はてなキーワード: WIKIPEDIAとは
2011年の国勢調査では、ロンドンの人口の50%未満が白人であり、
ロンドンには白人のイギリス人が人口の20%を下回る地域もあることが初めて判った。
アフリカ系アメリカ人による大規模なデトロイト暴動が市内で発生して多数の死傷者を出し、
アフリカ系アメリカ人を中心とする群衆と警察との間で
生じた小競り合いが瞬く間に拡大。
数千人規模に膨れ上がった暴徒が
ビビアミで悪名高いg123は、なんでエロ要素皆無のゲームをまるでエロゲーとして広告宣伝するんや。
かと思ったらどう考えてもR15級の微エロゲーをワンクッション無しで全年齢にプレイさせてもいる。
>プロダクト開発におけるスクラム(英: scrum)は複雑な問題への適応型ソリューションをチームで開発し...
素人の落書きのWikipediaですら冒頭で説明してるのに、はてなに上がってくるエンジニアwの記事は、最初からスクラム!スクラム!って書いてて、その視野の狭さでプロジェクト管理とかメンバーのマネジメントとか語れるの?と思ってる。
「さす九はダメ」な理由は、九州以外にも差別があるからだが、しかしそのロジックを聞いて思い出すのは「BLM(黒人の命は大事)ではダメでALM(すべての人の命は大事)と言うべきだ」である
アメリカで黒人はアジア人などよりも多く歴史を鑑みても明確に記録が残っていて、差別が維持されるような社会構造が残されていた。黒人が声を上げても不特定多数の人々が自動的に反応して握りつぶすので差別糾弾が表に出にくくなっていたんだ。ゆえに BLM の叫びは黒人とまわりの人々の注意を集める効果を発揮した。ALM はその声をかき消しかねない、と非難された。
しかし九州での女性差別は、本州のそれと本質的に違うという証拠はなく、Twitterに女性たちの声が表れた事実を見ると別に口を塞がれてる様子もない(注・もちろん家庭や親戚とか地域レベルでは、差別をキープする社会構造はあるのかも知れないが)。過去に日本全体の平均レベルよりも酷い女性差別が行われていたという研究結果もないと思う。
ただ、表沙汰になったのが何故 さす道 とか さす四 でなく、さす九 なのかはミステリーではある。距離が離れた地方の中で偶然たまたまアテンション・エコノミーを好む人たちに目を付けられたのか? それとも本当に特有の、何らかの差別を維持する社会構造があるからこそ九州の声が相対的に大きかったのか? は不明だ。
九州男児...
だが地域にある差別を解消するためには、レッテルを貼ることでスポットライトを当てて怒りの声を増幅するよりも、社会学者による研究を通して差別の実態を解明する方が効果的だろう。仮に、九州に病巣があったとしても平穏に暮らす無辜の住人を巻き込んで非難するのは可哀想だ。
身体を壊して先日ちょっと入院していたのだが、病院内ではWiFiが提供されていたので、消灯時間外の日常生活アクセスはそれのお世話になっていた。消灯時間は夜9時から朝6時までだ。
事前に「入院生活にそぐわないサイトには接続できません」という告知が為されていたので、覚悟の上で使ったのだが、Webアプリ開発者としての業務に必要なサイトとかも禁止されていたので、ここにメモしておく。
通信が禁止されていると思われるサイトに接続すると、ブラウザ側ではタイムアウトのエラーとして表示される。もちろん、それなりに待たされる。ブラウザの開発ツールの様子を見るに、おそらく TCP handshake に失敗していそう。
正常に接続できるサイトの様子を見た範囲では、HTTPS接続の証明書改ざんは行われていないようだったことから、HTTPSの暗号を解読してどうのこうの、という処理をしていない可能性が非常に高い。つまり、通信制限は接続先ドメインまたはIPアドレスによる判断で実施している可能性が高い。
また、中間的なサイトも存在する。通常2秒以内で表示できるようなサイトの表示に10秒(体感)かかるところがある。稀にタイムアウトする。
謎なのは、通信が禁止されていそうなサイトでも「待たされた挙句、つながることが非常に稀にある」ということと、curl等ではすんなりと接続できることである。
DNS設定と一緒にproxy設定が落ちてきているのであればこの挙動も理解できるのだが、手元のOSのネットワーク設定にはproxy情報が何も出てこない。ちょっとよくわからない。
もしもDNSに対するAレコード(AAAAも?)問い合わせに対してニセモノを返すという仕組みで通信制限しているのだとしたら、「非常に稀につながる」挙動にはならないはずなので、透過型proxyによって頑張っているのではないかと想像するところである。
なお、消灯時間中は全てのリクエストがタイムアウトになる。消灯時間開始直前に HTTP Request を送出して、応答が来る頃には消灯時間に入っている場合にはどういう挙動をするのか、というテストをやる暇は無かった。スマソ
業務で使う全部のサイトを検証できた訳じゃなくてゴメンね。結局のところ仕事は携帯回線でやっちゃったから。
ドメイン | サイトの概要 | 接続の様子 |
---|---|---|
hatelabo.jp | はてなの実験的サービス置き場 | すんなり |
anond.hatelabo.jp | 増田 | 禁止 |
??????.hatenablog.jp | はてなブログのドメインの一つ、そして増田の中の人のブログ | 遅い |
console.aws.amazon.com | AWSの管理コンソール | 禁止 |
www.amazon.co.jp | ショッピング | めちゃくちゃ遅いけどつながる |
www.amazon.com | ショッピング | めちゃくちゃ遅いけどつながる |
ja.wikipedia.org | 百科事典 | 禁止 |
www.php.net | プログラミング言語PHP | 禁止 |
www.typescriptlang.org | プログラミング言語TypeScript | すんなり |
stackoverflow.com | プログラミング質問サイト(英語) | すんなり |
qiita.com | プログラミング質問サイト(日本語) | 禁止 |
packagist.org | PHPのパッケージ管理 | 遅い(通常通り?w) |
www.npmjs.com | JSのパッケージ管理 | すんなり |
なお、自分のドメインのサブドメインに禁止ドメインを入れたようなもの、例えば anond.hatelabo.jp.example.com のようなドメインに対する接続可否は検証していない(面倒だったw)
サーバ目線で見える client IP をwhois等で調べると、某F社さんだった。AWS管理コンソールへの接続を禁止するあたり「あっ…!」と思ったり…w
MMTの話
https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd
現状、MMTという理論を肯定的に議論しているグループは二グループに分かれている。
片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的なグループだ。
おそらく大半のまともな経済学者はこのグループを分離して語るべきであるという前提に同意すると思われる。
政治的なグループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明な学説から、荒唐無稽としか言いようのない結論を自由に引き出し、それを用いて政治的な対立者を罵倒している。
僕の知る限り彼らは何度も事実と異なる主張をして、そのたびに反例を突きつけられているのだが、彼らの中ではこれは論破されたことにはなっていない。
この理由は多岐に渡っており、主張自体がなかったことになる場合もあれば、「それは誤解であり、この例は反例にならない」と主張される場合もある。
いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループと自身らのグループを都合よく使い分けており、普段は学問的なMMTの権威を用いて自説を展開するが、都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMTの勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある。
したがって、MMTの政治的なグループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。
ただ、彼らは別に学問的に勝とうとしておらず、単に自分のお気に入りの政策を実現したいか、あるいはもっと単純に政敵を都合よく罵倒したいだけなので、この無視は結果としては彼らにとってまったくダメージになっていないのが現状である。
一方で学問的なグループは、それほど支持を集めているとは言えないものの、書籍が出版される程度には活動実績がある経済学の一部分である。
ただ、それはたいして肯定的な評価ではない。というのも、僕の知る限り、1980年代から新しい学派と呼ばれるマクロ経済学の流派は乱立しており、その多くは学問的に成功したとは到底言えず、忘れ去られていっている。
MMTは現状でそれらの学派と異なる結末を得られる保証がなく、「たまに話題になる新しい一学派」という程度の立ち位置にとどまる。
この「学問的なMMT」は実のところ「有力な学説」とすら現状ではまだ言えないので、大抵の学者はまだ様子見しているところである。
様子見というのは「正しいかどうかをもう少し考えよう」ではなく、「勉強する価値があるかどうかをもう少し考えよう」という意味だ。
つまり、MMTは多くの学者にとって勉強すらされていない。だから僕も勉強していない。
この記事の冒頭で述べたように、この理論についての僕の理解は極めて浅いが、その理由は、MMTに勉強するだけの価値があるかどうかについてすら現状では測りかねているからである。同様の経済学者はかなり多いと思われる。
まとめると、MMTの現状としては学問的に成功しているとは言えず、とはいえ失敗しているとまでは言えず、まだ結論は出ていないが、いずれにしても知名度がそもそも足りていない。
その一方で、政治的には一部の国で影響を与えるほど成功しつつあり、政策議論を行うタイプの経済学者にとってはやっかいな状況を生み出している。
このあたりまでは、おそらくたいていの経済学者にとっての共通の現状認識と言えるのではないかと思われる。
では、上の現状が変わる可能性があるかという点についてだが、MMTが学問的に「成功」と言える状況を引き出すための方法は、少なくとも政治的に成功することではないという点は強調しておきたい。
正直に言って、僕を含めてかなり多くの経済学者が、典型的なMMT論者の「論争とは多数派工作である」みたいな態度に辟易しており、これは少なくとも学問的には逆風であると思われる。
だが、現状ではMMTは上で述べたように、大部分の経済学者から「勉強する価値がある」とすら思われていないと考えられる。
そして勉強されなければ当然学問としては成功しない。だから学問的なMMT論者はMMTを勉強させようと躍起になる傾向がある……けど、これも正直、逆効果だと思う。
実際のところ、MMTの政治的グループを批判して「おまえはMMTをまったくわかっていない」と言われるのが嫌だからという理由で、MMTについて一切発言しなくなった経済学者に何人か心当たりがある。
それは当然ながら学問的にはMMTは「そもそも議論されない」ことにつながるわけで、君たちそれでいいの?という感想。
とりあえず、MMTの解説については日本語記事で質がいいものは見つからなかったが、「英語版」wikipediaはたぶんかなり良質な記事だと思われる。
wikipediaだからもしかすると将来の編集でおかしなことになる可能性はあるけど……その中で、最後の方に書かれているこの部分が気になった。
Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.
この部分、かなり無視できない点で、つまりクルーグマンの感想が正しければ、MMT論者は「理論を検証できない状態」を意図的に作り出しているんじゃないかという疑いがあるのだ。
経済学では、サミュエルソンが強調して以後、ポパー型の反証主義がかなり重視される傾向にある。
僕はこれについて、必ずしも反証主義が絶対だとは思わないものの、MMTのような新興理論にとっては重要だと思っている。
つまり、MMTだと起こり、それ以外の理論だと起こらない現象はあるのか。
逆にMMTだと起こらず、それ以外の理論だと起こる現象はあるのか。
それらは現実だと起こっているのか、起こっていないのか。
これらは、MMTを支持する学者が中心となって積極的に検証するべきである。
主流派が主流派である所以は、この種の検証に耐え続けているからであり、MMTが主流派と対抗できる理論になるためには、最低限この種の検証に十数年は耐えられる(つまり、積極的な検証の結果としてMMTに深刻な誤謬が見つからないまま十数年が経過する)必要があるというのが僕の見解である。
言っておくが、これができたからと言ってMMTが正しいとは限らない。
しかしその場合、経済学者たちはMMTについて「少なくとも勉強する価値はある」と考えるようになるだろう。
結果として肯定されるか否定されるかはわからないが、少なくともそうなれば理論としては生き残りに成功した状態と言える。
残念ながら、僕が観測した範囲内でMMTの支持者にこのような動きは見られない。
どころか、検証されてもいない新理論であるMMTを無理やりねじ込んで行こうとする人間がやたら多い。
実はこの記事を書く気になった最大の理由は、マクロ経済学の授業改善アンケートで「MMTを教えずに嘘を教えている」というクレームが学生の一人から来たことなんだよね……
出てきて10年ちょいの、定説でもない上に検証されてもいない新理論を必修のマクロ経済学で教えたらその方が問題でしょうよ。というのが僕の感想なのだが。
まとめると、MMTは学問的には、現状では勉強するに値する魅力的な理論とすら思われていないので、まずは状況証拠を集めて、最低限勉強するに足るだけの魅力があるということを立証するところから始めるべきではないかということです。
そして現状はそれができているようには見えず、さらに政策に無理やりねじ込もうとするグループが悪目立ちしすぎるので、僕は少なくとも距離を取っている。
正直その連中に炎上させられたくないから言及すらしたくないが、将来的にこの理論が政治的に大問題を引き起こしたときに、おまえ反論しなかったじゃん!と言われないために、こういう理由で相手にしなかったんですよという証拠を残しておきたかったと、はい、実はまあそんなところです。
面白かった
ラップバトルの勝敗を観客の投票で決めるだけど、マジで投票で勝つチームが変わって、映画なのに緊張感あった
あと誕生して10周年を超えるコンテンツが、日本初の要素をひっさげて、映画になって盛り上がってるんだよ!?
感慨深いよね…
映画はラップバトルがメインで、キャラの紹介が丁寧なので、ミリしら勢でも楽しめると思う
余裕があるならwikipediaぐらいには目を通しておくとより楽しめるかも
不快とかは全然なかった、そういうコンテンツだしね。(全部応援上映でもいいんじゃないか?)
あとは投票の時間になったら自動で選択肢が画面にでるので、投票するだけ
投票システムも金かかるんだろうけど、それに加えて 分岐の数だけ本編映像作らないといけないから制作費用かさむんだろうな
2ndステージは6チーム分、3ndステージも6チーム分、優勝曲は7チーム分の映像が必要、そりゃ高いわ
シンジュクの優勝曲が見てえよ~
最上位の実績には「〇〇チームの優勝を20回見る」があって、いやさすがに無理だろっていう
セレンスキーとの会談で煽りまくって世界の注目を浴びてるJDことジェームズ・デイヴィッド・バンス副大統領だが、この人は
→ラストベルトで育った自身の半生をネタにした自叙伝が注目を浴び、映像化
→副大統領
という経歴の人らしい。
アメリカ海兵隊というと、個人的にどうしても思い出してしまう映画がある。
スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』である。
ある程度、世代が上の映画ファンならよく知っていると思うが、ベトナム戦争当時のアメリカ海兵隊を舞台にした、わりと衝撃的な映画である。
こんな話をすると歳がバレるというやつだが、自分は中学生の時、リアタイで見ている。
わざわざ自分で選んでキューブリック作品を見るような、そんなマセたガキだったわけではなく、父親に誘われたのだ。
多分そこまで深刻な映画とも思わず、アクション映画や戦争映画(東宝の8・15シリーズとか)もわりと好きな人だったので、よく調べもせずにつれてったのだと思う。
なお、現在、AmazonPrimeビデオでも鑑賞可能だが、レーティングはR15+になっていた。今の基準では、中学生にはまだ早い映画である。
この映画、前半は実に過酷な海兵隊の訓練が続く。まず入隊した若者は、鬼教官から徹底的にそれまでの人格を否定するような罵声を浴びせられ、“合衆国を守るために敵を殺す”ことを至上の使命とする軍人に叩き直される。
今でもたまにネットでも見かける“そびえ立つクソ”という罵声があるが、多分、ルーツはこの映画の字幕だろう。
この字幕には割と知られたエピソードがあって、当初は、その当時の映画字幕界の大御所、戸田奈津子が担当したのだが、控えめな日本語に意訳したために完璧主義者の監督にOKがもらえず、急遽、原田眞人が翻訳し直したという。
”人種差別は許さん、
とか、
“テキサスで取れるのは種牛とおカマだ
種牛には見えんからおカマだ!
吸うんだろ?
おフェラ豚か?”
とか、どんな“穏当な意訳”にしてたのか気になるところだが。
除隊後に映画界で働いていた人で、かの『地獄の黙示録』にもセリフが一言だけのパイロット役で出たりしたことはあるものの、この映画に出るまで俳優としてさしたるキャリアがあるわけではなかった。
もともとこの映画でもアドバイザーとして雇われていたのだが、その演技指導での迫力に惚れ込んだ監督に大抜擢されたのだそうな。
映画の罵詈雑言には彼のアドリブもあったのだが、そのまま採用されたとも聞く。
この映画で世界的に有名になり、ゴールデングローブ賞の助演男優賞にもノミネート、その後数々の映画やテレビにも出演し、その功績で名誉昇進もしてるので、あの鬼教官は“米軍公認”といってもいいのだろう。
実際、映画を見てると、たしかにとんでもない鬼教官なんだが、彼は彼なりに訓練兵のことを案じ、とんでもない体力で朝から晩まで訓練に付き従い、彼らを短期間で海兵隊員として育てあげようという熱意は伝わってくるのだ。
映画では冒頭、見るからに落ちこぼれそうなやつに“微笑みデブ”というあだ名をつけて、扱き上げるのだが、彼に相当な射撃の才能があるのを見つけると、“ついに貴様にも取り柄があるのを見つけたぞ!”と大喜びし、良かった、落ちこぼれはいなくなった、これで新兵全員が無事、訓練を終えるのかな?と中学生だった自分は思ったのだが⋯いや、少し映画の中身を書きすぎたか。
あ、あくまで訓練生活は映画の前半で、後半はベトナムの市街戦に突入します。
いや、ベトナム戦争当時と今とでは海兵隊もだいぶ変わっているのだろうなとは思うのだけど、でもwikipediaの英語版をみると“United States Marine Corps Recruit Training”という項目があり、まあ今でもそれなりに厳しい訓練をしてるのだろうなぁという気はする。
社会人のスタートをそんなところからはじめると、どんな人格が形成されるのかなあと、ふと思ったり。
海兵隊出身者にもいろんなタイプの人はいるんだろうが、JDの現在のキャラに、海兵隊の経験はやはり影響してるんだろうなぁ、とか。
戦争をテーマにしたキューブリックの映画といえば、『博士の異常な愛情』というのも有名だが、あれは陰謀論にとりつかれた米軍将校の暴走によって世界が核による破滅の危機にさらされるというブラックコメディだった。
あの映画では大統領は穏当な常識人なのだが、米軍将校もソ連首相もソ連大使も、大統領科学顧問のストレンジラブ博士もアレな感じで、でも世界の運命はこういう人達に握られてしまうのかも、という恐怖感がある。
米ソの冷戦時代、核攻撃もミサイルではなく爆撃機で爆弾運んでやる時代な話なので,今見るとなんとも古いのだけど。
“ファミコンウォーズが出るぞ!”
“こいつはドえらいシミュレーション”
と掛け声をかけながら隊列くんで走るやつがあったが、あれも『フルメタル・ジャケット』のヒットの影響だろう。
あのメロディは“ミリタリーケイデンス(military cadence)”といわれ、米軍で伝統的に使われているものらしい。
映画でも何度もあれ歌いながら隊列組んで走るシーンが出てくる。
映画では“Ho Chi Minh is a son of a bitch!”など歌っていたが、JDが訓練うけてた頃は、どんな歌詞だったのだろう?
クリミア侵攻でウクライナは領土奪われてるんだけどオバマが事実上何もしてないのはスルーなんだよな。
トランプもウクライナの戦争は良くないって言うだけで金も兵器も出さなくていいよね。
なんか仏教的だなーと思った。
諸行無常。
以下の「差延」の説明をもっとわかりやすくしてください。→ Wikipediaの差延の説明をコピペ。
「差延 (さえん、différance) とは、哲学者ジャック・デリダによって考案された「語でも概念でもない」とされる造語。
およそ何者かとして同定されうるものや、自己同一性が成り立つためには、必ずそれ自身との完全な一致からのズレや違い・逸脱などの、常に既にそれに先立っている他者との関係が必要である。このことを示すために、差延という方法が導入された。
論理を簡略に述べれば、同定や自己同一性は、主語になるものと述語になるものの二つの項を前提とする(「AはAである」)。(以下略)」
「私」という存在を考えてみましょう。「私」は昨日の自分と同じはずですが、実は微妙に違います。記憶や細胞は少しずつ変化しています。この「同じでありながら違う」状態を生み出す根本的な仕組みが「差延」です。
1️⃣「同じ」のトリック
→ 完全に同じなら区別できない
→ わずかな「違い」が生じることで初めて「同じ」と言える
2️⃣ 遅延効果
・インスタントコーヒー → すぐ溶ける(差延なし)
3️⃣ 影のパートナー
例)スマホ単体では何もできない
・充電器(不在時も存在を前提)
昔の哲学者:
デリダ:
「本質は関係性から生まれる」(例:指輪の意味は婚約者との関係で決まる)
・フォロワー数:数字そのものより「誰からフォローされてないか」が重要
要するに、差延とは「存在の意味が、目に見えない差異と遅延のネットワークの中で絶えず更新され続けるプロセス」と言えます。固定された本質ではなく、常に変化する関係性こそが現実を作り出すという発想です。
「英語のWikipedia見るだけで」ってドヤ顔で言っちゃうあたり、ブーメラン刺さってない
Wikipedia=絶対正義みたいな思考回路、むしろ知能低そうだけど大丈夫?
そもそも海外の政策だって国ごとに事情が違うんだから、日本に持ってくる時にアレンジされるのは当たり前でしょ
アフォーダブル住宅に限らず、日本版〇〇なんてだいたいそういうもんだし、いちいち「海外と違う!」ってキレるのはちょっとお門違いじゃね
てかさ、「日本の高学歴は受験勉強だけ!」とか言うけど、そんなに海外すごいなら、お前はどっか外国行って高学歴になってこいよ
どうせ行かないし、行ったところで「日本の方がいい」とか言い出すんだろ