超富裕層のために国家を解体しようとするのがトランプ&マスク体制の本質

資本主義は新たなユートピアの夢を見るか?

世界が固唾を呑んでドナルド・トランプの一挙手一投足に注目している。アメリカ合衆国の利益をどこまでも追い求めるそのやり方は、市民の65%がトランプ大統領により大きな権限を与えるのは「非常に危険」だと捉えていると公表した世論調査にもあったように、アメリカ国内でも徐々に危険視されつつあるようだ。かくも「国益」むき出しの政治は、ロシアにも中国にも共通する。私たちはこうした国家のふるまいに、どう対応すればいいのだろうか。そうした問題意識もあって先ごろ刊行されたのが、『21世紀の国家論 終わりなき戦争とラディカルな希望』を上梓した隅田聡一郎氏だ。本書で「国家の主権」を根底から問うその思想は、何に由来するのか、隅田さんにインタビューをおこなった(聞き手は編集部。3回連載の第1回)。

長期停滞経済を無理矢理成長させようとすると、富の不平等は拡大する

――本書の「はじめに」は「回帰する国家主権」という見出しです。

第二次トランプ政権が誕生して以降、ますます地政学的な対立関係が流動化しており、国際社会のカオス状態が明らかとなっています。本書で詳しく述べたように、わたしの時代認識は21世紀になって「国家主権」が再び台頭してきたというものです。

国家主権が前景化してきた理由は、リーマン・ショック以来の資本主義経済の行き詰まりがあります。世界に飛び火した恐慌から経済を救うべく、先進各国では中央銀行が強力に金融政策に乗り出してきました。また、2020年の新型コロナのパンデミックでは国家が強制的に日常行動を制限するなど、国家とその政策は私たちの社会生活を大きく左右することになりました。気候変動問題においても、各国で足並みがなかなか揃わないなかで、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)をプラットフォームに、国家が主体となって協議を重ねています。経済恐慌、パンデミック感染症、気候変動といった惑星規模の大きな社会的難題を解決する担い手として、みんなが期待を寄せているのが国家というわけです。保守派であれ革新派であれ、左派も右派も、国家が私たちの生活の舵取りをおもに担わざるをえないと相変わらず考えています。

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ですが、21世紀のこうした現象はわたし自身が生きた90年代後半の時代状況とは全く異なるものです。20世紀にはまだ、グローバリゼーションが進むことで国境が相対化され、さまざまな文化が入り混じり、人々が国や民族の垣根を越えて自由に交流し合うといったような、今日から見ればきわめて牧歌的と言える世界の到来がイメージされていました。もちろん当時も、経済がグローバル化したとしても国民国家が消滅することなどないと一部では主張されていたわけですが、そう議論する論者でさえも、まさかここまで国家が前景化してくるとは思いもしなかったのではないでしょうか。

一体どうしてそうなかったのか。例えば日本では、戦後の経済成長期に中間層が豊かになって社会統合が進みましたが、バブル崩壊後、現在まで続くような長期的なスパンで経済が停滞期に入ると、中間層や低所得者層に対する労働分配率を下げて(超)富裕層を形成しようとする政策が強力に推進されていきました。歴史的な視野でみたときに重要なのは、先進資本主義諸国における社会統合には、その反対のモーメント、つまり社会の脱統合、社会統合の解体という契機が同時に組み込まれていたということです。フランスの経済学者トマ・ピケティの議論を連想するならば、富の不平等を緩和するとされた経済成長が、不可逆的に富の不平等を助長することになったと言えるでしょう。

経済が長期停滞の状態に陥ったなかで無理矢理経済を成長させようとすると、資本主義のもとではどうしても富の不平等が拡大せざるを得ない。それで、他には選択肢がないかのように、問題の解決が国家に求められることになります。自分たちの所得や生活水準が国家の政策によって劣悪になっているにもかかわらず、同じ国家の政策によって自分たちの状況が改善されるはずだ、でも今の政治家は信頼できないから新しいリーダーを選んで国家を自分たちに都合良いように作り変えよう、こういう発想から私たちは抜け出すことができていません。

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