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はてなキーワード: Talkとは

2024-01-17

talkって5ハッキングまがいのことしても5chの客そこまでごっそり奪えなかったよね

同人板の何百と続いてる連番スレでも5chにアクセスしたらtalkの画面に映るように仕込まれた状況じゃ書き込みが一気に減って、反応来ないかスレ見るの飽きる人が出てさら書き込みが減るという負のスパイラル焼け野原と化しそうなもんだが

実際には今も連綿としょうもないレスが盛んに交わされ続けている

なんか不思議なんだけど?アクセスできるようになってまで5chにこだわる理由はなんだ?てかtalkしかつながらないのを機に匿名掲示板卒業するのが健全な頭じゃねって思うわ。

2023-12-31

anond:20230901150609

NON-EDIT TALK : MY LITTLE LOVER featuring AKKO華原朋美

華原:

こんばんは、華原朋美です。今日7月り2日です。うーん? そろそろ夏ですかね。7月って言えば……、そうですね、夏ですかね、やっぱり、これから先は。今日の私の格好を見ても夏っていう感じなんですけども、みなさんはいかがですか? 今日ゲストは、私、すっごいドキドキしてますMY LITTLE LOVERAKKOさんです。よろしくお願いします。

AKKO:

よろしくお願いします。

華原:

いやぁ。

AKKO:

今日すごいね、楽しみだったんです。

華原:

私もすごい楽しみだったです。ヨーグルトドリンク好き? 

AKKO:

いや、なんか夏にはぴったりかなって。

華原:

今日はじゃあ、ヨーグルトドリンクで。

AKKO:

朋ちゃんも真似したんですか?

華原:

はい、真似しました。

AKKO:

好きですか? 

華原:

ちょっと飲んでみます。美味しいです。

AKKO:

いい感じ? 

華原:

いい感じです。

AKKO:

ちょっとね、ビフィズス菌とらないとね。

華原:

ああ、やっぱり女性ですね。なんか、女ですね。

AKKO:

そうですか? いやいや、朋ちゃんもね。

華原:

いちおう、女を装って。あの、今日は、いろいろ聞きたいことがたくさんあるんだけど、歌を歌うのにつながる今までの人生ってあるじゃないですか。

AKKO:

うんうん、うん。

華原:

でも、いろいろなスタッフの人から話を聞くと、情報を集めたんですよ。昔は音大に通ったり。

AKKO:

はいはい

華原:

これは私もそう思ったんですけど、バレエを。

AKKO:

うん。ちょこっとね、バレエは。

華原:

そうですか。

AKKO:

朋ちゃんはやってたんですか? 

華原:

やってたんですけどね。

AKKO:

私ね、新体操やってたんですよ。

華原:

新体操って、これ? 

AKKO:

うそう、リボンとかボールとかなんだけど。だから新体操の基礎ってバレエから、それでちょっとね、やってました。

華原:

リボンやりながら歌いました? 

AKKO:

歌わないよ。

華原:

歌わないですよね。私は機械体操やってたんだけど。

AKKO:

あ、本当に。

華原:

うん。あの、平均台10cmぐらいしかないんですけど、そこの上で転回やったりとかしてたんですけど。

AKKO:

危ないですよね。

華原:

危ないですよ。

AKKO:

怖いですよね。

華原:

落ちちゃった時とか、もうどうしょうもないほど痛かったんですけど。

AKKO:

なんかね、歌ったり踊ったりがとにかく好きで、ずっと。ちっちゃい頃から。だから新体操、まあ踊り、とにかく一回ハマって。まあ、それを終えて、「今度は歌か」と思って。音楽大学行って、声楽とか勉強して今に至るんですけどね。

華原:

やっぱり、音楽っていうものに関しては、自分は生まれつきすごく「それしかない!」って思ってたところってありますか? 

AKKO:

いや、「それしかない!」っつうよりも、本当にただただ好き。好きでたまらない、楽しくてたまらないものが、本当に踊りと音楽だったんですよ。でも、ちっちゃい頃からね、「みんなの歌」とかなかった? ああいうの片っ端から歌ってみたりとかね、一人で勝手に部屋で歌ったりとかね。本当、それだけでもすごい楽しくって。

華原:

あの、私も「みんなの歌」みて歌ってても、私は一人で歌ったりとか出来なかったんですよ。みんなで合唱とかやった時、一回だけ自分一生懸命歌えるっていう感じで、あの、その本を見た時、いちばん初めの印象ですけど、本を見た時に、恥ずかしいなって思っちゃったんですよ。そういうのってないですか? 

AKKO:

わかるわかる。

華原:

なんか、「これ、私が自分で歌うんだ」って思った瞬間、すごい恥ずかしくなって。

AKKO:

でも、だって、隠れて歌っちゃえばいいじゃん。そういうのは思わなかったの?

華原:

なんかね、隠れてね、するっていうのはあんまり出来なくって。

AKKO:

私、逆にね、合唱とかのほうが恥ずかしかたかな。なんか、となりの人の声と聞こえたりするじゃない。で、自分の声とかも聞こえちっゃたりするのが。それだっら、なんか一人で歌ってたほうが、なんか好きだったかもしれない。うん、そうだなうん。

華原:

それはすごいプロですよね。なんか、私はそう思うんですけど。あの、合唱コンールの時に………、ごめんなさい、私の話で。

AKKO:

ううん。

華原:

合唱コンクールの時に、あの、ソプラノパートを歌ったんですよ、私。で、ソラノのパートを歌える人がそんなにいなくて、私ともう一人ぐらいしかいなかったんすよ。

AKKO:

あら。

華原:

それじゃあもう声が、今から考えるとね、声が届かなくてしょうがなかったのになんでソプラノとかを歌えたのかな? って。恥ずかしいと思いながら声を出すってうのは、すごく見てる人が楽しむところなのかなって、今は思うんですけど。

AKKO:

なんか、見てる人も歌ってるほうも楽しいよね、歌とかってね。

華原:

踊り踊るのと歌を歌うのって、とにかく好きだし。私も踊るのも好きだし、歌うも好きなんですけど、でも、それを一緒にするのはなかなか難しくて。で、いつもフンの人から手紙とかもらって、そこに書いてある文章を読んだりすると、「左手、右が、どうしてこんなに動くんですか?」って。私はあの、「それは振りですか?」ってかれるんですけども、「振りじゃなくて勝手に動いちゃう」っていうふうに言うんでけど。で、ビデオ見たんですよ。

AKKO:

何の?

華原:

全部。

AKKO:

プロモーションクリップ? 

華原:

はい、全部見ました。

AKKO:

ありがとうございます

華原:

あの、ちゃんリズムもとれてるし。

AKKO:

いやぁ、私はもうぜんぜん。

華原:

いいなぁとか思ったんだけど。

AKKO:

いやいや、私もやっぱり、まだやってみたことはないけど、踊りと歌を合わせるって、まだ自信ないなぁ。やってみたいけど。ジャズダンスとかも、多少習ったりとしたことあるけど、難しいよね。

華原:

難しいですよね。あの、アルバムの中で、アルバムの中じゃないけど、♪いつかHEY! HEY! HEY! ~って、あるじゃないですか。

AKKO:

デビュー曲なの。

華原:

あれ、私、すっごい好きなんですよ。

AKKO:

あ、本当に。

華原:

私、あれ聴いて、「いつかはHEY! HEY! HEY! に出て上いってやろう」とかってました。

AKKO:

あれ? その頃ってまだデビューしてないんでしたっけ? 

華原:

いや、いろいろしてる時期だったんですけど。

AKKO:

あ、そうか、そうか。でも、いい歌詞ですよね、なんか。意外と前向きだしね。HEY! HEY! HEY! ~とかいって投げやりな感じだけど、じつはね、かわしてる感じでもんね。

華原:

あの歌はすごいいいですね。あと、「Hellow again」もうメチャクチャ好きです。

AKKO:

あ、本当に。いやぁ、嬉しい。

華原:

プロモーションビデオ見たんですけど、半袖でマフラーをしてるじゃないですかAKKO うん。

華原:

それは、やっぱりあのマフラーには何かあるんですか? 

AKKO:

いや、私が考えついたことじゃないんですけど、その時のアートディレクターの藤さんていう方がいて、その方がなんか発想して。そういうふうにTシャツバーバーマフラー。すごい可愛いですよね。

華原:

可愛いなって思いましたね。

AKKO:

もびっくりしちゃったんですけど、でも、それはその人の。

華原:

なんかあれですよね、「Hellow again」っていうのは、昔からある場所。昔かに場所っていうのは、AKKOさんの中でどういうところですか? 昔からある場所

AKKO:

からある場所? どういうところなんだろうな? けっこう冒険が好きなんで、んまり留まってないんですよ、私。だからね、ちょっと。ごめん。

華原:

ううん。あの、私は自分であの曲を聴いて、自分が、朋ちゃんが昔からある場所ていうのはどこなんだろう? っていうふうに探しちゃったんですけど。

AKKO:

どこでした? 

華原:

わかんないですけど。昔からある場所って実家かな? とか思ったんですけど。

AKKO:

それはでも、私も思った、一瞬。実家かな? って思ったけど。結局なんか、自ベース気持ちだったりするのかな、とか思ったけどね。わりと私は、なんか楽しくきようっていうのがベースにあるんですよ。

華原:

いいですね。

AKKO:

笑って生きようとか。一度しかないし、人生。だからなんか、そういうのが私のレイスというか、場所なのかなって、今ちょっと思ったけど。

華原:

いいですよね、なんか。転調の部分とかも、すごい綺麗ですよね、「Hellow agan」とかね。

AKKO:

ありがとうございます

華原:

あの、最近女の子を……。

AKKO:

いきなり変わりますよね。

華原:

すいません、ごめんなさい。私、気性が荒い人だから

AKKO:

大丈夫です。気性なんですか? 

華原:

気性? あの、何を話すのか忘れちゃった。

AKKO:

ごめん。邪魔しちゃったね。

華原:

最近はあの、女の子まれて。

AKKO:

そうなの。

華原:

おめでとうございます

AKKO:

ありがとうございます

華原:

憧れですよね。

AKKO:

本当? 

華原:

女の人として、憧れの場所ですよね。

AKKO:

本当? 

華原:

私はそうなんですけど。AKKOさんってお呼びしても? 

AKKO:

もう「AKKO」で。

華原:

AKKO」で? 言えないっスよ、そんな。AKKOさんは、あの、あれですよ、歌をて、それで売れて。それから女の人として、私が勝手に言うことですけど、女の人とて結婚して、子供を産んで、それで生活をして。それでも歌を歌い続けるっていうの、すごくいいスタイルですか? 

AKKO:

いや、もうメチャメチャいいですね。

華原:

それは、昔から描いてたことですか? 

AKKO:

いや、1mmも描いてないですよ。

華原:

1mmも? 

AKKO:

そんなの想像できないでしょ? 普通。ちっちゃい頃なんてそんなこと。ある意ゃ、すごい派手なことだし。でも、まあ、普通の営みだと思っちゃうんですけど、私。たまたま

華原:

お姉さんですね。

AKKO:

え? いやいや。将来、本当に愛する人結婚して、その愛する人の子供が産いっていう夢はずっとあったけど、それがこういう状況で起こるとはぜんぜん思ってかった。

華原:

今日子供は? 

AKKO:

今日ベビーシッターさんに預けてきたの。

華原:

すいません、なんか。

AKKO:

大丈夫大丈夫

華原:

今日、本当に忙しい中を来ていただいて、すごく嬉しいです。

AKKO:

いやいや。本当に私も今日は楽しみだったんで。

華原:

あの、あれですよね。子供を産んで歌を歌うじゃないですか。声、変わりました

AKKO:

声? 声っていうよりも、なんか表現の仕方がすごい変わったような気はする、の中で。もうちょっと振り幅が持てたような気はしてますけどね。産んだ後レコーデングしてみて。

華原:

私は、そういう経験したことないんですけど、初めての人ですよね? なんと。あの、曲を書いてくれる人と結婚して、それで子供を産んで、幸せな家庭を築きなら、温かい歌をみんなに伝えるっていうのは、すごく初めてな。

AKKO:

今までそういう人、いなかったんですかね? どうだろう?

華原:

私はそういう、こういうふうになった人を目の前にして話しをするのは初めてなですけど。

AKKO:

でもね、そんなすごく見えるけど、ぜんぜん本当にただ普通のことをやっているけで。まあ、そういうことの影響が全部歌に出たりとかね、普通するし。もちろんすい前向きに楽しく生きようっていうパワーは多分出てるんだと思うんだけど。でも、から本当、私は普通なんだよ。

華原:

いや、普通の人じゃあ、できないことをやっている人だから

AKKO:

そうかなぁ?

華原:

すごくその、こういうさっきのが、私から見ると温かいふうに見えて仕方がないす。

AKKO:

そっか。

華原:

それをそのまま、べつに隠す必要もないし、それを一番として先頭に立ってる人もないし。そこがなんか、AKKOさんのいいところで。

AKKO:

そうかな。でも、そう言われるとすごい嬉しいです。

華原:

すいません、自分で喋ってて、なに言ってるのかって思っちゃって。

AKKO:

いやいや、でも、すごい嬉しい。そっか。

華原:

そうですね。なんか「ANIMAL LIFE」っていうCD聴きました。

AKKO:

ありがとう。どうでした?

華原:

それを聴いてても、すごくいいですよね。

AKKO:

いいですか? 

華原:

はい。私はあの、AKKOさんの声っていうの、すごく気持ちがいいんですよ。

AKKO:

あ、本当に? すごい嬉しい。

華原:

聴いててすごく気持ちがいいし。で、私が一番気持ちがいいなって思うところと緒です。あの、私がいちばん気持ちいいと思うところは、安心して休めて眠れるってうところが一番すごく気持ちがいいとこなんですけど。そういう時にAKKOさんの声をくと、さらに。

AKKO:

子守歌のように? いい感じ?

華原:

すごくそういう声を持ってるなって思ったんですけど。

AKKO:

ああ、嬉しいです、そんな。

華原:

どこから出てるんですか? 

AKKO:

いやいや、そんな。こっちが聞きたいよ、朋ちゃんの高い声とか。すごいパワーる声とか。

華原:

パワーは、AKKOさんのほうがすごく優れてると思う。

AKKO:

いやぁ。でも、正反対な感じですよね、私たちの声ってね。今、思ったけど。

華原:

そうですよね。裏返したらとか、表にしたらとか。べつのところにあるし。

AKKO:

なんかね。

華原:

から、私にはない声だし、私がすごく欲しいなって思っても、ぜったいに手のかないところにあるし。それは間違いないですよね。

AKKO:

いや、私もだって、ぜんぜん届かないところにいるのと同じだもんね。なんか武さんとかは、声、いろんな声質を持ってるっていつも言ってくれるんだけど。変化球投げれるとかね。でも、ノーコンだって言われちゃうんでけど。だけどまあ、それが分、私のいいところで。朋ちゃんはでも、やっぱりすごい高い音域とか、すごい音域出て。で、もう本当にすごいパワフルだと思うんですよ。

華原:

じゃあ、お互いそういうふうに思ってるところってあるのかな。

AKKO:

うん。やっぱりね、持ってないものとかね。

華原:

持ってないものって欲しいよね。

AKKO:

欲しくなりますよね。

華原:

何でもそうだよね。洋服で、すごく可愛い服が店頭に飾ってあって。で、それ欲いなって思っても、お金がなかったりして買えなくて。で、本当は届きそうなところのに届かなかったりとかって思いませんか? なんか。

AKKO:

え? 届きそうなところに届かないと言うのは? 

華原:

なんか例えば、例えばっていうか、カラオケとかします? 

AKKO:

最近ぜんぜん行ってないよね。

華原:

カラオケとかで、私、「Hellow again」とか歌うんですけど、あれもすごいですね。男の子女の子がいても、絶対自分はウマく聞かせなきゃいけないっていうとろに、気持ちが届くんですよ。だけど、AKKOさんの声には絶対届かない。届きそうでかないみたいな。

AKKO:

ああ、そういうことか。

華原:

からMY LITTLE LOVERAKKOはいいっていうふうに思うんですよ。

AKKO:

やっぱでも、人にはその、全部万能な人なんていないからね。なんだろう? 自ね、出来る範囲を広げつつも、その中でベストを尽くすのがいちばん素敵だよね。なんつって。

華原:

素敵。

AKKO:

いつもそう思ってるんだけど。

華原:

素敵な人ですね。一番はじめにAKKOさんていう存在を知った時、私は「あ、絶対バレエとかやってる人だな」って思いました。

AKKO:

あ、本当に。

華原:

まだ、声とかは聞いたことがなかった時で、MY LITTLE LOVER

AKKO:

今日ね、たまたまね、本当たまたまなんだけど、昔の取材の時の切り抜きとか事所とかに置いてあったりするじゃない。それをなんかちょっと必要があって調べてたね。そしたら、デビュー当時の写真とか載ってるわけじゃない、その雑誌の切り抜きから。それ見たら、もうすごいポッチャポチャで。私、びっくりしちゃったんだけど「うわぁ、やめて!! 捨てたい」とか思ったんだけど。いや、でも、あの頃はやっぱ、かなり丸くて。もう慌ててトレーニングとかして。

華原:

トレーニングをしたの!? 

AKKO:

うん。ちょっとダイエットじゃないけど、スポーツクラブとか通ってね。だいぶの頃よりはスマートになったと思ってるんだけど。

華原:

カッコいい女性になりましたね。

AKKO:

そうですか? あら。

華原:

そういう感じがする。

AKKO:

ああ、そうか。前なんかキャピキャピっていう感じでしたもんね、けっこう。そいうんじゃなくて? 

華原:

全体的に、なんか楽しい感じの人だなっていうふうには思った。で、今、会ってそれは本当だった。

AKKO:

面白く生きなきゃね。

華原:

AKKOさん、そういうふうに思ってるじゃないですか。で、私はそういうふうに思てるところもあるんですけど、時々くじける時がある。「こうじゃダメなのかな?」てなっちゃう時ってない? 

AKKO:

いや、あるよ、もちろん。あるけど、うーん? あるけどなんかね、そういう時向きなことを考える。

華原:

前向きなこと。

AKKO:

うん。

華原:

趣味植物栽培やってるんですよね?

AKKO:

そう。最近ね、ちょっとあんまり家を空けることとかやっぱり多いじゃないです。海外撮影とか行ったりとか。だからね、あんまりしてないんだけど、前はよく育てた。

華原:

なんか、ロサンジェルスに住んでたり、日本に住んでたりっていうのがすごく多って聞いたんですけど。

AKKO:

うそう。朋ちゃんロサンジェルス多かったりします? 

華原:

多かった時期ありましたね。ロスにずっといた時期とかありましたけど。

AKKO:

そうか、そうか。ロス多いんだけど、寂しいんですよ。友達とかね、あんまりいいじゃないですか、やっぱり。

華原:

英語って喋れます? 

AKKO:

喋れないです。

華原:

私もぜんぜん喋れないです。

AKKO:

でも、日常いちおう困らない? 困らないよね、スーパーとか簡単だもんね。そうのは大丈夫なんですよね。そうですよね、ロスとかでね、一緒とかになれたらと、ふと思ったんだけど。

華原:

思うよね。私もすごい思う。

AKKO:

けっこうね、そうだね。アメリカ人友達とか出来にくいもんね。

華原:

外人て、なに言ってるかわかんない。

AKKO:

私もさ、すごい愛想いいっていうかさ、やっぱりアメリカ人と喋って、自分で勉しようと思うじゃない。だからアメリカ人の人と一生懸命喋るのよ。で、前にニュヨークにいたんだけどね、その時は。まあ、妊娠中だったにも関わらず、そこのドアーイいるじゃない、コンドミニアムとかだと。そのドアボーイが、しきりに「今日、事に行こう」とかね、すごいもういっぱい誘ってきて。私、妊婦なんだけど、「I'm regnant」とかって言ってるのに、ぜんぜん通じてなくって、すごい困ってたことかせった。困っちゃうよね。

華原:

困りますよね。

AKKO:

微妙発音とかで、けっこう通じなかったりするしね。

華原:

妊娠中にニューヨークで、そう困ってるって想像つかない。

AKKO:

本当? 

華原:

誰か一緒にいなきゃって思いますけど。

AKKO:

一人でわりとね、フラフラ遊んでたんじゅゃなくてね。

華原:

ニューヨークレコーディングが多いって聞いたんですけど。

AKKO:

その時はね、武史さんがちょうどMr.ChildrenYEN TOWN BANDレコーディング行ってて。で、私は妻ですからついてって。その間、多少撮影があったりとかしててあとは英会話学校とかちょっと行ってたりしたんですよ。

華原:

英会話学校

AKKO:

うん、ちょっとね。そう。だから、わりと一人で雪道とか。冬だったんでね、吹の中あるいて。

華原:

吹雪? 

AKKO:

いや、すごいんだってニューヨークのね、去年30年振りの大寒波かいって、雪で。もうそんな中ね、歩いて行ってたよ、ダウン着て。防寒して。一回だけね、セトラルパークの横でね、氷に滑ってね、尻もちついて。妊婦ってね、尻もちついちゃけないのね、絶対ね。で、もう、すごいびっくりしてね、泣いちゃったことあったけね。

華原:

子供が お腹にいる時期って、歌を歌いました? 

AKKO:

歌った。レコーディングした。

華原:

レコーディング? 

AKKO:

「Yes」とか。

華原:

Yes~ってやつですよね? 

AKKO:

うそう、そうそう。いや、なんか不思議な感じだったけどね。

華原:

雑誌で、「子供にどんな音楽を聞かせましたか?」って、妊娠中に。それで「妊にアルバムの曲を聞かせるといいですよ」って書いてあったんですよ。

AKKO:

あ、はいはい

華原:

そうなんですか? 

AKKO:

アルバムの曲っていうか、何でもいいんだけど。自分が気に入った曲を、胎教にさそうな曲を、たまたま私が聞かせたのが「Evergreen」っていう。「Evergreen」のの一番最後の曲で。それを毎日毎日聞かせてたら、産まれからね、その子がどんな機嫌が悪くても、どんなに泣きじゃくっても、それを聞くと機嫌が直るんだよっていのをね、聞いてたんですよ。だからEvergreen」聞かせてて。で、産まれからもっぱり聞かせるとすごいご機嫌になる。びっくりしちゃったんですけど。

華原:

あの、「アリス」っていう曲あるじゃないですか。呪文かけてますよね。あれ、いですよね。

AKKO:

あれ、なんかコンピューターのね、「ディギディギディギ」とかってなるじゃな。私もよくわかんないんだけど。あれをとったものなんですけどね。

華原:

あ、そうなんですか。私はなんか。

AKKO:

呪文っぽく思った? 

華原:

呪文かけてるのかなって。

AKKO:

三角とかバツとか丸とかって。

華原:

あいうのって、なんて歌えばいいのかなって。

AKKO:

わかんないよね、最初ね。けっこう質問された、最初。でも、なんか、コンピュターなんですって、もとは。私もね、機械弱いんでね。

華原:

私も弱いです。

AKKO:

難しいですよね。

華原:

難しいですよね。インターネットとかやります?

AKKO:

じつは、ホームページちゃんと持っててね。

華原:

あ、すごい。

AKKO:

一時期ちゃんと向かったことがあるんですけど、ちょっとプロモーション忙しくって、中断しちゃった。

華原:

私も今、中断してますね。

AKKO:

あ、でもやってたんだ。

華原:

あの、ファンの人からメールがきたりとかして、それを見て、返せる人には返しっていうふうにやってたんですけど。難しいですよね。

AKKO:

ね、難しいよね。でも、けっこう面白いんだよね、ああいうのを見ると、Permalink | 記事への反応(2) | 03:08

2023-12-27

anond:20231227143101

typedef struct {
  //構造定義
} Human;

Human createHuman() {
  // 初期化処理
}

int talk(Human *actor, Human *target) {
  // 関数定義
}

int main() {
  Human me = createHuman();
  Human girl = createHuman();
  
  talk(&me, &girl);  // ここでなぜか異常終了する
  return 0;
}

anond:20231227131342

I admit I said "stuff". That's a sarcasm. Don't use it. Say something like "materials" when you talk back. Unless you want to sound very primitive.

Likewise, if you say you learn English anything other than "communication", it'll sound very odd. You could say verbal communication or something along that line. And if you did, you would have realized that it's nothing to do with the book or a slum. Grammar In Use is definitely not a verbal communication book in a slum.

anond:20231227124951

Basic principles of logics like "the reverse is not always true" is necessary for discussion in any languages.

We cannot talk with idiots who say "You idiot, B is not always A" when we say "A is B".

2023-12-21

A note about last night's Domune: Mr. Kan said in between that Mr. Endo was dead, but I can't find the source anywhere.

also noticed that there was some talk about Future Pirates (inc) just before the end.

2023-10-29

[] anond:20231029205259

ちょっとわからんでもない

Mili の Sleep Talk Metropolis って曲、そうそうこういう曲調が好きなんだよって感じなんだけど、

まぁ詞はドン引き歌詞なんだよな

 

貴族様ならびに自立心・自尊心バッキバキの何者病たちの世界には、

『ただ働くだけで今までの人生の最高値を記録する』って概念がねーから

低所得だろうが高所得だろうがコレ人生の最高値妥協でも非人間的な生活でもないんですね

幼少期のワイは人間未満だったのか?

 

でもまぁ極端に軽薄な人は極端に軽薄な人なりの人生を歩むと思います

そして、多くの場合、人を作るのは能力(Ability)ではなく、態度(Attitude

軽薄な人の振る舞いをしていれば、周りの人はそのようにその人を認識するし、

長年にわたって積み重ねられた行動や習慣は、やがてその人の性質性格と呼ばれるようになる

 

関わらないこった

2023-10-03

続・かつて一世を風靡したなんでも実況J板の現状

今年の初め、こんな増田投稿した。

かつて一世を風靡したなんでも実況J板の現状

https://anond.hatelabo.jp/20230123225612

あれから約8ヶ月、また新たな局面を迎えている為ここに記そうと思う。

このままでは「匿名掲示板による実況文化消滅」が起きてしまう。

更に、匿名掲示板のものの存続すら危なくなってきてしまったのだ。

この増田投稿してから2ヶ月後、3ちゃんねるは閉鎖してしまった。

この辺の経緯はなんJwikiにも記載されている。

https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E3%81%95%E3%82%93G

3ちゃんねる管理人はまともである分、昼間は普通に仕事をしている為昼夜逆転生活を送っている異常なスクリプトDDoS攻撃による荒らし対応が遅れ、ただでさえなんG民の避難殺到アクセスが集中していただけに耐えられなくなってしまったのだ。

先に注記しておくが、私はサーバーインフラ関連の知識は全くないため、いち掲示板利用者としての意見感想を述べていく。

一方こういった事態でも移住先や避難先を探し続けていたなんG民たちは防弾掲示板に着目。

防弾なんGについてもwikiに詳しく記載されている。

https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E9%98%B2%E5%BC%BE%E3%81%AA%E3%82%93G

ちなみに「防弾」の意味については詳しく知らないが、海外サーバーなのでちょっとやそっとの誹謗中傷犯罪予告でも開示されないらしい。私はしたことがないので知らない。

さて、この防弾なんG・防弾なんU(一部定期スレの常駐)が避難先として定着すると春先からは徐々に野球実況もこちらで行われるようになった。

防弾なんGの最大の特徴(と私は認識している)のがスレを立てたイッチに限りスレタイがあとから変更できたり、実況モード(連投規制の緩和)や新規モードレスをするための認証を緩和)にするなどコマンドが使えた。これは何らかの実況の後反省会スレに移行するなどなんG民の習性にあったものであり、コマンド機能は好評であった。

さてこの「レスをするための認証」だが、レスをするためには回線ごとに1日1回、簡単に言えば自動化スクリプトでは突破不能reCAPTCHAなどを導入していた。(私はロボットではありませんみたいなやつ)

さっさと本家5ちゃんねるにも同等な機能実装すればいいのだが・・・お気付きの通り5ちゃんねる運営は何もする気がないのでこの有様である

ここからしばらく安定期が訪れ、防弾なんGに移住する者、5ちゃんなんGがスクリプトに荒らされた時だけ避難しに来る者、頑なに5ちゃんに残り続ける者などに分かれ、試合実況も分裂化し始めていた。

この頃はまだ試合実況が中途半端に成り立っており、実況スレスクリプトが来たら次スレを立てるという文化になりかけたのだがいつしかそれすら追いつかなくなるほどの攻撃を受けだんだんと防弾なんGへの移住は進んだ。

そして転機は突然訪れる。

5ちゃんねるが消滅したのである

Talkという謎の掲示板が出現したことで5ちゃんねる全体が大混乱に陥った。この辺の経緯もwiki読んだ方が早い。

https://wikiwiki.jp/livejupiter/talk

簡単説明すると、5ちゃんねる専用ブラウザ大手であった「chmate」のみを置き去りにしてその他の専ブラが結託して「Talk」と呼ばれる自称5ちゃんねる後継を謳う掲示板に移行を図ったのだ。

一部では「もうスクリプトに悩まされなくていい」と好意的に捉えられた一方で、「あまりにも突然で何の説明もない」「chmateのみを除け者にした」「現状のTalkにはワッチョイがないどころか開発者を名乗る人物ワッチョイがなんなのか知らない」などの点から不信感・不満が噴出。

中でも問題になったのが「浪人(5ちゃんねるの課金)のサイトが閉鎖されており、返金も効かない。年間契約で購入した人間はどうなるのか?」という金銭関係問題であり、これには消費生活センター相談しようとするものまで現れた。

wikiにも書いてある通り、浪人販売していたのがジェーンであるため)

更に、Talk出現後一旦スクリプトが止まったことやTalk掲示板にはスクリプトが出現しないことから「なんGや嫌儲荒らしていた正体はJane Style側なのでは?」という疑惑が出た。


このあまりの横暴さと辻褄が合うことからなんG民はTalk絶対に受け入れることが出来ず、その遺恨は今でも残る。

5ちゃんねるは自分で言うのもなんだがインターネット財産であり、過去ログ消失は専門板に数十万数百万と残る叡智の消失に繋がる。

結局この騒動は一旦は収束を見せ、chmateによる5ちゃんねるの閲覧・書き込みが復旧した後は徐々にまたいつもの感じを取り戻していた。スクリプトは相変わらず復活したが。

そしてこの頃から防弾なんGが頻繁に鯖落ちを繰り返すようになる。原因はDDoS攻撃とされ、スクリプトが出来ない分こうしたアタックサーバー機能不全に陥らせていたのだ。(この攻撃ジェーン仕業だと疑うなんG民も少なくなかった。もちろん飛躍した論議であり確証は一切なく半分陰謀論めいているが、最早何が起こっているか誰にも分からないのだ)

結局防弾なんGが使い物にならなくなるなか、新勢力「なんでも実況エッジ」通称「なんE」が誕生する。スクリプト対策はもちろんDDoS攻撃対策も施されたサーバークラウドフレア使用していたらしい。私は先ほど申し上げた通りこの辺の知識がないのだが聞くところによれば攻撃自体は受けているものの一瞬重くなる程度で済んでいるとのこと。

このなんEが快適でちょっとサーバー落ちする程度ですぐ復旧していたため夏ごろからは専ら試合実況はこちらで行われていた。また、なんGでは避難誘導も行われ移住ますます進んだ。(なんEに避難してくださいとスレを立ててスクリプトが埋め立てれば勢いは上位に来るので目に留まりやすい。)

また先日、5ちゃんねるでは21時~0時まで課金しないと書き込めない謎の規制(結局21時半くらいに解除された日もあった)が始まったりすぐに終わったり、迷走が続いた。

またなんEではVTuber実況が大挙して移住してきてスレを乱立させ、歴史的経緯からバチャ豚を嫌うなんG民が多いため空気がピリピリしだした。

そしてとうとうこの楽園終焉を迎えてしまった。

10月1日未明、またしても5ちゃんねる全板が重くなったりサーバー落ちしたり不安定状態が続き、なんEが盛り上がっていた。

10月2日午前11時過ぎ、なんE管理人が突如「サービス終了について」というスレを立て、「このスレが埋まったら新規レスできなくします」と宣言

まりの突然の出来事絶望、怒り、同情、感謝など反応はさまざまであったが一番異常だったのは、なんE管理人提示した「1時間当たり400万件にのぼるDDoS攻撃」であった。

いくらDDoS攻撃に強いサーバーを使っているとはいえ、いち個人提供し続けている個人掲示板にこれだけの攻撃が来るのはどう考えても異常であり、犯罪行為である

これ以上攻撃が拡大すれば迷惑がかかるだけでなく、管理人は「本格的に怖くなってしまった」と説明した。

決してサーバー費用面の問題ではなく、この異常な攻撃個人ではもはや対処不能なのだ

一方で翌日(本日未明)、防弾なんGが突如復活、管理人降臨したもの忍法帖登録している人間IPアドレスパスワード流出させ死亡、一瞬のうちに閉鎖となった。

この3日間でエッジも防弾も失ってしまったなんG民に為す術はなく、また5ちゃんねるに帰らざるを得なくなったのだ。

一応今度はオフショアと呼ばれるエッジと似た仕組み?の避難所も出来たようだが、ここも個人運営な以上いつまで持つか分からない。

もっとも悲しいのは、ここ数年間の分裂、移住によりなんG人口のものが減ったこである

私みたいな匿名掲示板にこだわる一部の異常者を除き、まともな感性を持った人間は「またスクリプトに荒らされてるのか・・・」とうんざりして掲示板を辞めてTwitterdiscordなどほかのツール野球実況をするだろう。

スクリプトに荒らされていなくてもサーバーが重い状態が続き、エッジや防弾に分裂した実況スレにまで移住するのなんか少数派で、ここ最近試合実況なんか1スレ完走するのがやっとなレベルだった。(※すでに両リーグ優勝決定後の消化試合であることには留意したい)

もう覚えてないが阪神優勝時の実況は確かエッジでやっていた気がする。

しかしまドラフトCS日本シリーズオフシーズンFAや現ドラが控えている。

そんな中でまともに実況や雑談が出来ない、我々はどうしたらいいのか?

この問題点について3つあげたい。

① 5ちゃんねる運営公式的な声明を出す場がなく、また状況説明対策等の措置が取られないこと

② DDoS攻撃スクリプトによる埋め立て行為に対して現代日本サイバー警察などの技術では立件等が困難なこと

③ 上記による匿名掲示板文化衰退・存続の危惧

①だが、5ちゃんねるの運営そもそも本当にいるのか?というところから私は考えたいと思う。

そして5ちゃんねるというのは「運用情報板」「規制議論板」など運営直下の板が複数あるため煩雑であり、どこで管理人コンタクトを取り、説明し、管理人はどこで全掲示板利用者平等アナウンスをするのかが一切形式化されていない。

そんな胡散臭い連中が運営している掲示板を何故使っているのかと言われればそれまでではあるが・・・

②だが、スクリプト特定はとても困難でIPアドレスも無数の回線に切り替えて爆撃しているため刑事ドラマでよく聞く「複数サーバーを経由して・・・」みたいなのと同じ状況であると推察される。

これでは日本警察どころか誰も追跡・特定出来ないのではないかと思う。そして、個人で400万件/hの被害を受けたエッジの管理人も法的措置に関しては何も言わなかった。無意味なことが分かっているからだ。

仮にネットに強い弁護士相談したところで、「いかがでしたか?よく分かりませんでした!」というオチになるのが目に見えている。こういったサイバー攻撃に対してあまりにも無力であると痛感させられる。

③さが、匿名掲示板雑談や実況するという文化のものがこのままでは衰退してしまう。Twitterはいわば「強制コテハン状態であり、いいねフォロワーを気にしながら発言したりしなければならない。掲示板匿名で全員が同じ立場であるインプレッション稼ぎもいないし、何かあればスレッドを立てて議論し、1000になれば解散し、日付を跨げば別人になる。もちろん5ちゃんねるに拘る必要は現時点で何もない。ないのだが、移住先はスクリプトDDoS攻撃に潰される有様では何も出来ないのだ。

数十年と築いてきた掲示板スクリプトに潰されるのはあまりにも無力で、情けないと思う。

スクリプトの正体は本当に不明で、もはや個人ではないのかもしれない。スクリプト自体も誰かが作ったものだろうし、DDoS攻撃を代行するサービスもあると聞いたので、本当の黒幕は1人なのかもしれないが、とにかく動機がわからないのだ。

少なくとも一瞬のうちに5ちゃんねるを機能不全に陥らせる能力があるのに、スクリプトを使って埋め立てて、阿鼻叫喚右往左往するなんG民たちを見てあざ笑っているようにしか見えない・・・

今の5ちゃんねるなんGは、スレ乱立スクリプトが立てたスレに2種類の埋め立てスクリプトレスする異常な状態である

これから5ちゃんねるはどうなってしまうのだろうか?

我々は巨大匿名掲示板の終わりにいつ立ち会ってもおかしくない。

2023-09-24

5ちゃんねる・嫌儲板現在

今年夏ごろからスクリプト攻撃が今まで以上に酷くなって、7月にはJaneStyleがクーデターを起こしtalk掲示板サイレント移住をさせるという事件が起きたが、結果的クーデターは失敗して5chの規制も前より緩まったのだが、スクリプト攻撃はその後もほぼ間断なく続き、9月に入ってからは更に巧妙化されたスクリプトに変化した。

今まではレス爆撃して、一瞬でスレを埋め立てる攻撃だったが、今回の巧妙化されたスクリプトは、AI生成の会話レスグロ画像普通のペースで自動投稿し続けている。指定レス番は適当だし、見ればスクリプトだとひと目で分かるのだが、人間ユーザーレスの間に大量に挟まれて非常にうざい。

この攻撃に対して、嫌儲板では名前欄に名前入力して投稿するようにユーザーに呼びかけることで防衛しようとしている。人間ユーザー全員がそれぞれ名前入力して投稿すれば、専用ブラウザNGネーム機能を使って嫌儲板デフォルトネームである番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です」を非表示設定にすることで、スクリプトレスを全て消すことができるからだ。そこで多くの嫌儲板住民は「安倍晋三」を名前に使いだして、現在嫌儲板は「安倍晋三さんだらけになっている。

今後、嫌儲板書き込みを行う機会がある場合には、名前欄を空白のまま投稿すると多くのユーザーからNG扱いを受けて、自分レスが読まれことな無視されることになることに注意してほしい。現状、「安倍晋三」以外の名前を使っている人も多いので「ああああ」でも「いいいい」でも適当名前をつければ問題はない。しかし今後スクリプト名前欄設定もし始めると、「安倍晋三」以外の名前は全部NG扱いされることになるかもしれない(スクリプト攻撃者は「安倍晋三」を名前欄に使うことに抵抗があると言われている)。

2023-08-23

なんでも実況J系列掲示板をまとめてみた

URLを多く投稿すると投稿登録出来ないので、リンクが無いのは悪しからず。

5ch.net

なんでも実況J

野球ch民の移住を受け興隆した掲示板

アニ豚の居座りアフィブロガーによるスレ立て対立煽りを受け、幾度も移住計画が立てられたものの、おまC移住失敗・ピンJ移住失敗・戦場実況移住失敗とそれらはいずれも失敗していた。

しかし、なんJ長期サーバーダウンを期になんGへの移住がついに実現する。

なんG移住運動後は、VTuber実況や年齢層若めの雑談スレが中心となり、猛虎弁で会話するVIPというような雰囲気となった。

ここ1年ほどは粘着荒らしによる大量スレ立て・大量書き込み荒らし攻撃を受けており、時間帯によっては全く機能しない。

なんでも実況G

なんJ長期サーバーダウンに伴い白羽の矢が立った掲示板

移住運動発足当時は、なんJと異なり1時間スレが落ちる決まりであり移住先として賛否両論があった。現在は度重なる仕様の変更の末、使い勝手なんJとほぼ同様である

当初こそアニ豚・アフィブロガーなんJに置き去りにした移住が実現していたが、現在では追って移住している。

なんJ同様常に荒らし攻撃を受けており、時間帯によっては全く機能しない。

なんでも実況U

スレ保持数が多いことが特徴。

その特徴からソーシャルゲーム趣味話題などまったり語りたいテーマトークが中心の掲示板

なんJ〇〇部』を冠するスレが多く、なんJの部室棟とも呼ばれているが、なんJ民もなんG民も利用している。

なんJやなんGが荒らされた際はついでのようになんUも荒らされるため、避難所しての機能は無い。

おーぷん2ちゃんねる

なんでも実況J

おーぷん2ちゃんねるアフィブログへの転載自由としたスタンス掲示板である

そのため住民アフィブログにまとめられそうなスレを立てレスをするのが特徴ではあるが、アフィブロガーにおってはおんJ民の書き込みはあまり人気が無い。

荒らし対策機能しており、また多くのユニーク機能を持つが、その一方ユーザーは年齢層が低く馴れ合いを好むため、なんJ民の避難先とはならなかった。

2ch.sc

なんでも実況J

5chのクローンサイト。すべての書き込みをほぼリアルタイムコピーしている。

転載禁止を表明している5ch.net書き込み転載するために作られたサイト

「風吹けば名無し@転載禁止」などのデフォルト名無しを「風吹けば名無\(^o^)/」に改変してコピーを行っている。

ここに住みつき書き込みを行う住民ほとんど存在せず、まさになんJスレをまとめるためだけのサイトである

現在、なんGコピーに相当する掲示板存在しない。

Talk (トーク) | みんなの掲示板

なんでも実況J板 | みんなの掲示板
なんでも実況G板 | みんなの掲示板

専ブラTalk移住騒動を期に立ち上がった掲示板

その成り立ちもあって管理人の評判はかなり悪い。

現在移住騒動に巻き込まれたと思われる住民がポツポツと書き込みを行っている。

三男掲示板

防弾3G
防弾なんG(SE)

なんGの避難先として3ちゃんねるが立ち上がり、三男掲示板3ちゃんねるさらなる避難所としての役割を担っていた。

3ちゃんねる避難所としてその役割果たしていたが、3ちゃんねるの閉鎖に伴い三男掲示板がメインの避難所格上げする形となった。

防弾ホスティングサーバーを用いていることが特徴であり、管理機能しているため荒らしには規制が行われる。

したらば掲示板

なんでも実況J 避難所

したらば掲示板サービスを利用した避難所

古くから避難所として認知されているが、サーバーはあまり強くない。

なんJが実況の勢いで落ちた場合にしたらば避難所に押し掛けると、こちらも一緒に落ちてしまうことが往々にして起こる。

ぜろちゃんねるプラス

ぷにぷに

ぜろちゃんねるプラス掲示板サービスを利用した避難所

なんJ・なんGで「シャワーズちゃんぷにぷにおま〇こ」というスレッドを不定期に立てて有名だったユーザー設立した掲示板

主な書き込みポケモンケモノイラスト関係であり、普段はなんG民にとった縁遠い存在

ただしなんGが落ちた際には避難所スレが立ち、そこで情報の交換が行われる。

ぜろちゃんねるプラス再開発プロジェクト

newカメムシ掲示板

ぜろちゃんねるプラス再開発プロジェクト掲示板サービスを利用した避難所

恒心教徒設立した掲示板。ただし現在はハセカラ要素は薄い。

防弾なんGの避難所としての役割を担う。

エッジコンピューティング掲示板

なんでも実況(エッジ)

エッジコンピューティング技術を用いて開発された掲示板。おそらく独自規格

専ブラからでのみ閲覧が可能で、読み込み書き込みともに非常に速い。

直5chとTalkのいざこざで移住してきたんだが

お前らクソだが気持ち知能は盛りめのクソではあるな

感心する奴もいるし

匿名掲示板巡りをしました

行ってきたのは5ch(なんG~なんJ),ここ,ふたば(img~may),爆サイです.感想を書きます

・5ch(なんG~なんJ)

 こっから流行った悪口ツイッター(X)とかに流れていく・妹が「女さんが~」とか言ってて泣いちゃった

 グロ画像貼りながら意味の分からないことわめき散らかすスクリプトがいるのに移住しないのやべえだろ

 スクリプトのせいで5だか3だかGだかJだか防弾だかなんだかに分散してる

 なんでもかんでもタイトルに【】が付いてる

 速報性は高いからでかいニュースあった時に見るのは楽しい

 スマホから5ch見ようとブラウザ入れた新規talkかい胡散臭いアプリに飛ばされるのアホらしい

 

ふたば(img)

 なにが生まれたばかりの掲示板だよ

 del制度はとても良い・明らかな煽りが無いのは住みやす

 5chまとめっつってここの内容まとめられてるのは少し好き

 方言とか独自文化が強いせいでROM期間は必須・でもROMっても分からない文化があるのはどうなん(2時4分くらいのアレ怖い)

 真っ昼間でもニート煽りされないのは古き良きものを感じる

 どうでもいいけど学内LANふたばだけ見れなくてダメだった

・ここ

 お気持ちとか愚痴書きにここにくるのはいいけどここに常駐してるやつは中々にやばそう

 さりげなく高学歴とか良い嫁アピールができるか,が結構重要?・読解力が鍛えられる

 地味に冷笑系が生まれる温床だったりしそう

爆サイ

 民度ポコチン

 地元方言煽りあってるの見れるのは新鮮・本当の意味インターネット老人会している❕

 近場のスレッドをぜひ見てほしい・夜散歩で通る公園ホモの逢引に使われていることは知りたくなかった

こんな感じです.オチはない

2023-08-16

YouTube「にんげんTalkチャンネル著作権利者の承諾を得ているのかどうか?

デブガリ食事交換、ありえない結果 (950万回再生)

https://www.youtube.com/watch?v=nMd_jjKe9wM

という動画が(再度)バズっているけど、これは概要欄に Supersize vs Superskinny と堂々と(?)記してある通り、下記の人気動画シリーズ日本語編集したもの

Supersize Vs Super Skinny Series 5 Ep 2 (250万回再生)

https://www.youtube.com/watch?v=kJxSKyDQpl8

この日本語版をアップした「にんげんTalkチャンネルは、海外のバズった動画をたくさん日本語編集公開してるんだけど、少なくとも正式著作権利者の承諾を得ている様子はまったくうかがえないよ。明確な例はこちら。

にんげんTalkチャンネルによる動画:

零下70度の環境での生活はどんな体験なのだろうか?ここにはなんと学校があり、体育では狩猟を学ぶ (1.9万回再生)

https://www.youtube.com/watch?v=5Ao_8WDAH58

サムネイルオリジナル:

COLDEST PLACE on Earth (-71°C, -96°F) Why people live here? | Oymyakon, Russia (300万回再生)

https://www.youtube.com/watch?v=sFWtQ5AV0vg

本編のオリジナル:

One Day in the Coldest Village on Earth | Yakutia (4100万回再生)

https://www.youtube.com/watch?v=lj5GXZaE7qs



表に見えていないだけで実はちゃん著作権者に承諾を得ている可能性はなくもないけど、だったら堂々とその旨まで含めて掲示してほしいよね。

(もっとも、後者の例では、キャッチーサムネだけを使わせてくれという品のない申し出を、気骨あるロシア人YouTuberのEliが快く受け入れるとは思いがたい)



以下蛇足:

「にんげんTalk」に限らず怪しい海外動画チャンネルは他にもたくさんあるけど、日本語翻訳して字幕を添えて部分的編集までして日本視聴者に届ける労力は、本来は正当に評価されるべき立派な貢献だと思う。ちゃん交渉して正式に承諾を得てビジネスとして成り立たせることは十分に可能なんじゃないかな。

2023-08-14

anond:20230814210255

iOSアプリだと、たぶん全アプリデフォルトtalkに繋がるようになってて、

外部板で2ch登録することも可能だけど、設定めんどいし制約ありって感じ

talkでもなんJみたいな元々人の多かった板はぼちぼち人がいる感じ

これをもって乗っ取り成功と言うのかは分からん

2023-08-11

5ch(旧2ch関係歴史をまとめてみた(改訂版

anond:20230805233212改訂しました。

1996/08 [あやしいわーるど開始]

1997/08 [あめぞう開始]

1999/05 2ch開始

1999/12 東芝クレーマー事件【追加】

2000/03 [したらば開始]

2000/05 西鉄ジャック事件ネオ麦茶

2000/08 オカ板の洒落怖【追加】

2001/08 [ふたばちゃんねる開始]

2001/05 鮫島事件騒動

2001/08 ニュー速台風コロッケ【追加】

2001/08 UNIX板有志による閉鎖回避

2001/10 ニュー速+開設

2001/12 吉野家オフ【追加】

2002/02 テクノ板のムネオハウスムーブメント【追加】

2002/03 タカラギコ猫事件【追加】

2002/04 田代砲TIME誌)【追加】

2002/05 47氏ダウンロード板winny公開【追加】

2002/07 湘南ゴミ拾いオフ開催(背景に日韓ワールドカップ)【追加】

2002/12 紅白フラッシュ合戦開始

2003/06 マトリックスオフ開催

2003/10 [4chan開始]

2004/01 オカ板のきさらぎ駅

2004/06 ニュー速VIP開設

2005/07 毒男板の電車男ドラマ

2005/08 エイベックスのまネコ事件

2005/12 第一なんJ移住VIPなんJ

2006/12 [ニコニコ動画開始]

2007/12 ニュー速嫌儲)開設

2008/06 秋葉原通り魔事件

2009/05 第二次なんJ移住野球ch→なんJ

2012/01 ステマ騒動による嫌儲移民発生【追加】

2012/06 [おーぷん2ちゃんねる開始]

2013/08 ●個人情報流出事件(+自作自演の発覚、削除人騒動)【追加】

2014/02 2ch分裂騒動ジム・ワトキンスひろゆき

2014/04 ひろゆきミラーサイト(?)の2ch.sc開始

2016/05 ひろゆきが「2ch」の商標権取得

2017/10 ワトキンス側が商標問題から2chを5chに改名

2021/08 なんJ一時封鎖・なんG開設

2022/04 専ブラBB2C使えなくなる

2023/07 専ブラJaneStyle(※初代Janeとは別物)の反乱とTalk開始。

2023-08-05

5ch(旧2ch関係歴史をまとめてみたけど、なんか抜けてる気がする

こんなもんだったっけ?

1996/08 あやしいわーるど開始

1997/08 あめぞう開始

1999/05 2ch開始

(2000/03 したらば開始)

2000/05 西鉄ジャック事件ネオ麦茶

(2001/08 ふたばちゃんねる開始)

(2003/10 4chan開始)

2001/05 鮫島事件騒動

2001/08 閉鎖騒動

2001/10 ニュー速+開設。スレ立ては「記者のみ」。

2002/  紅白フラッシュ合戦開始。

2003/06 マトリックスオフ開催。

2004/01 オカ板のきさらぎ駅

2004/06 ニュー速VIP開設。

2005/07 毒男板の電車男ドラマ化。

2005/08 エイベックスのまネコ事件

2005/12 第一なんJ移住VIPなんJ

2006/12 ニコニコ動画開始)

2007/12 ニュー速嫌儲)開設。まとめサイトへの転載回避目的

2008/06 秋葉原通り魔事件

2009/05 第二次なんJ移住野球ch→なんJ

(2012/06 おーぷん2ちゃんねる開始)

2014/02 2ch分裂騒動ジム・ワトキンスひろゆき

2014/04 ひろゆきミラーサイト(?)の2ch.sc開始。

2016/05 ひろゆきが「2ch」の商標権取得。

2017/10 ワトキンス側が商標問題から2chを5chに改名

2021/08 なんJ一時封鎖・なんG開設。

2022/04 専ブラBB2C使えなくなる。

2023/07 専ブラJaneStyle(※初代Janeとは別物)の反乱。Talk開始。

[]2023年7月滅多にホットエントリを出さなドメインからホットエントリ

ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからホットエントリブクマ数順トップ30

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2023-08-02

英訳 about the #Berbenheimer issue

anond:20230801140703

DeepLで勝手英訳をしてみた。

勝手にごめん。元増田が嫌であれば消す。

Various things that really need to be said about the #Berbenheimer issue

 

In a discussion about the case, someone raised an objection to "someone who was not a party to the incident, who was not from Nagasaki, and who was not from Hiroshima, complaining about it. Seeing that opinion made me aware of my position, so I will say what I must say.

 

I was born in Nagasaki and am a third-generation A-bomb survivor.

I say this because I grew up hearing the stories of the A-bomb damage directly from those who suffered from the atomic bombings.

 

I feel that it is unacceptable for someone like me to speak about the A-bomb damage.

However, there are few A-bomb survivors left, so I will speak up.

 

In Nagasaki, children grow up hearing stories about the atomic bombing. We were made to sit in the gymnasium of an elementary school in the middle of summer, where there was not even an air conditioner or a fan, and for nearly an hour we were made to listen to stories about the atomic bombing. It was hard for me anyway.

 

I think it was even more painful for the elderly people who told the stories. But I don't think an elementary school kid could have imagined that. I, too, have forgotten most of the stories I was told. I can only remember one or two at most.

 

Another thing is that at this time of year, pictures of the victims of the atomic bombing are pasted up in the hallways.

In other parts of the country, these are grotesque images that would cause a fuss from the parents who are always nagging about them.

Recently, even the A-bomb museum has become more gentle in its exhibits, and most of the radical and horrifying exhibits that would have traumatized visitors have been removed.

I don't know how elementary schools now teach about the A-bomb damage. But when I was in elementary school, there were photos on display.

 

There was one photo that I just couldn't face as an elementary school student. It was a picture of Taniguchi Sumiteru(谷口稜曄). If you search for it, you can find it. It is a shocking picture, but I would still like you to see it.

I couldn't pass through the hallway where the photo was displayed, so I always took the long way around to another floor to avoid seeing the photo.

My grandfather was under the bomb and went to the burnt ruins of the bomb to look for his sister. I can understand now that he couldn't turn away or go another way.

There would have been a mountain of people still alive and moaning in the ruins of the burnt ruins. There would have been many more who would have died out in agony.

My grandfather walked for miles and miles, towing a rear wheelchair, through the narrow streets of rubble-strewn Nagasaki in search of his sister.

My grandfather was not a child then. But of course there were elementary school children who did the same thing he did. I am not speculating that there were. There were. I heard the story from him, and I still remember it.

A young brother and sister found their father's corpse in the ruins of the fire and burned it themselves. They didn't have enough wood to burn him alive, and when they saw his brain spilling out, they ran away, and that was the last time they ever saw him again.

 

I can never forget that story I heard when I was a kid, and even now it's painful and painful, my hands are shaking and I'm crying.

 

I keep wondering how that old man who ran away from his father's brain was able to expose to the public the unimaginably horrible trauma, the scar that will never heal, even after all these years.

 

Now I think I understand a little.

 

Why I can't help but talk about my grandfather and the old man now, even as I remember my own trauma.

Because this level of suffering is nothing compared to their words being forgotten.

It's nothing compared to the tremendous suffering that once existed that will be forgotten, like my hands shaking, my heart palpitating, my nose running with vertigo, and so on.

 

So maybe it's the same thing.

 

My grandfather, who went through an unimaginable hell, lived to see his grandchildren born, and met his sister's death in the ruins of the fire.

 

In other words, my grandfather was one of the happiest people in the ruins of the fire.

 

My grandfather and that old man were, after all, just people wading in the depths of hell.

 

I think that the suffering that even people who had experienced unimaginable pain could not imagine was lying like pebbles on the ground in Nagasaki 78 years ago, and no one paid any attention to it.

 

Their suffering, which I can't even imagine, is nothing compared to the countless, unimaginable suffering they witnessed, which they pretend never happened.

 

Memories fade inexorably with each passing human mouth. The memories that those people could never allow to be forgotten are almost forgotten.

 

The tremendous suffering of 78 years ago is mostly gone, never to be recounted.

 

Those who suffered the most from the atomic bombing died rotting in the ruins of the fire without being able to tell anyone about it.

 

Many of those who saw it with their own eyes kept their mouths shut and took it with them to their graves. Most of those who spoke a few words are still in their graves.

 

Compared to the words of the old men, my own words are so light. I would rather keep my mouth shut than speak in such light words.

 

But still, someone has to take over. I realize that even my words, which are so light, are only the top of the voices that are left in this world to carry on the story of the atomic bombing.

 

I know how it feels to think that I am the only one. Still, I hope that you will not shut your mouth. I know that I have closed my mouth because I thought I shouldn't talk about it, and that is the result.

 

Sometimes I almost choose to stop imagining the unimaginable suffering and live my life consuming other people's suffering for fun.

I am writing this while I still have some imagination of the suffering of the old people whose voices, faces, and even words I can no longer recall.

2023-08-01

anond:20230801140703

すまん。勝手翻訳した。拡散はどうするかな。redditかに投稿するのがいいのか?

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I have seen some posts asking if they should talk about "the case" even though they were not involved in it and were not born in Nagasaki or Hiroshima, and I am a bit aware of it, so I have to say what I have to say. I say this because I was born in Nagasaki, am a third generation atomic bomb survivor, and grew up hearing the stories of those who experienced the atomic bombing firsthand. I know it's a little bit too much for me, but I'm going to say this because there are very few survivors left.

In Nagasaki, children grow up hearing stories about the atomic bombing. They were stuffed into sushi for nearly an hour in the gymnasium of an elementary school in the middle of summer, with no air conditioner or fan, and told stories about the atomic bombing. That was a hard time for me. I think it must have been even harder for the old people who told the stories, but there was no way an elementary school kid could imagine such a thing, and I had forgotten most of the stories I had been told for a long time. I have forgotten most of the stories I was told. I can only remember one or two at most. There is one more hard thing. Every year around this time, a row of grotesque images that would drive the PTA crazy in other areas are prominently displayed in the hallways. These days, I hear that the atomic bomb museum has been bleached out and many of the radical and horrifying exhibits that traumatized visitors have been taken down. I don't know if they are still there, but they were there when I was in elementary school.

There was one photo that I just couldn't face when I was in elementary school. It is a picture of Sumiteru Taniguchi. If you search for it, you can find it. It is a shocking picture, but I would like you to take a look at it. I couldn't pass through the hallway where the photo was posted, so I always took the long way around to another floor of the school building to avoid seeing the photo.

Now I'm thinking that my grandfather, who headed into the burnt ruins to look for his sister, couldn't have turned away or taken a different path. There would have been a mountain of people still alive and moaning, not just pictures, and a mountain more who would have given up at the end of their suffering. He walked for miles and miles, towing his handcart through the narrow streets of rubble-strewn Nagasaki in search of his sister. My grandfather was not a child at the time, but of course there were children who did similar things. Not that there wouldn't have been. There were. I heard the story from him, and I still remember it. A young brother and sister found their father's body in the ruins of a fire and they burned it. They didn't have enough wood to burn his body, and when they saw the raw brain that spilled out, they ran away and that was the last time they ever saw him anymore.

I can never forget the story I heard when I was a kid, and even now it is painful and painful, my hands are shaking and I am crying. I keep wondering how the old man who escaped from that father's brain could have been able to unravel the most horrible trauma imaginable and expose it to the public with scars that will never heal.

Now I think I can understand a little.

The reason I can't help but talk about my grandfather and that old man, even if I have to rehash my own trauma, is that this level of suffering is nothing compared to the fact that their words will be forgotten. My hands shaking, my heart palpitating and dizzy, my nose running with tears, it's nothing compared to the tremendous suffering that was once there and will be forgotten.

So maybe it's the same thing.

My grandfather, who went through an unimaginable hell, lived to see his grandchildren born, and met his sister's death in the ruins of the fire. In other words, my grandfather was one of the happiest people in the ruins of the fire. My grandfather and that old man were, after all, just people wading in the depths of hell. I think that the suffering that even people who had experienced unimaginable pain could not imagine was lying like pebbles in Nagasaki 78 years ago, and no one paid any attention to it. Their suffering, which I can't even imagine, is nothing compared to the countless, tremendous suffering they witnessed, which they pretend never happened.

Memories fade inexorably every time people talk about them. The memories that those people could not allow to be forgotten are now largely forgotten; the tremendous suffering of 78 years ago is mostly gone, never to be recounted again. Those who suffered the most from the atomic bombing died rotting in the ruins of the fire, unable to tell anyone about it. Many of those who saw it with their own eyes kept their mouths shut and took it with them to their graves. Most of those who spoke a few words are now under the grave.

Compared to the words of the old men, my own words are so light. I would rather keep my mouth shut than speak in such light words. But still, someone has to take over. I realize that even my words, which are so light, are only the top of the voices that are left in this world to carry on the story of the atomic bombing. I know how it feels to wonder if someone like myself is allowed to speak about this. Still, I hope that you will not shut your mouth. This is the result of our silence.

Sometimes I almost choose to stop imagining the unimaginable suffering and live my life consuming other people's suffering for the fun of it. I am writing this while I still have some imagination of the suffering of the old people whose voices, faces, and even words I can no longer recall.

Translator's note: The original post in Japanese is a response to a post by a Japanese contributor who wondered if he was qualified to speak out on the subject of the A-bomb when he was not from Hiroshima and Nagasaki, but still spoke out about Barbie and the A-bomb. I translated it here because I think it deserves to be read by the world.

anond:20230801140703

ai翻訳

I must talk about various things regarding the Barbie incident.

I saw a post about it from someone who is neither directly involved nor from Nagasaki or Hiroshima, and it made me realize that there are things I must say.

I was born in Nagasaki and grew up listening to stories from the survivors, being a third-generation survivor myself. Most survivors are no longer with us, so I feel compelled to speak up.

In Nagasaki, kids grow up hearing about the atomic bomb. We were packed like sushi in a gymnasium without air conditioning or even fans during the scorching summer, and we listened to stories about the bomb. It was incredibly tough for me.

I imagine it was even harder for the elderly who spoke about their experiences. As a child, I couldn't fully comprehend their pain, and now, I can hardly remember most of the stories I heard. I can only recall one or two.

Every year during this time, gruesome images that would make PTA elsewhere go crazy were displayed in the hallways. I heard that many of the horrifying exhibits that used to traumatize visitors at the Atomic Bomb Museum have been removed, and the museum has been considerably sanitized. I'm not sure about the current situation, but that's how it was when I was there.

There was one photograph that I could never bear to look at as a child – a picture of Tadashi Taniguchi. You can find it if you search, but it's a shocking image with a viewer discretion warning. Still, I want people to see it.

I couldn't walk down the hallway where that photo was displayed, and I always took a different route, avoiding it so I wouldn't have to see it.

Now, I think of my grandpa who went to the ruins to search for my sister. He couldn't look away or take a different path. The pain must have been unimaginable.

Besides photographs, there were many living people moaning in pain back then, and there must have been even more who succumbed to suffering.

My grandpa walked for miles, pulling a handcart through the debris-laden streets of Nagasaki, searching for my sister.

Even though my grandpa was not a child, I'm sure there were elementary school kids who did similar things. I don't just think they might have been there; they were there. I heard the stories from the people themselves, and I still remember them.

I can't forget the stories I heard as a child, such as the young siblings finding their father's burnt corpse in the ruins and cremating him. They didn't have enough firewood, and their father ended up half-burnt. They ran away after seeing the brain tissue oozing out, and that became their final farewell.

I can never forget those stories I heard as a child, and even now, they still bring pain and suffering, making my hands tremble and tears flow.

I wonder how my grandpa, who ran away from that father's brain tissue, could expose his unimaginable trauma and everlasting scars to the world.

Now, I feel like I understand a little.

Even someone like me, who experienced such unimaginable trauma, has gone through pain that I can't even imagine being compared to being discarded, forgotten, and ignored. Compared to what those people experienced, my suffering means nothing.

My trembling hands and the palpitations and dizziness I experienced are nothing compared to the tremendous pain that many others went through.

Memories fade irreversibly every time they pass through people's lips. The memories that I couldn't bear to be forgotten are almost forgotten now.

The unimaginable pain that existed 78 years ago has mostly disappeared, and we can no longer pass it on.

The people who suffered the most from the atomic bomb perished in the ruins, rotting away without being able to convey it to anyone.

Even those who saw it with their own eyes mostly took the memories with them to their graves. Most of them are now under the tombstones.

Compared to the words of the elderly, my words seem so light. I think that speaking with such light words would be better than keeping silent, as silence has led to this result.

I feel like I might occasionally choose to stop imagining the unimaginable pain and consume the suffering of others in an amusing way to live on.

Before I forget the pain and suffering of those elderly people, whose faces and voices I can no longer recall, I will leave this here.

2023-07-24

anond:20230721210323

なんJに関しちゃすでに分裂しまくってるのでtalkでこれ言ってるやつは今更すぎる…(というかなんGって言ってない時点で)

現状でも試合実況すらなんJ なんG だんGのどこでされてるか日によって違ってわからん

だいぶ文化が違うけどおんJやしたらばもあるし

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