二条師忠
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二条師忠 天子摂関御影より | |
時代 | 鎌倉時代中期 - 南北朝時代 |
生誕 | 建長6年(1254年) |
死没 | 興国2年/暦応4年1月14日(1341年1月31日) |
改名 | 師忠→行隆(法名) |
別名 | 号:香園院関白 |
官位 | 従一位、関白、左大臣 |
主君 | 亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇 |
氏族 | 二条家 |
父母 |
父:二条良実、母:坊門親仲の娘 養母:四条灑子 |
兄弟 | 道良、教良、道玄、師忠、経通、道瑜、兼基、経忠、尋源、道潤、良宝、道乗、三条公親養女 |
妻 | 坊門祚子(坊門基信の娘)、源康成の娘 |
子 |
冬通、慈智、忠瑜、二条道平側室、源彦仁室 養子:兼基 |
二条 師忠(にじょう もろただ)は、鎌倉時代中期の公卿。関白・二条良実の三男。官位は従一位・関白、左大臣。二条家2代当主。号は香園院関白。
経歴
[編集]文応元年(1260年)元服、正五位下。弘長2年(1262年)従三位、弘長4年(1264年)正二位。文永6年(1269年)3月、右近衛大将に任ぜられ、11月には内大臣となる。文永8年(1271年)3月、右大臣となり、文永10年(1273年)4月に右大将を辞した。建治元年(1275年)左大臣となる。建治3年(1277年)従一位。弘安10年(1287年)8月、関白、氏長者となる。正応2年(1289年)4月、関白を辞し、永仁2年(1294年)に出家、法名は行隆。
興国2年/暦応4年(1341年)1月14日、薨去。享年88。
系譜
[編集]- 父:二条良実
- 母:非参議坊門親仲の娘
- 養母:四条灑子 - 四条隆衡の娘、二条良実正室
- 妻:坊門祚子 - 坊門基信の娘
- 妻:源康成の娘
- 二男:二条冬通(1285-1316) - 正三位左中将
- 生母不明の子女
- 養子
- 男子:二条兼基(1267-1334) - 実弟
- 猶子
- 男子:良忠 - 天台宗の僧、殿法印