2025-01-05

物価高のせいで弱者男性になった

 物価が上がるたびに、僕の生活はどんどん苦しくなっていった。少し前までは「節約すればなんとかなる」と思っていたし、実際にそうしてやりくりしていたのだが、この一年ほどの急激な物価高にはもう歯が立たなくなってしまった。もともと贅沢をしていたわけではないのに、食費も光熱費家賃も地味に、しかし確実に積み上がる。毎月の給料ではどうにも追いつかないのだ。

 僕は地方中小企業事務職に就いている。給与水準は決して高くはないが、何とか暮らせる程度の収入はあった。ところがここ数年の物価上昇のなか、昇給のペースが全く追いついていない。むしろ会社としても経営が厳しいらしく、業績を理由ボーナスまで削られてしまった。一方で、スーパーに行けば野菜や肉の値段は軒並み高騰し、コンビニ弁当を買う気にもなれないくらい値上がりしている。気づけば、日々の食事すら値段に敏感になり、安売りの広告を睨みながら買い出しに出るようになってしまった。

 家賃だって馬鹿にならない。できるだけ安い部屋を選んで住んでいるはずが、更新のたびに家賃は微増している。わずかな値上げとはいえ、年々積み重なる負担は僕の家計を確実に圧迫してきた。引っ越しを考えるにも、敷金礼金引っ越し費用を捻出するのが容易ではない。結局、「今より悪い条件にはなりたくない」という恐怖に勝てず、ずるずると同じ物件契約更新する日々が続いている。

 貯金だってほとんどできなくなった。月末が近づくといつも預金残高を確認しては、食費や日用品の購入を控える。そうすると心身ともにギスギスしてしまい、休日も満足に外出できない。友人の誘いにも気軽に応じられず、いつから飲み会趣味の集まりに顔を出す回数が減っていった。結果的人間関係希薄になり、一人でいることが当たり前になってしまった。

 恋愛だってままならない。実際、同年代女性デートに誘おうにも、まず食事代が気になって気軽に誘えない。「奢るくらいの余裕を見せたい」と思う気持ちはあるが、そのための資金が十分ではない。カフェに行ってお茶をするだけでも、次の食事予算を削らなければならない状態では格好がつかない。恥ずかしいと思ってしまい、つい二の足を踏んでしまう。いつの間にか、自分恋愛から距離をとってしまっている。

 周囲の男性を見れば、ちゃん年収を上げて結婚している人もいるし、新しい仕事に挑戦してスキルを磨いている人もいる。SNSを見ると、充実した日常を共有している友人たちの姿が映し出される。もちろん、その裏で努力をしているのだろうけれど、僕はつい「恵まれている人たち」というレッテルを貼って羨んでしまう。そして、彼らとの格差を肌で感じるたびに、自分の卑屈さが増幅されていくのを抑えられない。

 そうして日々をやり過ごすうちに、「弱者男性」という言葉が目に留まった。最初何気なく耳にしていただけだったが、ネット掲示板動画を覗くにつれて、その言葉自分に向けられているように感じるようになった。経済力が乏しく、恋愛結婚、あるいは仕事でのキャリアアップが望めない男性を指すとされるこの表現に、僕は思いのほか強い共感を覚えてしまったのだ。

 これまでは、自分をそんな負のレッテルで括りたくないと思っていた。いわゆる「弱者男性」なんて言葉インターネット上の偏見か、あるいは誇張されたネガティブキャンペーンだろうと考えていた。ところが、物価高に押しつぶされるように生活がままならなくなり、気力や向上心も削がれはじめた今、「自分はまさにそう呼ばれる存在なのかもしれない」と感じざるを得なくなった。

 しかし同時に、このままでは嫌だという気持ちも確かにある。弱い立場であることを認めたうえで、何か行動を起こさなければ、さらに状況は悪化してしまうのではないか。たとえ小さな変化であっても、今のままやり過ごすのは危険だと感じている。たとえば転職活動を始めてみるとか、在宅ワーク副業を探してみるとか、思いつくことはあるはずだ。

 もちろん、行動したところで劇的に生活改善する保証はない。大きな失敗をするかもしれないし、周囲との格差を埋めるには時間がかかるだろう。けれども、何もしなければ「弱者男性」という言葉に飲み込まれ、そのまま沈んでいくだけだ。物価高が引き金となって気づけたのは、いか自分が無力であるか、そしてその無力を放置し続ける恐ろしさだ。

 だからこそ、僕はなんとか一歩を踏み出してみたい。資格試験勉強でも、給与の高い会社への転職でも、何か挑戦し続けていくことでしか、この境遇を抜け出す道はないのだろう。もし転落してしまっても、そのときはまた別のやり方を考えてみるしかない。どうせ最初から失うものは少ないのだから

 物価高のせいで弱者男性になったと嘆くだけでは何も変わらない。むしろ、追いつめられたことを転機と捉え、自分自身の足で立ち上がれる方法模索していくしかない。まだ僕にどれだけの力が残されているかはわからないが、少なくとも自ら行動しようと思えるなら、今が再スタートを切る最初最後のチャンスかもしれないのだ。

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