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  • 『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める | 週刊金曜日オンライン

    「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏――。彼の論考や発言は、国家基問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ。 東京地裁では、元「慰安婦」記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元『朝日新聞』記者の植村隆・韓国カトリック大学客員教授が西岡氏らを相手取り、損害賠償などを求めた訴訟が2015年1月から続いている。 植村氏は1991年8月、韓国での「慰安婦」問題に取り組む市民団体への取材やその聞き取り調査に応じた女性(のちに記者会見で名乗り出た金学順さん)の録音テープを聞いてスクープし、同年12月にも証言を記事化した。 西岡氏は、植村氏の記事に対し、『週刊文春』201

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  • 『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める(週刊金曜日) - Yahoo!ニュース

    「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏――。彼の論考や発言は、国家基問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ。 東京地裁では、元「慰安婦」記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元『朝日新聞』記者の植村隆・韓国カトリック大学客員教授が西岡氏らを相手取り、損害賠償などを求めた訴訟が2015年1月から続いている。 植村氏は1991年8月、韓国での「慰安婦」問題に取り組む市民団体への取材やその聞き取り調査に応じた女性(のちに記者会見で名乗り出た金学順さん)の録音テープを聞いてスクープし、同年12月にも証言を記事化した。 西岡氏は、植村氏の記事に対し、『週刊文春』201

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  • 「日本スゴイ」で失敗し、日中戦争で大復活した新潮社雑誌の興亡史(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

    かつて『日の出』があった。新潮社が1932年から1945年まで刊行していた大衆雑誌だ。 「日スゴイ」企画などで売り出すも大苦戦し、会社を経営危機の寸前にまで陥れるも、1937年7月の日中戦争の勃発によって急回復、その後は当時数多あった戦意高揚の雑誌としての役割を務め、敗戦と同じ年に寂しく消えた。 その当時の同社社長は佐藤義亮。『新潮45』のLGBT特集問題に絡み、「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」との言葉が注目されている人物だ。 とすると、当然ながらこんな疑問が湧いてくる。『日の出』の戦意高揚は良心に背かない出版だったのか、と。ほとんど忘れられた『日の出』を、改めて読み直すべきときは今である。 「日スゴイ」で売り出すも大失敗 『日の出』は、1932年8月に創刊された。当時隆盛を極めていた講談社の『キング』などをモデルに、佐藤社長が、満を持して送り出した大衆雑誌だった。 同年1月には

    「日本スゴイ」で失敗し、日中戦争で大復活した新潮社雑誌の興亡史(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
  • 明治維新から150年続く、民主国家構想を潰した「長州レジーム」とは? « ハーバー・ビジネス・オンライン

    近代日の原点は明治維新だった。維新の志士たちが封建的で遅れた江戸幕府を倒し、新しい日が生まれた。もしあのとき武力で徳川体制を倒していなければ、日は列強の植民地になっていたかもしれない――。 「明治維新万歳!」 かなり多くの人がそう思っていることだろう。筆者自身がつい最近まで、「明治維新は正義」という薩長史観に少なからぬ影響を受けていた。しかし180度逆に歴史を見ると、目の前の風景がガラリと変わってくる。 実は、江戸時代末期の慶応年間には、主要な改革者たちの間では、議会制民主主義に基づいて平和的に新しい日をつくる構想が主流となっていた。薩摩や長州が武力とテロでその構想をつぶし、祭政一致・天皇を現人神にする専制国家をつくったのが明治維新だ。 NHKの大河ドラマに感動したり、司馬遼太郎の歴史小説を読んで血沸き肉踊ったり、ときには目をウルウルさせる人たちにとって、ものすごく不快な視点、いや

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  • オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義 - Mal d’archive

    イギリスの哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、2012年、ネット上に「暗黒啓蒙(The Dark Enlightenment)」*1というテキストを発表し、新反動主義(Neoreaction:NRx )の主要人物の一人になった。詳しくは後述するが、この新反動主義のエッセンスがオルタナ右翼の中にも流れ込んでいるとされている。そのもっとも直截な例は、オルタナ右翼系メディア『ブライトバート』(Breitbart)の元会長であり、またドナルド・トランプの元側近でもあるスティーブ・バノンで、彼は「暗黒啓蒙」のファンであったことを公言している*2。 ■ニック・ランドの思想 ニック・ランドは、もともと大陸哲学とフランス現代思想の研究からスタートしており、初期にはジョルジュ・バタイユに関する著書もあるが、90年代中頃になると、のちに「加速主義(accelerationism)」と呼ばれることにな

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  • 東京新聞:事実を曲げた、知の商品 『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』 社会学者・倉橋耕平さん(36):Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

    トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書く人 > 記事一覧 > 記事 【書く人】 事実を曲げた、知の商品 『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』 社会学者・倉橋耕平さん(36) Tweet 2018年8月19日 歴史修正主義はなぜ支持されるのか。専門家らがデマだと否定し、反知性主義と突き放しても、関連は書店の売れ筋となり、会員制交流サイト(SNS)では「ネトウヨ」的つぶやきが跋扈(ばっこ)する。誰もが問題視しながら答えが出せなかった問いの背景を、丁寧に分析した。 愛知県蒲郡市出身で、立命館大などで非常勤講師を務める。学生時代の二〇一一年、慰安婦問題を扱ったNHKの番組改変問題を博士論文で研究。その後、在日コリアンの知人がヘイトスピーチの被害に遭う経験などを通じ、問題は身近に迫っていると実感した。 「どうしてこんな考え方が広がるのか。彼らが

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  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

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  • 開拓団の「性接待」告白 「なかったことにできない」:朝日新聞デジタル

    岐阜県の旧黒川村など(現・白川町)から戦時中に旧満州(中国東北部)へ入植した満蒙開拓団の女性たちが、敗戦直後に団幹部の指示で旧ソ連兵に「性接待」をさせられたと告白し、衝撃を与えている。長く伏せられてきたが、「なかったことにできない」と公の場で語るようになった。過酷な歴史の語り継ぎを支えるのは、女性の妹や息子たちだ。 「『(夫が)兵隊に行かれた奥さんたちには、頼めん。あんたら娘が犠牲になってくれ』と言われた」 今月10日、岐阜市民会館であった証言集会。元黒川開拓団員で、終戦当時20歳だった佐藤ハルエさん(93)=岐阜県郡上市=が話し始めると、空気はピンと張り詰めた。 「白川町誌」などによると、黒川開拓団は1941年以降、600余人が吉林省陶頼昭に入植した。敗戦後、旧日軍に置き去りにされ、現地住民らによる襲撃や略奪を受け、隣の開拓団は集団自決した。 当事者の証言によると、黒川開拓団は幹部が近

    開拓団の「性接待」告白 「なかったことにできない」:朝日新聞デジタル
    worris
    worris 2018/08/16
    ソ連兵→日本兵、開拓団→朝鮮はじめアジアの現地民に置き換えて想像してみよう。治安や食料を得ていたから合意の上の営利売春婦だとでも言うのだろうか。
  • 19910928 朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」(オウム真理教、幸福の科学) - YouTube

    2018年7月6日、オウム真理教代表、麻原彰晃こと松智津夫死刑囚ほか、一連のオウム事件の死刑囚7名の死刑が執行されました。 これはまだ、オウムが好意的に捉えられていた時代の朝まで生テレビです。 他にアップロードされたものもあるのですが、分割ファイルで一部欠損があるとのことで、全編が我が家にあったため、アップロードしようと思いました。ぶつぶつノイズがありますが、音声自体は聞きやすいかと思います。 貴重な歴史的資料と言ってよいのではないでしょうか。 このビデオが、同じような犯罪や事件の再発を防ぐ方法を考える一助になれば、幸いです。 朝まで生テレビ 第54弾「激論!宗教と若者」 (1991年09月28日 午前01:00~テレビ朝日系列で放映) 司会: 田原総一朗 進行: 渡辺宜嗣、美里美寿々[現・田丸美寿々] パネリスト(肩書などすべて当時のもの) 栗慎一郎(経済人類学者) 石川好(

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  • 佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」

    (ソルボンヌ中庭の)パスツール像の傍らで語りあう学生たち。1・3面掲載の写真は、故・西川長夫が68年当時撮影。現在は京都大学人文科学研究所に寄贈され、以下のサイトで閲覧可。http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/archives-mai68/index.php。またキャプションは、西川著『パリ五月革命 私論―転換点としての68年』(平凡社新書)による。 西川長夫による写真詳細説明 右手には「各国のプロレタリアよ団結せよ」の文字が読みとれる。写真には写っていないが、その右には毛沢東の大きな写真が二枚掲げられている。マオ派のグループであろう。(西川長夫『パリ五月革命私論』176頁より、以下同) 1968年「5月革命」から50年、フランスでは回顧する催しやマスコミの特集が相次いでいます。当には思い出せない記憶を、英雄を祀る霊廟(パンテオン)に収めるように、お決まりのよう

    佐藤淳二「68年から人間の終わりを考える」/小泉義之「1968年以後の共産党」
  • ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ

    顔に、手に深く刻まれた皺が激動の半生を物語る。ブルンヒルデ・ポムゼル、103歳。ナチス・ドイツでプロバガンダを管轄した宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスの元秘書である。彼女が自身の半生とナチス時代を証言した映画『ゲッベルスと私』が6月16日より岩波ホールで公開される。来日した監督は言う。「これは過去の映画ではない。現代の映画だ」 2018年5月、新宿・紀伊国屋書店――。クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー両監督とハフポスト日版・竹下隆一郎編集長らによるトークイベントが開かれた。映画封切り前、同時に刊行される書籍版もまだリリースされていないにも関わらず、会場は満員となり関心の高さをうかがわせた。

    ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ
  • ナチスへの熱狂、103歳独白 映画「ゲッベルスと私」:朝日新聞デジタル

    ナチスドイツの国民啓蒙(けいもう)・宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だった女性にインタビューをしたドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」が16日、東京で封切られる。「深く考えることなく悪に同調した、普通の人を描いた映画。いまの世界に重なる」と監督は言う。 映画は、ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルさん(1911~2017)が人生をふり返る語りで進む。撮影当時103歳。ナチ党大会などの記録映像や、ゲッベルスの言葉が挟みこまれる。 漆黒の画面で、ポムゼルさんの深いしわを、カメラは浮き彫りにする。 1933年、ドイツでヒトラーが政権をとると、彼女はよい仕事を得るためナチ党員になった。入党するために行列した日のことをいきいきと語るポムゼルさん。国営放送局に職を得て、42年に宣伝省に移ってさらに高給取りに。ユダヤ人の友人とは疎遠になった。 宣伝省はエリートの雰囲気で居心地がよかった

    ナチスへの熱狂、103歳独白 映画「ゲッベルスと私」:朝日新聞デジタル
  • 二人の官房副長官が語る平成政治史 - 石原信雄 園田博之|論座アーカイブ

    二人の官房副長官が語る平成政治史 危機と平時に政官が担うべき役割は? 保守勢力の再編ははたして可能なのか? 石原信雄 園田博之 元内閣官房副長官 国内外で既成概念が揺らぎ、様々な危機が訪れた平成の30年。日の「政と官」には何が求められ、それに応えてきたのか。ともに内閣官房副長官をつとめた石原信雄さん、園田博之さん(自民党衆院議員)、官界と政界の長老2人に聞いた。 ●石原信雄・元内閣官房副長官 いしはら・のぶお 1926年11月、群馬県生まれ。東京大学法学部卒業、52年に地方自治庁入庁。自治省(現・総務省)事務次官をへて87年に内閣官房副長官に。竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市の7内閣を支え、95年退任。同年の東京都知事選に立候補したが、青島幸男氏に敗れた。橋龍太郎内閣で公務員制度調査会の会長代理、第1次安倍晋三内閣で外交・防衛の司令塔となる国家安全保障会

    二人の官房副長官が語る平成政治史 - 石原信雄 園田博之|論座アーカイブ
  • 歴史REALWEB : 第11回  斉彬暗殺

    2018年03月22日16:22 by rekishireal 第11回  斉彬暗殺 カテゴリ大河ドラマ『西郷どん』批評 バカ殿の慶喜 今回は、薩摩藩主島津斉彬の5男虎寿丸が5歳で他界したから、安政元年(1854)ころの話か。同年閏7月には、斉彬が健康を害している。悲しんだ庭方役の西郷吉之助は、斉彬の襲封に反対していたお由羅の呪いであると信じ、暗殺を企てたという。 この年、斉彬は洋式騎兵隊を創設したり、洋式大型軍艦や蒸気船の建造に着手したりと、軍備強化に忙しいはずだが、そういう部分はドラマでは描かれない。そのかわり、時期的に見て早すぎる気もする、将軍家の御家騒動がかなり盛り上がっている。 斉彬や越前藩主松平慶永などは、次期将軍に一橋慶喜を推す。 「一橋様にしか、難局は乗り切れない」などと絶賛しているが、なにがそこまで有能なのか、よくわからない。このドラマで描かれる慶喜は、品川の妓楼に入り浸

  • 画像で見る「神武天皇陵」でっち上げの経緯 - 読む・考える・書く

    神武陵にされる前のミサンザイ 「文久の修築」による変貌 改変が繰り返される「神武陵」 広大な森を新たに造成 演出される「神秘」「荘厳」 幕末の下級武士たちがでっち上げたペテン 神武陵にされる前のミサンザイ 式年祭についての記事でも書いたように、現在の「神武天皇陵」は、幕末の文久2(1862)年、恐らく神武の埋葬地ではない「ミサンザイ」に決定された。その後、明治から昭和にかけて、このミサンザイは巨大で荘厳な「天皇陵」に作り変えられていくことになる。 まず、この地が神武陵に比定される前はどうだったか。「文久の修築」前の状態を示す絵図が残っている[1]。 当時のミサンザイは、田圃の中の小さな塚に過ぎない。そこには榎一と茨のような灌木が一株生えていた[2]。ちなみに、旧洞村の古老の話によると、ここはもともと糞田(くそだ)と呼ばれており、牛馬の処理場だったかも知れない[3]、という。 「文久の修築

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  • 関東大震災の「朝鮮人虐殺はなかった」という人びと 「歴史修正主義」本を検証してみた(加藤直樹) – アジアプレス・ネットワーク

    千葉県船橋市丸山の町会事務所。関東大震災時、この場所にあった地蔵堂を借りて住んでいた朝鮮人労働者たちを外部の自警団が殺そうとしたが、集落の人々は彼らを体を張って守りきった。(2017年12月撮影・加藤直樹) ◆「朝鮮人暴動」を伝える流言記事が「証拠」 前回の記事(1月19日「日版『否定と肯定』裁判で問われた南京事件」)で、歴史学者がホロコースト(ナチスドイツのユダヤ人虐殺)否定論者に訴えられたという実話に基づく法廷劇を描いたイギリス映画『否定と肯定』を紹介し、それを地で行くような裁判が、日でも南京事件の生存者の証言をめぐって起きていたという話を書いた。 まともな歴史学の見地からは否定しようがない史実を史料の歪曲や曲解、果ては捏造によって否定しようとする試みを「歴史修正主義」と呼ぶ。歴史修正主義の内実がいかにデタラメでなものであるかを、私が身にしみて痛感したのは、自分の関心領域である関東

    関東大震災の「朝鮮人虐殺はなかった」という人びと 「歴史修正主義」本を検証してみた(加藤直樹) – アジアプレス・ネットワーク
  • http://twitter.com/i/moments/934749469584715776

  • JASRACがMIDI文化をつぶした論について歴史からひも解いてみる | akiraaniの日記 | スラッシュドット・ジャパン

    後から判明した情報がいくつかありますので補足しておきます。 はてぶなどで誤解している人が多く見受けられますが、1997年の著作権法改正時点で耳コピ作品の無断公開は違法です。 つまり、1997年の法改正時点で、アップロード楽曲の権利関係を全く気にしていなかった草の根BBSのMIDIフォーラムは違法サイトだったと言うことです。 2001年以前にも違法になったことによる自主的な活動自粛や議論はあったと思いますが、JASRACで利用料金の徴収を行っていない以上、JASRAC側から積極的なアクションがあったとは考えにくいです。 間接情報になりますが、JASRACといえば10数年前に起こった、MIDI撲滅事件。その時に送られてきたメール。(Togetter)に、JASRACからの警告メールがどのような文面だったかの情報があります。 具体的にいつ来たメールなのかは不明ですが、メール内にすでに手続き申込の

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  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 慰安婦報道訴訟 本社の勝訴確定:朝日新聞デジタル

    朝日新聞の慰安婦に関する報道で「国民の名誉が傷つけられた」として、国内外の56人が1人1万円の慰謝料を朝日新聞社に求めた訴訟で、朝日新聞社を勝訴とした二審・東京高裁判決が確定した。原告側が13日の期限までに上告しなかった。一連の報道をめぐる訴訟で、判決が確定するのは初めて。 訴訟で対象になったのは、慰安婦にするため女性を無理やり連行したとする故吉田清治氏の証言記事など、1982~94年に掲載された計13の記事。昨年7月の一審・東京地裁判決は「記事は旧日軍や政府に対する報道や論評で、原告に対する名誉毀損(きそん)には当たらない」と判断。今年9月の二審・東京高裁判決も一審判決を支持し、原告の控訴を棄却した。 朝日新聞の慰安婦報道をめぐっては、三つのグループが朝日新聞社に対し集団訴訟を起こしていた。

    慰安婦報道訴訟 本社の勝訴確定:朝日新聞デジタル