プロレスラーと文京区議会議員の二足のわらじで活躍し、がんとの闘いの末に2月28日に53歳で死去した西村修さんの葬儀・告別式が8日、東京・護国寺で営まれた。多くのプロレスラー、政界関係者が訪れ、西村さんが付け人を務めたこともある元プロレスラーの武藤敬司氏(62)が弔辞を読んだ。以下、武藤氏の弔辞全文。
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西村修さんが闘病生活をしていることは聞いておりましたが、こんなに若くに帰らぬ人になるとは思いませんでした。
西村は、俺にとって新日本プロレス時代に付き人を務めてくれた大切な後輩です。
たくさんの思い出がある中でも、特に記憶にあるのは、当時、俺が新車で買ったばかりの赤いフェアレディZにワックスをかけてほしいと頼んだ時のことです。
どうやら、研磨剤入りのワックスをかけたらしく、泡が真っ赤になり、こすった通りの傷がついていました。
とにかく俺は西村を責めることもできず、泣きました。
若い頃、俺もタンパ・フロリダが大好きだったけど、西村は俺以上にフロリダが好きになり、永住するかと思っていました。
西村が最初にがんを患ったと国際電話で相談された時、俺自身もショックでかける言葉に苦慮しましたが、お前はプロレスラーだ、それもプロレスだ、戦え、プロレスを続けろ、プロレスは人生そのものだ、と言ったら、お前は泣きながら返事をしていましたね。
その後は免疫力を高めて強い体になると言って、死体が浮いているインド・ガンジス川で沐浴(もくよく)したり、朝一番の尿を飲んだりして、常にがんと戦っていました。
興行の切り札として、西村を武藤全日本に誘い、所属選手になってくれたこともありましたが、その時は本当に助かりました。
また亀井静香さんから頼まれて、西村を指名した時、本気で一生懸命、国政の政治家を目指しました。それがきっかけで文京区の区議になった西村を俺は陰ながら応援していました。
本当はプロレスにしても、政治家にしても、やりたいことはまだまだいっぱいあったはずです。
今年1月31日の太陽ケア引退興行に参戦する予定だったのに、来ないと知った時はとても心配しました。でもその時に奥様と息子さんにお会いして、ここに西村の遺伝子がいるんだと思いました。息子さんにはこれから大いに羽ばたいていってほしいです。
人になびかず、自分の意思を曲げずに貫いた、西村修の人生とともに。
令和7年3月8日 武藤敬司