九条経教
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時代 | 南北朝時代 - 室町時代初期 |
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生誕 | 元弘元年/元徳3年(1331年) |
死没 | 応永7年5月21日(1400年6月13日) |
改名 | 経教→祐円(法名) |
別名 | 号:後報恩院 |
官位 | 従一位関白左大臣 |
主君 | 後醍醐天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇→後円融天皇→後小松天皇 |
氏族 | 二条家→九条家 |
父母 |
父:二条道平、養父:九条道教 養母:大宮季衡娘 |
兄弟 |
二条良基、二条良忠、栄子、経教、 富小路道直 |
妻 | 冷泉定親娘、家女房 |
子 | 忠基、教嗣、孝円、満家、経覚、道尊、仁意 |
九条 経教(くじょう つねのり)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿。関白・二条道平の子。関白・九条道教の養子。官位は従一位・関白、左大臣。
経歴
[編集]建武2年(1335年)に元服し、翌建武3年/延元元年(1336年)に侍従に任じられた。暦応元年/延元3年(1338年)北朝方の公家として従三位に叙せられ、暦応4年/興国2年(1341年)権中納言に任じられる。その後権大納言を経て、貞和3年・正平2年(1347年)右大臣、貞和5年/正平4年(1349年)左大臣、延文3年/正平13年(1358年)関白と昇任し、藤氏長者となる。
延文5年/正平15年(1360年)左大臣を辞し、翌康安元年/正平16年(1361年)には関白も辞任している。応永2年(1395年)室町幕府3代将軍・足利義満の出家と共に経教も出家した。法名は祐円。
系譜
[編集]- 父:二条道平
- 母:不詳
- 養父:九条道教
- 養母:大宮季衡の娘
- 妻:家女房(三条実忠の娘)
- 男子:九条忠基(1345-1397)
- 妻:冷泉定親の娘
- 男子:九条教嗣(1362-1404)
- 生母不明の子女
- 猶子