私の森をめぐる取材は、約40年前、記者として駆け出しのころにさかのぼる。十和田八幡平国立公園の八幡平地域(岩手県)で1987年、1000ヘクタール以上のブナの原生林を伐採する計画に対し、伐採中止を訴える反対運動を追った。
計画は、伐採側である全国林野関連労働組合(全林野)の地方本部が伐採反対に転じ、旧営林局も計画を凍結、一部を買い戻すという異例の展開をたどった。原生林が守られたことに、ほっとしたのを覚えている。気候変動や生物多様性という言葉がまだ聞かれなかった時代だ。
その後、国内では原生林の大規模な伐採計画をほとんど聞かなくなった。おかげで、約30年前に国内で最初に世界自然遺産に登録された屋久島(鹿児島県)や白神山地(青森県、秋田県)など、豊かな森を歩いて楽しめる。
ただし、世界では、いまも原生林が次々と切られている。
その後も環境分野の取材を続けた。国内では、公害に廃棄物、ダイオキシンなどの問題が次々と起きた。さらに、オゾン層破壊や温暖化、海洋汚染などの地球環境問題が急拡大した。
国際交渉を取材する機会も増えた。振り返って思うのは、これらの問題はすべてつながっていて、その根っこにいるのが木であり、植物であるということだ。
最近、ようやく気候変動と生物多様性危機の同時解決の必要性が指摘されるようになった。
すべての生物は、地球の炭素循環の中で生きている。陸上でのスタート地点にいるのが植物だ。
最近、温暖化対策のために、海中生物の光合成を促すとして海に鉄をまいたり、地下に二酸化炭素を埋めたり、日傘効果を狙って空にエアロゾルを散布したりする気候工学が注目を集めているが、ほかの生物への影響という視点が欠落している。
さんざん地球を汚しておいて、他の星に移住する計画を唱える人もいる。だが、地球上の生物量のほとんどを占める植物や2番手の微生物のことを忘れているのではないか。
動物が、食料、大気、エネルギーのすべてを植物に頼っていることを考えれば、「ノアの方舟(はこぶね)」には地球並みの大きさと環境が必要だろう。
横浜市のみなとみらい駅の前に、「The Boundaries of the Limitless」(無限の境界線)と名前のついた印象的なパブリックアートがある。巨大な御影石の立体の上に、シラーの手紙の一節が書かれている。
そこには、18、19世紀のドイツの詩人・劇作家で、ベートーベンの交響曲第9番「合唱付き」(第九)の歌詞を書いたことで知られるフリードリヒ・フォン・シラーの手紙の一節が書かれている。
「樹木は成育することのない無数の芽を生み、根をはり、枝や葉を拡(ひろ)げて個体と種の保存にはありあまるほどの養分を吸収する。樹木は、この溢(あふ)れんばかりの過剰を使うことも、享受することもなく自然に還(かえ)すが、動物はこの溢れる養分を、自由で嬉々(きき)とした自らの運動に使用する。(後略)」
私がたどり着いたのは、深刻化する地球環境問題に立ち向かうには「自然に根ざした解決策(ネイチャー・ベースト・ソリューション)しかない」というありきたりな結論だ。
すべての生きものは、マザーツリーの森のように支え合っている。人間も、そろそろその輪に戻らないと手遅れになる。