2025-01-25

小説家ヤバい

この世に生まれからウン十ウン年。

恥ずかしながら「小説」というものを、国語の授業以外で自発的に読むことがほぼ一度もない人生を送ってきた。文字だけで何百ページも続くメディアというのは、自分で言うのもなんだがデジタルネイティブにはハードルが少し高い。

だが一年ほど前からふと思い立ち、小説にちらほら手を出してみた。その結果はというと、

…なんだ、小説、おもしれえじゃん。

と、あっさり手のひらを返すことになる。

以来、これまでの食わず嫌いを後悔しつつ、各種ランキングの上位作品を中心に小説を読みふける幸福な日々が続いた。

その勢いで、SNSでも小説関係者フォローしてみようかな、という気になった。

正直これまでは、小説家という存在自体ほとんど意識していなかったが、検索をかけてみるといるわいるわ。自分がこれまでに読んだことのある作家は、たいていがアカウントを持っているようだった。

この人たちをフォローしておけば、きっとこれから小説を読むことがもっと楽しくなるはず…

などと思ったのが大きな間違いだった。

長いこと小説を読まずにいた間にも、小説家には知的理性的イメージだけは自分の中に無駄にしっかりと存在していた。あれだけの長さの文章を書けるんだから、立派な人格脳みそを備えていらっしゃるんだろうと。

だが、SNSで見た作家たちの姿は、その幻想を粉々に打ち砕くものばかりだった。

素人である増田から見ても、えっ、そうなの?と思ってしまうような違和感のある豆知識をやけに自信たっぷりに語るので、気になって検索してみたら、トンデモ系サイトから引用だった。

自作についた低評価レビューに対し、読者の読解力・読書量の方に原因があるという愚痴を延々と垂れ流す。

時事問題について党派性全開で、しかしどこかで聞いたような陳腐意見強硬ドヤ顔で主張(一応言っておくと、右も左も、フェミもアンフェ、親AIも反AIも、全て両方あった)

それから作品自分距離が異常に近い!

よく、作家にとって作品自分の子供ですとかいうけど、そういうレベルの話ではなくて。

どう言えば伝わるかなあ。あくまでたとえばの話ではあるけど、

『ボクの作品の中のこのイケメンキャラが好きということは、ボクに抱かれてもいいってことだよね…?(ネットリ)』

と迫ってきそうな気持ち悪さがある。うわー、想像したらキモくなってきた。キモキモキモ

そしてトドメのように嘘松嘘松嘘松嘘松

どっからどう見ても自分を良く見せるための嘘エピソードに、さすが先生ですね~と同業者や読者が追従リプを送っている光景は、悪夢しか言いようがなかった。

小説家のヤバさについては、まだまだいくらでも語れるが、キリがないのでこのぐらいにしておこう。

当然ながら他の種類のクリエイターにも、似たようなヤバい人は当然ながらいる。たとえば漫画家系でいうと、篠………とか、木………とかは、まあヤバいよね。

でも、小説家の場合はその割合が異常すぎる。体感で、6~7割は超えてるぞ。

この話を、同人活動をしてる知人2人に相談してみたところ、顔を見合わせて「あー…」「ね…?」と意味深な態度を取った。

そんな曖昧な回答で許すことなく問い詰めると、同人世界でも、マンガより文章活動してる人の方がちょっとアレな確率有意に高いらしい。なんてこった。

何が原因なんだろう?

絵や音楽などに比べると、技術としての文章執筆は具体性がなくフワフワしたところがあるから、そこにヤバみが入り込む隙があるのだろうか。

小説家が悪いのではなくSNSが人を狂わせるのだ、とも言えるかもしれないが、それにしてもあん醜態を見てしまったら、増田にはもう現代作家積極的に読む気にはどうしてもなれなかった。

今は、SNSをやっていないことが確実な作家、つまりインターネット普及前に死亡した作家を中心に読書している。価値観言葉遣いの多少の古臭さに目をつむってでも、この安心感には代えられない。

増田現代作家を読む機会をほぼ永久に失ってしまったけど、これから小説を読み始めようかなと思っている若い人たちにはくれぐれも忠告をしておく。

作家アカウントは決してフォローするな。

何も知らず、楽しい読書生活を送りたいのなら。

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