2025-02-16

「許し方」に対する社会的議論必要だと思う

謝罪炎上が尽きない世の中において、もはや「自分には、何もやましいことはないです」と主張できる人はいないのではないか

そうなると、社会的成功すると謝罪炎上に追い込まれる、そう考える人も多いはずで、最近の若者出世を拒むのには、そういう考え方もあるのではないか

からこそ、この「やましいこと」を許されるための社会的方法論を考えていくべきだと思うのだ。

先述のとおり、偉くなると過去の「やましいこと」が露見して辞めさせられてしまう、みたいなムーブメントは正直なところ、社会にとってもマイナスだと思われる。

偉くなること(社会的成功すること)へのモチベーション低下は、仕事社会的活動へのモチベーションまでも低下させ、業務効率も悪くなるはずだし、

そもそも人手不足を強く感じる時代なのだから、そんな無駄ムーブメントで貴重な「リーダー」となれるはずの人手を失うべきではない。

また、そういった成功した人々だけではなく、私たちだって、いつ炎上を仕掛けられるかわからないのだ。

からこそ、自分に対する保険意味でも、人々をどうやったら「やましいこと」から解放させてあげられるのか、社会的議論すべきだと思う。

まりちゃんと「許し方」の方法論(「こういうことに対しては、○○をしたら許されるべきだ」といった許しのラインみたいなもの)を構築していくべきなんだと思う。

(ちなみに、「許され方」じゃなくて、「許し方」を議論すべきだ。

個人的告解の話じゃなく、許す側である社会が、どこまで謝罪があったら、罪を許すのか明確にすべきだと思うのだ。

現在は、許しのライン社会的に明確でないから、炎上が際限なく続いてしまう。

そしてそれは、炎上させられた人間だけでなく、社会の多くの人間が望むものではない。

「これ、まだやってんのかよ」と思う人も多いはずだ。そんな情熱的なリソースもっと生産的なものに注ぐべきなのだ。)

  • そういえばキリスト教は許しの宗教だったな

  • やっぱりリベラル反政権に入信したら過去の罪は許さないとダメだよね

  • 「社会」が何の立場で許すの許さないの言うのでしょうか 許す側である社会が、どこまで謝罪があったら、罪を許すのか

    • ここでいう社会とは、関係ない個々人がわらわらとわいてきていじめに加担し続ける状況を指すのだろう

      • それなら、元増田の提起している問題は「『関係ない個々人がわらわらとわいてきていじめに加担し続ける』ことが肯定される条件は何か?」ということですね

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