岩城隆政
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保13年7月12日(1842年8月17日) |
死没 | 文久元年8月12日(1861年9月16日) |
戒名 | 憲正院殿知徳勇道 |
墓所 | 東京都板橋区小豆沢の総泉寺 |
官位 | 従五位下、修理大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家定→家茂 |
藩 | 出羽亀田藩主 |
氏族 | 岩城氏 |
父母 | 父:岩城隆喜、母:母:菊瀬(松雲院) |
兄弟 |
隆興(三男)、隆永(四男)、隆信(五男)、 隆政(六男)、隆邦(七男)、 堀田正養(八男、堀田正誠養子)、 立花種温正室、直子(三女、浅野長祚正室)、倉子(五女、浄真院、佐竹義祚室)、 銀子(八女、佐竹義祚継室)、 緑操院(前田利豁正室)等、計8男18女 |
子 | 養子:隆邦 |
岩城 隆政(いわき たかまさ)は、江戸時代後期の大名。出羽国亀田藩11代藩主。
天保13年(1842年)7月12日、8代藩主・岩城隆喜の六男として生まれる。安政2年(1855年)12月28日、兄の10代藩主・隆信の死去により、末期養子として家督を継いだ。安政3年(1856年)2月28日、江戸幕府13代将軍・徳川家定に御目見し、同年12月16日に従五位下・修理大夫に叙位・任官する。
文久元年(1861年)8月12日、亀田で死去した。享年20。跡を弟で養嗣子の隆邦が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子
- 岩城隆邦 - 隆喜の七男