2025-03-19

読売新聞デジタル教育ヘイト辟易している

当方教育関係者

以下の記事を読んだ某大学教授と会話して頭が痛くなったので愚痴を吐き出す。

デジタル導入の「教育先進国」で成績低下や心身の不調が顕在化…フィンランド、紙の教科書復活「歓迎」

https://news.yahoo.co.jp/articles/012105af5a04e7d139807a8bb5983da00a8488da

正直、「またか」という印象しかないんだけど、読売新聞継続的教育デジタル化に対して非常にネガティブバイアスのかかった記事を書いている。

フィンランド学力低下はいろんなところで語られているが、原因は当たり前だがデジタル導入ではなく、行き過ぎた自主性の尊重により学習意欲が低い層(これには家庭の経済的な影響が大きい)の成績が大幅に低下していることによるものとの見方が有力だ。

そしてフィンランド自身デジタル活用を止める方針ではない。

デジタル活用する環境運用方法に見直す余地があるというだけのことだ。

そもそもデジタル導入して成績が大きく上がったり下がったりするわけがない。

これは、デジタルネイティブ世代ならふつう理解できるのだが、厄介なのは中高年だ。

彼らは自分たちが使えないから、デジタルが大嫌い。

強い拒否反応を示す。

自分たちデジタルなんかなくても立派な大人になったと自負している。

そんな彼らがこういう報道に触れると、我が意を得たりと鬼の首を取ったかのように「やはりデジタル教育には不要」と言い出す。

そのへんのおっさんが言うぶんにはまあ構わないが、教育関係者特に教育系の大学教授にもこういう化石みたいな爺がたくさんいるので厄介だ。

そして、彼らの読売新聞購読率は高く、こういう記事は決して見逃してくれない。

彼らの中では「デジタルを使うと成績が下がる」というエビデンスが示されたことになってしまう。

ほんとうにやめてほしい。

読売新聞がどう思おうと、教育デジタル化は不可欠だ。

さっき「デジタル導入して成績が大きく上がったり下がったりするわけがない」と書いておいてどういうことだと思われるかもしれない。

そもそもデジタルネイティブの中には「デジタルで成績は上下しない」ということに対して違和感がある人もいるだろう。

そういう人は、おそらくデジタル活用して効率よく勉強する術を身に付けた人だと思う。

デジタルの肝は効率化にある。

アナログでは到底不可能効率物事を処理できるからデジタルはすごいのだ。

たくさんの辞書参考書を持ち歩かないでも、タブレット1台で事足りる。

遠くの専門家外国の人の話を聞くこともできる。

それも何度でも繰り返して。

学習進捗管理もできるし、わからないところをすぐ調べたり質問したりできる。

他にも優秀な若者は、思いもよらない活用の仕方で効率的に勉強をしている。

彼らは、デジタル活用することで成績を向上させているし、学校勉強に留まらない広範な知識を獲得している。

勉強効率を上げることで、他のことに取り組む時間も手に入れている。

一方で、YouTubeでくだらない動画を見続けたり、しょうもないソシャゲ時間お金を溶かしたり、ダラダラ増田を眺めて一日が終わったり、使い方を間違えるとどこまでも効率を悪くすることができるのもデジタルの特徴だ。

要するに、使い方次第ですごい武器にもなるし、最悪の足手まといにもなる。

それがデジタルだ。

そして、いまの子どもたちはデジタルのない世界を生きていくことはできない。

仮にデジタルを遠ざけたらどうなるか。

考えてみてほしい。

ペーパーテストでは100点をとれるけどデジタルが苦手で使えない人材と、テストは80点だけどデジタル有効活用できる人材

どちらが実際の仕事で役に立つだろうか。

そもそも現代においてデジタルを完全に遠ざけることな不可能だ。

スマホを持たずに生活するのは本当に難しい。

では、適切な使い方も覚えないままスマホを持つとどうなるか?

相当な自主性と地頭の良さがなければ、ダラダラ足を引っ張られる使い方しかできないだろう。

多くの大人がすでにそうなってしまっているのと同じように。

からこそ、早目にデジタル機器に触れさせて、適切な使い方、効果的な使い方を学ばせる必要がある。

これは、裕福な家庭や教育熱心な家庭では、すでに行われている。

適切な場面で使わせ、必要ないときは使わせない。

こうして、適切な使い分けを小学校入学前にすでに身に付けさせている。

この時点でそうでない家庭とは、大きな格差が生まれしまっている。

この格差放置すれば、どんどんそれは大きくなり、学力にも、将来の収入にも響いてくるだろう。

こうした家庭環境による格差を小さくすることが公教育役割だ。

学校デジタル機器を与え、その正しい使い方を身に付けさせることは今の時代絶対必要ことなのだ。

目的デジタルを使った教育で成績を上げることではなく、デジタル効率に学ぶ方法を身に付けさせることだ。

ここを見誤っているから、読売新聞のような主張になってしまう。

もっとも、読売が今回やり玉に挙げている「デジタル教科書」については、紙の教科書をそのままデジタルにするんなら紙のほうが良いということには同意する。

目への負担や使い勝手などの面では、紙の方が圧倒的に優れている。

でも、もしデジタルでどの学年の教科書も見られるならどうだろう?

紙の教科書をそんなにたくさんは持てないが、デジタルなら可能だ。

授業の進行が遅すぎて退屈した経験はないか

授業が速すぎて全くわからないまま進んでしまった経験は?

前の学年の内容を復習したり、次の学年の勉強をしてみたり、自由にできたらどうだろう?

もし、紙ではページ数の関係割愛された詳しい補足説明が見られるならどうだろう?

デジタルと紙を分けて考えれば、もっと色々な可能性がある。

金の事だけを考えて「紙か?デジタルか?」などという非効率な問いを設けるのはやめて、両方ありきで、「もしデジタルでつくるならどういうことができるか?」という問いを立ててほしいところだ。

  • デジタル教科書を使えるようにするための登録作業という無駄な仕事が増えた デジタル教科書は根絶してほしい

  • 読売新聞は最終的に「紙の新聞購読してよ!」ってことを言いたいんだよ

  • デジタル教育のやり方って従来の学校教育の紙だった部分をタブレット化するんじゃなくて 公文式みたいな方式でやればとんでもなく効率いいはずなのにな 個人個人が一定の学力に達し...

    • ちゃうちゃう。 バカ教師全員首にして林先生みたいなカリスマ教師数人が日本国民全員を教育するのが1番

      • クビは言い過ぎやけど役割は変わるやろな 教える人じゃなく進捗管理する人

  • だって掛け算の順番の数学的な意味もわからんやつが学校教師やもんな。掛け算が理解できないなんて小卒以下やん。

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