私は中学受験を経て中高一貫校に入学した。サッカー部に入った。そこで相田(仮名)と出会った。相田は絵に書いたような良い人間だった。誰にでも優しく、気軽に話しかける。男兄弟が多い相田は女でも男っぽくて物事にははっきりと意見する。相田はそんな性格から先輩から可愛がられ、みんなを和ませようとお笑いに徹する奴でもあった。当然先輩からの指名で学年のリーダーとして選ばれた。すごい人がいるんだなぁと私は彼女を尊敬していた。
しかし、同じ学年の飯野(仮名)が女らしい妬みで相田の悪口を言いふらし、明らかに相田を嫌っていた。他の同学年部員からしてもこの根も葉もない悪口を言いふらす飯野は嫌いだったが、ボス猿のように態度がでかくヒステリックを起こす面倒な奴だったのでみんな飯野に乗って相田と距離を取っていた。
私はいじめられ経験もあって「こんなやつの味方になるかよ」と思って相田には普通に話しかけていた。嫌われているのかなと落ち込んでいた相田に「嫌われて上等。無視して、人生楽しんでる姿見せつけたれ!」と偉そうに言ってしまった。実際私がいじめられていた小学生の時は無視で乗り越えていたのでそれしか解決方法を知らなかったのだ。
私は徐々に練習についていけなくなった。小学生と中学の部活はレベルが違う。次第に足を引っ張る私が飯野の標的になった。そのころには飯野は先輩/後輩には可愛い面と態度で、同学年にはボス面でヒスっていた。くそアマがぁ…殴り合いしたら勝てるのに…と体格差的に思っていた。本当に夢小説に出てくる嫌味女そのものだった。
そんなある日、部活のミーティングで部長から「増田は一人で練習するな。もっと同学年と仲良くしろ」と公開お叱りを受けた。私は飯野のせいで一人で練習せざるを得なかったのだ。そんなんだったら一人でできるキーパーになってやるよとポジションを変えた。パス練習で明らかにハブられて、壁に行こうとしていた私に「一緒に練習しよう」と相田が言いに来てくれた。互いにショートヘアーだったので「短くしたとき親が嫌な顔してたね~」とかショートヘアー談義してた。
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人間関係が嫌になって部活に行く頻度が減った私に「今日は来れる?」「ちょっとだけでもいいからさ!」と励ましてくれた。私なんかいても空気悪くなるだけだし、中3の時辞めようかと思ってと伝えるといつも笑顔な相田が真剣に叫んだ。「嫌だ!増田だけだもん、ウチに意見を言ってくれるの!」
その時、私は合宿所で夜中、相田とおしゃべりしたことを思い出した。就寝時間まで自由行動だったため、私が探検がてら合宿所をウロウロしていたら、同じ考えだった相田と出会ったのだ。合宿所の玄関でお互いの兄弟についてや進路について語ってた。家庭内の相談ばっかだった。私は馬鹿なので「それやば!」「大変だね」しか返答できなかった。ごめん。相田がお菓子禁止の家なので「お菓子の密輸ならまかせな!」くらいしか頼りあること言えなかった。先生に寝る時間だぞと言われても飯野のいる部屋に帰りたくなく、怒鳴られるまでそこで話してた。
それもあり、相田は良い奴だからと辞めるのを悩んでいたが、心身ともに疲れたうえに他の1人が辞めるというので一緒に辞めた。
「部活辞めても友達だからね!」と言われた私は小学生のいじめられたトラウマで「あぁ…うん」と微妙な返事しかできなかった。
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そこからは相田とクラスも違うし、関わらなくなった。高校になると学年の中でも生徒会長の次に有名な相田になっており、人望あり・信頼あり・成績優秀。私はひっそり見上げるだけの存在になっていた。すべてができる相田を尊敬していた。最高の陽キャなのだ。私はオタク面白女の位置だったらしく、ネットのことなら増田に聞こう!と学年で噂の辞書ポジションになっていたので関わりは無くなってた。今思えば「"ぬるぽ"と言うのは…」と説明していたのきしょすぎる。AAも教えていた。殺してくれ。
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高3の時、相田と最初で最後の同クラスになった。その時に一度だけ隣の席になった。
道徳か保険か忘れたが、授業で隣の人の手を握って10個褒めましょうな時間があった。女子校なのにみんなデレデレしていた。やっぱり面と向かって褒め合うのは恥ずかしい。
相田も例にもれず恥ずかしがっていたが、私は早く終わらせないと最後に目立つと思い、相田の手を取って「さっさと言えば恥ずかしくないから」と言い、相田は「ウチから話す!」と「面白い、相談乗ってくれる、優しい、頼りがいがある、背が大きい、力持ち…」。すげー恥ずかしい。カーストてっぺん太陽キャ優秀で尊敬している相田に褒められている状況は、学校帰りにお小遣いを音ゲーに使っていた私には眩しい。
「増田、絵描くよね。ほんと上手だなって思っていて、羨ましい!でもまだまだって言うよね?すごい!センスある!」と言われた。当時は絵ばっかり描いてオタクしてて親から受験が成績がどうのこうの責められていた時期だったから、嘘でも御世辞でもすごく嬉しかった記憶がある。
私も相田を褒めた。「二次元にいるような素晴らしい性格、まさに主人公」とかばかあほみてぇな褒め方した。黒歴史である。最後の1個焦って「可愛い!」と言ったら互いに顔真っ赤になって、相田がふざけ始めなかったら百合漫画になって危うくLove so sweetが流れ始めるところだったなァ!ってふざけて直接言った。爆笑してくれたからよかったもののの、キショい。セクハラだから永久凍土に埋めてほしい。
センスあるという言葉が残っていて、「センスあるのかな」と別の文化部に入っていたので賞に応募したら一度だけ賞を取った。それでAO入試を応募する気になったので、相田には大人になった今も感謝している。
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そんなエピソードがあったが、卒業後は所属しているグループも違えば私はTwitter、あっちはインスタ・FBくらいの違いがあるので会う事も話す事もなくなった。
そしてこの前高くて高いホテルで同窓会があった。出席簿をみたら相田も参加していた。でもしばらく話していないしなぁと思って、私はいまだに関わっているオタ友と喋っていた。そしてお手洗い離脱をし、途中の夜景が見えるところでガキみたいに「うぉ~すげ~」と小さい車や残業の光を見ていたら声をかけられた。
相田だった。まさか声をかけられるとは思っていなくて不細工な顔をしてしまった。っというかこんなドラマみたいな再開あんのかい!とかキショイ突っ込みをした。バカが。
でも相田は「さすが増田!面白~い!」と笑っていた。その後は仕事の話や他愛のない話をして開場まで歩いた。
「私の事よく覚えていたね」と謙遜したら「友だちじゃん!」と返され、相変わらず良い奴だな~と思った。
「今も絵描いているんだって?」と聞かれたので「うん。楽しくてね」と返した。私は一次創作を趣味で嗜む程度である。「プロにはならないの?」「まぁなれたら嬉しいけど…」「なってよ!」
ずいッと身を乗り出して言われた。「いやいや、もう年だし、今の仕事も楽しいし、フォロワーも数百人だし、それに一度も佳作すら…」と続けて言い訳したら「嫌だ!頑張ってる増田もっと見たい!」と言われた。
「恥ずかしい事よくいえるね」と照れたら「だって見てるもん。Twitter!」
???????????????????????????????????????(ここに宇宙猫)
アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ??????!!!!!!なんで知ってんねん!!!!!!!!!!!!!!!!
「どうじんし?ってやつ?どこかで売ってるんだよね?」
「待て!」
「増田の絵好きなんだ。羨ましい!この前の絵もめっちゃ上手だったね!」
「待て!」
卑しいものは描いていない。いたって普通の全年齢の漫画とイラストだ。でもこんな、よりにもよって、尊敬していた人間に見られているという事実が!
その時ニタ~っとのぞき込んで笑う相田の顔が今も忘れられない。からかうのが好きな相田だと忘れていた。
「だから、やめないでよ?好きなんだから」そう相田は言い、他の人に呼ばれて会話は終了した。
いまだに私の絵を好いているなんて思いもしなかった。
でもずっと一次創作して「何やってるんだろう…」と落ち込んでいた時期でもあった。なんだかな。まだ私の絵を羨ましがってくれている彼女のことを思うと、続けているのは間違いじゃなかったのかなぁと思う。正解や不正解なんてないけど、これが理由でもいいかなと思う。むしろ彼女が寂しがらないようにプロにならなくとも続けようかな。プロを目指す人には敵わないけど、もう少し持ち込みやコンテストも頑張ってみようかな。忘れないように書き残しておこうと思った。
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創作
間に挟まりてえ〜〜〜
創作であっても事実であってもいい話だった。 増田にはぜひあきらめないで絵を描いていてほしいし、たまにでいいからやりとりして続きを乗せてほしい。 いーなあ!うらやましい!...
長くて読めん、人間に要約して欲しい
とても良いお話でした。ありがとうございます。