日本人居留民: 死者16〜13人[1] 暴行侮辱:30余 陵辱2 掠奪被害戸数136 他被害人員約400 日本軍: 死者26[1] 負傷者157[1] 済南事件(さいなんじけん)は、1928年(昭和3年)、中国山東省の済南における5月3日に始まる日本軍と、蔣介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件[1]。その際、日中双方で相手方の官民・居留民らに対する虐殺、残虐行為があったとされる。日本軍は現地における日本権益と日本人居留民の保護のため山東省に派遣(第二次山東出兵)され、国民革命軍は北伐中であった。中国側ではとくに5月3日以来の残虐行為と虐殺のほうに注目して五三惨案あるいは済南惨案と呼ばれることも多い。 事件の発端については日本と中国では見解が異なる[1]。 また、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、中国側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交