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murdererに関するRag-Rushのブックマーク (8)

  • 少年ライフル魔事件

    [ 事件 index / 無限回廊 top page ] 少年ライフル魔事件 1947年(昭和22年)4月15日、片桐操は東京都世田谷区に4人兄弟の末っ子として生まれた。子どもの頃から銃器に興味をもち、ミリタリー雑誌『丸』(潮書房)を愛読し、オモチャのピストルなどを振り回して遊んでいた。 中学に入ると、アメリカの銃砲年鑑『シューターズ・バイブル』や『ガン・ダイジェスト』なども原書で購入して辞書を引きながら銃の性能調べに熱中して読み漁って、銃器について詳しくなり、モデルガンを作ったりしていた。中学3年生のとき、父親は4500円するオモチャの銃を買い与えた。学校での成績は中以下で目立たない生徒だった。この頃、母親が亡くなっており、老いた父親と義母の3人で暮らしていた。兄夫婦は別棟で塗装業を営み、7歳年上の長姉は旅館の住み込み従業員、次姉は結婚していた。 1962年(昭和37年)、中学を

  • 殺人博物館〜サムの息子

    それは1976年7月29日に始まった。ニューヨーク市北ブロンクスでの出来事である。夜中の午前1時頃、2人の女性が停車中の車の中でおしゃべりをしていた。薬剤師のドナ・ローリア(18)と準看護婦のジョディ・バレンティ(19)である。ボーイフレンドの話をしていたらしい。熱心なあまりに男が近づいて来たことに気づかなかった。 やがてドナはおやすみを告げ、ドアを開けて車から出ようとした。その時に初めて数メートル先の男がこちらを凝視していることに気づいた。茶色い紙袋の中に手を入れて何かを取り出そうとしている。 「あの人、何してるのかしら?」 男が取り出したのは銃だった。次の瞬間、ドナは首を撃たれていた。傷口に手をやると肘を撃たれた。ドナはその場に崩れ落ちた。 キャーッ。 叫び声をあげたジョディは太腿を撃たれた。ハンドルの上に倒れ込むと、クラクションがけたたましく鳴り響いた。これに動揺した犯人はそのまま逃

  • 殺人博物館〜サム・シェパード

    「リチャード・キンブル。職業、医師。正しかるべき正義も時として盲いることがある。彼は身に覚えのない殺しの罪で死刑を宣告され、護送の途中、列車事故に遭って辛くも脱走した。孤独と絶望の逃亡生活が始まる。髪の色を変え、重労働に耐えながら、犯行現場から走り去った片腕の男を探し求める。彼は逃げる。執拗なジェラード警部の追跡をかわしながら。現在を、今夜を、そして明日を生きるために」 以上は1963年から67年にかけて放送されて大人気を博し、後に映画化もされた『逃亡者』のオープニング・ナレーションである。我が国でも高視聴率を記録したが、モチーフとなった事件があることはあまり知られていない。放送当時、再審が請求されていたサム・シャパードの事件である。ドラマとシンクロするかのように無罪を勝ち取ったわけだが、現実の事件はハッピーエンドというわけには行かなかった。波乱万丈の生涯はその後も続いていたのだ。 19

  • 殺人博物館〜カール・パンズラム

    今回は極悪非道な殺人者と一人の看守との友情の物語である。涙なくしては読み進めることが出来ないので、予めハンカチを御用意願いたい。 時は1928年8月、ワシントンDC連邦拘置所での出来事である。4月に赴任したばかりの若い看守、ヘンリー・レッサーには気になる囚人がいた。大柄で、いつも無表情なカール・パンズラムという男である。 或る日、見回りがてらに何気なく訊いてみた。 「あんたの裁判はいつから始まるんだ?」 「11月だ」 その眼には凄みがあった。暗黒街の大物に違いないとレッサーは思った。 「娑婆では何をしていたんだ?」 「人間の更正だよ」 すると同じ房の囚人たちが笑い出した。レッサーには意味が判らなかった。 「人間の更正?」 「そうだ。更正させるためには殺すしかない」 しかし、調べてみると、男の容疑は窃盗だった。歯科医宅に侵入してラジオを盗んだのだ。そのことを問いただすと、 「そうさ。ケチな容

    Rag-Rush
    Rag-Rush 2006/08/24
    涙涙の物語。
  • 闇の住人*猟奇殺人者たちの宴*

    ここは闇に隠れし者たちが集う宴の場所。 さぁ 日常という名の衣を脱ぎ捨てましょう... 貴方は番目の犠牲者です up 2010.3.18 お勧め!↓↓ *MENU*

  • 史上最年少の殺人者 : 少年犯罪データベースドア

    2006年05月30日00:16 史上最年少の殺人者 何故か最年少の殺人に興味を持つ方が多いみたいなので、小学校入学前の幼児による殺人事件をまとめてみました。 内容から見て、私はこれが史上最年少の殺人であると、とりあえず云ってもよいのではないかと思っています。 昭和52年(1977).10.13〔2歳女子がカミソリで赤ちゃんの顔を切り刻み殺害〕 ただ、昭和30年代20年代にはもっとえげつない幼児の犯罪事件が多発していたと推測しています。手が足りなくてなかなかその時代のものは調べが進んでいません。 この時代の全国紙の事件記事は極めて貧弱で、各県の中央図書館で地方紙を読んで調べていただける方を募集しております。メールください。 以下のその時代の事件も地方紙で見つけたものです。 小学生の殺人事件は無数にありますので、 少年犯罪データベース 13歳以下の犯罪をご覧ください。 とくに戦前は 昭和8年

    史上最年少の殺人者 : 少年犯罪データベースドア
  • ゲイジャパンニュース

  • 殺人博物館〜BTK

    2005年2月25日、一人の男が逮捕された。デニス・レイダー60歳。彼こそが31年前にマスコミに犯行声明を送りつけた連続殺人犯、BTKの正体だった。どうして今頃になって逮捕されたのか不思議に思って調べたら、自ら墓穴を掘ったようだ。再びマスコミに接触したことが命取りになったのである。 それではBTKについておさらいをしよう。 1974年1月15日、ジョセフ・オテロとのジュリー、そして娘のジョセフィーヌ(11)と息子のジョセフ(9)の一家4人が、カンザス州ウィチタの自宅で絞殺された。一家は縛られて、猿轡を噛まされていたが、中でも特にジョセフィーヌの扱いが酷かった。裸にされて地下室の天井から吊るされていたのだ。 警察は容疑者の似顔絵を公表したが、手掛かりは一向に掴めなかった(今だから判ることだが、その似顔絵は似ていない)。そして、事件から9ケ月後、地元の新聞社に犯行声明が届けられた。現場の正確

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