今回は、まず自分の仕事の話から始めます。 僕は社会に出て、広告制作プロダクションに勤めました。毎日しごかれた徒弟時代です。そこから大手広告代理店に移籍して、11年間お世話になりました。その後、米国の広告会社に移りました。外資系の世界は変動が激しく4社を転籍して、その後に独立して現在に至ります。 この間にコピーライター、クリエイティブディレクター、そこからアカウントプランニングディレクター、今は自称ブランディングディレクターといわゆる職域も変わっています。 日本の同世代と比べると、異常な回数の転職です。でも、マーケティング、広告コミュニケーションの送り手の世界から出たことはありません。 よくある話ですが、僕は大学生の時にVW(かぶとむし)の広告の成功物語を読んで広告が好きになり、バイト代でコピーライターの講座に通いました。自分で好きなものを見つけて、職業にできたのは幸運でしたし、幸せです。