はてなキーワード: Tarとは
https://www.repository.cam.ac.uk/items/528f479f-fd3c-43fd-9463-7c2923560573
ある人の嗅覚倫理に関する論文だけど、文献だけで匂いが影響を与えると書いてるから女性に学位を与えるのは無駄だと言われる。
論文書くなら、裁判官にセンサーを取り付けるなり、何人かの被験者にルールを守った上で反応を調べるとかやりようはあったはず。
アタリマエのことを調べるというのは裁判での証拠提出のときに役立つからもっと調べてほしい。
けど、統計学的手法を駆使するなどして、裁判官が9割型認める内容でないと価値がない。
contemporary relevance. I suggest that smell very often invokes identity in a way that signifies an individual’s worth and status in an inarguable manner that short-circuits conscious reflection. This can be accounted for by acknowledging olfaction’s strongly affective nature, which produces such strong bodily sensations and emotions that reflexivity is bypassed in favour of a behavioural or cognitive solution that assuages the intense feeling most immediately. Olfactory disgust, therefore, tends to result in rejection, while harmful forms of olfactory desire may result in sublimation or subjugation. My thesis is particularly attentive to tensions and ambivalences that complicate the typically bifurcated affective spectrum of olfactory experiences, drawing attention to (dis)pleasurable olfactory relations that have socio-political utility. I argue that literary fiction is not only an arena in which olfactory logics can be instantiated, but also a laboratory in which possibilities for new kinds of relations and connections can be fostered and tested. Chapter One explores how smell can be used to indicate class antipathies, partly as they relate to homelessness, beginning with George Orwell’s seminal non-fiction text, The Road to Wigan Pier (1936), before considering Iain Sinclair’s The Last London (2017) and Bong Joon Ho’s Parasite (2019). In Chapter Two I explore the fantastical, idealistic, and utopic thinking that surrounds olfaction, which presents smell as fundamentally non-human, by addressing J. M. Coetzee’s Disgrace (1999), Virginia Woolf’s Flush (1933), Rachel Yoder’s Nightbitch (2021), and Laura Jean McKay’s The Animals in That Country (2020). Chapter Three focuses on the intersectional olfactory dimensions of ‘misogynoir’—the coextensive anti-Black racism and misogyny that Black women experience—and considers Toni Morrison’s Tar Baby (1981), Bernice McFadden’s Sugar (2000) and Raven Leilani’s Luster (2020). In Chapter Four, I conceptualise an oppressive olfactory logic, which is used against women and girls in order to legitimise their harassment or abuse, drawing primarily on Vladimir Nabokov’s Lolita (1955), but also Patrick Süskind’s Perfume (1985). Chapter Five discusses two forms of olfactory desire—perversion and queerness—which have separate moral valences. I address J. M. Coetzee’s The Master of Petersburg (1994), Ann Quin’s Berg (1964), and Sam Byers’ Come Join Our Disease (2020), and argue for fiction’s role in reorienting readers’ habitual relations to olfaction.
2024-06-25
第3回 さくらインターネットのスタンダードプランの環境にnpmをインストールする
第2回が頓挫したので、その原因を取り除くためにnpmとやらをインストールする。
参考文献を元に進める。
まず新しいバージョンのOpenSSLをコンパイルするらしい。あと新しいバージョンを使うにはPythonも必要らしい。
openssl version OpenSSL 1.1.1k-freebsd 24 Aug 2021 python --version Python 3.8.12
いきなりnpm(⇔Node.js?)のコンパイルが行けそうな気がしたので、とりあえずやってみる。
参考にしたサイトにはOpenSSL云々に関することが書いてあるが、その辺は全部問題ないことを祈って、関連するオプションを全部取っ払う。
curl -sSf https://nodejs.org/dist/v20.11.0/node-v20.11.0.tar.gz -O tar zxf node-v20.11.0.tar.gz cd node-v20.11.0 ./configure
とすると、
Node.js configure: Found Python 3.8.12... WARNING: C++ compiler (CXX=g++, 9.4.0) too old, need g++ 10.1.0 or clang++ 8.0.0 WARNING: warnings were emitted in the configure phase INFO: configure completed successfully
「successfully」なら問題ないよな?
続いてmakeだ。makeってなに?もちろんconfigureもよくわかってない。大規模なプログラムをコンパイルするときに必要なヤツというボンヤリとした認識だ。
当然コンパイルがなんなのかもよくわかってない。
nohup make install DESTDIR=/home/*****/local PREFIX=
ここから30分経っても応答が無いので飽きる。
はい、もう無理。飽きた! 次回があるとしたら「npmをインストールする②」である。
もっと新しい情報があったようだ。こっち見てやればよかった。
アイリッシュマンとかTARみたいな映画を高評価しがちやけど、まともに言語化してるの見たこと無いわ。
「演技が凄い」とか「演出が凄い」みたいな曖昧な表現しかしてなくね?
コーエン兄弟のNo Country for Old MenやFARGOみたいに演技や演出、カメラワークとかで言語化しづらいけど目が離せない画や展開があるのはわかるけど、それでもレビュアーで上手く言語化してる人はいる。
アイリッシュマンは終わりかけてる爺に若者役無理やりやらせてるせいで、「キビキビ歩けないどころか爺丸出しのあるき方する30代殺し屋」とかが出てきてて流石に演技は落第点だろ。
・主人公が美しい、おしゃれ
主演のケイト・ブランシェットが美しく、演技も素晴らしい。あとキャラクターとしてファッションセンスが良くて、シンプルながら見惚れる着こなし。ファッション誌の映画レビューでも褒められるような感じ。しかしこの美しさは男社会を生き抜く鎧だったのかもしれない。
ほとんどBGMが無く、生活が描かれる場面での静けさと、オーケストラが演奏する時の大音響との巨大なギャップ。その音楽の巨大な力を、主人公が1人で制御している全能感。音によって、マエストロが手に入れた権力が伝わってくる。
・人間の強さと弱さが描かれる
オーケストラの世界で世界最高の指揮者にまで登り詰めた主人公、その情熱と才能は本物。タフで知的で社交的。でも一方で、傲慢で感情的。その人間的な弱さの部分が、徐々に自分に跳ね返ってくる。破滅が近寄ってくる。その演出が怖い。くる、きっとくる。
・よく練られた構成
開幕、よく分からないシーンがあり、スタッフロールがはじめにあったり、長いインタビューで主人公が語り続けたり。なんだこりゃ?大丈夫なのか?という不安からはじまりつつも、最終的には意図が分かって腑に落ちる。ただ、上映時間はけっこう長い。トイレに行きたくなるかもしれない。
見終わった時に、どんな顔をすればよいのか良く分からなくなる。自分は何を見たんだ?この感じ…今まで見た何に似ている?ハッピーなのか、バッドなのか。ハッピーだとして誰にとっての?何かものすごく今の時代を捉えていつつ、神話や寓話を見たようでもある…よく分からない。つい後で思い出して考えちゃう。つまり癖が強くて面白いってことか。
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★主な登場人物
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シャロン(ターの内縁の妻・ベルリンフィルのコンサートマスター)
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フランチェスカ(ターの元愛人・指揮者見習い・副指揮者の地位を狙っているが現在はターのアシスタントに甘んじている)
クリスタ(ターの元愛人・指揮者見習い・現在はターに追放され(?)ニューヨーク在住)
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★シーン
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プライベートジェット(ベルリン→ニューヨーク)で眠るターを撮影しているのはフランチェスカ。チャットの相手は多分クリスタ
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冒頭のクレジットの背後で流れるのはターの実地調査先のペルー東部ウカヤリ渓谷の先住民の歌(この調査にはフランチェスカとクリスタも同行していた模様)。
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レコードを床にばらまいているシーン(ターの仕事部屋?)の足はおそらくフランチェスカ。
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講演会後に話しているファンの女性とターはおそらくこの夜密会している(女性のバッグが後にターの持ち物として出てくる)。
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指揮者がヘッドフォンをしているのは映像と合わせるためのガイド音を聴いているから。なおこのシーンはモンスターハンター(テレビゲーム)の観客コスプレ演奏会と思われる。
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クラウディオ・アバド…ベルリンフィルの元首席指揮者(故人)。
バーンスタイン…指揮者(故人)。愛称「レニー」。ターの師匠(という設定)。テレビ番組(ヤング・ピープルズ・コンサート)などを通して一般庶民にクラシックを普及した。
ジェームズ・レヴァイン…指揮者(故人)。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
シャルル・デュトワ…指揮者。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
マイケル・ティルソン・トーマス…指揮者。愛称「MTT」。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ…大御所チェリスト(故人)。ロシア人。
ジャクリーヌ・デュ・プレ…女流チェリスト(故人)。多発性硬化症で早期の引退を余儀なくされる。
ダニエル・バレンボイム…指揮者/ピアニスト。過去にデュ・プレの恋人だったことがある。
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★トリビア
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フリーボウイング…通常、弦楽器の同一セクションでは統一する弓のアップダウン(引き弓・押し弓)を奏者個人の判断に任せること
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ベルリンフィルを演じている(?)のはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ホールはドレスデン文化宮殿。
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ほぼ全編に渡って音声は同時録音。つまりブランシェットは実際にバッハを弾いて、マーラーを指揮をしている。そしてオルガ役のソフィー・カウアーは実際のプロのチェリスト。
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最近上映され始めた映画「TAR」は、ものすごく「はてブ向けのテーマ」を扱っている。
世界最高峰のオーケストラで指揮者を歴任し、クラシック界の最重要人物となったレズビアンの主人公、リディア・ターが、音楽教育やオーケストラ運営の中で徐々に問題にぶつかっていく。
そこではSNSによる告発、ある種のハラスメントや人間性の消費が描かれており、その解像度が高い。
主人公を写し続ける美しい画面は主観的で、リディア・ターの真摯に音楽と向き合う姿勢と、権力者として傲慢に振る舞う姿勢が描かれる。きっと、見る人によってターへの共感のレベルが変わり、物語全体が理不尽にも、因果応報にも、新たなる希望にも感じられる。
客観的な描写が省かれることにより、誰がどういう心境で、実際に何が起こったのか、確定をすることが難しい。見る側の理解に委ねられている。
ジェンダーやハラスメントの問題も、本質的なテーマというよりは、より普遍的なストーリーのためのスパイスに過ぎないのかもしれない。
なんでみんないつまでも100年以上も昔のタイプライターの成れの果て、みたいなキーボードをカタカタ叩いてコンピュータ操作してるの?
使いこなすには習熟が必要って、そりゃそうかもしれないけど度が過ぎてないか?
特にCUIがいけすかない。DOSプロンプトを初めて見た日から今に至るまで、あんな不親切なインターフェースを一度だって良いと思ったことはない。
$とかC:\とかなに?適当に文字を打ってもエラーしか出ない。使われるのを拒絶しているようにしか見えない。
ゲームで言うなら1980年代のテキスト入力型アドベンチャーみたいなレベル。コマンドを全部覚えてないと何もできないクソゲー。
多分もうおっさんしか知らない。いまどきそんなゲームはないだろ?つまりそれだけ遅れてるんだよ。
使いやすいようにカスタマイズするのが当たり前?だったら最初からその使いやすい状態で提供してくれよ。不親切なまま提供しないでくれ。
ややこしいところはコンピュータでよしなにやってくれよ。いまどきのコンピュータの処理能力はすごいんだろ?ユーザーがわからない部分はちゃんと誘導してくれ。
お前のレベルが低い?おう低いよ。
でも、コンピュータってのはあまたの人類を幸せにするために作られてるんじゃないの?
CUIを使うのはプログラマみたいなIT関係の人間で、高いレベルが要求されるというのは一定の説得力はあるかもしれない。
でもな
不当な難しさをそこここに感じるんだよ。
ありとあらゆる前提や約束を覚えてないとまともに使えない環境は、たとえプロ向けでも俺は環境とすら呼びたくない。
ヘルプを見ろ?読んでるよ。ヘルプ読んだだけで使える人間がどれだけいるんだ?しかもどれだけヘルプを読んで覚えないといけないんだ?
コマンドラインオプションも訳がわからない。ハイフンが1つだったり2つだったり、$ tar xvfとかなんだよ。毎回ヘルプ読まないと使えやしない。
慣れるほど使い込んでいるユーザーばかりだと思わないで欲しい。
GUIでは右クリックですぐにメニューが出ることが多くて100万倍マシだが、あれだって「右クリックする」というお約束があっての話で最適解からは程遠い。
ものを使うのに大事なのは機能そのものであって、使い方はもっと然るべき自然な誘導があるべきじゃないのか?
特別にHHKBをけなす意図はないが、無刻印キーボードとか最たる例だ。
なんだありゃ?既にUIであることすら放棄してるだろ。旧時代の複雑な飛行機のコックピットですら各部に名前くらい付いてるぞ。
あれを日常的にありがたがって使ってる人間が「あらゆる人間が使いやすいものを作る」のを目指すのはなにかの冗談にしか聞こえないんだよ。
それとも、高尚な人間が下々の無知蒙昧な人間に使いやすいものを提供してやろうって感じなのか?
俺も少しはコンピュータを使って飯を食ってるが、そうじゃないと思いたいんだよ。
コンピュータの都合でグラフィックが使えない環境ならテキストベースになるのはしょうがない。
でも、しょうがないで終わらないでほしいんだよ。しょうがなくない環境でも人の都合で使ってる場合も多いよな?
今を最高とか思わずに、なんとかそこから進む意思を持ってほしいんだよ。
文字列を延々と眺めてカタカタターンッ!てのが格好いいと言う時代はさっさと終わって、次の時代になってほしいんだよ。