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撮影/栗原朗

バッシングを受けた泉ピン子が「悪口をいいふらした相手にやり返したい」人に伝えたこと

泉ピン子トークイベントで見たもの 後編

52歳で抱えた数億円の借金

イベントでは、52歳で背負わされた、数億円もの借金、「共演者いじめ」と書かれたバッシング報道、数々のピンチにどう立ち向かってきたのかについても率直に語りました。

「私は16歳のときから仕事をして、『あんたは娘よ』って社長に言われるままに、印鑑実印通帳全部あずけてた。給料ももらってなかった。お小遣いがなくなったら『ちょうだい』って言って、買うものを買って払ってもらうとか、そういうふうだったんです。

52歳のとき、やっぱり着物もいい着物を着なければならないと思うから、呉服屋さんに200万円を払わなければならなかったんですが、事務所が『ない』っていうの。その話を野村明子さんにしたら、『ふざけんじゃない、あんた一人にマネージャー運転手や8人もついていて、たった200万払えないはずない。そんな事務所やめちまえ』って言われたの。『あんた給料いくらもらってるの?』と聞かれても知らない。私も単純だからそうかと思って、『事務所を辞めます』と宣言したら、社長から『あんたは借金がある』と言われて訴えられたんです。身に覚えがない私名義の借用書が山のように出てきたの。事務所を出た時、私の財布には7000円しか入っていませんでした」

撮影/栗原朗
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自己破産を勧める人もいたけれど、「私は泉ピン子だ、全部返してやる!」と腹を括って全額返済。しかも、自分が作った借金ではなく、騙されて背負わされた借金です。

「悔しかったけど裁判ではそうなったから仕方がない。でも内心ドキドキでした。今もCMをやらせていただいている『エネワン』の社長が2000万円を貸してくれて、『泉ピン子はこれで終わりじゃない。引っ越さず、今の生活のままやれ』って。エネワンさんはもう三代続けた仲になりますが、ありがたかった。野村さんも200万貸してくれて、ほかの芸能人には借りるなって言われました。

返したわよ、毎月毎月500万。働いたわね。どうやって働いたか忘れちゃうんだけど、そういうときに『ぴったんこカン・カン』のオファーがきたの。ドラマと『ぴったんこカン・カン』とこれで借金返そうって腹をくくって、“面白いものを作らないといけない”って思った。

私は『ぴったんこカン・カン』があったから大きくなれたんだと思いますよ。だから(バスガイドの)ぴったん子さんだけだと飽きられるから、県会婦人も作ろうって。安住(紳一郎)にお見合いさせようっていう目論見でいろんな人の相手を選ぶのと2本立てでやりました。そういうときの方がアイデアが出てくるのよ。飽きられたら続かないじゃない。あとドラマもあったから、寝てる暇がない。働いた働いた。

今考えたら、ベルサイユ宮殿で安住とベルばらの格好で『愛~』とかふたりでフランスで恥ずかしげもなくよく歌ったわね。あとはオペラ座の前で『ららららーららー』ってオペラ座の怪人を歌ったり。歩く人はこの人どうしたのって目で見てたけど、旅の恥はかきすてっていうじゃない。だからやれたのよ」

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