創建には諸説あるが、『小田村勢』では『摂津名所図会』を引用して、957年(天徳元年)に多田満仲が勧請し禅宗の寺院として創建された後、1714年(正徳4年)に日昌[注 1]が再興し日蓮宗に改宗した[1]と記されている。 再興には、尼崎城主・松平家の協力を得て、満仲勧請の妙見宮を祀った[2]。 日昌は大阪にあった船問屋・尼崎屋吉右衛門の二男で、出家の後偶然妙見菩薩のお告げを受け、満仲ゆかりの同地を精舎建立の地に決めたという。この時建立に尽力したのが近松門左衛門であった[2]。 日蓮宗の信者であった近松は、日昌の生家「尼崎屋」の支援者だったこともあり、建立本願人として貢献している。近松作品の出版元であった大阪の正本屋九右衛門や歌舞伎役者・三代目嵐三右衛門ほか役者や商人がこぞって寄進し、妙見宮本殿や本堂などが建立された[2]。 近松は自ら寄進したこの寺をこよなく愛し、寺では本堂裏に彼の仕事部屋を造