『これまでも増田は釣りや嘘松だらけだったのだから、AIが追加されたところで大した違いはない』
といった反論の声がしばしば上がる。
しかしこれはAI、そして増田、それぞれの本質を理解していない、的を外した意見と言わざるを得ない。
増田がAIに席巻されると困るのは、単にその内容が虚偽だからではない。なんなら、情報としては100%の事実であっても、AIならば排除されるべきだ。
AIと人力増田の決定的な違い。それは文章の書き手が「生きているかどうか」である。
何を当たり前のことをと思うだろうか。ならこう言い換えてもよい。
人間が書く限り、文章は大なり小なり生身の書き手自身の延長線上の存在である。
素直に自分の気持ちを述べた文章はもちろん、たとえ本人のプロフィールとはかけ離れた、一から十まで想像だけで書かれた釣り嘘松増田であっても、それを「自分が書いた」という事実を、書き手本人だけは間違いなく自覚している。
であれば、文章への批判・ツッコミ・クソリプは、書き手本人への間接的な攻撃として機能することになる。
人力増田に対しては、適当なコメントがたまたま上手いこと刺さって、書き手を死に至らしめる潜在的な可能性が常に存在するのだ。
ツリートップとなる元増田は、自分は殺されるかも、という恐怖をうっすら抱えながら。
トラバ増田は、これで相手を殺してしまうかもと半ば期待して、もしくは殺してやると固く決意して(もちろんトラバ増田自身にも反撃で死ぬ可能性が存在する)
皆、それぞれ死を身近に感じつつ書き込んでいる。
その不健康な緊張感があればこそ、こんな場末のサービスなのに、楽しくて楽しくて離れられない。
その暗く熱い気概がなくては、増田に書き込むことなど誰もできはしないだろう。これまではそれが暗黙の掟だった。
AIはその、デスゲームとしての増田の純粋さを破壊してしまう存在だ。
投稿者本人とは完全に切り離された、機械による計算と切り貼りで生み出された文章。
AI増田がどれだけ批判を受けようが、それは投稿者にとっては自分と別個の存在への攻撃にしかならず、本人は痛くもかゆくもない。
そんなものをこの増田のプレイヤーとして受け入れることは、到底できない。
それは増田というゲームにおいて不公正である以上に、不愉快だからだ。はっきり言ってクソつまらん。
増田が本当にAIを認めることがあるとしたら、それはAIが生命と呼べる存在となり、死の可能性を得た時だろう。
とりあえず死んでこい
いいねえ! まさに、そういうのそういうの(^^)