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岩城隆政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
岩城隆政
時代 江戸時代後期
生誕 天保13年7月12日1842年8月17日
死没 文久元年8月12日1861年9月16日
戒名 憲正院殿知徳勇道
墓所 東京都板橋区小豆沢の総泉寺
官位 従五位下修理大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川家定家茂
出羽亀田藩
氏族 岩城氏
父母 父:岩城隆喜、母:母:菊瀬(松雲院)
兄弟 隆興(三男)、隆永(四男)、隆信(五男)、
隆政(六男)、隆邦(七男)、
堀田正養(八男、堀田正誠養子)、
立花種温正室、直子(三女、浅野長祚正室)、倉子(五女、浄真院、佐竹義祚室)、
銀子(八女、佐竹義祚継室)、
緑操院(前田利豁正室)等、計8男18女
養子:隆邦
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岩城 隆政(いわき たかまさ)は、江戸時代後期の大名出羽国亀田藩11代藩主。

天保13年(1842年)7月12日、8代藩主・岩城隆喜の六男として生まれる。安政2年(1855年)12月28日、兄の10代藩主・隆信の死去により、末期養子として家督を継いだ。安政3年(1856年)2月28日、江戸幕府13代将軍徳川家定御目見し、同年12月16日に従五位下・修理大夫に叙位・任官する。

文久元年(1861年)8月12日、亀田で死去した。享年20。跡を弟で養嗣子の隆邦が継いだ。

系譜

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父母

養子