サッカー サッカー日本代表 中村憲剛に聞く「次の監督は日本人か、外国人か」…W杯を見るほどに感じた“世界との差”とは?「育成年代から基準を上げなければ」
誰も予想できなかったことを、日本代表がやってのけた。 ドイツに続いてスペインを破り、グループステージを首位で通過したのだ。 W杯優勝経験を持つ2カ国を破ってのベスト16入りに、元日本代表MFの中村憲剛氏も「すごいことをやってのけました」と興奮を隠さない。かつてのチームメイトたちの活躍に触れつつ、スペイン撃破の要因を解きほぐしてもらった。(全2回の1回目/後編へ) ◆◆◆ このグループステージでの戦いは、まるでジェットコースターに乗っているようでした。初戦のドイツ戦で世界を驚かせる歴史的な逆転勝利を収め、一気にグループステージ突破への機運が高まりますが、コスタリカとの第2戦では苦杯をなめました。背水の陣で臨んできた相手の覚悟を決めた戦いの前に、ドイツ戦後半の躍動感を最後まで出せないまま0対1で敗れました。 1勝1敗で突破への条件が厳しくなったなかで、グループ首位のスペインとの第3戦を迎えまし
大苦戦の前半「狙い通りに奪えたシーンは…」 システムを4-2-3-1へ戻した9月の戦いで、日本は3ラインをコンパクトにしたハイプレスをコンセプトの柱に据え、チームの共通理解を図ってきました。ところが、その3ラインのコンパクトさが、前半開始から時間を経たずして保てなくなっていきました。守備の局面では1トップの前田大然とトップ下の鎌田大地がツートップ気味に横並びになり、相手CBに制限をかけるのですが、彼らが出ていっても後方が連動できる回数が減っていきました。 鎌田と前田が前からプレスを仕掛けるなら、中盤から最終ラインも同じように押し上げないと、とくにダブルボランチの遠藤航と田中碧の周りのスペースが空いてしまいます。9月23日のアメリカ戦では前からのプレスに合わせて中盤と最終ラインが連動し、3ラインをコンパクトにすることで、とくに中盤でボールを奪いショートカウンターで得点を狙う形を多く作れてきた
――ここ最近の三笘選手のパフォーマンスはどう見ていますか? 所属するプレミアリーグのブライトンでも出場機会が増えてきました。 鬼木達監督(以下、敬称略) 凄いですよね(笑)。ただ、日本にいる時からこうなるかなという感じはありましたよ。ハードワークが必要なブンデスリーガやプレミアリーグなどでは、薫のようなタイプは難しいと言われることは理解していました。でも、薫は一つ飛び抜けた選手で、他の選手にはないドリブルという圧倒的な武器をもっている。たぶん向こうに行っても(ドリブルで)抜けてしまうんだろうなと。毎日見ていた選手ですから、やっぱりあのレベルなら通用するよねと納得しました。 ――今後、指導するにあたって指標になるところもありますか?
鬼木 それは人によりますね。ここまで来るだろうと思っていた選手もいれば、徐々に力をつけてきた選手もいる。たとえば、守田(英正)は初めて練習参加した時から「この選手は間違いなくフロンターレでレギュラーになる」と思っていましたし、周りのコーチには「すぐ代表にいくぞ」とずっと言っていました。想像した通りに成長したなという印象があります。 ――どんなところに「代表へいけそう」と感じていたのでしょうか? 鬼木 身体的な部分にもともといいものを感じていました。巧さのところは少し足りなかったですが、自分がチームを作っていく上で、ああいうモビリティーのある、パワーのある選手が必要になってくるだろうなと思っていました。代表に関しても、うちでやっていれば道が開けていくだろうという感覚でしたね。 加えて、守田は物怖じせずプレーできる。最初のトレーニングからチャレンジ精神をすごく感じられたんですよね。他の選手は「
カタールW杯の日本代表には、大学サッカーを経由してプロ入りを果たした選手が数多く選出された。学生時代の彼らはどんな輝きを放ち、いかに成長を遂げていったのか。守田英正、三笘薫、谷口彰悟の獲得に携わった川崎フロンターレの向島建スカウトに話を聞いた。(全3回の3回目/#1守田英正編、#2三笘薫編へ) 11月1日。 カタールW杯のメンバー発表があった当日、クラブハウスで行われた日本代表選出記者会見。その場で谷口彰悟が切り出したのは、これまで育ててくれた人たちに対する感謝の言葉だった。 「僕は大学を卒業してから、このクラブに入団させてもらいました。このクラブに育ててもらったと思っています。これまでたくさんのコーチ、スタッフ、選手も含めて色んな人たちとサッカーをして成長させてもらった実感があります。関わってくれた方々に感謝をお伝えしたいです」 Jリーグの舞台で研鑽を積み続けて、ついにW杯の舞台にまでた
カタールW杯の日本代表には、大学サッカーを経由してプロ入りを果たした選手が数多く選出された。学生時代の彼らはどんな輝きを放ち、いかに成長を遂げていったのか。守田英正、三笘薫、谷口彰悟の獲得に携わった川崎フロンターレの向島建スカウトに話を聞いた。(全3回の1回目/#2三笘薫編、#3谷口彰悟編へ) 今回のカタールW杯の日本代表に選ばれた選手の経歴を見ると、大学サッカー経験者が多いことが一つのトピックとなっている。 1998年のフランスW杯では11人を数えた大学サッカー出身者だが、2002年の日韓W杯以降の大会では2、3人にとどまっていた。つまり、完全に少数派だ。しかし今大会では9人と大幅に増加。26人のうち、じつに3分の1以上の割合を占めている。W杯出場国を見渡しても、これだけ大学サッカー経験者が名を連ねている国は稀だろう。 なぜ大卒選手の海外移籍が増えたのか こうした背景を読み解く上で、うっ
10月28日、今シーズンでの引退を発表した鄭大世(FC町田ゼルビア)。フィジカルの強さから“人間ブルドーザー”と呼ばれ、川崎フロンターレで充実の全盛期を過ごし、北朝鮮代表としても活躍した38歳のFWは引退発表の翌日、等々力競技場を訪れた。フィールドに足を踏み入れ、川崎フロンターレサポーターの前に立った元背番号9は「引退したくない!」と絶叫。インタビュー前編では、その真意と川崎フロンターレへの思い、引退決断の理由を聞いた。(全3回のうち、第1回/続きは#2、#3) 俺もこのチームでプレーできれば、いまでも活躍できる ――現役引退を発表した翌日、10月29日の等々力陸上競技場で試合後、川崎フロンターレのファン・サポーターが、かつてクラブに在籍(2006年―2010年)した鄭大世さんの現役引退を惜しむようにチャント(応援歌)を歌っていましたね。 鄭大世 いても立ってもいられないほどうれしかったで
――流れの良さという点で言えば、19年1月のアジアカップ終了後、3月と6月に2試合ずつ親善試合が組まれていて、そのうち3試合でシュミット選手がスタメンだったんですよね。ボリビア戦、トリニダード・トバゴ戦、エルサルバドル戦。 「そうでしたね」 ――アジアカップでレギュラーだった権田修一選手は所属クラブで試合に出られていなかったこともあって、シュミット選手に流れが来ていたのかなと。ところが、W杯アジア2次予選開幕直前の19年9月のパラグアイ戦を負傷で回避することになった。あのときはどこを傷めたんですか? 「試合前日のセットプレーの練習で、タケ(久保建英)に直接フリーキックを決められたんですけど、そのときダイブしてポスト前を通過したんですよ。そこで踵がポストにガンと当たって。めっちゃ腫れて、歩くのも痛くて。これは厳しいなと思って、パラグアイ戦を休んだんですよね」 ――当時、森保一監督の期待の高さ
元日本代表DF内田篤人氏がDAZNで配信中の冠番組『内田篤人のFOOTBALL TIME』で、「日本代表で上手かった選手」について明かした。DAZNの公式YouTubeにアップされた未公開シーンで言及している。 9月30日に配信された最新回では、前回に引き続き、横浜F・マリノスのFW宮市亮がゲスト出演。「日本代表に入って上手いと感じた選手」の話題になり、内田氏は川崎フロンターレのレジェンドの名前を挙げた。 「憲剛さんと初めて一緒にやった時に、『中村憲剛うめぇ』と思った」 そんな内田氏は、今年1月に配信された回に出演した大久保嘉人氏が、「やりやすかった選手」を問われて「憲剛さん」と即答した際、「憲剛さんを褒めるの、やめない? みんな中村って言うんですよ、ここに来て」と訴え、笑いを取っていた。 “苦言”を呈した本人が、やはり賞賛してしまうほど、中村氏は際立った存在だったということだろう。 構成
もう少し正確に表現すると、味方のフィールドプレーヤー9人、敵のフィールドプレーヤー10人とどんな関係性を築き、どれくらいの距離感を保っているか、が。 「上手いなあ」と感じた脇坂の立ち位置 その点において、この2試合で「上手いなあ」と感じたのが、川崎フロンターレのMF脇坂泰斗だ。味方をサポートするポジショニングだけでなく、相手にとって嫌な位置に立ち、「ここに入れてくれ」と言わんばかりのジェスチャーでパスを要求する。 つまりは、そこに立っている理由が伝わってくる選手、ということになる。 「相手の三角形の中心だったり、ギャップで受けるのがすごく上手いと思って。そこから前を向いて簡単に外に出していく感じで、相手もすごく嫌だったと思います」 そう語ったのは、香港との初戦で25分ほど一緒にプレーした横浜F・マリノスの20歳、藤田譲瑠チマである。 三角形とは、相手のセンターバックふたりとボランチだったり
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く