独特の世界観支える文体と語彙
――まずは犬怪さん、ハヤカワSFコンテスト大賞受賞、おめでとうございます。デビュー作となった『羊式型人間模擬機』は唯一無二の世界観ですね。
犬怪:ありがとうございます。今、何もかも嬉しい気持ちでいっぱいです。「石ころがある!」みたいなのでも嬉しい(笑)。もともとは、「食にまつわる不思議な風習」のようなものを書こうと思っていました。一族の謎の風習、「当主が死んだらヤギを食べる」みたいな話を最初は書いていたんですけど、書き始めの一文目、これは今も残ってますが、それを書いたときに「『わたくし』は人間じゃないかも」と思い始めて、そのまま、「じゃあ、人間ではなくしようかな」という感じで書いていったんです。本当に何も考えずに書こうと思って書きました。目の前に見えたものを、筋を考えずにそのまま全部書いた感じです。
一穂:いや、もう「すごい」の一言ですよね。正直、これ、あらすじだけでは何の話なのかまったくわからない(笑)。誰の模倣でもない文体。こんなにはっきり文体のある方って珍しいんじゃないかと思います。名前を伏せて出しても、たぶん「犬怪さんだ」ってわかる。
きょうのあさ、だから今朝、大旦那様が御羊(おひつじ)になられた。太陽はすでにのぼっていた。大旦那様の部屋のドアーは堅く重たいものである。固く重たく太い木なので、叩くと叩いた方の体がゆれる。大旦那様は耳の聞こえないようになっているので、もとより返事はないのだった。まずは廊下のジェイドの水差しの細い首をいつまでも傾けて、ドアーの前に葡萄酒をたらす。理由不明であるが大旦那様はそれをせずにドアーを開けるとたいそうお怒りになられる。葡萄酒には匂いがあって、それは鼻の内側がすうすうと鳴る匂い。ドアーには取手がついていて、それは蛇という名の生き物に似て、太く、腹を浮かすようにしてややゆがみ、のっぺりとして堅く重たい太い木のドアーにずっとついている。きのうのあさ、それはつまり昨朝? そのときもへびはそこについていた。 (本書より)
一穂:この独特な文体、私は最大の武器だと思うんですよね。それでいて、ボキャブラリーが豊か。終盤の描写なんか凄まじいものがあります。犬怪さんを知ったのは小説投稿サイト「カクヨム」でしたが、私は「こんな人がアマチュアにいるんだ」と思って、自信がなくなったぐらい(笑)。おののきながら読んでいたので、今回の受賞は本当に嬉しいですし、作品を読んで改めて納得しました。
犬怪:ありがとうございます。もう本当に、大ファンの一穂さんが読んでくださっていることを全然知りませんでした。私にとって一穂さんは、ただ「好きな人」として存在していたので、まさか自分と繋がると考えていなかったので、びっくりするし、そう言っていただけることが驚きです。
一穂:プロットやキャラクターは、あらかじめまとめた上で書いたわけではない、ということですか。
犬怪:そうですね。まったく何も考えずに書きました。今まで公募で出していたのは、プロットを頑張ってやったのですが、うまくいかなくて。なので、今回は本当に何も考えずにやってみようと思って書きました。最初はヤギを食べ、語りの人物は人間の子どもっていう設定だったんですけど、文章を書いていて、「もしかしたら、こうなのかも」と思い直して人間じゃなくなりました。
一穂:じゃあ、もう、書きながら自分で知っていく感じですか? 「そうだったんだ!」みたいな?
犬怪:そうです。そんな感じです。
一穂:ヤギが羊に変わったのって、犬怪さんのなかでは理由があったりしますか?
犬怪:あります。「まずヤギを解体せねばならぬ」と思って、ヤギの解体について調べたんですけど、あんまり出てこなくて。で、羊が出てきたんですよね。あと、羊って、いろいろ、毛とかがあるので、「儀式がいっぱいできそうだな」と思って、羊にしました。
一穂:「御ヤギ様」ではちょっとあんまり……(笑)。
犬怪:雰囲気が出ない。なので、モンゴルの羊を捌く動画を見ながら書いていきました。
「悲しい」でも「切ない」でもない、でもなぜか涙が出てくる
――男性一族の命が途絶えそうになると「御羊様」に変わる。その着想はどこから。
犬怪:その着想は、自分でもどの時点でそうなったのか覚えていないんですけど、もともと「食を書こう」って思った時にイメージしたのが、私、昔、伯母と住んでいて、魚を食べる時に伯母が全部、綺麗に骨を取ってくれたんです。だから魚が好きだったんですけど、大きくなってから自分でお箸を使って食べるのがすごく苦手で、「こんなふうに食べなきゃいけないのか」と思ったら、魚を食べるのが億劫になっちゃったっていうことがあって。「食べる」って「愛情」。「ただ食べる」じゃなく、「食べさせる」っていうことが繋がっていく、みたいなイメージが、ぼんやりとあったんだと思います。
一穂:羊って、人類にとっては根源的な食物の一つですよね。生贄といえば羊。私は読んだ時、聖書にある「衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである」っていう一節を思い出したんです。一見矛盾しているけれど、「素敵だな」って思ったんですよね。「食べる」ことは愛情であるけれど、「食べなければ生きていけない」っていうのは、一つの呪縛であり、苦痛でもある。
それって、「生きること」の喜びと悲しみのそっくり両面だと思うんですよね。この本の中にはっきり描かれていなくても、全体を通して読むと、そういうものが自分の中に落とし込まれていく。「悲しい」でも「切ない」でもない、でもなぜか涙が出てくる。何かが許容量を溢れた感じの涙が出て、その読み味も素晴らしいと思います。生きることの核に触れる何かが、この本の中に籠っているんだと思います。
犬怪:すごい、言語化してくださって……!
一穂:あははは(笑)。
犬怪:ありがとうございます。言語化、苦手なんです。嬉しい……。
一穂:この特異なキャラクターの書き分けは、意識されたわけではないんですか?
犬怪:そうですね。でもきょうだいや、一族というものが、昔から好きでした。お話に出てくる皆さんは、その世界に自然に存在して暮らしているのを、ちょっと覗かせてもらってそのまま写しとったって感じです。
シスターフッド、ブラザーフッドの関係
――「血」「血脈」について考えさせられる物語ですね。この一族に課せられた宿痾(しゅくあ)。壮絶であり、もの悲しくもあり、どこか独特のぬくもりもある。
一穂:そうなんですよ。最初は登場人物がすごく軽やかに見えるんですよね。でも、「このおうちは、この人たちはいったい何なんだろう」って。読み進めるうちに、優雅、軽やかだけでないものが見えてきます。私は特に、真昼様と日向様、陸夜と桜李の繋がりがすごく美しくて。
犬怪:ああ、嬉しいです。
一穂:人間の関係性の美しさがありますよね。相手のことを丸ごと愛し、大切にしている。その形を飾り気なく、原始的な形で彼らは見せてくれる。今、流行しているのとはまた違うシスターフッド、ブラザーフッドの関係だって私は思ったんです。そのへんの関係性のあり方って、犬怪さんには、どういった思いがありますか。
犬怪:シスターフッド、ブラザーフッド的なものがとても好きなんですよね。人間同士の関係性がすごく好き。それをずっと見ていたいって気持ちがあって、自然とそうなったんだと思います。
一穂:「カクヨム」で読んだ犬怪さんの『ガールズ・アット・ジ・エッジ』も素晴らしいシスターフッドのお話でした。手を取って何かに立ち向かうのではなく、彼女たちって、ただひたすらにお互いを見つめていて、何でもできてしまう。危うさや暴力性も内包されていて、私はそういうのはツボにはまる。めちゃめちゃ好きなんですよね。
犬怪:良かった……。
一穂:ところで、羊やアンドロイドというと、SFの名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック著、早川書房)を想起する人が多いと思うのですが、犬怪さんは読まれたことありますか。私はないです。
犬怪:私もないです(笑)。でも、羊が出てくるし、主人公は機械だし、(同書が早川書房で刊行されたため)ハヤカワSFコンテストにはずっと出してみたいなって思っていたので、これで出せるのでは? となりました。『電気羊』の本があったから、SFコンテストに出せたって思います。
一穂:早川書房さんの賞の懐の深さを感じますよね(笑)。何を送っても、たぶん良い。面白くさえあれば、ちゃんと評価される。
犬怪:大丈夫だった!って思いました。
恋愛は人生の最上位ではない
――犬怪さんは、ずっと一穂さんの作品のファンだそうですが、どんなところが好きですか。
犬怪:それこそ、人間性や人間関係の描き方が、ただただツボにハマるのと、セリフの応酬が、本当に間までわかる。全部、「わかる、わかる!」って。その読み心地の良さが「今までにないな」って出あった時に思ったんです。うちのお店の書店員(※犬怪さんは現役書店員)の中に、「あなたはこれが好きだよ」って薦めるのがめちゃくちゃ上手い人がいて、一穂さんを薦めてくれたんですよ。「あなたはこれが好きです!」って。
一穂:占い師みたい(笑)。
犬怪:本当に占い師みたいな人で、ほとんど全部当たるんですけど、渡していただいた一穂さんの『meet,again.』(イラスト・竹美家らら、新書館)がもう、「すごい好きだ! なんじゃこりゃ!」って感じで。
一穂:BLなんですけども、私の作品の中でも、あまり支持されていない(笑)。少数の人がなぜか「これめっちゃ好きです」って言ってくださる。私、恋愛を書くのが非常に下手なので、そっちの方にまっすぐ行けないんですよね。たぶん、私自身、恋愛っていうものを、人生のヒエラルキーの中でそんな上の方に思っていない。
BLだから「この気持ちは恋だ」「あなたが好きだ」みたいな感情の交換をしなければいけない。それが基本的なルールだとは思うので、もちろん楽しくは書いているんですけども、「そうじゃないのを書きたいな」と思って書いたのが『meet,again.』。ちょっと変な話なんです。
犬怪:大変に刺さりましたね。人間同士の関係がすごい良い。なんて言葉にしたらいいかわかんないんですけど。本当に良いんですよ。すごい今、腑に落ちました。恋愛が世の中で上位のものとしてあるっていうのが、ちっちゃい頃から私は苦手で。ちょっと「うーん」っていうところがあって。もちろん素晴らしいとは思うんですけど、そうじゃない関係性も、同じぐらいの地位にいていいなって、ずっと思っているので。そこがブチ刺さりました。
一穂:ありがとうございます。気が合うんだね(笑)。感情の最高到達点って、必ずしも恋愛ではないっていうのが、どこかにあるんです。だからある意味、人と人との関係が「放りっぱなし」っていうか、そのまま丸ごと受け止めるのが気持ち良いんです。(犬怪さんの今作品も)これは物語全体を通してですが、「なぜ」「何なの」ということは、必ずしもこれを解釈する必要も、理解する必要もないと私は思うんです。私はこの文章が好きだから、ずっと気持ち良く読んで、はっきり言葉にできないけど、何か大きなものをちゃんと受け取った。その手応えがある。今後も、……私なんかが口幅ったいんですけれども、自分の文体みたいなのを翻訳しすぎないでいてほしいなっていう、祈りのような気持ちがあります。
犬怪:はい。嬉しいです……。このお話の文章は、たとえばここで「み」から始まる3文字の言葉を入れたい、みたいな感じで、辞書を探して、見つからないけどこれがいいからこれにしよう、とか。「和名の宝石の格好いい名前を出したいな」ってなってネットで探して入れるような書き方もしました。文体って、自分の血肉みたいなものだから、そう言っていただけると嬉しいです。
一穂:単行本にするにあたって、改稿作業は大変でしたか。
犬怪:とても大変でした。
一穂:普通の手の入れ方をしたら、輝きが鈍ってしまうかもしれない。編集の方も試される作品だと思います。初稿はどれぐらいかけて書かれたんですか。
犬怪:これは私としては短めで、3カ月ぐらいで出来ました。
一穂:改稿はどれぐらいかかりましたか。
犬怪:4カ月ぐらいです。
一穂:じゃあ、だいぶ頑張って、大変だったんですね。
犬怪:ガッツリ人間を、削って、4人を2人にしたので。「これがプロの仕事か」みたいな気持ちになりました。編集さんの存在が本当にありがたい。小説投稿サイトでも読者の方はいたんですけど、「こうしたら?」ってアドバイスをくださる存在が初めてで、本当に嬉しかったです。
一穂:編集の方にアドバイスいただいて、改稿するのって、1冊書いたのと同じぐらい勉強になりますよね。
犬怪:勉強になります。
一穂:でもその間も、書店でお仕事はされていたんですよね。
犬怪:していました。
一穂:発売日に自分の本を自分で店頭に並べるって、なかなかない(笑)。
犬怪:本当に自分で売ってます! お店の人も、売れるたびに言いに来てくれて、「さっき私、売ったんだ!」って言ってくれて、それがすごく嬉しくて。
一穂:温かい!
犬怪:本当に温かい、とても良いお店です。ありがたいです。
怒る練習で日記を書き始めた
――犬怪さんはどのような幼少期を過ごしましたか。
犬怪:私、ちっちゃい頃、すごくかわいくて(笑)。大人にチヤホヤされていたんですけど、それがイヤで、「なんて人間は不平等なんだ!」って、老成した幼少期だったんです。成長するのが早く、保育園の年長ぐらいで、骨格が変わって、あんまりかわいくなくなったんですね。そうしたら、チヤホヤされなくなった(笑)。
それからがもう自由で。「もう全部楽しい」みたいな感じで生きていたんですけど、小1の時に交通事故に遭ってしまって。4カ月ぐらい入院する大きな事故だったんです。
一穂:あら……。
犬怪:でも、外科の入院病棟って、みんな元気なんですよ。病気でなくケガで入院しているから。大人がとても優しくて、大人の接し方を、子どもにもしてくれた。慮ってくれるのが心地良かったんです。ところが退院後、小学校に戻った時、子どもって慮ってくれないじゃないですか。
一穂:そうですね(笑)。子どもだから。
犬怪:なんか「生身の獣」みたいな感じ(笑)。私はそれにびっくりして。戦いみたいな人間関係をやっていて。ショックで溶け込めなくて。そこからずっと疎外感を抱えて暮らしてきました。現在もうまく人間関係、人間の社会に入れているのか謎ですが。本を読み始めたのは、母が絵本展をボランティアで主催していて、学校のホールみたいなのを借りて世界中の本を展示していたんです。それで絵本を読み始めて、ずっと読んでいたんですよね。
一穂:どんな絵本が好きだったんですか。
犬怪:宮沢賢治と金子みすゞが好きで、よく読んでいました。特に宮沢賢治の『竜のはなし』が大好きで。今思うと今回のお話に通ずるものがあるような気がします。
――ご自身で創作するようになったのは。
犬怪:もともと小説を書いていなくて、セリフだけの物語っていうか、人間がいっぱい出てきて、セリフがいっぱいある、みたいな話は、中学の時、遊びで書いていたんです。私、ちっちゃい頃から「吉本新喜劇」が好きで、何かシチュエーションがあって、その中で人間が何かを喋っている、みたいなのが好き。ずっとそういうのは書いていたんです。いつから小説になったか定かでないんですが、「小説の賞っていうのがあるんだよ」と友だちに教えてもらって、「小説か……」と思って書き始めたんだと思うんです。でもあんまり読んでいなかったので、小説の書き方がわからなくて。大変だった記憶があります。
――17歳で新人賞を取ろうと決意したことがあったんですよね。
犬怪:私、中学の頃からバレーボール部に入っていたんですけど、バレーが全然好きじゃなくて。そもそも戦うのが好きじゃない。「なんでボールを相手コートに叩きつけなきゃいけないんだ」って(笑)。悲しみがあって、怒られるし、イヤだったんです。ところが高校に入ったら、「ちょっと楽しいな」と思ったんですね。でも、人間関係のモジャモジャが起こって、やっと「楽しいな」と思ったのに、そのゴチャゴチャで、何やかんやあって私だけ辞めることになってしまって。
そこで、部屋の隅でうずくまって、なぜ人間はこのようなのか、みたいな哲学的煩悶を繰り返していて。そのときに保健室に通っていたんですけど、保健室の先生が「あなたには体の中に怒りがない。怒りがないから、このままでは死ぬ」って言われたんですよ。
一穂:ええっ!
犬怪:いや、すごく過激な保健室の先生で。当時、16、17歳ですね。多感な時期なのに、「死ぬ」って言われて、「どうしたら……?」って。そうしたら先生は、「日記に怒りを書きなさい」って。「怒りを創作してでも書きなさい。怒っていないことでも、そういう『種』みたいなものをかき集めて、怒りにしたらいい。怒る練習をしなさい」って。それで日記を書き始めたんです。
一穂:日記ですか。
犬怪:私にとっては創作です。「何かを怒りにする」っていうのが、日記じゃなくて創作でもいいのかなって思って書いてみたら、治療になったんですよね、書くことが。「私はもうこうやって書いて生きていくんだ」って、高校1年の冬頃に思ったんです。「小説の賞に出そう。小説で生きていくんだ」って。
一穂:実際、あんまり他人に怒らない? 腹を立てない?
犬怪:そうですね。でもすごく訓練をしたので、今は……。最初に訓練したのが、私、人に対して怒れなかったんで、エアコンに対して怒りをぶつけたんです。「寒すぎる」って怒っていた(笑)。今でもエアコンが寒すぎたりすると、すごい怒りの感情がわーってなっちゃって、それは困っていますね。人に向けて怒りを持ったり発したりするのは今でも難しいです。
一穂:その、細木数子のような保健室の先生は、この子は毒素を認識できないまま、知らず知らず体内に貯めちゃっているから、出してあげないと、と思ったのでしょう。
犬怪:もう少し優しく言ってほしかったです(笑)。でも、感謝しています。
小説を書く上で無駄になることはない
――文学・文芸をどこかで学ぶような機会はありましたか?
犬怪:なんかもう勝手に、17、18歳でデビューして、天才みたいな感じでいくことを夢見ていたんですけど、できなくて。21、22歳ぐらいのときに「このままではやばい」と思って、シナリオの学校に通ったんです。人間の台詞、会話が好きなので、「そっちの方が向いているかな?」と思ったんですが、それが今に生きているかどうかはわからない。
一穂:いや、生きていますよ。さっき吉本新喜劇の話を聞いて思ったんですけど、この本も一緒ですよね。(一族の家という)舞台設定があり、そこで人が動き、話をしている。その中で、日向様が真昼様を迎えに行く旅をしているじゃないですか。あれも舞台の上で書き割りの背景が変わって、人間が移動しているような、不思議な感触があったんですね。「舞台っぽさ」が言われてみればあるなと思って、すごく納得しました。
犬怪さんのお話って、誰が何を言っているかが、その台詞でわかるんです。これ、すごいことで、「少年ジャンプ」の漫画で、「シルエットだけで誰なのか、わかるぐらいの主人公じゃないと駄目だ」って言われるのと通じるものを感じます。シナリオを学んだことが生かされているじゃないですか。
犬怪:はあ、良かったです。無駄じゃなかった……。
一穂:無駄なことなんてないよ。小説を書いていると、何も無駄にはしない。
犬怪:嬉しい。でも今、私も腑に落ちました。もともと「舞台の劇作家になりたいな」って思ったことがあったんですけど、劇作家って人間関係がどうしても出てくる。自分一人では完結しないですけど、「小説で舞台ができればいいな」って。だからそう言っていただけて嬉しいです。
――幼少の頃に触れた絵本や詩からすべて繋がっていますね。地の文章は絵画的で、情景が即座に伝わります。言葉は一穂さんがおっしゃった通り、「誰の言葉か」がわかる。しかもぬくもりがある。言葉に重みがちゃんと乗っかっています。
一穂:そうですそうです。たしかに、地の文は色も浮かんできますし、ちゃんと犬怪さんご自身の伝えたいことは、こっちに伝わっている。「文法的にどう」とか、表記の統一は、二の次で。
犬怪:これは人間ではないものの一人語りで、文法的に間違っているべきパッケージなので、書くのが本当に楽しかったです。ふだんだと「これ、合っているのかな」とか考えて調べたりしますけど、それも敢えて調べずにそのまま。いつもなら文法に邪魔されるリズムとか音感をそのままで書けるので、楽しかったです。
――今後はどんな物語を描きたいですか。
一穂:この本が出たら、もう次の仕事がすぐ来ると思います。
犬怪:やりたいことはいっぱいあるんですけど、この本でSFの賞をいただいて、「SFっていいな」って心底思っています。私のイメージする「がっちりしたSF」はたぶん書けないので、ちょっとニッチな感じになるとは思うんですけど、そういうのを書きたい。あとは今、本当にハッピーなので、めちゃくちゃ明るくて元気な話を書いてみたいです。今まで暗いのばかり書いてきたので(笑)。
一穂:今、若い方がどんどん出てきて、私は直木賞をいただいてから、逆に焦りを感じるようになっています。小説投稿サイトで、一気読みしてしまったのが犬怪さんです。この『羊式型人間模擬機』は、むさぼり読んで、気づけば涙を流していました。
――対談前、お二人がサインを交互に書いている姿が、「エール交換」みたいで素敵でした。これからのお二人のご活躍、期待します。
一穂・犬怪:ありがとうございます!