1936年2月12日生まれ。12歳ごろより、中国共産党の青年組織に加盟していた。 1952年、北京大学物理系学科に入学する。1955年には、中国共産党の党員になる。大学卒業後、中国科学院物理研究所に就職する。1956年、政権批判が比較的自由に行われた百家争鳴運動に共鳴し、「科学と民主主義精神」の不足を訴える内容の手紙を、中国共産党に出す。直後、「反右派闘争」により、一旦、方励之は中国共産党を除名となる。1958年、設立される中国科学技術大学の教員となる。文化大革命の際、1年ほど投獄されている。のち、名誉回復し、中国共産党の党籍を復帰する。「相對論天體物理的基本概念」(相対論天体物理の基本概念)などの学術書を出版する。1981年には、京都大学基礎物理研究所の客員研究員を4ヶ月ほど務める。 1984年9月17日、中国科学技術大学の第一副学長に就任する。就任の挨拶では、「思想の自由をこの大学の運