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warとmilitaryに関するhidex7777のブックマーク (3)

  • 長崎・佐世保市教委が原爆展後援せず 核廃絶署名「政治的中立侵す恐れ」 | 毎日新聞

    「原爆写真展」に合わせて実施された署名活動で署名する人たち=長崎県佐世保市で2019年8月4日午後0時6分、綿貫洋撮影 長崎県佐世保市で4日に開催された「原爆写真展」の後援依頼を市教育委員会が断っていたことが、関係者への取材で明らかになった。同時に実施する「ヒバクシャ国際署名」活動が「政治的中立を侵す恐れがある」と判断した。主催団体は「核廃絶の署名活動のどこに政治的中立の問題があるのか」と反発している。 写真展は原水爆禁止佐世保協議会などで組織する「LOVE&PEACE」の会が、核兵器禁止条約が成立した2017年から、市中心部の島瀬公園で1日限定で開催。4日は長崎原爆で亡くなった弟を背負う写真「焼き場に立つ少年…

    長崎・佐世保市教委が原爆展後援せず 核廃絶署名「政治的中立侵す恐れ」 | 毎日新聞
  • 戦争の「犠牲」のリアリティー:当事者不在の政治の行く末にあるもの/北村毅 - SYNODOS

    昨年、ロッキング・オン・グループから不定期に刊行されている雑誌『Sight』が「老人が始めた戦争で死ぬのは若者」というタイトルの特集を組み、戦争への不安感や危機感に直面する情況を問うた(注1)。私はこれまで沖縄を中心に戦争体験の聞き取りをしてきたが、当時若者だった戦争体験者からも同様の言葉を何度か聞いたことがある。 稿では、アジア・太平洋戦争(1941~45年)、とりわけ沖縄戦(1945年)の歴史的事実を踏まえて、政治的決定権という観点から、この言葉のリアリティーを今に引きつけて考えてみたい。 まず、72年前に終わった戦争について、はたして当に若者の戦死者が多かったのか、人口統計データにもとづき検証してみよう。 図1は、1945年11月の沖縄を除く日全国の人口ピラミッドであるが、その山型の一部がごっそり崩れ落ちているのが見て取れる。大きくえぐれている部分は、日中戦争、アジア・太平洋戦

    戦争の「犠牲」のリアリティー:当事者不在の政治の行く末にあるもの/北村毅 - SYNODOS
  • 湾岸戦争と日本外交

    1990年8月、イラクがクウェートに軍事侵攻し、翌年1月には多国籍軍によるイラク攻撃へと発展した。冷戦後、世界が初めて経験した国際危機に日政府は大きく揺れ、日外交が直面する課題を痛感することとなった。20年余を経た今、「湾岸ショック」とまで呼ばれた日の湾岸戦争への対応を振り返る。 1990年8月2日、イラクによるクウェートへの軍事侵攻で始まった湾岸戦争は、冷戦後の世界が経験した最初の国際危機であった。日にとって湾岸体験は、冷戦後世界の現実に対する不快な目ざめ(rude awakening)となり、「湾岸ショック」や「湾岸のトラウマ」とすら呼ばれてきた。なぜ日はあれほど対応にとまどったのか、湾岸経験は日に何を残したのか、20年あまりを経た今、あらためて振り返ってみる価値があろう。 ニューヨーク市内のホテルでブッシュ米大統領と(左)と会談する海部俊樹首相(1990年9月29日) 実

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