第2回「根性は数字にする時代」 新しい広島商が磨く伝統の機動力

平田瑛美
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 昭和の「怪物」を倒した広島商が、令和の時代に再び力を取り戻そうとしている。

 1899(明治32)年創部で、春夏通じて7度の甲子園大会優勝を誇る。染みつくイメージは「小技と機動力」。重盗で勝ち越し点をもぎとり、2安打で江川卓擁する作新学院(栃木)を破った第45回選抜高校野球大会(1973年)の準決勝は語りぐさだ。

 ただ、平成以降の甲子園での最高成績は第74回選抜(2002年)のベスト8。近年は広陵や広島新庄などに押され、県大会を勝ち抜くことも苦しんでいたチームが、昨秋は中国大会を制覇。明治神宮大会でも準優勝した。

 復活の理由を探しにグラウンドへ行くと、「広商は広商の道を行け」の垂れ幕が目に入った。

 その意味について、同校出身の荒谷忠勝監督(48)は「どうやったら限られた人材で強豪校に勝てるか。決まった戦術でなく、創意工夫の精神が広商の伝統です」と説明する。

 その証拠に、と見せてくれたのがグラウンド脇にある石碑。第8回選抜大会(1931年)で初優勝したときの選手だった保田直次郎氏の言葉で、「伝統とは脈々と続く『創造の心』とその心構えである」と刻まれている。部員たちは寒空にこの言葉を唱えてから練習を始める。

 工夫をこらす姿は、走塁練習に見てとれた。一塁から二塁方向へ引かれた3、4、8、10メートルの4本の白線を意識して、個々がリードの限界点を探す。主将の西村銀士(3年)は「どれくらいの歩幅が自分の足を生かせるリードか。練習で考え、試合で実践しています」。

 バッテリーの牽制(けんせい)、刺殺の練習と併せ、実戦さながらの走塁練習を積む。誤ってスタートを切った際の戻り方もしつこく確認していた。その脇の砂場で足腰を鍛える部員も。地道な積み重ねが機動力を生んでいる。

 低反発バットの導入によって、外野の守備位置が浅くなり、二塁走者が単打で生還しにくくなっている。広島商は意に介さない。昨秋のチーム打率は選抜出場32校中19番目の3割1分0厘。それでも、一つ先の塁を狙う姿勢や小技が実り、同12番目に多い1試合平均6.57得点を挙げた。打球が飛ばない時代、少ない好機を生かすすべで一日の長がある。

 「高校は3年弱。今の時代のうちには、このやり方しかできん。頭を使わんといけん」と荒谷監督。活路の一つが「走塁」にあったことは、昭和も令和も変わらない。ただ、その質の磨き方は、時代に合わせて変化している。

 昭和初期は、監督や部員が日本刀の上に立って集中力を高めたという逸話も残るほど「精神野球」が伝統とされた。今は違う。練習中は「費用対効果のない練習をするな」と声が上がるのは商業高校ならでは。商業科教諭の監督は「根性ややる気は数字で可視化する時代」。部員たちは野球日誌に送球ストライク率やバント成功率を記録し、数値で日々の目標を見つけている。

 主力全員が県内の中学出身。ずば抜けた個はいないが、アップデートされた広商野球でこの春、古豪脱却をめざす。

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