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石井千湖さん「積ん読の本」インタビュー 積ん読の山は恐るるに足らず、共生するもの

石井千湖さん=北原千恵美撮影

見て楽しい、聞いて楽しい、十人十色の積ん読事情

――本書では、さまざまな分野で活躍する方々の積ん読事情をお聞きしながら、本とのつき合い方や読書のあり方に考えを巡らせています。インタビューされた人の方々はどう選ばれたのですか。

 担当編集の小田さんとふたりで取材候補を出し合って、職業や性別など多様になるように考えて選びました。著作を読んで「この方の本棚は見てみたい」と思った方々が多いですね。

インタビューしたのは、飯間浩明、池澤春菜、小川公代、小川哲、角田光代、柴崎友香、しまおまほ、管啓次郎、辻山良雄、マライ・メントライン、柳下毅一郎、山本貴光(敬称略、50音順)。帯のインパクトと相まって、本好きを引き寄せる魅力的な人選だ

――取材依頼をしたときの反応は、どんな感じでしたか。

 みなさん、いろいろですね。でも、印象に残っているのは、しまおまほさん。「本を読むのがあまり得意じゃなくて、『死の棘』(祖父・島尾敏雄さんによる私小説)も積ん読なんです」と言われて、これは絶対にお話を伺いたいと思いました。

 あと、おもしろかったのは、辞書編纂者の飯間浩明さん。飯間さんは蔵書の多くをご自身でスキャンしてデータ化、いわゆる「自炊」をしているそうで、一般的な積ん読とはちょっと違うかもしれませんが……とのおことわりがありました。でも、そんな形の積ん読もかえっておもしろいなと思って取材をお願いしました。

――本にはみなさんの積ん読の写真もたくさん載っているので、本当にいろんな形の積ん読があるなと目でも楽しませてもらいました。

 小川哲さんの積ん読がベランダに保管されていたのには驚きましたね。池澤春菜さんの取材では積ん読に出迎えられたので、ちょっと気分が上がりました。積ん読の山でスリッパが入っている収納棚の扉が開けられず、スリッパが出せないという(笑)。

部屋に収まりきらず、やむを得ず屋外用の収納ボックスに入れてベランダで保管されている小川哲さんの積ん読。『積ん読の本』(主婦と生活社)より=相馬ミナ撮影

新しい本はまずは玄関に積まれるという池澤春菜さんの積ん読。日を追うごとに山は少しずつ家の奥へと移動していく。『積ん読の本』(主婦と生活社)より=相馬ミナ撮影

 積ん読のやり方でいうと、山本貴光さんが本の背表紙だけでも知識のインデックスになると、本棚に入っているものはもちろん、入らないものもすべて背表紙が見えるように積んでいたのが印象的でした。やっぱり背表紙は大事だなと実感しましたね。

山本貴光さんは、目的の本が探しやすいよう、背表紙が見えるように本を積み、「空間を使って知識や創作物のマップを作っている」と言う。『積ん読の本』(主婦と生活社)より=相馬ミナ撮影

――石井さんも本書の取材前は積ん読に対してちょっと罪悪感を抱いていたそうですが、取材を通して積ん読観はどう変化しましたか。

 はじめのうちは、しまおさんが「(積ん読本の)背表紙がこっちを見ている」とおっしゃっていたように、背表紙と目が合うような、ちょっとした圧のようなものを感じていました。でも、みなさんのお話を聞いていくうちに、そうした罪悪感は薄まっていきましたね。

 特に、辻山(良雄)さん(本屋「Title」店主)が 「読んだ本しか家にないということは、自分がわかっている世界しかないということ。そんなの、つまらない」とおっしゃっていて、すごくハッとさせられました。

 それと、一度手放してしまうと手に入るづらくなる本があることを再認識させられました。柳下(毅一郎)さんや角田(光代)さん、柴崎(友香)さんが口をそろえて同じようなことをおっしゃっていて、積ん読本も出会いだから大事にしないといけないなと、より強く思うようになりました。

積ん読のはじまりは社会人になってから

――石井さんの積ん読歴もぜひ知りたいです。積ん読をし始めたなと自覚するようになったのはいつ頃ですか。

 新卒で八重洲ブックセンターに勤め始めてから、ですね。学生時代は読む本が足りなかったぐらいで、自分の家にあったのは一つの本棚に収まるくらいしか持っていませんでした。当時はあまりお金がないからたくさんは買えないですし、古本屋でちょっと買う程度。あとは公立図書館をハシゴして借りて読むような感じだったのが、書店に勤めたら社員割引で本が買えるからと、どんどん積ん読が増えちゃいました(笑)。

 その後、文芸ライターになってからさらにまた増えて……。インタビューや書評の対象となる本はもちろん、その参考文献や関連書なども読んでおきたくなって買ってしまうんです。読みたい本も読まなきゃいけない本も次々とやってくるので、どんどんどんどん溜まっていって増えていっちゃうんですよ。

――石井さんの積ん読の中で、いちばん古いものは?

 はっきりとはわからないんですが、おそらくこの「怪」創刊号だと思います。カバーの背がすごい日に焼けてしまっているんですが……。

 勤めていた八重洲ブックセンターに、水木しげるさんがサイン会にいらっしゃったんです。サインをもらおうと購入して、ちょっとだけ読んで積んであるという。貴重なサイン本だからカバーをかけっぱなしなんですけど、カバーをかけたまま保管しているがために、存在をちょっと忘れがちで、全部は読んでいません。

1997年に出版された「怪」創刊号。水木しげるさんの貴重なサイン入り

 それと、古いものでいったら『ヒトラーと退廃芸術』。いつ、なぜ買ったのかも覚えていないんですけど、奥付を見ると1992年になっているので、おそらく20年以上は積んでいるのではないかと思います。これは柳下さんの取材に行ったときに本棚にあって、「あ、この本、私も持っている」と思い出したんです。これ読みたかったんだよなあと思って、引っ張り出してきました(笑)。

取材をきっかけに再会した積ん読『ヒトラーと退廃芸術』(河出書房新社)

書評家の本棚、公開

――後ろに見える石井さんの本棚は、どんなふうに分類・整理されているんでしょうか。

 あまりきちんとは分類されてないんですよね。入ったら入れるみたいな感じで。なんとなくあるのは、詩歌、韓国文学がそれぞれ固まっているというくらい。あと、岸本佐知子さんなど参照することが多い著者や訳者の本もまとめて置いています。

 向かって右奥の棚は、全集コーナーです。『文豪たちの友情』を執筆する際に資料として買ったものが結構あります。全集はすごい重量があるので、スチールの棚に入れています。

 以前は床に積むことはしていなかったんですが、最近あふれ始めているので、『積ん読の本』の取材を機に柳下さんや管(啓次郎)さんも愛用していた「バンカーズボックス(フェローズ社の段ボール製の収納ボックス)」を使い始めました。

バンカーズボックスの上には、角田光代さんがリタイア後用の積ん読にとってあると本書インタビューで語っていた『戦争×文学(せんそうとぶんがく)』全集21冊が鎮座していた

部屋の一角には、優先的に読みたい本が積み上げられたツインタワーもそびえ立つ

――『積ん読の本』にはインタビューのほかに、「積ん読の悩み相談Q&A」と題して、本棚の整理術を整理収納アドバイザーの米田まりなさんに聞いたコラムも収録されています。これは実践されたのでしょうか。

…………してないです(苦笑)。

――全部本棚からいったん出して分類するというのが、ハードル高いですよね……。

(担当編集・小田さん)この取材のときは終始気まずい空気が流れていました……。取り返しのつかないレベルの「積ん読名人」ばかりを取材してきてしまったのだなと、改めて思いました(笑)。

 いったん全部本棚から出すと生活空間がなくなっちゃうので、「無理!」ってなって。蔵書の量と空きスペースの面積によっては難しいかもしれませんが、読んだ方からは「参考になりました」と好評です。

――たしかに、積ん読の程度にもよりますね。

 山本貴光さんの家には約5万冊の本があるそうですし、毎日のように新しい本を買っていらっしゃいますから、全部出したら大変なことになってしまいますね(笑)。実は意識してはいなかったものの、このコラムの直後に山本さんの回が登場するという、偶然にもちょっとおもしろい構成になっています。

「森の図書館」と名づけられた山本さんの自宅。本のための家づくりを追った実践的ドキュメント『図書館を建てる、図書館で暮らす』が昨年末出版されている。『積ん読の本』(主婦と生活社)より=相馬ミナ撮影

本はいきもの。積ん読も自分とつながり、共生している

――「積ん読」という言葉が日本特有のものだというのは意外でした。本書に登場された詩人の管啓次郎さんによれば「TSUNDOKU」として世界中で使われているそうですが、なぜこんな言葉が日本では生まれたんでしょうね。

 「積ん読」って、どこか妖怪みたいな感じがしません? 日本には九十九神ってあるように、ものに人格を与えてキャラクター化、いきもの化する傾向があるのかなと思います。

 ドイツ人のマライ・メントラインさんに取材をした際に、ドイツ語には「本の山」という意味の言葉はあるけど、ただ単に本が積み重なっている状態を指すだけで、「積ん読」のように「読みたいのに読めていない」といったようなニュアンスはないと聞きました。だけど日本語の「積ん読」には、いきものめいたところがあって、どこか共生しているような感じがあります。辻山さんがおっしゃっていましたけど、自分で選んで手元に置いているってことですでに「自分とつながっているもの」なんですよね。たとえ読んでいなくても、やっぱりそこには持ち主との関係があるということなんだと思います。

――辻山さんは自宅の本棚は「動的平衡(*)を保っている」と話し、小川公代さんは仕事場の本棚を「ビオトープ(生物が生存・生育できる場所)」と呼ばれていました。やっぱり、いきものっぽい。そうした考え方を知ると、本は最初から最後まで通読していなくてもいいし、ただそこにあるだけでもいい気がしてきます。
*動的平衡……新陳代謝を重ねながら全体のバランスを保っている状態

 そうなんですよ。担当編集の小田さんともそんな話をしました。彼はふだん料理本などの実用書をつくっていて、料理本ってそもそも通読を目的としたものではないので、一部しか読んでいなくても「読んでいない」とはみなされない。だけど、なぜか文字主体の本だと、通読しないと読んだことにはならないと思いがちだよねって。小説は結末を知らないといけない気がするけど、別にオチが大事なものばかりじゃないですよね。

――管さんが提唱されていた、本の中の一段落を熟読する「パラグラフリーディング」も読書ですもんね。

そうです。パラグラフリーディングは流行ってほしいですね。

 一冊の本ではなく、本が積まれることで新たな秩序が生まれるとも、管さんはおっしゃっています。本を自分で選んで、自分の場所、生活空間に置く。他では隣り合うはずのない本が出会い、そこで交わるからこそ、にじみ出てくるものがあるんだと思います。だから、積ん読はそんなに恐れる必要はないんです。自分が持てる範囲なら全然いい。命に関わらない範囲で、積めばいいんじゃないでしょうか。

――積ん読本があろうが、自分の本棚があるということはとても豊かなことでもありますよね。

 小川公代さんにジェンダーと積ん読の関係をお聞きしたのですが、思い返せば私の祖母や母の積ん読ってないんですよね。そもそも自分だけの部屋も専用の本棚もなかったと思います。それこそ今の時代だから、『積ん読の本』も取材対象を男女半々にできたのかもしれません。

 積ん読をしている方はもちろんなんですけど、本に少しでも興味がある方には、ぜひ読んでいただきたいです。インタビューしたみなさんが、こんなふうに本とつき合ってきたという話をされているので、自分はどう本とつき合っているかなと考えながら読んでみていただければうれしいですね。