ミャンマー国軍のクーデターは、国内に経済の混乱と無法状態を引き起こし、違法薬物ビジネスが爆発的な勢いで広がっています。薬物はミャンマーの子どもや市民を餌食にするだけでなく、国境を越え、アジア太平洋地域の各地で依存者を生み出し、巨額の利益は合法経済を圧迫しつつあるといいます。この「新たな脅威」に人々はどう立ち向かっているのか。前編に続いて、ジャーナリストの舟越美夏さんの現地ルポです。

「犯罪者」ではなく「被害者」

それにしても、社会のあらゆるグループが介在する違法薬物ビジネスと、市民はどう闘うのだろうか。

「複雑過ぎて、政治的解決は無理です。市民の健康と地域社会を守るためには、薬物依存者を刑事罰の対象にせず、『被害者』として心身の治療をすることの方が効果があります」

そう語るのは、タイのマヒドン大学助教で、国の薬物依存症政策に関わるプラパプン・チュチャロエン博士だ。彼女が言うのは、欧米で主流になりつつある「ハーム・リダクション(害悪の軽減)」の手法である。

ハーム・リダクションに詳しい立正大学の丸山泰弘教授(刑事政策)に説明してもらう。

「薬物は存在してはいけない、と言っても、現実には存在している。そうであれば、エビデンスを基にして、害悪をいかに効率的に減らすか。ハーム・リダクションはそんな考え方を基本にしています」

「ハーム・リダクション」の一環として配布される、清潔な注射器と蒸留水、消毒綿=ミャンマー北東部シャン州、提供写真

ヘロイン注射による肝炎やエイズウイルス(HIV)の感染を防ぐために、依存者に清潔な注射針を配る。病院や保健所などに相談しやすい環境をつくる。そんな驚きの発想で、社会全体から害悪を減らすことを目指すものだ。

丸山教授は、2001年からこの手法を採り入れているポルトガルを2度、視察した。

日本では、薬物使用は「心の弱さが原因」など個人の問題として片付けてしまいがちだが、ポルトガルでは、貧困や生活環境の悪化など「生きづらさ」が表面に出てきたものと考える。そのため薬物使用者を厳罰の対象にするのではなく、「住居や食事の問題、教育環境などの安定に向け、ソーシャルワーカーが中心になって支援する」。社会から排除するのではなく、「その人の生き方を認め、共に社会の中で生活していくことを目指す」ということだ。実際に、「社会保障を充実させることで、薬物の問題使用が減少しました」と、丸山教授は言う。

両親もセラピーで変わった

タイも日本と同様に、薬物使用者に厳罰主義で臨んでいた。2020年、全国で約35万人の受刑者がおり、そのうち8割が薬物関係の犯罪者だったという。しかし刑務所内にも薬物が流通しており、薬物依存症は治らない。政府はこの事実を認め、厳罰主義を転換し、2022年には依存症の治療を希望する受刑者の釈放を始めた。

タイ東北のコンケンにあるタンヤーラック病院は、保健省の管轄下にある薬物・アルコール依存症専門の病院である。

薬物・アルコール依存症を専門に治療するタンヤーラック病院=タイ東北部コンケン、筆者撮影

午前10時過ぎ、外来の待合室には30人ほどの男女がすでに待っていた。多い時には1日に80人ほどが訪れるという。診療も入院治療も、基本的には無料だ。

入院治療は通常、120日間。医師、精神科医、依存症専門の看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカーがチームとなり、患者一人ひとりに対応する。治療は、薬物の使用を停止する4週間の断薬期間から始まる。臨床心理士らとのカウンセリングや、グループセラピー、運動療法などを通して、依存症の背景にあるものを探っていく。

「最も重要なのは家族」だという。依存者は、家族や地域から切り捨てられ孤立してしまうことが多い。「家族との関係を修復した患者の回復率は高い」といい、依存者の家族もカウンセリングを受ける。

ソーシャルワーカーは、患者が地域社会に戻るための手助けをするという重要な役割を担う。希望者には職業訓練をし、社会に戻った時の「薬物の誘惑を避ける方法」についても教える。地域のリーダー的人物に会い、治療を終えた患者を受け入れてくれるよう協力を求める。リーダーは地域の人々に説明し、協力を求める。家族や仕事といった「居場所の確保」で依存症の再発を防ぎ、薬物が地域社会を分断してしまうことを防ぐのだ。

タンヤーラック病院内の敷地には、心理的治療のためにさまざまな花々が植えられている=タイ東北部コンケン、筆者撮影

ターさんは、21歳。13歳の時に「好奇心で」錠剤の覚醒剤「ヤーバー」を試した。ヤーバーはどこでも簡単に買えるため、やがて依存症になった。両親は共に学校の校長で、息子には家庭でも非常に厳しかった。薬物は家庭の息苦しさから逃れるものだったかもしれない。

両親に連れられてタンヤーラック病院に入院し、治療を終えて自宅に帰ったが、友達と遊んでいるうちに依存症が再発した。入退院を繰り返すこと5回。病院はその度に彼を温かく受け入れた。「5回はよくあることで、多くはない」と、ソーシャルワーカーのオンさん(41)は言う。両親もカウンセリングを受けて、以前よりも寛容になったという。現在、ターさんは病院内で美容師として働き、希望する患者に仕事を教えている。

回復までの道のりは簡単ではない。心理療法士のテーさん(43)は「回復の方法が見つけられず、疲れ切って辞めたいと思うこともある」と打ち明ける。「でも1人だけでなく、家族と地域社会を助けていると思える、やりがいのある仕事です」「薬物依存症は個人の問題ではなく、私たち一人ひとりが直接的、間接的に関わる問題なのです」。プラパプン博士がそう説明した。

回復は抵抗の手段

誰にも顧みられない地で、依存症支援をする人たちがいる。

タイ北西部の国境地帯にあるミャンマー人難民キャンプで、薬物・アルコール依存症の回復支援と予防教育を行うNGO「DARE」だ。創設者の一人、パム・ロジャースさんはカナダ人で、自身も36年前にアルコール依存を乗り越えた経験を持つ。キャンプで暮らす難民の大半は、国軍の弾圧や戦闘で避難してきたカレン人ら少数民族だ。

DAREのモットーは「A Free Mind Cannot Be Destroyed(自由な心は破壊されない)」。治療を受ける人たちには、キャンプの住民のほか、ミャンマーからの越境者も少なくない。この国境地帯では、2年前の国軍によるクーデター後、少数民族武装勢力、カレン民族同盟(KNU)と国軍の戦闘が激化して、学校や病院が空爆された。住民は精神的な緊張を強いられながら生活しているが、そんな状況下で、薬物が以前よりも地域にあふれるようになった。

「社会を荒廃させ、抵抗の意志をなくすことを狙って、軍事政権は薬物を蔓延(まんえん)させているのではないか」。そんな疑念が住民の間にあるという。ロジャースさんは「薬物の予防と回復は、軍事政権に対する非暴力の抵抗だ」と、治療に来る人たちに語り掛ける。

「軍事政権は食料や住居、家族や友人までも奪ったが、薬物を乱用しない限り、あなたの心までは奪われない。心が自由であれば、軍事政権はあなたを破壊できない」。その言葉に、人々の目がきらりと輝くという。

3カ月の治療プログラムは、ヨガや鍼(はり)、運動、グループセラピー、バランスの良い食事などが中心だ。「断薬」に薬は使わない。プログラムを終えて帰宅する前には、スタッフが患者の出身地域に行って住民に理解を求める。年間に約5千人を受け入れ、うち60%以上が依存症を再発していないという。

孤独を深めない

国軍と少数民族武装組織との戦闘が絶えないミャンマー北東部シャン州で薬物依存の回復支援をするティンマウンテインさん(68)に、タイ国境付近で会った。大柄な体によく通る声と人を引き付ける笑み。彼の一日は、薬物依存者が集まる場所を回り、会話をしながら彼らの健康状態をチェックすることから始まる。

ティンマウンテインさん

活動は30年ほど前にさかのぼる。国軍と少数民族武装勢力の戦闘が続き、荒廃した故郷を何とかしたかった。購入した車に「救急車」と記し、負傷者や病人を病院に搬送した。国軍兵士でも少数民族武装勢力の兵士でも、所属する組織は関係がなかった。「人を救う」という目的に徹した。

ヘロイン注射に使われた針を回収する男性=ミャンマー北東部シャン州、提供写真

当初は疑念を抱いていた人たちも、信頼を寄せてくれるようになった。やがて地域のもう一つの大きな課題、薬物問題にも取り組んだ。

ティンマウンテインさんは、薬物使用者を警察に決して通報しない。ヘロインを静脈注射している人を目にしても、「やめろ」とは言わない。清潔な注射針を配り、親身に話を聞き、ヘロインの代替維持療法として「メサドン」を使ってみないかと誘う。断薬できた人に仕事を探す。ハーム・リダクションの手法だ。

ヘロインの代替維持療法としてメサドンを受け取りに来る依存者には、食料と清潔な注射器などが渡される=ミャンマー北東部シャン州、提供写真

シンタントルインさん(20)は、メサドンを使用した療法でヘロイン依存からほぼ回復し、現在は依存者の回復支援活動にも参加している。

薬物を使い始めたのは16歳の時。近所の夫婦から「痩せられる」とヤーバーを勧められたのがきっかけだった。薬物使用を親戚にとがめられてひどく殴られ、反抗心からさらに薬物に深入りした。

「もし、優しく敬意をもって接してくれていたら、気持ちも変わっていたと思う」。そんな日々の中で出会ったティンマウンテインさんは、どんな時にも真剣に話を聞き、粘り強く治療を勧めてくれ、就職先も探してくれた。

「彼に会わなかったら、今も依存症のままだったと思う」

ヘロイン依存から回復し、笑顔を見せるシンタントルインさん(20)=シャン州で、提供写真

市民の苦しみをよそに、あらゆる組織が違法薬物ビジネスで大金を稼いでいる。ティンマウンテインさんは「社会が退廃していく」とため息をつくが、絶望している暇はない。荒廃した社会で、孤立や孤独は人々を薬物へと押しやってしまう。依存者を見つけ出し、声を掛ける。

「信頼と思いやり、温かく迎える気持ち。彼らが求めているものだ」

苦しむ人々を救うものは

日本に戻り、ビシュヌ君のことを考えた。心の痛みを消して「生きるため」にヘロインを吸引する12歳の少年は「夢は、大人になって仕事をすること。どんな仕事でもいいよ」と、言った。

この話を回復支援の会「木津川ダルク」の加藤武士代表にすると、衝撃的な言葉が返ってきた。「日本の若者は、死んでもいい、という気持ちで市販薬を過剰摂取するんです」

日本で売られる覚醒剤は、1グラム数万円と高額で若者たちの手に届かない。しかし薬局やドラッグストアに売っている風邪薬や鎮痛剤、医師が処方する睡眠導入剤などの向精神薬は容易に手に入る。こうした薬物には依存性があったり、過剰に摂取すれば死に至る危険性があったりする。国立精神・神経医療研究センターが2021年に実施した「薬物使用と生活に関する全国高校生調査」の報告書は、「市販薬の乱用が深刻に広がっている可能性」を指摘している。

なぜなのか?

「弱者をバッシングする日本社会での生きづらさなどが背景にある」と、加藤さんは感じている。失敗を重ねながら人は生きていくものだが、今の日本社会は失敗したり、弱い立場に追い込まれたりした者を攻撃する傾向にある。いじめや両親との不和、理不尽な解雇などを経験した若者は、孤立してしまう。

加藤さんによると、木津川ダルクに来る薬物依存者の半数以上が、小、中学生の頃に虐待や暴力被害を経験している。「家庭では誕生日のお祝いも、お正月も、クリスマスも経験したことがない。ハグした時のあたたかさも知らない。自分は何の役にも立たない、生きる価値がない人間だと思っている」。人とつながって安らいだ経験がなく、孤独なのだ。

加藤さんはそんな若者に、人生には薬物以外に安らぎをくれるものがあり、死以外に選択肢があることに気づいて欲しいと願っている。社会は簡単には変わらない。だから、「一緒に生きながら、どうしたいのかを共に見つけていく。これしかありません」。

加藤さんの語り口に、ティンマウンテインさんを思い出した。社会の理不尽さと孤独を知り抜き、思いやりと愛情が何を成し得るかも体験から知っている人。2人の温かな笑みが重なった。

ミャンマーの最大都市ヤンゴンや国境地帯では、新たに建てられた豪邸が目に付くという。「家主の多くが、違法薬物で財を成した人たち」。このビジネスから距離を置いたという人が、そう教えてくれた。

人を排除せず、互いに歩み寄ること。豪邸を支えるビジネスを衰退させるのに有効なのは、これができる社会にすることなのかもしれない。

〈ミャンマー取材協力 Nay Ye Hla〉