はてなキーワード: asdとは
タイトルのまんまなんだけどさぁ、家族いるけどけ家族いないんだよ私。 いや血縁上の家族はいるよ?世間からしたら一般家庭で育った。
でもさぁ、私からしたらあの人たちはただの同居人だったよ。私がクラスで死ぬほどいじめられてて、死ぬか本気で迷って自殺未遂した時に「がんばれー」の一言で終わらして自分の旦那の愚痴を話し始めるような母親と家族に無関心なASD疑惑の父親とそんな家族が大嫌いな癖して家族思いのふりしてる良い子ぶりっこの姉(クソビッチ)をどう家族と呼べって言うんだろう?
だから、昔からずっと家族が欲しかった。家族が何かに困ってたら助け合ったり、会話して楽しんだりできるような存在が欲しかった。
でも、本格的に婚活始めて、今更誰かと一緒に生きていける気がしなくなってる。
その社会の中で無意識に作り上げられた私のグロテスクな自意識が私の真ん中にあって、私にはそれが見えなくても、相手からはそれが見えるから、ドン引きしてみんな逃げちゃうんだよね。
相手が悲しんでれば励ますけど、心の底ではどうでもいいって思ってるし、相手が困ってると助けなきゃって思うけど、心のどこかではめんどくさいと思ってるし、側に相手がいると心強いと思うけど、気がつくと1人になりたいと思ってる。
私のそういうグロテスクさを見つけた時の、相手のこわばったような引きつった顔見てるとさぁ、あぁ私生まれてきて悪かったなぁって思う。誰かと一緒に生きて行きたいと思ってだめだったなぁって思う。
集合体恐怖症ってあるじゃん。じっと見るとゾワゾワするやつ。私の自意識の形は多分あれに近いんだと思う。遠くから見たら、多少はマシに見えても近くで見るとおぞましい、みたいな。
日常的な無価値観と途方もない孤独感の波をなんとか越えて日々を生きている。
学生の時から20代にかけて男女問わず交際してみたけど恋愛ができないようだった。
友人とも密な関係を築けない。昔から個人的なことを話したり聞かれたりすることが恐ろしく感じる。
障害特性の影響あるんだろうな。ASDとADHDを診断されている。幸い後者は薬が効くけれど。
家族仲も昔から決して良いとは言えない。こういうのも色々精神に影響しているんだろう。
37歳という歳が怖い。これからの人生何もないことがはっきりと見えている。
このままだと人生を後悔して死ぬことがはっきりとわかるが、かといってどうすればより良くなるのかもわからない。
特別秀でた何かがあるわけでも、夢ややりたいことがあるわけでもない。
最近はXで暴れている中高年の気持ちがわかるようになってきた。
未来がない人間は怒りでも嘲笑でも、何かに寄ってないと崩れ落ちそうになるんだろう。
寄りかかれる何かが欲しい。
若い頃はオタク趣味に没頭できたが、コロナ禍を境に徐々に魔法が解けてしまった。
20代までは同じような気質だった同世代の連中は次々と結婚したり子供を作ったり同性パートナーを持ったりしている。
あの人たちも私のように「自分はきっと取り残される側だろう」と思っていたんだろうか。
それとも「なんだかんだ言って自分は結婚するだろうか」と思っていたんだろうか。
つまるところ私は孤独で、寄りあえる存在、そういうことができる自分に強い憧れを抱いている。
でもこれはきっと一緒叶わない。
俺も非モテ男性の一員なんだけど、同じ非モテ男性のほとんどが自己肯定感が低いという自認でいるのが驚きで、これは違うくて、非モテ男性の問題のほとんどは自己肯定感が高すぎるところにあると思う
ぼくは社会から認められる人間だ、無条件に受け入れてくれる女性が現れるべきだ、という思想を持っているのがその典型
普通の人間はその思想自体が高望みであって、求めて与えられるものではないから、勝ち取らないといけないと理解していると思うんだけど、非モテ男性はその考えも至らず、誰かが餌を与えてくれるのを待っている
非モテ男性がはASDやADHDのような発達障害に多くて、親が過保護な家庭で育ったか、あるいはネグレクトを受けた家庭で発生しやすいのもうなずける
親に大切に扱われてきて、自己肯定感が高すぎるために友達もいないで、歪んだ精神を矯正されないまま大人になってしまったのが非モテ男性だと思ってる
はてなでよく相談している非モテ男性もいかにも自己肯定感が低いように見せかけて、自分は愛されたいだけ、人並みの幸せを得たいだけと主張する
けれど、自分から勝ち取るための努力はせず、高い自己肯定感を守るために、努力をしても明後日の方向にしか努力ができないから、相談内容も最終的にはぼくは悪くない、ぼくを認めない女が悪いという主張になってしまう
そうした非モテ男性の多くは女性は大切に扱われている、と思っているんだろうけど、それは全くの間違い
むしろ社会で女性ほど粗雑に扱われている生き物はいなくて、小中高でも、大学でも、会社でも、ありとあらゆる場所で、女だからという偏見で見られてチャンスを与えられなかったり、勝ち取ったのに与えられなかったり、あるいは与えられても他の男に奪われたりする
女性はそういう厳しい環境に身を置いてるから、本当に自己肯定感が低くて苦しんでいる人が多いし、中には自ら風俗業になってしまう人もいるんだけど、その現実が見えていないか、または見ようともしていない
非モテ男性のモテないという苦しみは、男社会でぬくぬくと生きてきて、あらゆるものを得てきた男性が、次は女性がほしいと言っているだけにしか感じられないから、全く共感できない
肥大した自己肯定感と、自分の現状をよく踏まえて、なぜ無条件に自分は愛されるべきだと思えるのか、なぜ女にモテないことを自分のせいだと認識できないのか、非モテ男性はいまいちど自問してほしい
ASDの人だと、
「人に任されている仕事をしている(あるいはできるようになる)」という肌感覚がないまま、
今は「訓練」「練習用」でも、就職したらそれは「人に任されている仕事」。
そういう感覚がうまく習得できていないという事実を、残念ながら職員も利用者本人も(そしてその家族も)理解していない。
だから就労移行支援利用者の就職率は低い上に6ヶ月後の在職率も低い。
ASD当事者の私自身の失敗談、というか最近になって自分自身の考えを深く掘り下げられるようになって思ったことだったんだけど…これに気づくまでに10年もかかってしまった。
ここで言うASDは精神医学的な診断基準を満たす人ではなくて、自閉症スペクトラム指数が高い人くらいの意味。
これは何も独自の説でなくて、STEM系の分野の人の自閉症スペクトラム指数が高いことを示す論文なんかも実際ある。直感的にもシステム的に考えるASD的な思考様式はSTEM系の分野とマッチしてるし納得感はある。
だから、エンジニアや研究者の文化がASD的な文化……クッション言葉や前置きをおかない端的なものになりがちなのは、仕方ないという気はする。ASD的な人が多ければ、ASD的なコミュニケーション様式が主流になるというか。
ただ、それ故に定型発達的なコミュニケーション様式との衝突が起きがちだし、営業なんかは明らかに真逆の文化なので、それが「性格が悪い」という印象にもなるんだろうね。
反応してる増田にもはてブにも尊大型ASD多すぎて迷惑なので、似たようなことを言ったことがあったり相手に共感するなら診断してほしいわ。
「これは普通の範囲」とか言ってるけど本当に普通なら営業・デザイナーとは円滑円満にやり取りが出来てるのにエンジニア連中とだけ険悪になってる状況がおかしい。
エンジニア連中が自分のコミュニケーション能力が著しく低いのを普通って言い張ってるだけ。
チクチクするために言ってるから刺さったなら狙い通りとか言ってるのもただ幼稚。いい歳して中二。
自分がそれ以上にやり返されないのは主張が正しいからではなく、同じ知能を持つ人間ではない人型の虫みたいに思われてるからだと早く気付いたほうが良い。
これほんとに奇妙なんだけどASD傾向あると人間じゃないもの、動物や物や絵等様々な物に対して異常に感情移入してしまう現象があるらしい、なんでだよ、人間にも感情移入しろよ
hib3 軽度のASDだけど、抽象的なことができないのにふわっとした羊羹投げられて具体化数値化する作業任されすぎてて鬱になった。仕事内容向いてなさすぎる
自分の場合、抽象的なことができないというわけじゃないと思う。
例えば、法律を調べるのは苦ではない。
その助成金の根拠法令の本文から施行令に飛ばされ、施行令から地方税法に飛ばされ、地方税法の本文から附則に飛ばされ、孫引きひ孫引きしながら、自分が助成金を貰えるかどうかを、源泉徴収票や証券会社からの年間取引報告書をもとに電卓を叩いたりした。
読み方がわからなかったら、それも調べて読む。
医師が予想したとおり、優秀に見られることが多いように思う。
(実際、自分でも平均以上だとは思っていた)
チームリーダーになって切り盛りしろとか、後輩の指導とか、そういうことができない。
いっそ、こっちが客とか、向こうが客というわかりやすい関係ならいいと思う。
こっちが客で要求する立場だったら、材料から方法からスケジュールまで全部指定して、できないところはできないといってくれればいい。
教える必要もない。わかるんだったら任せるし、わからないんだったら自分でやるだけだ。
向こうが客だったらその逆をすればいい。
指示にだけ従う。どんな難しい要求でも、個人の力量で出来ることだったら個人の力で解決する。
組織とは、1人1人の役割、1人1人の能力、1人1人の思いがつなぐ大きな物語なのだと思う。
有能な人はたくさんの仕事を、無能な人は無能なりの仕事をこなし、だからといって無能な人は無用化と言えば、そうではない。
1人1人の能力は数値化されていない。
また、あの人とこの人は不仲、あの部署とこの部署はライバル、競争や貸し借りがある。
無駄なように思えても、今に至る歴史があって、なるべくして今の形に落ち着いてる。
個々人の人間関係や組織の利害関係を考慮して仕事の再配分をすることができない。
刻一刻と変化する情報を汲み取り、柔軟に対応することができない。
いつも、自分にとってはベストを尽くしたつもりでいるが、おそらくいつも浮いているのだと思う。
犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走って、褒められると思ったところ、
「どうして犬を蹴飛ばした?」
「ちゃんと橋を渡れ」
「お前が走ってどうする」
「どうして裸なんだ?」
と叱られる。
(もちろん、これは誇張した例えではあるが、実際にそれに近い行動をしてとがめられている)
これまで、何度も転職したが、いつも突然にやめてしまっている。
今回は退職ではなく突然の休職ではあるけれども、似たような感じではある。
友人がいないわけではないが、友人とは結婚式などで会うだけで、交流は久しくない。
今回も、もう戻れないような気がする。
そして、40代の今、こんな形でやめたら、次は好待遇の仕事はない。
常に正社員だったのと、生来の倹約なのと、資産運用が上手くいったのとで、手取り年収の15倍くらいの蓄えがある。
運用が上手くいっても少し厳しいが、その前に親が死んで遺産が入るだろうし、近くのヤマトで仕分けのバイトでもすれば、無職でも生きていけないかなと目論んだりしてる。