1966年6月30日、静岡県清水市の味噌加工工場の専務の自宅で、当時この家に暮らしていた一家5人のうち就寝中の4人が襲われ、全員が殺害された上で現金が盗まれ、自宅が放火され全焼した[2]。 警察はこの工場の従業員だった袴田巌[注 3]を別件で逮捕した上で殺人・放火などの容疑で再逮捕し、過酷な拷問や取り調べで自白を強要。味噌タンクを利用した証拠の偽造も行い、袴田を起訴する。起訴後、袴田は供述を一変させ冤罪を主張したが、最高裁までの裁判の末に1980年(昭和55年)に死刑の有罪判決が確定。袴田は死刑確定後の1981年(昭和56年)から2度の再審請求を行い[11]、2014年(平成26年)3月、第2次再審請求審で静岡地裁が再審開始と、袴田の死刑および拘置の執行停止を決定し、袴田は釈放された[11]。その後、検察側が東京高裁が2018年(平成30年)に再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却したが、