第1期かぐや姫時代1970年 - 南こうせつ、森進一郎、大島三平の3人で南高節とかぐや姫(第1期かぐや姫)としてデビュー。代表作は『酔いどれかぐや姫』など。シングル『変調田原坂』からグループ名を南こうせつとかぐや姫に改名。 第2期かぐや姫時代1971年 - 南こうせつの高校の後輩だった伊勢正三とカレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田パンダと共に南こうせつとかぐや姫(第2期かぐや姫)を結成。 1972年3月 - テレビアニメ『海のトリトン』(朝日放送・TBS系)の主題歌「海のトリトン」を須藤リカ/南こうせつとかぐや姫名義のシングルとして発売。 1973年9月 - シングル『神田川』を発売。深夜放送のリスナーから支持を得て、シングルカットされたこの曲は、最終的に160万枚を売り上げる自己最大のヒット曲となる。 「なごり雪」と言う楽曲があるが、かぐや姫時代はアルバム曲の一
【読売新聞】 早春の駅を舞台に、男女の別れを歌った「なごり雪」が生まれて今年で50年となる。伊勢正三(72)がフォークグループ「かぐや姫」時代に作り、イルカがカバーして世代を超えて愛される曲となった。伊勢は「自分で作って言うのもおか
アコギのトレモロピッキングのイントロ。縮れた長い髪、下側の縁がないめがね、チェックのシャツの南こうせつの風貌。ペグのところに余った弦をカットせずに残しています。抑制が利いているけれどはっきりした通る発音の歌唱。ハーモニーも美しい。ギターの低音がずんずんと響きます。 後年 着席のホールでのコンサート。このくらいの風貌・年齢の南こうせつが私の中の彼のイメージのスタンダードな感じがします。トークからはじまる映像。メランコリックなヴァイオリン。ヴィブラフォンのような音もします。南こうせつの歌唱はますます繊細。さりげないハーモニーボーカルが気味良い。アコースティックベースの質量ある低音ライン。右・左からアコースティック・ギターのメロウなアルペジオ。拍手が沸き起こり高らかな歓声があがります。演目の最後の曲だったようです。 曲について 南こうせつとかぐや姫のシングル、アルバム『かぐや姫さあど』(1973
かぐや姫「三階建の詩」(1974年3月5日/日本クラウン/PANAM) A面 1.人生は流行ステップ 作詩:山田つぐと /作曲:南こうせつ /編曲:石川鷹彦 2.22才の別れ 作詩・作曲:伊勢正三 /編曲:瀬尾一三 3.あの日のこと 作詩・作曲:山田つぐと /編曲:石川鷹彦、木田高介 4.南風知らん顔 作詩:伊勢正三 /作曲:南こうせつ /編曲:石川鷹彦 5.君がよければ 作詩・作曲:山田つぐと /編曲:瀬尾一三 6.赤ちょうちん 作詩:喜多条忠 /作曲:南こうせつ /編曲:石川鷹彦 B面 1.雨に消えたほゝえみ 作詩:喜多条忠 /作曲:南こうせつ /編曲:木田高介 2.うちのお父さん 作詩・作曲・編曲:南こうせつ 3.なごり雪 作詩・作曲:伊勢正三 /編曲:瀬尾一三 4.おまえのサンダル 作詩:喜多条忠 /作曲:南こうせつ /編曲:木田高介 5.
伊勢正三 メロディーは海風に乗って 「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。
♪かぐや姫「三階建の詩」 寒かった! いや~、おととい、さきおとといと、ふるえました。もう3月も半ばですよ? なんでも真冬並みの寒気団が来ていたそうですが、春の気配を感じていたあとだっただけに、よけいに寒さが身にしみました。 北日本や日本海側ではかなりの積雪があったそうですね。そうとう広い範囲に雪が降ったようで、ぼくの住んでいる街でも雪がちらつきました。 文字通り「なごり雪」ですね。 かぐや姫 時が経って、いつしか美しく成長して大人になったひとりの女が男のもとを去ってゆきます。「なごり雪」には、旅立つその女を見送る男の気持ちが歌われています。情景がありありと目に浮かんでくるような歌です。 駅で誰かを見送ることって、どこか寂しさがつきまとうものですよね。この歌詞も、見送ることの寂しさと別れのせつなさとが重なり合っていて、それだけでジンワリとしてきます。 そして「春」という新たな明るい季節の訪
【Live Information】 「今」という時代をさまざまな領域で牽引したり発信する人。 「リーダー」とか「アイコン」、いまは「インフルエンサー」などとと呼ばれています。 彼ら彼女らは、テレビやラジオばかりではなく、SNSなどネットを使って大きな影響力を得ていますね。 ぼくが中学~高校のころはラジオの深夜放送の全盛期で、番組のパーソナリティがある意味テレビタレント以上の影響力を持っていました。パーソナリティを務めていたのは放送タレントだけでなく、ミュージシャン、それもフォーク系のミュージシャンが多かったですね。イルカ、中島みゆき、吉田拓郎、そして南こうせつ。 どれだけの人たちがリクエスト曲だけでなく、青春の悩みをハガキに綴ったことでしょう。そしてパーソナリティーたちはそれを番組で読み、共感し、時には一緒に怒り、時には親身に相談に乗ってくれた。だからリスナーにとって、ラジオ・パーソナリ
現在は、故郷の大分県を拠点に活動されている南こうせつさんが2月6日のくにまる食堂にご来店。フォークバンド、かぐや姫時代の大ヒット曲、「神田川」や「妹」などの隠れたエピソードを伺った。 邦丸「まずは「神田川」を聞きますか。日本のスタンダードナンバー、南こうせつとかぐや姫で神田川。」 ――神田川が流れる―― 邦丸「この曲の作詞をされたのは喜多條忠さんで、以前この番組に出ていただいた時は「ヒット曲なんてさあ、練りに練ってさあ、作ったものが全然売れずにさあ、締め切りっていうか、もう必要に迫られて作った歌がとんでもないメガヒットになるんだ」っておっしゃっていて、それが神田川ですよね。」 南「ああ、そうかもしれない。」 邦丸「だって最初にこうせつさんが喜多條さんから詩を聞いたとき「なんだこれ?」と思ったんですよね。」 南「そうです。小さな石鹸カタカタ鳴って赤い手ぬぐいマフラーにしたって、大丈夫か?喜多
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