西田誠哉
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西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月[1] - 2003年8月20日)は、日本の外交官。国連大使、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使、外務省参与、愛知県顧問等を歴任。
人物
[編集]鳥取県鳥取市出身。1945年旧制東京産業大学(のちの一橋大学)卒業[2]。短期現役士官として、大日本帝国海軍入隊し、1945年海軍経理学校卒業。同年終戦を迎える。1946年外務省入省[1]。
連合王国、米国、イラン、オーストラリアでの在外勤務、経済局国際貿易課長[1]、経済局次長を経て、外務省儀典長、国連大使、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使、国際花と緑の博覧会政府代表、外務省参与等を歴任。
1988年日伊協会顧問[3]。2005年日本国際博覧会の招致等に尽力し、1991年から1999年まで二十一世紀国際博覧会担当の愛知県顧問を務め、1999年には2005年日本国際博覧会担当大使及び愛知県国際博アドバイザーに就任した。
2003年8月20日肺気腫のため東京都港区の病院で死去。享年78。千日谷会堂で葬儀・告別式が開催された[5]。叙正三位[6]。
家族
[編集]妻の華子は佐藤潤象元衆議院議員の長女であり、佐藤敏人元サンフランシスコ総領事や、佐藤正二元外務事務次官は義兄にあたる[7][8]。
著作
[編集]- 「密接化する日豪関係--"東経135度の友人"(経済の動き・展望)」(世界週報.53(50)1972年12月12日)
- 「国際連合総会とは--総会の地位、任務と権限、その運営など」(時の法令(通号 369)1960年11月13日)
- 「日本と世界各国との貿易協定」(金融特報.5(65)1951年3月)
脚注
[編集]- ^ a b c 『日本官界名鑑』1970年版 日本官界情報社
- ^ 宝石 3(10) (光文社, 1975-10)
- ^ Cronaca : 日伊協会会報 (42) 雑誌 (日伊協会, 1988-07)
- ^ 「94年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1994年11月3日朝刊
- ^ 2003年8月21日、共同通信
- ^ 官報平成15年本紙第3700号 9頁
- ^ 日本を元気にするオピニオン雑誌 13(4) 書誌情報 : 文藝春秋 1981-04
- ^ 佐藤潤象 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
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