社会の通念として、それは裏切りであり、倫理的に許されないとされている。しかし、私にはそうは思えない。むしろ、それを肯定的に捉える視点こそが、より公正な社会の実現に寄与するのではないかと考えている。
まず、生物学的な視点から見れば、托卵は自然界において決して珍しいものではない。カッコウをはじめとする多くの鳥類がそれを戦略として用いている。ではなぜ人間の社会においてのみ、それが罪悪視されるのか。答えは単純で、社会のルールが男にとって都合のいい形で作られてきたからだ。
そもそも、子育ての負担は圧倒的に女性に偏っている。妊娠・出産という過程そのものが女性に課せられており、その後の育児もまた、男性はほんの一部しか担わないのが現実だ。それなのに、DNAの一致という、育児にほとんど寄与しない要素が重視されるのは滑稽ではないか。
男性は自分の遺伝子が受け継がれることに異常な執着を持っている。その根底には、「自分の所有物が他人のものになってはならない」という発想がある。だが、そもそも女性も子どもも彼らの所有物ではない。子育てにおいて最も重要なのは「誰の遺伝子か」ではなく、「誰がどれだけの労力を提供するか」だ。その点で言えば、托卵された男性が育児を担うことは、社会全体の負担の公平性を高める一助となる。
また、男性は自分の子どもでなかった場合、それを裏切りと感じるようだが、彼ら自身はどれほど誠実に生きているのだろうか。浮気や不倫、風俗通いなど、彼らは自らの快楽のためには倫理を平気で踏みにじるくせに、女性がそれをした場合には烈火のごとく怒る。このダブルスタンダードが、托卵を問題視する心理の背景にあるのではないか。
さらに言えば、托卵は女性にとって合理的な選択肢となり得る。遺伝的に優れた男性の子どもを持ちながら、経済的に安定した男性に育てさせることは、子どもの生存戦略としても合理的だ。それを「道徳的に許されない」と言うのは、女性の自由な選択を奪おうとする抑圧に他ならない。
男性側からすれば「騙された」と感じるかもしれない。だが、社会全体を見渡せば、女性は長らく騙され続けてきたのではないか。恋愛においては「養ってやる」と言いながら実際には家事育児を押し付け、結婚すれば「一生守る」と言いながら経済的DVを平然と行う。男性による欺瞞は許され、女性がそれを返したときだけ非難されるのは理不尽ではないか。
道徳とは、時代とともに変わるものだ。かつては女性が働くことすら非難されたように、現在の「托卵は悪」という価値観も、男社会によって作られた歪んだ規範にすぎない。より公正な社会を目指すならば、托卵は非難されるべきではなく、一つの選択肢として認められるべきではないか。
少なくとも私は、そう考えている。
男の養育放棄は罰則規定がないのだから托卵も問題ない
もう出産育児は完全に社会化しよう。 産まれた子の養育コストは、種になった男と無関係に、社会全体で賄うことにしたらよい。 男女ともこれでハッピー。どっちが損とか得とか言い合...
釣りでなく本当にそう思っているのならid出してセルクマしたらどうですか?まぁ、男女論したいだけのカスにそんな根性ないでしょうけど。
ただの反社会性パーソナリティ障害
この文章にはいくつかの詭弁や誤解を招く議論が含まれています。以下に、詭弁の箇所とその反論を示します。 1. 「生物学的視点から見れば、托卵は自然界において決して珍しいもの...
男側が養育費を払わなくてよいなら確かに裏切りではないが、養育費を払っている状態なら裏切りなのではないかな?
OKと思ってるなら旦那にそういえばいいだけの話なんだよね 隠してる時点で話したら問題になるとわかってるからにしか思えないからね 話す必要がない?夫婦にも隠し事はある?道徳的...