど、一枚だけであとは脳が受け付けなかった。目がバキバキに冴えていて、ガンガン頭の中でなにかが鳴っている感覚が止まなかった。
動悸も激しくなった。バクバクとうるさい心臓を感じながら、布団の中で、youtubeのショート動画を久々に見た。
ここ数日は本当に気分が暗くて寝る以外のことができなかったので、久々にSNSや動画サイトをゆっくり見てみた。
バカバカしいと思われるかもしれないけど、ショート動画で流れてくるお笑いの動画が、私の心を楽にしてくれた。かなり昔にやっていたマッチョ4人組のコントが好きだったのを思い出した。
そして、私が落ち込んでいるのを気にかけてくれていた友人から遊びの誘いが来た。未来で遊ぶ約束をまた一つ、無責任に増やした。
ODによるものなのかもしれないけど、一時的に眠れる気分になったのでその日はそのまま寝た。
起きてから余った酒とポテチを食べた。仕事は昨日終わらせていたので、特にやることがなかった。
しばらくボーッと過ごした後、用意してあった昼ご飯を食べたが全部吐いた。過食嘔吐は癖になってしまっているので簡単にやめられないと思う。
その後母に頼まれたイワシの手開きを終わらせて、予約投稿などを削除して今に至る。
なんのこっちゃと思われるかもしれないが、死にたい気持ちはまだある。なんの問題も解決していないのだから。
ずっと刃物を手首に当て続けている。首に縄をかけたまま。錠剤を流し込みながら。死ぬ準備は整ってしまった。遺書はまだ机の中にある。来週には死んでいるかもしれない。
でも今日は生きている。昨日、死ねなかった。何が私を生かすのか殺すのかわからないな、と思った。
この体験に意味があると信じて、ひとまずはまた明日まで生きてみようと思う。
それだけ。
私が思うぶつかり系
私が思う強い女
私が思う弱い女
もう一段先の弱くてぶつかり系
もう一段先の弱くて脱落系
さらに先の強いおばさん
さらに先のぶつかりおばさん