ジェンダーとセクシュアリティは、性的マイノリティと呼ばれる人たちだけのもの? いえ、「性」と「生」は不可分であり、誰もが否応なく一生にわたって背負っていくものだと説くのは、Trans-womanであり、性社会文化史研究者の三橋順子さん。
だから「違いがあっていい」。三橋さんが2023年12月に上梓した『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』には、そんなメッセージが込められています。
去る1月末、同書の刊行イベントが紀伊國屋書店 新宿本店で開催されました。ゲストは、ジャーナリストの北丸雄二さん。同時代、別々の場所でジェンダーとセクシュアリティにまつわるさまざまなことを見て、感じて、考えてきたふたりのトークを「コレカラ」にて特別公開いたします。
第3回目は、海外から“輸入”されたゲイカルチャーと、日本で独自に受け継がれてきた女装文化の違いについて。
【第3回】ハッピーゲイライフがやって来た
外国の影響をほとんど受けなかった日本の女装カルチャー
北丸:つまり1990年前後ごろから日本のセクシュアル・マイノリティは伏見さんの本や大塚隆史さんのゲイやキャンプ・カルチャーのムック本が出たりと、ゲイとレズビアンを中心にひとつの転換期を経験することになるんですが、それは、欧米からはじまったゲイリベーション(ゲイ解放運動)の文脈をくんだものですよね。三橋さんはそうじゃなくて、当時も日本の女装史を研究していた。彼らと自分で、「見ているものが違うな」という感じはありましたか?
三橋:日本の女装カルチャーは、外国の影響をほとんど受けていないんです。コミュニティも国内でほとんど閉じてます。日本でHIV/AIDSの感染が騒がれた初期、主に外国人男性とおつき合いをしているゲイ男性のあいだで広まりましたよね。ところが、当時の女装コミュニティはほぼ100%日本人でした。いくら記憶をたどっても、外国人は誰も思い浮かばない。
北丸:ということは、女装コミュニティに、HIVは入ってこなかった?
三橋:感染が広がってからは入ってきたけど、初期はほとんどなかったですね。私がこの本で意識して書いたことでもあるんだけど、セクシュアリティにも文化的背景がある。ゲイのセクシュアリティは、世界的な共通性があるでしょ。
北丸:というより、「ゲイ男性」という概念は外国から取り入れたものですし、それは「アイデンティティの政治」と深く結びついた公的かつ社会的存在としての同性愛者たちだった。三島由紀夫の描いた同性愛者たちを思い出してもらえればわかると思うけど、そういうのじゃない、社会的発言をできる同性愛者はそれまで日本にはほとんど存在していなかったんです。ゲイ雑誌も必ず外国の本をネタにしていたし。でも女装は、日本の文化を遡ればどんどん出てくる。
三橋:新宿のお店でお手伝いしていたとき、夜中の3時ぐらいにママの友だちがきて、「ぜんぜん客がこなかったから食べて」と、お手製のつまみを置いていくんですよ。ママに聞くと、その昔(1960年代)、新宿で女装のセックスワーク、いわゆる女装男娼をやってた人で、お金を貯めてゴールデン街のお店の権利を買った人なんです。そんなふうに昔から連綿と続いている世界なんです。
北丸:90年代の前半まで、ゲイバーはお化粧してお店に出てる人が多かったですよね。ママというか、パパというか。
三橋:ママですね。化粧をして、女性の見た目をした人が圧倒的に多かった。“着流し”と呼ばれる、薄化粧だけど男の着物の人たちもいましたけど。
新宿2丁目に女装系のお店はなかった?
北丸:僕が大学生のころ、友だちと飲み歩いて花園神社の裏を通ったら、そこに女装で、着物の前をはだけたおばさんかおじさんかわからない人たちがいて、「寄ってらっしゃい、坊や」って声をかけてきたなぁ。
三橋:私も95年頃後、ゴールデン街・花園街の狭い路地に、おばさんがたくさん立っているのを見ています。ママに聞いたら、「若いころからああやって、お店の前でお客さんを呼び込みしてきたのよ」と教えてくれました。ゴールデン街・花園街は、売春防止法の施行(1958年4月)まで、東京最大の青線街、つまり黙認されない売春地区でしたから、その名残なのです。
北丸:そのころ区役所通りとか、2丁目はどうでしたか?
三橋:2丁目は私、ほとんど行ったことがないんですよ。新宿のセクシュアルマイノリティの世界には、棲み分けがある……っていうのが、私が三橋順子の名前で書いた最初の学術論文なんです。コミュニティが分かれていると同時に、地理的なエリアの棲み分けになっている、と。
女装の世界は、寄席の「新宿末廣亭」があるブロック、ゴールデン街・花園街、それから歌舞伎町区役所通り界隈です。2丁目の、いまゲイタウンといわれているあたりは、1990年代末まで女装系のお店がほとんどなかった。2丁目に女装のお店を出した人は、「なんであんなところに出すの? 変わってるわね」と言われてましたね。
輸入されてきたゲイカルチャー
北丸:とんねるずがバラエティ番組でゲイ男性をネタにしたり、「潜入2丁目」といった特集があったり、このころから実態とかけ離れた、妄想としての2丁目がメディアにより頻繁に出てくるようになりました。一方で、ゲイ雑誌の「Badi(バディ)」が1993年に創刊されて、いわゆる西洋式の“ハッピーゲイライフ”が提案されはじめました。みんなパーカー着て、短パン履いて。
三橋:北丸さんがおっしゃるとおり、ゲイカルチャーって輸入されたものですよね。南定四郎(みなみ ていしろう)さんという、現在92歳の大長老にインタビューをしたことがあるんですが、南さんが1974年に創刊した雑誌が「アドン」。
北丸:もともと「薔薇族」にいた方だよね。
三橋:「薔薇族」は輸入系じゃないんですよね。「アドン」は理論を輸入した。IGA(International Gay Association。現在はInternational Lesbian, Gay, Bisexual, Trans and Intersex Association)の直輸入です。一方で、パレードも映画祭も、そうした流れで始まりました。その後、ゲイのファッションやライフスタイルを欧米から輸入したのが、「Badi」でした。
日本にも古くからの土着的・伝統的な男性間性愛の文化があったけど、外国からの影響で変容していった……その始まりは、間違いなく進駐軍です。その後、70年代から断片的に情報が入ってきて、90年代になってアメリカのゲイリベーションの影響が色濃いハッピーゲイライフが入ってきた。
北丸:ちょうどそのころに、僕は新聞社の特派員としてアメリカに行った……。
三橋:本場に行っちゃったのですよね。ゲイカルチャーは、こんなふうに時代とともに変化してきた。女装の文化も変化がないわけじゃないけど、圧倒的に日本土着的・伝統的な文化の比重が高いんですよ。たとえば、現代のトランスジェンダーのための「教室」が教えている女性らしい身体の使い方は、元をたどれば江戸時代の歌舞伎の女形がマニュアル化したものですから。
オリンピックによって「性」が標準化される
北丸:三島由紀夫の『禁色』にも、進駐軍のことが描かれていました。『禁色』といえば、実際に銀座にあったゲイ喫茶兼バー「ブランスウィック」をモデルにしたゲイバー「ルドン」が登場しますが、そこで働いている男性は薄化粧しているとありました。
三橋:若いころの美輪明宏さんみたいに、薄化粧の美少年ですね。華奢な体格の美青年系と、女装している子との、2パターンです。どちらにしてもマッチョじゃない。
北丸:アメリカでは1950年代には、マスキュリンな肉体に紐パンみたいな下着を身に着けた男たちの写真が、雑誌として出回っていたんですよ。女性性ではなくて、男性性を求めるゲイ文化。
三橋:日本とアメリカとでは、相当タイムラグがあったんですね。紐パンといえば、ゲイの人っていろいろ不思議な下着を穿くでしょ。一方で、日本のゲイカルチャーにはずっと“ふんどし”がある。そこだけヘンに日本文化を守っているみたいで、「薔薇族」も「アドン」もふんどし特集を組んでいました。この本には、さすがにふんどしのことは書かなかったけど。学生には、セクシュアリティは昔も今も変わらないとか、世界のどこでも同じだとか、思わないほうがいいですよと言っています。
北丸:男性性の表象、女性性の表象が、文化によって違うんですよね。ロシアの男子体操選手たちが競技が終わるとキスし合うとか、韓国で同性同士が手をつなぐとか、そんなジェンダー表象の違いに場面に驚いたことがあります。でもそれも、オリンピックという国際的な視線が注がれることでなかったことになる。
三橋:ある種の文化的標準化が起きるんですね。
北丸:キリスト教文化圏から世界を見ると、「これは変態だ」となってしまいますから。
(構成◉三浦ゆえ)
本連載は毎週金曜日更新の全四回となります
プロフィール
三橋順子(みつはし・じゅんこ)
1955 年、埼玉県生まれ、Trans-woman。性社会文化史研究者。明治大学文学部非常勤講師。専門はジェンダー&セクシュアリティの歴史研究、とりわけ、性別越境、買売春(「赤線」)など。著書に『女装と日本人』(講談社現代新書)、『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)、『歴史の中の多様な「性」―日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店)がある。
北丸雄二(きたまる・ゆうじ)
ジャーナリスト、作家。東京新聞ニューヨーク支局長を経て1996年に独立。在米25年の2018年に帰国。TBS、文化放送、J-WAVEなどのラジオ番組、「デモクラシータイムス」などのネット報道番組などでニュース解説も。毎週金曜に東京新聞で「本音のコラム」連載。近著『愛と差別と友情とLGBTQ+』(人々舎)で「紀伊國屋じんぶん大賞 2022」2位。
連載一覧
- 第1回 セクシュアルマイノリティの現場から
- 第2回 LGBT当事者にはどう接すればいい?
- 第3回 ハッピーゲイライフがやって来た
- 第4回 いまの現象だけ見てもわからないことがある