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グレートジャーニー探検家の関野吉晴さん うんこと死体、人類の歩みに学ぶ共生社会

World Now 更新日: 公開日:
探検家の関野吉晴さん
探検家の関野吉晴さん=2024年12月、東京都青梅市、石井徹撮影

人類がアフリカから広がった道のりを逆ルートで旅したドキュメンタリー「グレートジャーニー」で知られる探検家、関野吉晴さん。最近では、うんこの役割に焦点を当てた映画の制作をしたり、旧石器時代の暮らしを再現して体験したりと、ユニークな取り組みを続けている。そこには、地球上の生きものと人間の共生についての独自の問題意識があるようだ。その真意を聞いた。(聞き手・石井徹)

――関野さんは、生物同士の共生や助け合いについてどう感じていますか。

霊長類学者の伊澤紘生さんによれば、中南米の彼がフィールドにしているところには、7種類の新世界ザル(中南米に生息する広鼻猿類)がいて、場所とか、高さとか、生活時間とか、えさの違いによって競争しないで生きているそうです。

彼は「競争のウラの社会」と呼んでいます。「生きもの同士は競争社会と言われているけど、決してそんなことはない」と。

彼は元々、日本ザルを研究していて、「野生のサルにボスはいない」と言って学会で問題になりました。彼の論理は、研究のために餌付けをするから強いやつが最初に来る順位ができるのであって、野生にはエサがいっぱいあるので、順位もボスもいないと唱えた。

私も世界中で、いろいろな動物や狩猟採集民を見てきて、闘っているだけではなくて、競争しない社会があるのを感じます。

南米からアフリカまでの5万キロを踏破する「グレートジャーニー」を続ける関野吉晴さん(左手前)
南米からアフリカまでの5万キロを踏破する「グレートジャーニー」を続ける関野吉晴さん(左手前)=1996年4月、パナマ、山本雅彦撮影

競争の裏側の社会の論議は、ドキュメンタリー映画「うんこと死体の復権」(2024年公開)の中でも描いています。死体に来る昆虫が1日でガラッと変わった。死体を食べる64種の虫は、ただ単に争っているだけじゃなくて譲り合っている。

動物同士では見てきたのだけれど、植物同士でも譲り合いがあるのかどうかについては、なかなか見えない。

――生物のうちの多くを占めているのは植物ですが、動物と時間の感覚がまったく違うので理解しにくいということでしょうか。

植物にも寿命はあるし、生も死もあるわけです。中でも世界中を席巻しているのが花を咲かせる顕花植物です。植物のすごいところは、光合成によって自分で食料を確保できるので、ほかからの助けがいらないことです。だから動かなくてもいいんですね。自分で食料を探さなきゃいけない動物にはできないことなので、うらやましいですよ。

動物は、それを食べて生きている。だから、陸上の最初の生き物も植物です。地球ができたのが46億年前で、生物の誕生は38億年前、5億年前に最初に陸に上がったのが植物で、植物が土をつくった。

なぜ、映画「うんこと死体の復権」を撮ったかと言えば、植物が地球上の生きものたちの循環の基礎であり、我々が植物に寄与できるのは何かを示したかったからです。それぐらいなんですよ、人間ができるのは。野ぐそや土葬をすることによって、土壌を豊かにする。焼いてしまったら、ほかの生きものの役に立たない。

植物と菌類や細菌、昆虫、草食動物、肉食動物は、全部つながって循環しているわけです。でも、どういうコミュニケーションを取っているかは見えづらい。

――なぜ、循環をテーマに映画を撮ろうと思ったのですか。

生きもの同士のつながり、リンクを示したかったのです。恐竜がなぜ滅んだかについて、とどめはメキシコのユカタン半島に落ちた直径10キロの隕石(いん・せき)が有力とされていますが、その前におもしろいことが起きていたと聞いたことがあります。彼らは隕石が落ちなくても、エサを食い尽くして滅びたのではないか、というのです。

人類がアフリカから広がった道のりを逆ルートをたどる「グレートジャーニー」を完結させ、人類最古の足跡入来にゴールした関野吉晴さん(左)
人類がアフリカから広がった道のりを逆ルートをたどる「グレートジャーニー」を完結させ、人類最古の足跡入来にゴールした関野吉晴さん(左)=2002年2月、タンザニア・ンゴロンゴロ自然保護区内のラエトリ、中田徹撮影

草食恐竜が食べていたのは、シダだったのですが、なくなってきたので、恐竜は北に向かった。だからシベリアや北海道から化石が出てくる。恐竜はシダを食べるだけの寄生関係でした。花を咲かせる植物が昆虫に蜜を与え、花粉を運んでもらう共生関係ではなかったのです。

いま、地球上で最も栄えているのは顕花植物と昆虫ですが、共生関係にあるからです。自分だけ良い思いをして、助け合わないと、当時は天敵がいなかった恐竜でさえ滅びるというのは、天敵がおらず、いまの地球を支配している人間にも何かを示唆しているのではないでしょうか。

人間がなぜ二本足歩行を始めたかについて、以前は道具を使って獲物を捕るために立ったとされる狩猟仮説が有力でした。それが人間同士の争いにつながっているというのですが、いまは否定されています。当時の石器が見つかっていないのです。

石器ができたのは立った後だった。人間はアグレッシブではないし、強い動物に食べられて進化した(捕食を避けるために知能を発達させた)という説がいまは有力です。

狩猟採集社会では、捕ってきた肉や魚を平等に分けます。早く食べないと腐っちゃうから。独り占めはできないけど、長い目で見れば、みんなで分け合って生きていく方が安定している。だから人類は生き延びられた。いい人たちだからとか、気前がいいからではなく、分けちゃった方がいい。

それを変えたのが農業です。穀物はため込めるから。いまでも採取狩猟社会は平等社会なんです。だから、みんなで協力し合って生きていくという石器時代の生き方や社会のあり方、食事の仕方が、いま改めて見直されている。

――関野さん自身も、2年ほど前から旧石器時代の生活を体験されていますね。

タイムマシンで旧石器時代に行って暮らしたらどうか。ナイフもなしの徒手空拳で森に入って暮らせるか、というプロジェクトです。

近代的手段を使わず人力で移動したグレートジャーニーは、マンモスハンターである石器時代の旅でした。なぜ人類はアフリカの森を出て、世界中に広がったのか。何を考えて旅したのか。当時の人たちに思いをはせたかったからです。

人類が日本列島にやってきたルートたどる「新グレートジャーニー」で関野吉晴さんらが乗ってきた丸木舟
人類が日本列島にやってきたルートたどる「新グレートジャーニー」で関野吉晴さんらが乗ってきた丸木舟=2011年6月、沖縄県石垣島沖、竹谷俊之撮影

ところが、アマゾンにせよ、アラスカにせよ、いまの狩猟採集社会は、みんな鉄器を使っています。石器時代ではなく鉄器時代になっている。旧石器時代を旅するには、自分でその状況をつくるしかないと思った。石器を作り、ひもを編み、家をつくり、食料を集めて暮らす計画です。

東京都青梅市の森でも2024年1月に10日間過ごしました。やってみて分かるのは、ナイフってすごいなあとか、時計がないので時間の感覚がないとか、いろいろあります。明かりがないと暗闇の中では何もできませんが、満月の時は文庫本を読めました。

探検家の関野吉晴さん。東京都青梅市の山林でつくった小さな「家」の前で。ここで旧石器時代の生活を体験した
探検家の関野吉晴さん。東京都青梅市の山林でつくった小さな「家」の前で。ここで旧石器時代の生活を体験した=2024年12月、石井徹撮影

――人類はアフリカの森から世界中に広がったわけですよね。

森で生まれてサバンナで長期の二足歩行を始めたと言われています。ボノボやチンパンジー、ゴリラは、ちょっと物を持ったり、少し歩いたりはしますが、物を持って長距離を歩くのは人間の専売特許です。

でも、こんなに弱い動物ないですよ。爪は鋭くないし、牙もないし、皮膚はペラペラだし。むしろ弱いからこそ、頭を使って生き延びることができた。ホモサピエンスは、同じ人類の中でも弱々しくて、きゃしゃな部類でした。我々の先祖は、弱さをバネにして生きてきたのです。

何が人類にグレートジャーニーをさせたかと考えると、最初は好奇心や向上心があったと思うのですが、途中から変わったと思うのです。

安住の地となったコミュニティーの人口が増えて押し出された人たちが、フロンティアを求めてパイオニアになったのではないか。そこも人口が増えて、また出ていくという繰り返しだったと思っているのです。日本や英国なんかへは、もともとは弱い人たちが押し出されてたどり着いたのではないでしょうか。